第75話「すべては斯くも唐突に(2)」
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第二演習場で行われていた『二体一対』の決勝戦で時任ペアの作戦スタッフを務めていた朝倉は、後片付けを終えてから第一演習場に向かうべく移動していた。
時間を確認すると、第二クォーターが終了して少し長めのインターバルに入った頃合いだった。急いで向かえば第四クォーターの開始にはおそらく間に合うだろう。
箱館山に設けられた六か所の演習場は、元々の景観を極力壊さないようにそれぞれが点在している。
各演習場間で道はきちんと整備されているものの、『螺旋の球形』決勝戦も後半に突入しようというこの時間に歩道にいるのは、朝倉の視界に映る範囲では自分一人だけだった。
だからかもしれないが、第一演習場を目指していた朝倉は、偶然にも歩道から外れて森の中を進んでいく人の姿を見かけた。
「――ん、あれは」
気に掛かった朝倉がそちらに目を懲らすと、その人物は見慣れた学生服を着ていた。白を基調とした生地に黒のラインが入った制服は、自分が身に着けている鷹津封術学園の学生自治会役員専用の制服と同じものだった。
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第二クォーターの終了を告げるブザー音を聴いたスフィアが封術による干渉を徐々に弱め、巨大な球体から離れて競技場の地面に足を付けると、鷹津封術学園の作戦スタッフたち――悠紀と聖奈が待っている北東側ベンチまで向かった。
「お疲れさま、スフィア」
「お疲れさまです」
聖奈がタオルを手渡すと、スフィアは運動を止めたことで噴き出してきた汗をタオルで拭った。ふかふかのタオルの感触が肌に心地良い。
「客観的に視ている限りでは私たちが優勢だと思うのだけれど、主観的にはどうかしら?」
「鶺鴒封術学園の選手の方は少し手強いけれど、問題ないよ。だけど、二人ともずいぶんとワタシを警戒しているみたいだね。たぶん前半は様子見で、後半から勝負に出てくると思うから、懸念はそんなところかな」
「第二クォーター中の相手選手の行動パターンを分析したのですが、確認されますか?」
聖奈がデバイスを操作していつでも資料を表示できるように準備していたが、スフィアは首を横に振った。
しかしそれは、資料を見ないという意味ではなかった。スフィアはそれよりも先に、悠紀たちに訊ねておきたいことがあったのだ。
「その前に、ユウキ。シュウヤの姿が見当たらないんだけど、どうしたのかな?」
「秋弥君は少し用事があって席を外しているの」
淀みなく、だが少しばかり早口で悠紀が答えた。
「ひょっとしてスフィア、秋弥君がいなくて寂しいの?」
悠紀がおまけばかりに茶化してみたが、スフィアは思い出すように難しい表情をした。
「いや、そうじゃなくてね……。ワタシの気のせいかもしれないけれど、第二クォーターの途中で観客席にシュウヤの姿を見かけたんだ。それもユウキの妹さんたちが座っている席とはまったく反対の方で、ね。だからそれで気になったんだけど……二人はシュウヤが席を外している理由を聞いているのかい?」
今度は悠紀だけでなく聖奈にも訊ねる。すると二人は顔を見合わせてから、代表して悠紀が口を開いた。
「私たちは何も訊いていないけれど、秋弥君のことだから、ちゃんとした理由がなければ貴女の競技中に退席するようなことはないわよ」
悠紀は十分に言葉を選んだつもりなのだろう。二人の表情からは悠紀が嘘を吐いているとは思えない。だけど、スフィアには彼女の言葉に引っかかる部分があった。
「ちょっとまって。それはおかしいよね。もしもちゃんとした理由があるというのなら、シュウヤはキミたちにそれを伝えているはずだ。そう思わないのかい?」
残念ながら秋弥とはまだそこまで解り合える間柄になれたとは言い難いが、彼の姉のことならば良く知っている。彼女は真面目で几帳面で、非の打ち所が全くない優等生だった。だからその弟である彼もまた、そうであるはずだ。
「大した理由じゃなければ、シュウヤは今もこの場にいたと思う。その点についてはワタシも同意するよ。でもね、ユウキ。キミとシュウヤは何かを隠しているよね――大した理由じゃない、何かを。しかもそれは通常では考えられないようなことで、だからこそシュウヤから何も訊いていなくてもキミには大体の察しがついたし、キミの言葉には、嘘がなかった」
スフィアが確信に満ちた声音で断言すると、
「もう一度訊くよ。シュウヤはどこへ行ったんだい? ……もしも答えられないというのなら、ワタシは競技を棄権してでもシュウヤを探しに行く」
二人の顔を交互に見た。聖奈の表情には隠しきれない困惑の色が浮かび、悠紀は表情が抜け落ちたような顔で正面からスフィアを見据えた。
「馬鹿なことを言わないで、スフィア。貴女が今すべきことは……集中すべきことは何? 秋弥君を探すこと? 違うわよね。貴女が今しなければならないことは――」
そのとき、悠紀のデバイスが自動的に起動して、一枚のホロウィンドウが表示された。言葉を切ってホロウィンドウに視線を移した悠紀は、横目で通知相手を確認した。
「……朝倉君?」
「……出た方が良いよ、急ぎの用件かもしれない」
現状よりも急ぎの用件があるだろうか。しかし、プライベートコールでなく自治会役員同士の連絡用コールであったため、無視することもできない。
しばし迷ってから、悠紀は言いたいことをグッと呑み込んで首を縦に振ると、通信を許可した。
『すまない、星条。今、大丈夫か?』
「えぇ、どうかしたの?」
『……変なことを訊くと思うかもしれないが、そっちに九槻はいるか?』
ちょうど話題に上がっていた秋弥の名前が朝倉の口から飛び出したことで、スフィアの柳眉がピクリと動いた。
『今の時間帯は星条たちと『螺旋の球形』の作戦スタッフをしているはずだから、そんなはずはないと思うんだが――』
「いいや、シュウヤはいないよ」
「ちょっ……スフィア」
そこでスフィアが会話に割り込んだ。役員の連絡用コールではデフォルトの設定で複数人通話を可能としているため、周囲の声も取り込めるように集音力が高めになっている。その設定を変更していなかったため、悠紀が止める間もなく、スフィアの声は朝倉まで届いてしまった。
『……そうか。そっちに向かっている途中で、道から逸れたところで九槻に似た学生を見かけたんだが、気のせいじゃなかったのか』
「ところでアサクラ。キミが見かけたシュウヤは、一人だったかい?」
もう今更スフィアの言葉を止めるつもりはないのだろう。諦観した悠紀がため息を漏らす音が聞こえた。
だが、朝倉の次の言葉を聞いて、悠紀の眼の色が変わった。
『ん、どうだったかな。確か一人じゃなかったと思うが……あぁ、そうだ。背の高い男と、赤い服を着た女の子が一緒にいたは――』
「待ちなさい、スフィア!」
突然の悠紀の怒声によって、朝倉の声がかき消される。
朝倉の言葉を半ばまで聞いたスフィアが全力で地面を蹴った瞬間、一瞬早く動いた悠紀がスフィアの腕をしっかりと掴んだのである。
「離せ、ユウキ!」
「絶対に離さない!」
「ふざけている場合じゃないだろ! シュウヤと一緒にいるのはっ……!」
「それでもっ……」
悠紀の抑える力とスフィアの抗う力がぶつかり合い、腕の関節が悲鳴を上げる音が聞こえたような気がした。このままの状態が続けば腕の関節が外れてしまうかもしれない。
競技中のスフィアにとって、それは致命的な負傷だ。しかし、そうなって困るのは自分ではなく、競技を続けさせたい悠紀の方だ。ゆえにスフィアは一切手加減をせずに抗い続けようとした。
「申し訳ありません、スフィア会長」
鈴の音を転がすような声を聞いたときには既に天地がひっくり返っており、スフィアの身体は地面に打ち付けられていた。
突然のことに驚き、仰向けに倒れたまま目を見開いた視線の先には、均整のとれた顔を苦しそうに歪ませた聖奈の姿があった。
「えっ……今の何?」
地面に強く打ち付けたはずなのに、身体にはまるで痛みがない。起き上がろうと思えばすぐに起き上がれたのだが、何故だかそうする気力が起きずに眼を白黒させていると、今度は悠紀の声が頭上から降ってきた。
「ありがとう、聖奈さん。どう、スフィア、少しは頭に上っていた血が冷えた?」
問われたスフィアは、引っ張られていた腕の痛みを思い出した。ジンジンと痛む関節に手を添えながら、悠紀の二色の瞳を睨み返した。
「……全然冷えてない。わかっているだろ、ユウキ。これは異常事態だ」
「……どうやらそのようね」
悠紀も空を仰いだ。長めのインターバル中とはいえ、トイレ休憩などで席を外す観客たちはそう多くはない。当然、今の一悶着は一部始終が衆目に晒されていたことになる。
「それなら、どうしてキミはここにいる? キミが本来すべきことは何だ? ワタシのサポートをすることか? 違うよね」
封術師の名家。
『星鳥の系譜』に名を連ねる十三家の頂点。
序列第一位『天壌』の星条家。
その高貴なるものの責務。
「キミの責務は現層世界を異層の脅威から守ることだ。……だから、ワタシ一人に構うなよ」
「……えぇ、わかっているわよ。でも、貴女はどうするつもりなの? まさか、この期に及んで一緒に行くとか言い出さないわよね?」
「もちろん、と言いたいところだけれど、それはキミが何も行動していなかったからだ。キミが行くというのなら、今はキミの判断に任せて、ワタシはワタシの戦いを続けることにするよ」
空気を大きく吸い込んでから、長く息を吐き出す。
赤い服を着た少女――リコリス。
クラス1stにカテゴライズされる、高位の存在。
彼女が顕現していることまでは悠紀も想像していなかったのだろう。そうでなければ一般客もいるこの場所で目立った行動を控えることもしなかったはずだ。
だがそれも、状況が変わったのならば関係ない。
それに作戦スタッフのひとりや二人いなくたって――ひとりもいなくたって、どうとだってなるのだから。
「それと、念のためアコとセイナも一緒に連れて行ってくれ」
「ダメよ。もしも二人に万が一のことがあったら……」
「ユウキは買ったオモチャを箱から出さずに飾っておくタイプなのかい? 課外活動はこういうときのために行ってきたものだろう」
「それはそうだけれど……」
「二人には、それこそ万が一のときに備えていてもらえば良いんだ。もちろん、杞憂に終わればそれに越したことはないんだけれどね」
「貴女は一人でも大丈夫?」
不安げな悠紀に向かって、スフィアはニヤリと笑った。
「第三クォーターで決着をつけてしまえば、作戦スタッフはもう不要だよ」
握り拳を作った右腕を空に向かって伸ばし、強気な態度を見せる。
「だから、先に行っててくれ」
それに悠紀が力強く頷いて、スフィアの握り拳に自分の拳をコツンとぶつけた。そして、立ち上げっぱなしだったホロウィンドウに向かって言った。
「朝倉副会長。貴方は現在位置を私たちに連携しながら、秋弥君たちに感づかれないよう十分な距離を置いて後を追いかけて。それと、貴方が何を見ようとも、単独による接触は絶対にしないで」
「わかった」
朝倉からの反論はなく、短い返事で通信を終えると、悠紀は聖奈の方を向いた。
「聖奈さん。私たちも亜子と合流したらすぐに秋弥君の後を追うわよ」
「はい、承知いたしました」
一も二もなく了承した聖奈を心強いと思いながら、悠紀は最後に、仰向けに寝そべったままのスフィアに視線を落とした。
「スフィア。自分が負けて決着、何ていうつまらない冗談が通じるとは思わないでね」
「なるほどね、その発想はなかったよ」
皮肉の言い合いで調子を取り戻した二人は、お互いに笑みを交わし合うのだった。
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聖奈と悠紀がフィールドから出て行くと、北東側ベンチはスフィア一人となってしまった。
彼女は振り上げていた右腕を下ろすと、仰向けに寝そべったまま起き上がらずに、澄んだ青空をジッと見詰めた。
やがて、デバイスを操作すると、治安維持会メンバーのデバイスにのみインストールされているRTMアプリを立ち上げ、その入力欄に文字を打ち込んだ。
メッセージを送信後、即座に二つの返答を受信する。
その内容に目を通してから、スフィアは満足そうに身体を起こしたのだった。
・お詫び
過去掲載文において、鷹津封術学園の学園カラーが「紅」という記載がありましたが、正しくは「蒼」になります。
※「紅」は鷺宮封術学園になります。
現在は既に修正済です。




