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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第3章「四校統一大会編」
74/111

第73話「招かれざる者たち」

★☆★☆★



 第四演習場に仮設された人工の森林を視界に入れながら、星条悠紀はホロウィンドウに映る童顔の少女と話をしていた。


「Aブロックは決勝で負けてしまったのね」

『はぃ……力不足で申し訳ありませんですぅ』

「仕方ないわよ。勝負なのだから勝つときもあれば負けるときもある。ただ、一度負けたら次がないトーナメント形式というのは厳しいものよね」


 シュンとしてしまった亜子を慰めるように穏やかな口調で悠紀が言う。

 第二から第四までの演習場で同時に行われているのは、大会唯一の男女混合種目である『二体一対(パーフェクト・マッチ)』だ。『二体一対』では予選を三つのトーナメントに分けており、各学園はトーナメントごとに二人一組の選手を出場させている。

 亜子が作戦スタッフとして担当していたのは予選トーナメントのAブロック。そこに出場していた五年生の男女ペアは初戦で鶺鴒封術学園に勝利したものの、予選決勝戦で同じく初戦を勝ち上がった鷺宮封術学園に敗北したのだった。

 二度の試技を行って良い方の得点で決勝進出者が決まる『光速の射手(ファスト・ドロー)』と違い、『螺旋の球形(スフィア・クリスタル)』や『二体一対』は予選からトーナメント形式であるため、一度でも敗北したらその時点で終了となってしまう。

 一度の競技時間や準備に掛かる時間が長いのだから仕方のない処置であるのだが、与えられたチャンスの少なさを考えたら、二度の試技が行える『光速の射手』に出場していた悠紀としては思うところがある。

 しかし同時に、負けても次があるという軽い気持ちでいられても困るという思いも悠紀にはあった。戦うべきときには勝つことだけを考えて全力で戦うという強い意志がなければ、勝てる戦いも負けてしまうかもしれない。

 『(こころ)』の持ち様が封術や装具に強く影響するということを深く理解している悠紀だからこそ、ここで敗戦した学生たちにも強く有ってほしいと願えるのである。


「負けてしまったのは残念だけれど、決勝に進出した鷺宮封術学園の選手たちの情報はちゃんと収集できているのよね?」

『はぃ、それはもうバッチリですよぉ』


 亜子がそう言うのだから心配はいらないだろう。語尾を伸ばすのんびりとした話し方をする彼女であったが、特異な『瞳』を持つ鵜上家の観察眼は伊達ではない。


「それなら良いの。Cブロック(こっち)はさっき決勝戦が終わったところで、時任君たちのペアが順当に勝ち進んだわ」


 同級生の吉報を知った亜子がホロウィンドウの向こう側で喜んでいる。カメラの視界内には映っていないが、その隅にいるのであろう聖奈に向かって、今聞いた話を伝えていた。

 悠紀はウィンドウを指で軽くなぞるようにしてカメラの向きと倍率を変更すると、亜子と聖奈がカメラの視界に入るように調節した。


「それと、美空たちから既に聞いているかもしれないけれど、Bブロックの方は初戦で負けてしまったわ。美空と秋弥君の二人には決勝戦に進むペアの情報収集があるから最後まで第二演習場に残ってもらっているけれど、そっちも時間的にもうすぐ終わるはずだから、私たちは先に第一演習場に向かっていましょう」


 第一演習場では今日の午後から『事象の地平面(イベント・ホライゾン)』の決勝戦が行われる。『事象の地平面』は四校統一大会で行われる競技の中では『神の不在証明(オール・フォー・ワン)』に次いで人気が高く、良い席を取るために第一演習場の入場口には早朝から多くの一般客が列を作っていたほどだった。

 悠紀は通信を切ってから周囲を見回した。

 競技の開始前から第一演習場に人口が集中してしまっていたためだろう。競技中でも遠目で数えられる程度には空席も見られた第四演習場の観客席には、もうほとんど人の姿はなかった。

 皆、第一演習場の方に移動したのだろう。

 悠紀もそちらへ向かうために席を立った。



★☆★☆★



 悠紀が立ち去った直後、第四演習場内を照らすために設置された照明設備の上に降り立った者がいた。

 その者は第四演習場を一望できるその場所から周囲を見渡して、やがて毒づいた


 『くそが、ここにもいやしねぇ。あのクソジジイ……いったい何処に隠れてやがる』


 頭をムシャクシャに掻きむしると、その者の周囲に蒼い火の粉が舞った。


『それによォ、似たような建造物ばかりでイライラするぜ。人間ってやつはつくづく個性ってモノが足りねぇよなァ』


 第四演習場には『二体一対』で仮設した競技フィールドの後片付けを行っている者たちが残っている。

 彼らを路上の片隅にある嘔吐物を見つけてしまったときのような嫌悪の表情で見下しながら、その者は己の目的を達成するために第四演習場から姿を消した。



★☆★☆★



「ほら九槻君、急いで急いで!」

「そんなに慌てなくても、『事象の地平面』の開始までには十分間に合いますよ」

「何言ってるの! 秋弥君は入場口に並んでた人の列を見ていなかったの? 人が並んでいたら、たとえ何の列だかわからなくても、何となく自分も並んでみたくなるものでしょ!?」

「……ならないですよ」


 その場で足踏みをしながら「早く早く」と美空が急かすので、秋弥は少しだけ歩行のペースを速めた。

 先行していた美空に追い付くと、彼女は駆け足気味に再び歩き出した。


「そもそも今から向かったところでもう誰も並んでいませんって。それに俺たちが急いで行かなくても、西園寺先輩の席は鵜上先輩が取っておいてくれてるはずですから、何の問題もないでしょう」


 俺の席は一応作戦スタッフ席があるからな、と内心で付け足しながら、これには何も言い返せまいと秋弥は思った。

 しかし、


「馬鹿ね秋弥君。あこちがあたしの分の席までちゃんと確保しておいてくれていると思ってるの?」

「……」


 亜子の名誉のために何か言い返さなくては思った秋弥であったが、反論できるだけの材料が見つからなかった。

 なので亜子に関する話題を避けるべく、秋弥は別案を提示することにした。


「それなら俺は天河たちと一緒に観客席の方で観ますから、西園寺先輩は俺の代わりに会長たちと一緒に作戦スタッフ席で見たらどうですか?」


 『事象の地平面』には学生自治会の副会長である四年生の朝倉瞬が出場していることもあって、今回は学生自治会長と治安維持会長の二人だけが作戦スタッフを担当している。というのは建前であって、連日作戦スタッフに加わっていて、大会を純粋に楽しめていない役員たちのことを考えた会長たちの厚意であることは誰もが承知していた。

 しかしながら役員たちの中で秋弥だけは、作戦スタッフには加わらずとも作戦スタッフ席で観戦するようにと悠紀から言い付けられていた。

 その理由は実に単純なもので、秋弥が将来的に男子のみの競技種目である『事象の地平面』に出場する可能性が高いから、とのことだった。


「え、いいの?」

「はい、別に構いませんよ」


 とはいえ秋弥自身は四校統一大会にそこまで興味がなかったので、会長たちには申し訳ないけれども、『事象の地平面』を観たがっている美空にその権利を譲ってしまうことにした。


「やった! ……あぁでもそれだと、あこちがひとりぼっちになっちゃうか」

「それなら鵜上先輩は俺たちと一緒に観れば良いですよ。たぶん今から連絡すれば席は何とかなると思いますし、天河や会長の妹、桃花さんもいますから」

「なるほど、秋弥君冴えてるぅ」


 冴えているかどうかはさておきとして、これで不必要に急ぐ必要はなくなった。その代わりに秋弥は歩きながらデバイスを立ち上げて、少し迷ってから聖奈にコールした。数回の呼び出し音の後に聖奈からの応答があった。


『お待たせしました、天河です。九槻さん、どうかしましたか?』

「あぁ。悪いんだけど、今から二人分の席って確保できるか?」

『はい、それは問題ありませんが……。どなたがいらっしゃるのですか?』

「鵜上先輩と、俺の分だ」

『……承知しました』


 少しの間沈黙が続いたのは、聖奈もまた秋弥と同じ学生自治会の役員として、彼が作戦スタッフ席の方で観戦するということをあらかじめ知っていたからだ。

 それでも聖奈は何の理由も訊ねることなく、彼の頼みを引き受けてくれた。


「悪いな、よろしく頼む』

『はい。それでは、お待ちしています』


 秋弥が聖奈との通話を切ったところで、ちょうど美空も亜子との通話を終えたようだった。彼の視線に気づくと親指を上げて笑顔を見せた。


「ふふっ、これで男の子たちの絡みあ……もとい、男子たちの熱い戦いが間近で観られるわ!」


 一瞬美空の口から不穏な発言が飛び出したような気もしたが、すんでのところで言い直したのだからこちらは何も聞かなかったことにするのが大人の判断というものだろう。

 秋弥は極力表情筋を動かさないように注意しながら、普段のペースに戻った美空と並んで廊下を歩いた。


「ん? 何かあったのかな」


 二人が廊下を道なりに進んでいると、正面で何やら難しい顔をしている大会スタッフの姿を見つけた。封術協会から派遣された封術師の運営スタッフと、大会前日に顔合わせを行った烏丸封術学園の学生自治会役員たちだ。

 どう贔屓目に見ても面倒事が起こっているような気配を雰囲気から感じていながら、二人は学校こそ違えど学園を代表する学生自治会の役員として、彼らをそのまま無視するわけにもいかなかった。

 美空と顔を見合わせて無言のうちにお互いの意思確認をしあってから、彼らから話を聞くために近づいていった。


「どうかしましたか?」

「……おや、貴女方は鷹津封術学園の――」


 秋弥たちに背を向けていた烏丸封術学園の自治会役員が振り返る。秋弥たちからは後ろ姿しか見えていなかったのでわからなかったが、振り向いた学生は学生自治会長の葛城俊輝だった。


「これはお恥ずかしいところを……。いえ、今はそうも言っていられませんか」


 昨日の競技の疲れがまだ残っているのだろう。葛城は神妙な面持ちに疲れの滲んだ表情を含ませながら、かぶりを振った。


「つかぬ事を伺いますが、お二人はこれから第一演習場へ向かわれるのでしょうか?」

「えぇ、まあ」

「……それは、『事象の地平面』の作戦スタッフとして、でしょうか?」


 葛城がそう尋ねてきた時点で、二人は彼が何を伝えようとしているのか、おおよその予想がついてしまっていた。

 だからといって、ここで背を向けて引き返すことはもうできない。


「いえ、あたしたちは違いますけど……」


 美空が二人分の答えを返すと、葛城の表情がわずかに明るくなった。彼の隣で黙って話を聞いていた烏丸封術学園の学生自治会役員が、降って湧いたような幸運で綻びそうになった表情を抑えながら小声で囁いた「会長、それではお二人に――」という言葉に、葛城が首を縦に振る。そして改めて彼は秋弥たちの方に向き直ると、役員共々背筋を伸ばした。


「大変恐縮なのですが、お二人を鷹津封術学園の学生自治会役員と見込んで、折り入ってお願いしたいことがございます」


 丁寧な口調でそう言うと、葛城は状況の説明を始めた。


「実は、明日に行われる『二体一対』の決勝戦のために、これから競技フィールドの設営を行う段取りとなっていたのですが……。作業を担当していた者が負傷してしまい、急遽人手が必要になってしまったのです」


 負傷という言葉を聞いて、美空がハッと息を呑んだ。おそらくその担当者というのは昨日の『妖精の尻尾』決勝戦で鷹津封術学園と戦っていた代表選手のひとりに違いない。

 競技中の不慮の事故であるため、その件で鷹津封術学園(こちら)側が何らかの責任に問われることはないが、多少は良心の呵責を感じないでもない。

 とはいえ、それならそれで昨日のうちに運営スタッフの応援要請を行っておけば良かったのにと思ってしまうが、昨日の時点では負傷の度合いが軽微に見えたから、何とか内々で対応しきろうと考えたのだろう。しかし翌日になって容態を確認したら思った以上に芳しくなかったので、やむを得ず急遽応援要請を行うことになった。とまあ背景はそんなところなのだろう。


「それでまずは封術協会からの運営スタッフに応援要請を行ったのですが、すぐに割ける人員がいないということだったので、これから他校の学生自治会長に応援要請を行おうとしていたところだったのです」

「なるほど……つまり――」

「はい。本日の午後だけで構いませんので、お二人に運営スタッフとして加わっていただけないでしょうか? もちろん鷹津封術学園の学生自治会長には私の方から正式に応援要請を行いますし、お二人にも事情があると思いますので無理にとは言いませんが……」


 そこに秋弥と美空がやってきたのは、彼らにとってみればまさに渡りに船だった。なぜならば、ここで二人が彼らの応援要請に応じてしまえば、人的リソースの配分ミスによる運営スタッフの応援要請という失態を他の三校に向けて行わなくて済むことになるのだから。

 ただ、そのような思惑があるのかはさておいて、本当に申し訳なさそうに瞳を伏せた葛城の様子は、心身ともに疲れているように見えた。


「えぇと…………九槻君、ちょっとちょっと」


 美空はすぐには応じず、振り返ると秋弥の腕を引いて腰を落とさせ、顔を近づけた。


「どうする、九槻君」

「……今更どうするもこうするもないでしょう」

「それはそうなんだけど。手伝いなんてやっていたら『事象の地平面』の決勝戦が観られないよ?」

「まぁそうでしょうね」

「あら。何だかどうでも良さそうな感じね」

「実際、俺はそこまで興味ありませんし」

「ふぅん……意外。男の子はみんな好きなんだと思ってた」

「……それはどういう意味ですか?」

「どういう意味だろうね?」


 秋弥は無言で首を横に振った。

 どうにも美空と会話をしていると、変な方向に脱線していくような気がする。


「はぁ……」

「何よ、そのため息は」

「いいえ、なんでも。それじゃあとりあえずここは俺が引き受けるので、西園寺先輩は副会長の応援に行ってください」

「えっ?」


 美空が驚いたように瞳を見開いた。


「いやいや、そういうわけには行かないでしょ」

「西園寺先輩は決勝戦を観に行きたいんですよね?」

「それはそうなんだけど……二人に手伝ってほしいって言ってるし、一年生の後輩君をひとりだけにして行けないよ」


 それは彼女の補佐役として学生自治会役員を拝命してから、初めて聞く言葉だった。なるほど、美空にもそういう側面はあったらしい。


「心配してくれるのは有り難いですが、俺はひとりでも大丈夫ですよ。それに負傷したのは一人だけなんですから、人手は二人もいらないはずですし、西園寺先輩には万全の体調で『神の不在証明(オール・フォー・ワン)』に出場していただきたいですからね」


 そう言った秋弥は、美空が何かを言う前に視線を外して一歩前に出ると、葛城に軽く会釈をしてから目を合わせた。


「お待たせしました。応援要請の件ですが、こちらの彼女は明日以降に競技を控えていますのでお引き受けできません。しかし、学生自治会長からの許可が下りれば、俺の方でお引き受けします」


 すると葛城の口元がようやく綻び、役員とともに深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。早急に鷹津封術学園の学生自治会長に許諾の確認をさせていただきますので、少々お待ちください」


 葛城が星条会長と交渉をしている間、秋弥は美空の方を向いた。


「とりあえずこれで丸く収まりましたね」

「……確かにそうだけど、九槻君ってもしかして自己犠牲派?」

「何ですかその嫌な派閥は……」

「うぅん、ただそう思っただけ」

「はぁ。何でも良いですけど、西園寺先輩にひとつ、お願いをしても良いですか?」

「え、急に何? そういうのって先に言っておかないとルール違反なのよ」


 いったいどんな勘違いをしているのか、自分の身体を抱きしめるようにして隠した美空を、秋弥は呆れたような表情と白けたような眼で見詰めた。


「……いえ、大したことじゃないんですが、さっき西園寺先輩に作戦スタッフ席を譲ったことで、会長たちには俺がこっちの手伝いをするから空いた席を譲ってもらった、ということにしていただけますか?」

「ん、良いけど……なんで?」

「あの二人に本当のことを話したら、後々面倒なことになりそうなので」

「あはは、なるほどね」


 眉をハの字にして言うと、美空が事情を察して笑んだ。


「うん、あこちにはその辺の事情は話してないし、それくらいなら協力してあげるよ」

「ありがとうございます」

「こっちこそ。九槻君に負担ばかり掛けちゃって、ごめんね」

「大変お待たせしました」


 葛城の声が聞こえたので二人で振り向く。葛城の安堵したような表情から、悠紀からの許可は下りたようだとわかった。


「鷹津封術学園の星条悠紀学生自治会長から、九槻秋弥君を一時的な運営スタッフとする旨の許諾をいただきましたので、短い間ですが宜しくお願いいたします」

「こちらこそ不慣れな点は多々あると思いますが、精一杯助力しますので、宜しくお願いします」



★☆★☆★



「――瞬!」


 チームメイトから名前を呼ばれた朝倉が顔を向けると、高速回転したボールが彼めがけて飛んできた。

 片手を伸ばしてボールの軌道上に掌を合わせる。ボールが手に触れる寸前で腕を後ろに引き、ボールの衝撃を殺すようにして受け止めると、彼の最も近くにいた相手選手に向かってボールを投げた。

 その直後、朝倉はカウンターを懸念してすぐにその場から離れる。

 『事象の地平面』決勝トーナメントの第一試合。

 一辺が二十メートルの透明な立方体を二つ繋げて隣接した面を取り払い、境目に白線を引いた競技フィールドの内側を十二名の選手が縦横無尽に動き回っていた。

 一方の立方体の内側には鷹津封術学園の選手が六名。

 他方の立方体の内側には鷺宮封術学園の選手が六名。

 両チームの選手たちは白線で仕切られた立方体内であれば自由に行動でき、自軍の立方体内であれば、下面だけでなく側面や上面にも移動することも可能となっている。

 三次元全面型ドッジボール――それが『事象の地平面』の別名である。

 封術を行使することによって地平面は一つではなくなり、認識する地平面が選手たちによって創造されることから、この名が付けられているのであった。


「――ッ」


 相手選手が回避したことでボールは立方体の面にぶつかって跳ね返り、重力に引かれて落下していく。

 しかしその最中で、ボールは吸い寄せられるように軌道を変えた。

 風の流れにボールを乗せて、手元に引き寄せたのだ。

 相手選手はそのままボールを手で掴むことなく、風の力を操ることで投げ返した。圧縮された風の力で勢いよく押し出されたボールが、一瞬で鷹津封術学園の領域まで戻ってくる。


神坂(かみさか)!」

「わかっている!」


 白線から最も離れた角に立ってフィールド全体を視界におさめていた五年生選手の耕納(こうのう)が叫ぶと、神坂がそれに応じて構えた。

 神坂は回避ではなく捕球を選んだようだ。

 迫り来るボールを正面に捉えると、相手選手がそうしたように風を操る封術を発動させた。

 不可視の風壁にボールが激突する。球形のボールがつぶれて変形したが、その程度で破裂するような安易な素材では作られていない。

 弾性の強いボールが勢いを殺されて空中で停止する。それを神坂が両手でキャッチしてから約一秒後、ボールの柄が変わった。これでボールの所有権が鷹津封術学園に移ったことになる。


壬生谷(みぶたに)ッ! やれ!」


 神坂が白線の近くにいた四年生選手の壬生谷に向かってボールを投げた。彼は装具の柄を両手でしっかりと握って片足を持ち上げると、タイミングを合わせて装具を振るった。狙い違わず、装具の芯にヒットしたボールは気持ちの良い音を立てて相手選手に命中してから立方体の面に接触した。


「っしゃぁ!」


 壬生谷がガッツポーズを見せながら、相手のカウンターに備えて後方に下がる。

 身体に当たったボールが面に触れたことで脱落者となった相手選手が鷹津封術学園側の立方体の外側へと移動したのを見届けると、ボールを拾った選手はそれを宙に放ってから思い切り蹴り飛ばした。

 さらに蹴打の直前に摩擦係数を改変させる封術を用いたことで、ボールは蹴打時の爆発的な速度を維持したまま、減速することなく飛んでいく。

 しかしボールの飛んで行く方向に鷹津封術学園の選手はいない。

 狙いを外したかに見えたその攻撃であったが、不意にボールが進行方向を変えた。

 脱落者となった選手が、立方体の外側から封術を行使したのである。

 『事象の地平面』では立方体の内側にいる選手が相手チームの領域に対して封術による事象改変の影響を与えることを禁止しているが、脱落者となって立方体の外側に移動した選手に限っては、ボールあるいは立方体に対しての封術の行使を可能としている。

 競技の勝利条件はシンプルで、相手チームの選手をすべて脱落者とさせるか、時間切れとなった際に立方体の内側に残っていた選手の数が多ければ良い。

 しかしながら、脱落者が再び内側に戻ってくることはないとはいえ、脱落者が増えるほどに相手チームからの妨害が増していくため、その辺りの駆け引きも競技の勝敗を左右すると言えるだろう。

 軌道を変えたボールが耕納に迫る。

 ボールの動きを常に追っていた耕納だったが、警戒していたとはいえ相手選手が外側に移った途端の軌道変化であったため対処しきれず、ボールが腕に当たって跳ね返った。


「くそっ」

「いや、まだだ!」


 朝倉がそう言いながら立方体の下面を強く蹴った。

 ボールはまだ立方体の面に触れていない。

 そうなる前にボールを味方の誰かがキャッチすることができれば、耕納の当たりは無効となる。

 もちろんボールに触れられたとしてもキャッチすることができなければ、その味方選手も一緒に脱落者となってしまうというリスクはあるが、ボールの落下予測地点は朝倉が対処可能な範囲だった。

 相手選手からの次なる妨害が行われる前に朝倉がボールをキャッチする。「悪いな」という耕納の言葉にボールを持った腕を持ち上げることで応えると、内側の人数比は六対五のまま競技は続行となった。



★☆★☆★



 壬生谷が二人目の相手選手を脱落者とした瞬間、観客席が歓声で沸いた。


「おい、見たか今の動き!」

「うん、見た見た! 何あれ逆さまに打ったよ!?」


 沢村が興奮しながらそう言うと、玲衣もまた興奮気味に目を見開いて大声を上げた。


「壬生谷選手は情報強化系の封術式と情報変化系の封術式を同時に行使していますね」


 その横では午前中に行われた『二体一対』の予選トーナメントで本日の作戦スタッフとしての役目を終えていた聖奈が、壬生谷の行使した封術を分析していた。


「『事象の地平面』では側面や上面を自由に移動するために情報変化の術式が必要不可欠となります。ですが、単一の封術だけでは味方のサポートもなしに相手選手にボールを命中させることは非常に困難でしょう」


 相変わらず皆の一つ後ろの席に座って競技と奈緒の友人たちを見守っていた桃花がそう付け加える。


「ところで、九槻さんは途中からでも決勝戦を観に来られないんですかぁ?」

「運営スタッフとしての仕事内容次第ですが、おそらくは」


 隣で大人しく競技を観戦していた亜子からの素朴な質問に、聖奈は真面目に答える。

 秋弥から二人分の席を確保しておいてほしいと連絡があった十数分後、再び彼から連絡があり、急遽運営スタッフの手伝いをすることになったから席の確保は亜子の分だけで良いと言われたのである。そして、本来彼が座るはずだった作戦スタッフ席には美空の姿が見えていた。

 亜子はあまり気にしていないみたいだが、秋弥が運営スタッフの手伝いをすることになったために作戦スタッフ席を美空が譲り受け、結果的に一人きりになってしまった亜子が自分たちと合流したのでは話のつじつまが合わない部分がある。

 しかしながら、そのつじつまを合わせるための解答に聖奈はほとんど行き着いていた。ただ、秋弥や美空が何も言っていないのに、自分が余計な口出しをすべきではないと聖奈は考えて、結局何も言わずにいたのである。

 そんなことを頭の片隅で考えている間にも、競技フィールド内の攻守は目まぐるしく入れ替わりながら進行していた。

 相手チームに所有権の移ったボールが鷹津封術学園の領域内に飛んでくる。

 そのボールが一つから六つに分裂した。ダミーのボールを出現させたのは外側にいる相手選手の一人だ。

 本物のボールを見失った壬生谷の身体に、そのうちの一つが命中した。するとその他のボールは煙のように消滅して、彼に直撃したボールだけが残った。


「あちゃぁ……、やられちゃったか」


 これで立方体の内側に残っている選手は鷹津封術学園が三名、鷺宮封術学園が二名となった。内側に残っている選手よりも外側に移った選手の方が多くなり、いよいよ試合は過酷さを増していた。



★☆★☆★



 第一演習場の観客席最上段で遠巻きに『事象の地平面』を観戦している者がいた。


『面白い』


 燕尾服を身に纏って円筒形の帽子を被り、紳士然とした彼がそう呟く。

 帽子の端から覗く白髪交じりの髪や顔中のシワ。小綺麗な外見に柔和な笑みを浮かべた初老の男性は、弓なりに細めた目で立方体の内外を動き回る選手たちを追いかけていた。


『実に面白い』


 今度ははっきりと口を動かしてそう言ったが、彼の言葉に耳を貸している者は、観客席には誰ひとりとしていない。

 人間という存在を完璧に模している彼の領域干渉行為はあまりにも微弱であったため、封術関係者も多い観客席にいても、誰ひとりとして彼の本来の姿が人間ではないことに気づいていなかった。

 それほどまでに卓越した領域干渉能力を有している初老の男性は、ただ静かに四校統一大会を観戦していた。


『私はこの光景を見るたびに思うよ。人間という種は矮小であり脆弱であるが故に、同属同士が競い合うことで種としての能力を向上させ、めざましい速さで進歩しているということをね』


 四校統一大会をずっと観てきた彼は、澄みきった青空を見上げながら言った。


『観察対象として、これほどまでに面白い対象はないよ』


 初老の男性は四校統一大会の競技自体に興味があるのではなく、人間という種に興味があった。


――ワァァァアァァァ。


 本日何度目かになるかわからない歓声が湧く。

 一方の立方体の中で、選手のひとりが項垂れたように顔を下に向けて膝を突いていた。

 いつの間にか競技が終わっていたらしい。

 地平面に近い空の色も微かに緋色に染まり始めていた。


『しかし、時間の流れというものは"星"にさえ止めることはできない。そして、タイムリミットは刻々と迫っているようだ』


 タイムリミット。

 その言葉は何を意味するのか。

 競技に夢中になり、彼の独り言を聞いていない人間たちにとっては知る由もないことだった。



★☆★☆★



 本日の競技を終えて、四校統一大会もようやく半分が終了した。

 ホテルのミーティング室に集まった学生自治会役員とスフィアの面々は、悠紀の話を黙って聞いていた。


「『事象の地平面』決勝戦の順位を受けて、鷹津封術学園(わたしたち)の総合順位は鶺鴒封術学園と入れ替わって、三位となったわ」


 悠紀は事実だけを淡々と説明していく。『事象の地平面』の決勝戦で朝倉たちが鶺鴒封術学園に敗れたことにより、総合順位が逆転したということだ。

 競技に出場していた朝倉が己の力不足を責めるように下唇を噛んで瞳を伏せるが、決勝戦を観戦していた誰もが理解していた。決勝戦の内容を鑑みれば、鶺鴒封術学園の代表選手たちのチームプレイが鷹津封術学園よりも勝っていたことは誰の眼にも明らかだった。


「個人戦よりも獲得点の大きい団体戦で、私たちは烏丸封術学園や鶺鴒封術学園の後塵を拝してしまったわ。だけど、団体戦はまだ一種目だけ残されているわ――時任君」

「はい」


 返事をした時任に向かって悠紀は頷いてから、ジッと彼の眼を見て言った。


「貴方たちなら明日の『二体一対』決勝戦でも絶対に勝てると、私は確信しているわ」

「もちろんですよ、星条会長。俺たちが必ず、貴女のために勝利してみせます」

「学園のために、ね」


 普通に訂正した悠紀に、時任は肩を竦めた。


「そしてあとは『螺旋の球形』と『神の不在証明』なのだけれど……。スフィア、貴女のことだから心配はいらないと思うけれど、明日の決勝戦は予選と同じようにはいかないわよ」


 一昨日の『螺旋の球形』予選でスフィアが見せたような余裕ぶったプレイは明日の決勝戦では通じないと、悠紀の言葉と瞳は示していた。


「心配無用だよ、ユウキ。ワタシはこれまで一度だって、手を抜いて戦ったことがないからね」


 その言葉の真偽を確かめられるほどスフィアと過ごした時間は長くない秋弥であったが、相変わらず飄々とした態度のスフィアから、普段の彼女とは違う何かを感じとったらしい悠紀が笑みを浮かべて頷いた。


「総合順位で三位に転落してしまったといっても、その得点差は選手たちの健闘のおかげでほんの僅かでしかないわ。だから明日の競技で、私たちの学園が個人戦でも団体戦でも強いということを証明して見せましょう」


 ミーティング室に集まった全員と顔を見合わせてそう断言する悠紀の言葉に、皆が力強く頷いた。

 その後、明日に備えて簡単なミーティングを行ってから解散となった。

 しかし秋弥が部屋を出て行こうとしたところで、背中越しに悠紀から呼び止められた。皆が部屋を出て行くのを見届けた彼女はドア付近に立ったままだった秋弥を手招きして呼び寄せると、自身も部屋の真ん中あたりまで歩いた。


「今日はお疲れ様、秋弥君。運営スタッフのお手伝いは大変だった?」

「いえ、作業の手順が確立していたので、難しいことはありませんでした」

「……内容はそんなに簡単なものじゃなかったと思うけれどな」


 手順がハッキリしていることと、実際にそれを実行するのとでは意味合いが全く異なる。葛城が秋弥に任せた作業内容については彼から応援要請の連絡を受けた際に一通り確認しているが、特に心配することもなかったようだ。


「秋弥君がそう言うのなら良いのだけれど。葛城会長も、貴方にとても感謝していたわ」

「それは何よりです」

「だけど、葛城会長は不思議に思ったみたいよ。秋弥君がどうして、大会に出場していないのかって」


 これには返す言葉もなく、苦笑するしかなかった。


「来年は出られるようになっていると良いわね、秋弥君」

「そのときにはもう、葛城会長はいないですけどね」

「それでも、私やスフィアはまだいるわよ」

「会長たちとは同じ学園じゃないですか」

「ふふっ」


 堪えきれずに笑い出した悠紀を見て、秋弥は自分がからかわれているのだということを理解して顔を歪めた。


「それよりも、昨日の夜に秋弥君から教えてもらったことなんだけど……」


 まるでスイッチが切り替わるみたいに一瞬にして表情を引き締め直した悠紀が話題を変える。

 昨夜、『コア・ルミナスキューブ』と隣神リコリスがこの近辺で異層の存在を感知したことを、秋弥は悠紀にだけ話していたのである。


「今日一日、私も異層干渉の揺らぎに気を配っていたけれど、不審な点は見つからなかったわ(・・・・・・・・)

「そう……ですか」


 ほとんどずっと第二演習場にいた秋弥とリコリスも、現層に干渉した何者かの存在を見つけることができなかった。

 秋弥の表情からそれを読み取った悠紀は、優しく微笑んだ。


「去年のこともあるから不安になる気持ちもわかるけれど、気負いすぎるのも良くないわよ。明日以降も注意しておくけれど、杞憂になると良いわね」


 四校統一大会も残り三日。

 悠紀の言うとおり、このまま何事も起こらなければ良いと思う。

 しかし、秋弥の胸中には言いしれぬ不安が渦巻いていた。


第三章の長い前振りが終わりました。

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