第70話「その手が掴む栄光(前編)」
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競技場内に立つと、それまで浮き足立っていた気持ちがスッと冷えていくのを感じた。
おそらくそれは自分だけでなく、同じように競技場に立つ他の五人もそうだろうと鶴木は思う。
選択競技である『妖精の尻尾』 の男子決勝戦ということもあって、観戦席は人目で満席であることが覗えた。
まあそれもそうだろう。何せ『妖精の尻尾』男子決勝戦は四校統一大会三日目の最終競技なのだから。高校生同士による競技大会をわざわざ観戦しにくるほどのファンや封術の関係者であれば、これを観戦しない道理はない。
鶴木は視線を正面――対戦相手である烏丸封術学園の代表選手たちへと向ける。
決勝戦のルールは予選のそれとはわずかに異なっている。たとえばそれは六名の選手たちの外見的な特徴からも分かる。烏丸封術学園の選手たちは学園のカラーである黒を基調とした衣装に身を包んでおり、対する鶴木たちも鷹津封術学園のカラーである蒼の衣装を身に纏っている。
太陽は天頂をとうに過ぎて地平線の彼方へと沈みかけている。『妖精の尻尾』男子決勝の前に女子決勝戦が行われた関係で、時刻は陽の入りに近い十七時になりかけていた。競技が長引けば陽は完全に沈み、辺りは途端に暗がりで満たされることになるだろう。
『妖精の尻尾』決勝戦の競技時間は予選からさらに延びて最大で三時間。捕獲対象となる妖精の総数は九羽となる。
前の女子決勝戦では烏丸封術学園と鶺鴒封術学園の代表選手たちが競い合い、結果は時間切れによる判定で烏丸封術学園が優勝した。そのためだろうか。一足先に女子チームが優勝したことで対戦相手の選手たちからは気負いのようなものが感じられた。
それもわからなくはない。
実際問題、今年度の四校統一大会の開催校である烏丸封術学園にとって、自分たちが選択した『妖精の尻尾』で負けるわけにもいかないはずだ。そうでなければこの競技を選んだ意味がない。
予選で敗退した唯一の相手に、鶴木は今一度気合いを入れ直した。
競技場の中央に立った審判員が、一見するとアタッシュケースにも似た銀色の鞄を地面に下ろした。
それを認めると、六名の選手たちは一斉に所定のポジションに立つ。各人の準備が整ったと判断した審判員は鞄の淵に手を掛けると、ひと思いに鞄を開け放った。
途端、まずは青色に発光する四羽の妖精が飛び立った。次に、黄色に発光する三羽の妖精がその場でくるくると円を描き、まるで中央から弾けたように別々の方向へと飛び去った。最後に、他の妖精よりも一回り小さな赤色の妖精が鞄から飛び出すと、そのまま空高く舞い上がって、夕闇に溶け出すように消えた。
そうして、『妖精の尻尾』男子決勝戦が開始された。
競技の開始とともに黒の衣装に身を包んだ烏丸封術学園の代表選手三名が同時に動いた。
動いた先は、蒼の衣装を身に纏った鶴木たち――鷹津封術学園の代表選手たちの方向だった。
「チッ、やっぱり予選と同じ陣形できたか」
鶴木のそばで舌打ちをしたのは土師だ。
「確かにやりづらいけれど、スフィア会長たちの予想どおりですよ」
相馬が訳知り顔でそう答える。
それもそのはず。鶴木たちは予選で烏丸封術学園と戦った際にも今と全く同じ陣形を取られ、苦杯を嘗めているからだ。そして、スフィアたち作戦スタッフは対戦相手が高い確率で決勝戦でも同じ陣形を敷いてくることを読んでいた。
故に、対抗策は既に用意されている。
「それじゃあ土師先輩、鶴木君。健闘を」
言いながら相馬が地面を蹴った。一気に二人から距離を離すと、土師も同じように鶴木と相馬から距離を離した。
すると、彼らを追従するように烏丸封術学園の選手たちも散開する。一人は土師に、一人は相馬に、そして一人は鶴木へと向かってきた。
烏丸封術学園のとった陣形はマンツーマン――つまり、一人の選手が一人の選手を担当するという至ってシンプルな陣形だ。だが、この陣形によって団体競技である『妖精の尻尾』は途端に個人競技へと変貌する。常に一人の選手を相手取らなければならない関係上、捜索と捕獲と攻防の役割を各々で分担して行うことが難しくなるからだ。
そのため予選ではこの意外な陣形によって鶴木たちは苦戦し、結果として敗北を許してしまった。
マンツーマン陣形を想定していなかったといえば言い訳のように聞こえるかもしれないが、それぞれの役割がハッキリと分かれる『妖精の尻尾』においてその陣形はセオリーから外れたものであり、前例のないものだった。というのも、マンツーマン陣形は実に単純明快ながらも、それ故に個々人の能力が大きく影響してしまう陣形だからだ。自身の担当する相手に能力が及ばない場合には容易に突破されてしまうし、仲間のフォローも期待できない。しかも長時間に及ぶ競技時間に耐え切れるだけの持久力も必要となってくるため、三対三という少人数で行われる団体競技『妖精の尻尾』では、現実的ではない陣形だという判断を下していたのだった。
しかし、烏丸封術学園の代表選手たちはおそらくそういったことに対する訓練を相当積んできたのだろう。選手たち個々人の能力に相当の自信がなければ、マンツーマンの陣形なんて選べるはずもない。
――それでもワタシは君たちの能力が彼らに劣っているとは思わない。
自分のそばから離れていくチームメイトの姿を横目で追いながら、競技が開始される前に作戦会議室でスフィアが言っていた言葉を思い出していた。
――だからこそ、この作戦名には『*』と名付けるよ。
マンツーマンによる陣形に対する対抗策――それは個々人の能力で相手を上回ることだった。それを聞かされたときの鶴木は、もはや作戦ですらないと呆れたものだった。それでも作戦スタッフのリーダーを務める治安維持会長の言葉に残り二人の作戦スタッフは一言も反論しなかったので、それが最善手なのだろうとすぐに思い直したのだった。
もちろん今日まで鶴木たちが積んできた訓練の中には、各々が捜索や捕獲、遊撃や迎撃を行うパターンもあった。その中には当然、各人で得手不得手とする役割があったのだが、それらをまとめて全てをこなせば良い――特化した役割の中で最善を尽くすのではなく、足りない部分を他で補うことで、総合的に最善を目指せば良い。
作戦名『*』は、誰でもない何者にもなれるという意味なのだと、スフィアはそう言って最後の作戦会議を締めくくったのである。
鶴木は向かってくる選手と相対すべく、競技の開始と同時に召喚した装具『ペンデュラム』を静かに構えた。
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予想どおり。
それは対戦相手である烏丸封術学園の代表選手たちも思ったことだった。
烏丸封術学園の学生自治会長であり、自身も『妖精の尻尾』の代表選手の一人である葛城俊輝は内心でそう思っていた。
マンツーマンに対抗する場合、取り得る選択肢はそれほど多くはない。各人が決められた役割を担っていたのでは、どうしたって何処かで誰かの役割が破綻してしまうからだ。
だから、鷹津封術学園がこちらと同じ陣形を敷いてくることは想定の範囲内だった。
葛城は自身のマンツーマンの対象として選んだ鶴木へと切迫する。
対戦相手の中に一年生がいることは、四校統一大会が始まる前から気づいていた。しかも事前調査するまでもなく、名前を見ただけでその一年生が『星鳥の系譜』に名を連ねる家系の者だということにも――。
『糸繰り』の名を冠する鶴木家の人間。その家系が有する装具の性質については封術学園の最上級生である葛城ももちろん知っている。
強化型中距離系振子。
右手に装着された篭手が本体であり、ワイヤーを介して射出口から放たれる振子を自由自在に操れるということは予選の戦いぶりからも明らかだ。
それも、さすがは『星鳥』の一員といったところだろう。
葛城は右手に持った剣の刃に左手を添えた。
封術式が展開されて事象改変の光が刃を包み込む。見た目に変化は現れていないが、これによって装具には情報強化が施された。
実際の武器同士による戦いと違い、装具同士による戦いでは情報強度が物を言う。情報強度とはそのものずばり、その情報体を形作っている原質の強度を表している。
特定の形を持たない特殊型の装具は情報強度が低く、逆に確固たる形を有している強化型の装具は情報強度が高い。特殊型の装具で強化型の装具を相手にする場合には装具に確固たる形を与える必要があるのだが、今回の相手は自分と同じく強化型だ。
であれば、通常状態の情報強度はほとんど同じくらいだろう。
葛城が装具に情報強化を加えたのは、装具による戦いを主眼に置き、その傍らで妖精の捜索を行うためだ。自分たちはそのための訓練をこれまでずっと積んできたのだ。
彼我の距離が縮まる。
「悪いけれど、予選と同じように勝たせてもらうよ」
葛城はそう言って、右手に構えた刃を振り下ろした。
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「厳しい戦いになりそうですね」
烏丸封術学園の代表選手たちが読みどおりの陣形をとったところを作戦スタッフ席から見ていた秋弥が呟く。
「心配があるとすれば、彼らのスタミナ面かな」
隣で腕と足を組んで座っていたスフィアが最後の作戦会議を行ったときと変わらない軽い調子でそう応える。
作戦スタッフ席には決勝で戦う鷹津封術学園と烏丸封術学園の学生たちの他に、残り二校の学生たちの姿もあった。各校で利用人数が決まっているとはいえ、ほぼ満席状態の観戦席を好きこのんで使うこともないだろう。それに『妖精の尻尾』は本日で最終日だ。今更ここで何を話したところで自分たちが不利になることもない。
「競技の時間は最長で三時間。最短でも一時間半弱ですからね」
自分にはとても耐えられそうにないと口調で訴えるのは亜子だ。
予選との変更点として決勝戦では二羽となった赤の妖精は、競技の開始から九十分間は出現しないようになっている。すなわち、全ての妖精を捕獲して競技を終了させるためには、少なくとも一時間半は競技を行わなければならないということだ。
「そうだね。アコにはつらいかもしれないけれど、競技に出場するツルギたちはそれも見越した上で訓練を積んでいるからね。ただ、それは通常の陣形に敷いた場合の訓練であって、マンツーマンに対するものじゃない。とかく、常に誰かに付きまとわれて一つのことに集中できないということは、それだけで肉体的にも精神的にも疲弊するものだからね」
口にする分にはたやすいが、実際にはとてもシビアな問題だった。タロットの大アルカナにちなんで名付けた二十二の作戦は、そのほとんどが役割ごとの組み合わせであり、何でもこなす選手の存在を前提とした作戦はそのうちの三つしかない。しかもその三つの作戦にしたところで、三人の選手が同時に全てをこなす類のものではない。
予選で烏丸封術学園に敗北した後、秋弥たちはマンツーマン陣形への対抗策をいくつか考案した。しかし、そのどれもが決め手に欠けていた。
「それならいっそ、自分で全てを担当してしまえば良いんだよ」
スフィアと同じことを秋弥も考えていた。
相手が団体競技を個人競技として扱ってくるのならば、こちらもそれに応じるしかない。無理に自分の役割を果たそうとして全体が破綻するよりも、その方が精神的な負担は少ないだろう。
「その分、肉体的な疲弊は大きくなるだろうけれど、自ら突っ込んでいかなければスタミナの消費はある程度抑えることができるはずだよ。それにね、防戦を行う方が疲弊するとはよく言うけれど、ワタシはむしろ、どんなに攻撃しても破れない壁を相手にしたときの方がつらいと思うよ」
「破れない壁、ですか」
「そうだよ、シュウヤ」
そう言って視線をこちらへと向けたスフィアの瞳が微かに揺れる。澄んだ灰色の瞳が映しているものは秋弥の姿ではなく、その奥にある姉の――月姫の面影なのかもしれない。
「あっ」
と、亜子が思わず声を漏らした。秋弥とスフィアは話を中断すると、その声につられるようにして競技場へと視線を戻した。
競技場内では三つのペアが装具を交えている。そのうちの一つ、土師のペアがフィールドを大きく移動していた。
どうやら早くも妖精の姿を発見したらしい。先行して動いているところを見ると、妖精を発見したのは土師の方で、相手選手はそれを追いかけているようだ。
「一度競技が始まってしまえば作戦スタッフとして出来ることが何も無くなってしまうというのは、ちょっと寂しいものだよね」
スフィアが独り言のように言う。午前中に行われた『螺旋の球形』と違い、『妖精の尻尾』にインターバルはない。
作戦スタッフであるスフィアたちにはもう、競技の成り行きを見守ることしかできないのだった。
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『青の妖精を発見した。これから捕獲に移るよ』
端末の直接接続機能を用いた通信により、相馬から情報が連携される。
『鶴木、相馬。妖精を捕まえたぞ』
一方で、一足先に妖精を見つけていた土師からも情報が渡ってくる。最も数の多い青の妖精を捕らえることに成功したようだ。土師は青色のタグを持っているので、これで鷹津封術学園が二点を得たことになる。
マンツーマンによる戦いでは他からの横槍が入りづらい。それ故に選手たちは自分自身の戦いに集中することができる。
チームが勝利するための個人プレイ。
今回の作戦を一言で表すならば、そういうことだろう。
学生自治会の役員たちが用意した作戦の中には一人の選手が全ての役割をこなす作戦もあった。だがそれは残りのメンバーの援護があってのものだったし、今回の作戦のように味方同士がほとんど独立したものではなかった。
(だけど、僕にとってはその方がやりやすい)
篭手で葛城の攻撃を防ぎながら鶴木は術式を展開する。
後方に飛び退くと同時に、前に伸ばした右腕の篭手から振子を射出する。直線軌道を描いて飛翔する振子は葛城の装具によってあっさりとはじかれてしまうが、それで良い。
その攻撃は、次の攻撃に繋げるためのブラフだ。
鶴木はワイヤーを介して振子へと情報を送る。振子は空中で円を描くように一回転すると、葛城の横を通り抜けて勢い良く地面に突き刺さった。
(予選と同じようにいくとは思わないことだ)
内心で呟いた言葉とともに、鶴木はワイヤーを一気に手元へと引き戻した。
すると、地面と強固に結びついたワイヤーの方が鶴木の身体を地面の側へと引き寄せた。
その行動に葛城の動きが止まる。バックステップによって空中にあった身体が不意に運動方向を変えたのだから驚きもするだろう。
一瞬にして距離を詰めた鶴木は自らの意志でワイヤーを切り離す。慣性によって前進移動する身体を捩って捻り、右手の篭手を振るった。
葛城が咄嗟に装具を構える。鶴木の拳が刃の腹を強打し、その衝撃によって葛城の身体が後ろに下がる。鶴木は反動で体勢を立て直すと、今度は五つの振子を同時に射出した。
(先輩たちが善戦しているんだ。僕だって)
射出した振子が葛城を襲う。
多方向からの同時攻撃に対して葛城がとった行動は、防御だった。よほど装具の扱いに自信があるのだろう。右手に構えた直剣に体感重量を改変する術式を付与したようだ。羽のように軽くなった葛城の装具が振子の射線をなぞるようにして振り抜かれた。
一つ、二つ、三つ、と振子がはじき落とされる。
四つ目の振子は軽くなった装具を振るう速度でも間に合わなかったようで、葛城は回避を選んだ。身体を逸らすことで避けられた振子は鶴木が干渉を解いたことで明後日の方向に飛んでいくことなく消滅する。
(これで良い。相手の注意を逸らすことができた)
四つの振子を防ぐことに注力していた葛城はまだ気づいていない。振子を操る傍らで鶴木が発現させていた捜索用の術式が、既に新たな妖精を見つけていたことに。
『黄の妖精を見つけました。これより捕獲を行います』
その言葉よりも先に、葛城を攻撃する際に射出していた振子の一つが青の妖精を追従するように飛翔していた。
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現在、競技開始から約六十分。
スクリーンに映し出されている各校の得点をわざわざ確認するまでもなく、これまでにデバイスを通じて送られてきた情報からわかっている――三分の一が終了したこの時点で、鷹津封術学園の方が獲得点で烏丸封術学園よりも優位に立っているということに。
『俊輝、黄の妖精を発見した』
チームメイトの声が届く。通信手段は鷹津封術学園と同じくデバイスを用いた直接接続によるものだ。
黄と青の妖精は合計で七羽。赤の妖精と比べて配点が低いため、色一致による加点があったとしても点数差に大きく響くことはない。現に黄の妖精を見つけたチームメイトは黄のタグを持っているため、ここで妖精の捕獲に成功すれば点数差は再び五分に戻る。
(いや、何とか五分に持ち直せるというべきかもしれないな)
『妖精の尻尾』は各人の役割がはっきりと分かれやすい競技であるが、それでも同じ選手が同じ役割をずっと続けるというものでもない。作戦内容や状況によっては役割が途中でスイッチすることも当然あり得る。
しかしそれは恒久的な、あるいは一時的なものにすぎない。競技の開始から終了まで一貫して全ての役割を担うなんていう訓練は、それを前提とした場合でなければ行われないはずだ。
そして自分たちは最初からマンツーマン陣形を前提とした訓練を積んできた。それにも関わらず、こうして鷹津封術学園が善戦しているということは、彼らの方が一人ひとりのポテンシャルが高いということだろう。
(予選と同じようにはいかないということか)
自分のマンツーマンの相手である『星鳥』の一年生を見つめながら葛城は思う。
相手が一年生だからといって、手を抜いていたつもりはない。それどころか『星鳥』であるというだけで警戒するには十分すぎるほどなのだ。そのことは自分よりも年下でありながら圧倒的な実力で三年連続優勝という快挙を成し遂げた星条悠紀や、昨年度の『神の不在証明』で一年生ながら決勝戦まで上り詰めた鴫百合煉を見てもわかることだ。
(だけど、『夜』がもっと濃くなればそれまでだ)
葛城は不敵に笑う。
赤の妖精が出現する九十分を過ぎてからが本当の戦いだ。