第69話「おなじみの顔ぶれ」
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地面から螺旋状に伸びる柱によって支えられた巨大な球体の表面を少女たちが舞い踊る。
四校統一大会三日目——『螺旋の球形』の予選試合。各学園から一人ずつ出場して行われるバトルロイヤル形式の予選試合は、第一試合の終盤を迎えていた。
鷹津封術学園から第一試合に出場している選手は治安維持会長のスフィア・智美・アンダルシア。下馬評によれば『螺旋の球形』の優勝候補と目されているスフィアは、スケートをするように球体の表面を華麗に移動していた。
『螺旋の球形』という競技は、しばしば鬼ごっこに例えられて説明される。
選手たちは両腕と背中に自校の校章を模した印を与えられている。この印は他校の選手に直接触れられると消えてなくなってしまうという性質を持っており、選手たちは直径二十メートルの巨大な球体の表面を駆け回って、印を互いに奪い合うのである。
予選試合の勝利条件は、時間切れまでにもっとも多くの印を残しているか、自分以外の選手がすべての印を失うこと。
なお、時間切れとなった時点で最多数の印を残した選手が複数人いた場合、試合は延長戦となる。
試合時間は四十分。十分を一クォーターとして、第一から第四までの四つのクォーターで行われる。第一と第二および第三と第四のインターバルが五分。第二と第三のインターバルが十分なので、一試合あたりの競技時間は最短で六十分ということになる。
現在の状況は第一試合の第四ピリオド。四人の選手のうち鶺鴒封術学園の代表選手がすべての印を失って脱落しており、烏丸封術学園と鷺宮封術学園の代表選手が持つ印は一つだけとなっていた。
そして、スフィアが残している印は右腕と背中の二つ。
このまま時間切れまで逃げ切ることができればスフィアの勝利となるが、他校の代表選手がそれを許すはずもない。
二人の選手はスフィアを追いかけて球体の表面を滑るが、ここまでの経過時間はインターバルを除いても三十分を優に超えている。選手たちの表情には明らかに疲れの色が滲んでいた。
それもそのはず、全競技中唯一の女子のみの競技である『螺旋の球形』は、肉体的な疲労度でいえば男子のみの競技である『事象の地平面』と二分しているのである。
その理由は、『螺旋の球形』の競技フィールドが螺旋状の柱によって支えられた球体の表面すべてだからだ。
選手たちは直径二十メートルにもおよぶ巨大な球体の表面を縦横無尽に滑って印を奪い合う。当然のことながら球体から落下してしまえば即失格となってしまうため、重力に逆らって球体の表面を滑るためには、継続的に封術を行使し続けなければならない。
さらに『螺旋の球形』ではあらゆる攻撃系封術の使用が禁止されているため、選手たちは己の足で相手選手を捕まえ、その印を奪わなければならないのである。
「……あっ」
と、疲労による集中力の乱れからか、烏丸封術学園の代表選手がバランスを崩して、片足が球体の表面から離れてしまった。
彼女が立っていたのは地面に対して水平となる面だった。必然、残った片足だけでは身体を支えきれず、彼女の身体は重力に引かれて球体の下方へと滑っていく。
突然のことに気が動転した彼女は、思わず地面を見上げてしまった。そうして己の意思とは関係なく急激に迫りつつある地面を凝視してしまい、頭が真っ白になってしまう。何も考えられなくなり、無意識領域下で維持していた封術式が解けて形を失った。
かろうじて彼女の身体を球体と結びつけていた片足が、封術による事象改変の干渉力を失い始めてゆっくりと離れていく。
練習では一度も球体から落下したことのない彼女であったが、初めて体験する落下の恐怖を目の当たりにして、反射的にきつく瞳を閉じた。
だが、落下の寸前——その腕を誰かが強く掴んだ。
「——大丈夫かい?」
スフィアだ。
頭の高い位置で一本に束ねた長い金髪が重力に引かれて垂れ下がる。余裕ぶった表情で球体と地面の間に逆さまに立ったスフィアが、彼女の腕を掴んでいた。
「……あ、え、あ」
スフィアに助けられた烏丸封術学園の代表選手は言葉を失う。しかしスフィアは混乱している代表選手に構わずに腕を掴んだまま、まるで彼女の体重を感じさせないように軽やかな足取りで球体の表面を滑ると、球体の真上で彼女の手を離した。
「あ、あの、ありがとうございます」
烏丸封術学園の代表選手は、これが試合中であるということも忘れて頭を下げた。
スフィアが手を離した直後に、意識的にしても無意識的にしても再び封術式を発動して球体の表面に危なげなく直立したのは、さすがは学園の代表選手といったところだろうか。
「礼には及ばないよ。キミが無事で良かった」
本来ならスフィアが彼女を助けなくても、競技の審判を務める封術師とは別に選手の落下を防ぐために地面で待機していた封術師が彼女のことを助けただろう。
しかし、スフィアはそれが当たり前の行為であるかのように、何の気もなくそう言った。
すると彼女は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして視線を逸らしてしまった。おやおや、と内心で苦笑するも、スフィアにはそれとは別に彼女に言っておくべき言葉を口にした。
「だけど、これでキミは退場だよ」
スフィアが彼女の腕を掴んだのは、球体から落下した彼女を助けるためと、もう一つ——彼女の持つ最後の印を奪うためだった。
スフィアに言われてやっと思い出したかのように彼女は自分の右腕を——そこにあったはずの印を見つめて眼を丸くした。
「それじゃあね」
烏丸封術学園の代表選手に向かって不敵に笑いかけると、スフィアは手を振って立ち去る。
最後に残された鷺宮封術学園の代表選手はスフィアを追いかけているのか、はたまたスフィアに追いかけられているのか。
『螺旋の球形』予選の第一試合は、残り時間を二分ほど残してスフィア以外の全選手が印を失ったのだった。
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第二試合は昼休憩を挟んで行われるため、試合が終了して選手控え室へと戻ってきたスフィアを交えて第一試合の反省会(主にスフィアの予想外の行動について)を終えた秋弥と聖奈は、昨日の約束どおりに玲衣たちの待つ観客席へと向かった。
そこには約一週間ぶりとなる、おなじみの顔ぶれが揃っていた。
玲衣、綾、奈緒と、今日こそ合流を果たした堅持、そして伊万里だ。その場に桃花の姿は見当たらないのは、おそらく悠紀に星条家使用人謹製の弁当を届けに行ったからだろう。
「……から、ファンクラブがあるって噂も本当かもねっ」
何の話をしているかはわからないが、相変わらず話の中心にいるのは玲衣のようだ。
「あ、シュウに……」
目敏く気付いた伊万里が視線を向ける。
しかしその視線が秋弥のやや右寄りの後方——聖奈の方を向いて途端、固まってしまった。伊万里の瞳孔が聖奈を注視してその大きさを変化させる。
聖奈と一緒にそばまで近付いていくと、いよいよ伊万里の瞳は瞬きもせずに聖奈の動きを追っていた。
「……伊万里ちゃん?」
隣で綾が呼びかけるも、伊万里は思考が停止してしまったかのように硬直していて何の反応を返さない。
「帰っておいで〜」
奈緒も伊万里の視界の中央で手をパタパタと振ってみるが、聖奈に固定された視線が奈緒の手を見つめることはなかった。
「それじゃあ、これならどう?」
「……きゃぅ!?」
玲衣が伊万里の耳元でふぅっと息を吹きかける。すると伊万里はようやく反応を示した。
「あ、あ」
「落ち着いて、伊万里ちゃん」
何かを言おうとして、しかし全く言葉にならなかった伊万里を玲衣が宥める。
伊万里は聖奈の持つ神秘的な美しさに対して、同姓にも関わらず眼を奪われて、言葉を失ってしまったようだった。
「ああ、初めてって新鮮だよな……」
視界の端で堅持がしみじみと言う。聖奈の入学当初は誰もが同じ思いをしたものだが、今ではずいぶんと慣れたものだった。
秋弥は淑やかに立つ聖奈に前を譲る。聖奈には観客席に来るまでの道中で伊万里のことを教えていた。
「はじめまして、浅間伊万里さん。天河聖奈です」
花が咲くような微笑みを浮かべた聖奈が両手を前に揃えた丁寧な自己紹介をした。
しかし自己紹介を受けた伊万里の方はというと、何故だか沈黙した。
その視線は秋弥と聖奈を交互に見つめ、口を開いて閉じるという動作を数回繰り返した。
「……………………………………………………………………ひょっとしてシュウ兄の、彼女さん?」
そしてボソリと呟いたその一言に、全員が反応した。
「な、ななななな」
玲衣が声を震わせ、
「……?」
奈緒がどういうことなのと言いたげに首を傾げ、
「あはは……」
綾が困ったように苦笑いを浮かべ、
「そうだったのか!?」
堅持が悪ノリし、
「……えっと」
聖奈がわずかに頬を紅潮させながら秋弥へと視線を向けて、
「残念ながら違うぞ」
秋弥が普通に否定した。
(残念ながらって?)
すぐそばで聖奈が両手を頬に当てたが、灯台もと暗しの言葉どおり秋弥はそれに気が付かなかった。
「というか、誰も伊万里に天河のことを教えてなかったのか」
「誰かが話したと思っていました」
綾がそう言うと、伊万里を除く全員が顔を見合わせて頷きあった。その様子を見て、秋弥は呆れたように溜息を吐いた。
「あはは、ごめんね」
玲衣がおざなりな感じに謝る。
一方伊万里は、秋弥の言葉を訊いて我に返ったようだった。
(うわぁぁ……綺麗な女の子)
それが不躾な行動であることも忘れて、伊万里は聖奈の全身を頭の先から足の先まで二度、三度と眺めた。
(あ、シュウ兄と同じ自治会の役員さんなんだ)
聖奈の制服が秋弥と同じく白い学生服であることに気付く。それによって聖奈が秋弥と一緒に来た理由がわかった。
「おーぃ、伊万里ちゃん?」
「あ、はい」
玲衣の言葉が耳に届き、反射的に返事をする。そこで伊万里は聖奈のことを不躾に眺め回していたことに思い至った。
「わ、ごめんなさい」
すぐに頭を下げて謝罪する。
「あたし、浅間伊万里って言います。中学三年生の十四歳です。シュウ兄のお母さんとあたしのお父さんが知り合いで、シュウ兄とは小さい頃から遊んでもらっていました。小学校と中学校はシュウ兄と同じ学校で、玲衣さんとは中学校で知り合いました。今はシュウ兄の家にお邪魔して、シュウ兄のお姉さんのカグ姉から勉強を教えてもらっています。あ、来年からは封術学園に入学する予定なので、よろしくお願いします」
伊万里が矢継ぎ早にそれだけ喋り終えると、聖奈が改めて笑みを向けた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
それは事前に秋弥から訊いていたこととほとんど同じだったので、聖奈は奈緒のように『シュウ兄』やら『カグ姉』やらの単語に反応することはなかった。
やっとのこと自己紹介を終えて秋弥と聖奈も空席に座ると、昨日と同じく桃花の用意した弁当を受け取った——弁当は奈緒が桃花から預かっていた。
それからしばらく談笑をしながら秋弥が箸を進めていると、隣から堅持が声を掛けてきた。
「ったく、お前の周りには可愛い女の子ばかり集まるよな」
「伊万里のことを言っているのか?」
「他は言わずもがなだろ」
秋弥は聖奈たちと話をしている伊万里へと眼を向ける。同姓同士だからだろうか、聖奈たちとは早速仲良くなれたようで、楽しそうな笑顔を見せていた。
「伊万里ちゃんって封術学園を受験するんだろ? はは、来年から苦労しそうだな」
「……そうだな」
そのことを考えると、今から気が重くなってくる秋弥であった。
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※次回更新は少し先になります。