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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第1章「封術師編」
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第6話「心象世界」

★☆★☆★



 一瞬のうちに周囲の景色が一変した。

 初めに気付いたのは、削り出した岩壁の天井ではなく、澄み渡るような青空が広がっていたということだ。

 辺りは何処までも続きそうな高原の風景。耳を澄ませば鳥のさえずりが聞こえてきそうなほどの静寂だ。

 そこに人や動物の姿はない。

 ここが地下大空洞とは異なる場所であることは一目瞭然だった。

 マナスの門が『意』の根源と繋がっているということは、ここは秋弥の『(ココロ)』を具現化させた世界なのだろう。


「……何もないところだな。……ん?」


 少し離れた場所に、小さな家がぽつんと建っているのが見えた。

 装具を得るためのプロセスがどういったものであるかわからない以上、闇雲に捜索してみるしかない。

 さしあたっては、あの小さな家を目指してみようと思い、秋弥は歩き出した。


 ——はじめまして、九槻秋弥。


 すると、数歩も歩かないうちに秋弥は何者かに声を掛けられた。


「っ!?」


 自身の心象世界である『意』空間に、他人の介入は有り得ない。

 それでも、有り得ないことに無理やり理由をこじつけるとしたら、何らかの精神干渉が行われたということだ。

 そう仮定した時点で、秋弥は装具を召還しようとした。


 ——無駄だよ、ここではその装具は使えない。それは元々君の持ち物ではないからね。


 声の言うとおり、どんなに意識を向けても装具を召還することができなかった。


 ——私は君に敵対する存在ではないよ、今のところはね。それに、ここでは私が君の案内役なんだ。


 装具を召還することは諦めたものの、秋弥は警戒心を解かずに周囲を見回した。だが、一向に声の主の姿は見当たらなかった。


「お前は誰だ。何処にいる」


 ——『誰』? おかしなことを聞くんだね。

 ——それは人間や君たちが言うところの隣神を指しているのかな? であれば、答えはノーだよ。


「……だったらお前は、なんだ?」


 ——そうだね。その問いかけの方が正確だ。

 ——私は、君たちが《星の記憶》と呼ぶものの、言わば意識体や思念体のようなものだよ。そういう『概念』だと思ってくれれば良い。


 秋弥は思わず眉をひそめた。

 人間が定義した『星の記憶』とは、全ての多重層世界を束ねる『星』という巨大な情報体が有する記憶そのものを指す。

 その意識体——インタフェースだと『彼』は言った。


 ——もう一つの問いにも答えよう。

 ——私は何処にでもいるし、何処にもいない。

 ——私は今、君の意識に直接語りかけているんだよ。

 ——そうしなければ、音声と言語の変換がままならないからね。


 男女の区別がはっきりとしない中性的な声や、秋弥が理解できる形の言語(この場合は日本語だと思われる)で『彼』の言葉が聞けるのは、双方の『意』が星の記憶領域を介して特別な変換器(コンバータ)の役割を担っているからだろう。

 どういった仕組みがそれを可能にしているのか、秋弥には及びもしなかったが……。


 ——深く考えなくて良いよ。これは君が『意』の根源にいなければできないことだからね。

 ——私はね、君に少し興味があって話しかけたんだ。


 今度こそ、秋弥は驚愕に眼を大きく見開いた。

 意識体の出現は装具を獲るためのプロセスの一貫だと思っていた。

 しかし『彼』の口ぶりから察すると、星の意識体は多重層世界の微小な情報体にすぎない自分に興味を持って(実際には見えないが)姿を現したのだと、そう言っているのである。


 ——そんなに身構えないでくれないかな。本当に、少し君と話がしたいだけなんだ。


 言われて、秋弥は警戒を解いていないことを思い出した。

 『彼』の言葉を信用していいものか簡単には判断できないが、たとえこれが精神干渉の類だとしても、装具が使えないのであれば対処手段はないに等しい。

 諦観にも似た思いで秋弥は警戒を解いてから、何となくそちらに声を主がいそうな気がして——空を見上げた。


 ——ありがとう。あと、もう少し肩の力を抜いていいよ。


「余計なお世話だ」


 ——世界の均衡を保つ存在というのは、得てして世話好きなんだよ。


「……俺に興味を持ったというのは、どういう意味だ?」


 秋弥は単刀直入に本題を切り出した。

 秋弥の様子が見えているらしい意識体とは違い、秋弥からは『彼』の姿が見えていない。姿が見えず、声の性質も読み取れない相手との会話は難しい。相手の表情や声音からの探り合いができない以上、直截的な言葉を用いるしかないのだった。


 ——そんなに慌てなくても、この世界ならば時間はたっぷりあるよ。

 ——君の『(ココロ)』を形にしながらでも遅くはないさ。

 ——向こうに小さな家が見えるよね? まずはそこに行こう。


 案内役を嘯いていたのは、どうやら冗談ではなかったらしい。

 「向こう」と言われてもどの方角かわからなかったので、秋弥は周囲を見回した。

 すると、ついさきほど向かってみようと思っていた小さな家が視界に映り込んだ。青い屋根の一軒家を見詰めて、秋弥は『彼』に問いけけた。


「あれはいったい?」


 ——君の世界の中心だよ。



★☆★☆★



 近づいてみると、その家は秋弥の見知ったものだった。


 ——着いたね。ここは、君の家だ。


 周囲の風景が違うので遠目に見たときには気付かなかったが、そこは確かに、秋弥が十五年以上過ごしてきた家だった。


「ここが、世界の中心?」


 ——君のね。

 ——中に入ることはできないよ。この世界はそういう風にできている。


 ためしにドアノブに手をかけてみるが、ビクともしなかった。

 家は単なる情報として、この心象世界に固定されているようだ。


 ——そこに窓がある。ちょっと中を覗いてみよう。


 促されるままに庭を通って裏手へと回り込むと、リビングに繋がる窓から中を覗き込んだ。

「……」


 そこには四人の人影があった。

 秋弥の両親と姉、そして生まれたばかりの秋弥自身の姿だ。

 ただしそれは——、


 顔のない父親と——。

 色のない母親と——。

 そして——鮮明な姉の姿だった。


 言葉もなく、息を呑んでその光景を見詰める秋弥。

 それに構うことなく、星の意識体は言葉を紡ぐ。


 ——それが君の世界。その中心だ。


 改めて、星の意識体は断定する。断言する。


 ——君の意識が生み出した、精神の最も深い部分だよ。


「……これはいったい、何の真似だ?」


 ——そんなに怖い顔をしないでくれるかな。私は君の話をしているだけだよ。

 ——それにこれは、自身の『意』を具現化させるために境界を超えた皆が体験することだ。何も特別なことなんかじゃない。


「……」


 ——君の世界は、ここから始まった。

 ——世界は形作られた。家の外がその世界だよ。


「……何もないじゃないか」


 空を見上げる。

 相も変わらず、雲ひとつない澄み渡る青空だけが見えた。


 ——そうだね。君の世界は、何もない。

 ——君が外界に対して何とも感じていないから、何もなくなってしまったんだ。


 秋弥はハッとして、すぐにそれを気取られないように表情を戻した。

「……ずいぶんと知ったような口を聞くんだな」


 ——知ったような、ではなく、知っているんだよ。

 ——君の過去から未来までの全てをね。


 冗談みたいな話だが、声の主が本当の意味で『星の記憶』の意識体であるのならば、それも頷ける。


 ——普通ならば、もう少し世界は広がっているはずなんだよ。

 ——今の人間の寿命はせいぜい八十年程度生きれば十分だろうけど、それでも、君が生きた時間はそのうちの十五年だ。

 ——平均寿命で考えれば、約二割だよ。


 ようやく、星の意識体が何を言おうとしているのか理解できた。

 だがそれを秋弥自身の口から言葉にする前に、星の意識体は言った。


 ——それなのに、この世界の造られ方は、明らかに異常だ。

 ——いや、異変と言うべきかな。

 ——九槻秋弥。君には何か、心当たりがあるんじゃないのかな?


 それは、言い得て妙な表現だと思った。

 この世界そのものが秋弥自身の『(こころ)』が作り出した心象世界であるにも関わらず、『彼』は「心当たり」と言ったのだ。その心象世界に何もないのだから、心当たりなんて当然あるはずもない。

 しかし、秋弥には一つだけ、思い当たる節があった。

 確固たる自信はないが、『それ』が原因である可能性は否定できない。

 『彼』は疑問形式で秋弥に問いかけているが、未来すらも記録・記録しているという『星の記憶』が、その答えを知らない道理はない。

 だからこれは、秋弥が何と答えるのかを知った上での、確認の問いかけだ。


 ——あるんだね、心当たりが。


「……あぁ」


 短い言葉を返す。何となくであるが、意識体が大きく頷いたような気がした。


 ——そう、君のは心当たりがある。

 ——だからここは、君が持つ本来の世界ではない。

 ——ただし、ここも確かに、君の世界だ。

 ——この世界の中心は君だ。だけど、外の世界は、君の世界ではない。

 ——この世界は二つの『意』空間が混ざり合ってしまっているんだよ。


 確かにそうかもしれないと、秋弥は星の意識体から伝わるテレパシーにも似た言葉を聞きながら思った。

 そしておそらく、その原因となっているのは彼の中に眠るもう一つの装具と——。


 ——私が君と話をしたかったのは、九槻秋弥という人格を直接確認してみたかったからなんだよ。

 ——そして、話してみて確信したよ。君はこんなにも歪んだ世界(こころ)で、正常心を保てている。


「歪んだ世界?」


 ——そうだよ。

 ——君は気持ち悪いと思わないのかい? こんなにも綺麗な青空があるなんてさ。


 別段そうは思わないが、星の意識体にとってはどうやら違うらしい。


 ——きっと、君本来の『意』はどこか別のところにあって、君の意識のアクセスはそちらへと向けられているのだろう。

 ——逆に、もう一つの意識はこの世界へと向けられている。


 ——九槻秋弥。


 星の意識体は、彼の名前を呼んだ。


 ——君という存在は実に面白く、興味深いよ。

 ——どうして君は、こんなにも不確かな世界こころで、平然としていられるんだい?


「……俺に聞かなくてもわかるだろ。お前は、過去から未来までの全てを知ってるのだから」


 ——私が知っていることは、過程と結果だけだよ。それ以上のことは私の管轄じゃないからね。正直に話すと、私には君の心の動きまでは読み取れない。

 ——できれば君の中のもう一人にも出てきてもらいたかったんだけどね。門前払いをされてしまったんだよ。


 うまいことを言ったとでも思ってるのだろうか。秋弥のものではない笑い声が漏れ聞こえた。

 星の意識体も笑うんだなと、秋弥はあまり関係のないことを思っていた。


 ——つまり、君の中に眠る別の力は、君たちの言う『(マナス)』の門を潜ってきていないんだよ。だから君は、装具を召還することができなかったんだ。

 ——ところで、さっき私は、君の意識が君本来の『(こころ)』に向いているはずだと言ったけれどね。

 ——こうして『(マナス)』の根源に繋がっているはずの『門』を潜った先が、この歪んだ世界であったということだけが、私にはどうにも腑に落ちないんだ。

 ——過程も結果も間違っていない。君は『意』の根源へと至り、具現化した『意』の力を手にする。

 ——その結果に、変わりはない。

 ——なのにこうして、君はこの世界にいる。それはいったい、何故なんだい?


 星の意識体は問うた。


「そんなこと、俺が知るわけもないだろう」


 ——自分の心なのに?


 そう言われてしまえば、秋弥に反論の余地がなかった。


 ——九槻秋弥という存在は、『星の記憶』にとってのイレギュラー因子となり得る。


 何の前触れもなく、星の意識体は言う。


 ——結果が何ひとつ変わらないのに、過程が変化している。

 ——それも、私が把握できない形にね。

 ——そして、過程が変化することで、君を含めた周りの人間の結果も変化をはじめている。

 ——それは『星の記憶』の可能性未来を書き換える結果へと繋がっている。

 ——そんな可能性を、君は秘めているんだよ。


「未来は、不変ではないのか?」


 ——不変だよ。永劫不変さ。あらゆる可能性世界を内包しているという意味ではね。

 ——ただし、その可能性世界を予測することが難しくなる。

 ——望む世界の形が変わる。と言っても、君にはうまく伝わらないかもね。


 テレビやニュースペーパーで人が死んだと聞かされても自分には関係のないことだと思えるほど、一人の人間が認識できる世界は狭い。

 星の意識体が語る言葉は、あまりにもスケールが大きすぎて秋弥には理解できなかった。


 ——いっそ世界をあるべき形に修正するために、君の中のもう一人には消えてもらおうかととも、考えたときがあったのだけれどね。


 なおも、星の意識体は言う。


 ——だけれど、私は星の記憶から君の一生を覗き視て、今日、こうして直接君と会える機会があることを知った。

 ——九槻秋弥。

 ——私がこんなことを言うのは、多重層世界に対する重大な秩序違反だとは思うけれど、九槻秋弥という情報体の未来について、少しだけ話そうと思う。

 ——もちろん君がこの世界から元いた世界に戻ったときには、私が話したほとんどのことは夢を見た朝のように忘れてしまうだろう。

 ——だけど、それで良いんだ。

 ——君の意識の根底に、私の言葉は残り続ける。そういう風に操作しておくからね。


「……」


 饒舌に語る星の意識体に口を挟むことなく、秋弥は黙って耳を傾ける。


 ——君はこれから、さまざまな困難に巻き込まれ、立ち向かうことになる。

 ——これまでの人生以上に濃密で意味があり、数多くの人々との出会いと別れを経験する。

 ——そして君の行動によって周囲の人間の人生が変わる。歩むべき未来が変わる、かもしれない。変動する可能性世界を私の『意』で情報操作することは難しいから、はっきりとしたことは言えないけどね。

 ——そのとき、場合によっては『星の修正力』が君と敵対することにもなるだろう。

 ——それでも、君たち二人ならば、その数奇な運命を乗り越えられると、私は信じているよ。


「……曖昧な表現が多くて具体性が伴わない話だな」


 占いみたいなもんだな、と秋弥は軽く肩を竦めた。

 高次元存在との会話というものは一方的なものなんだな、とも。


「誰にだって言えそうな胡散臭い台詞だ」


 ——だけど、私が言う場合とでは、言葉が持つ重みが違うんじゃないかな?


 不必要に突っかかっておきながら、そのとおりだと素直に納得するのも癪だったので、秋弥は口元を吊り上げただけに留めた。


 ——あまりはっきりと伝えてしまうとね。たとえ忘れてしまうとしても、記憶の残滓がその情報体の未来を変えてしまいかねないんだ。

 ——因果律は絶対だよ。世界を俯瞰する私が言うのだから、間違いない。

 ——私の余計な言葉で、君の可能性世界が少しでも変化してしまうのは惜しい。

 ——君は稀に見る、良い『観察対象』だ。


 それが星の意識体、否、星そのものの本音なんだろう。


 ——……おや、どうやら少しお喋りが過ぎたようだね。

 ——君はそろそろ元の世界に戻った方が良さそうだ。


 これまで片時も言葉を乱さなかった星の意識体が、少しだけ言い淀んだように思えた。


 ——皆が心配しているよ、いろいろな意味でね。


 星の意識体が意味深な台詞を末尾に付け足す。


「……?」


 秋弥は疑念に首を傾げたが、星の意識体はそれに答えようとはしなかった。


 ——案内役として君が力を得るのを最後まで見届けたし、務めは果たし終えたかな。


 独り言のように呟いた星の意識体の台詞にハッとして、秋弥は己の左手を見た。

 その左手には、星の意識体が語る歪な世界を彩る、澄み渡る空にも似た蒼色の刀身を持つ不定形の剣——『装具』が握られていた。


 ——君の場合、それの扱い方についての導入(インストール)設定(マニュアル)は不要だろう。君が意識した瞬間、具現化した君の『(マナス)』はそこにある。

 ——それにしても、なんて歪な色だよ。

 ——それが君本来の世界(こころ)から生まれたものだとしたら、やはり修正した方が良いのかもしれないね。


 抑揚の乏しいその言葉に、かすかに諦観にも似た色が混じっていた気がした。


 ——九槻秋弥。君とはまた会うことになるだろう。これは全ての可能性世界における確定事項だ。

 ——そのときこそ、君の本当の世界(こころ)で会おう。


 ——またね。



★☆★☆★



 世界が急激に色褪せていく。

 蒼空がバラバラに砕けて、隠れていた岩肌が顔を覗かせる。

 起伏のあった草原は均されて、土の地面へと変わっていた。

 光量が減ったことで明暗が切り替わる。

 視界がわずかに、暗がりに染まる。

 音が聞こえた。

 地面を揺らすような地響きと、人の声だ。

 何か、様子がおかしい。

 視界が徐々に暗がりに慣れ始める。

 その中央に巨大な輪郭が映った。

 地下大空洞内で、巨大な怪物が暴れていた——。


4/14:文章校正

2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施

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