第65話「合流」
★☆★☆★
「うん……そうそう、そこから出て右の通路を歩いて……あ、いたいた!」
通話をオフにして大きく手を振ると、通信相手もこちらに気付いたようで、手を振り返してきた。
第二演習場――『妖精の尻尾』の予選リーグが開催される演習場の観客席最上列の通路で、玲衣は二日目から観戦にやって来た朱鷺戸綾と合流した。
綾は学園指定の制服を着ていた。四校統一大会は学園行事ではあるが、学園の学生だからといって制服の着用は義務付けられていない――実際に玲衣と奈緒は私服姿だった。もしかすると、制服を着ることが学園の寮生として大会を観戦する際のハウスルールなのかもしれない。たとえば、普段の生活でも学園の学生であることを自覚しなければならないというような……。何にしても自分とは縁のない話なので、あまり追及しない方が良さそうだ。
「あれ、玲衣ちゃんは制服じゃないんだね?」
そう思っていたのに、まさか綾の方からそう尋ねてきた。
「えっと、何か変だったかな?」
そういえば昨日秋弥たちと合流したときも、彼らが制服を身に付けていたことを玲衣は思い出した。しかし彼らは学生自治会の役員で、自分たちとは違う。
玲衣は今回、あくまでも一般観戦者なのである。
「うん、まあ……普通でしょ?」
玲衣は曖昧に答える。
「……うん、普通だね」
何とも奇妙な会話だと思う。綾もこの会話を続けない方が良いと思ったのだろう。彼女の方から振った話題だったので、自ら話題を変えた。
「さっきまで沢村さんとも一緒にいたんだけど。部活の先輩たちに捕まっちゃってて、午前中は『事象の地平面』を観戦するみたいだよ。お昼には合流できると思うって言ってたけど、どうなのかなぁ」
「ふぅん……それじゃあ場所だけ連絡しておこうかな」
言って、玲衣は片手でタイピングするためのキーボードを呼び出して素早くメッセージを入力して送信した。その後、奈緒が席を取って待っているところまで、綾を連れて行く。
「綾は寮の人たちと一緒じゃなくて良いの?」
奈緒たちのいる観客席に向かいながら、玲衣は綾に尋ねた。
「うん、皆が宿泊所に帰る時間になったら合流すれば良いから」
「そっかぁ……って、それなら最初から一人で来れば良かったんじゃないの?」
綾が寮の人たちと一緒に来る意味があったのだろうか。
しかし、玲衣のその疑問は、寮生らしい理由によってすぐさま解消されることになった。
「それはそうなんだけど、大会の観戦が理由だとしても、長期休暇でもないのに連泊の許可を取るのって結構手続きとか大変なんだよ。でも、寮の有志で参加するんだったら、先輩が取り纏めてくれるし、手続きとかもずっと簡単に済ませられるんだよ」
なるほど、と思う。
寮生も寮生でいろいろ大変なんだなぁ、とも。
「玲衣ちゃんは奈緒ちゃんと一緒に観に来てるんだよね。泊まっているところは星条家の別宅?」
「うん。それに桃花さん――星条家のメイドさんも一緒に来てるから、もう何不自由ない生活って感じっ!」
桃花は自分のことを『星条家の使用人』と言っていたのだが、それだと少し堅苦しい印象があったので、玲衣はメイドという言葉に言い換えることにした。
「そうなんだ。秋弥さんや聖奈さんは?」
「二人とも、今日は『妖精の尻尾』の作戦スタッフを任されてるんだって。だから競技中はずっと第二と第三演習場にいるって言ってた。観客席まで来るような時間の余裕はないと思うけど、一応お昼は一緒に食べようって言っておいたから、そのときに会えると思うよ」
話ながら歩いているうちに、二人は最前列付近の席に陣取っていた奈緒と桃花、そして昨日に引き続いて行動を共にしている伊万里の三人と合流したのだった。
★☆★☆★
一昨日の奈緒と伊万里のように、綾が伊万里とあいさつを交わし合った後は、競技の開始時間となるまで女子四人による雑談の時間となった。
「――それじゃあ、綾さんも『星鳥』なんですね」
「うん、そうだよ」
「何か、奈緒さんもそうですけど、『星鳥』の人たちって封術学園には結構たくさんいるんですね」
「あっ、言われてみれば確かにそうかもっ! あたしの知っているだけでも、鷹津封術学園だけで星条会長と自治会会計の亜子先輩、それに綾と奈緒と鶴木だから……五人もいるねっ!」
「あと、鶺鴒封術学園に去年、鴫百合家の煉くんが入学したよ」
「他には誰か、知ってる人いる?」
玲衣が全員の三人の顔を見回した。
すると、奈緒が首を横に振った。
「今のところそれくらいかなぁ……。でも、鷺宮封術学園に去年までいた人たちなら知ってるよ。斑鳩湊さんと珠鳩一夏さん。二人は卒業した後、すぐに結婚したよね」
「うん。昨年の『二体一対』のベストカップルだった二人だね。受験があったからテレビで観ていたけど、順当に勝ち進んで優勝したよね」
「そうそう。あの二人の優勝は、さすがにもう仕方がなかったと思う」
「奈緒さんは、二人の結婚式には出席したの?」
「もちろん、お姉ちゃんと二人で出席したよ」
玲衣と伊万里は置いてきぼりで、『星鳥』の二人が盛り上がる。
「ちょっとしつもーん。『二体一対』ってそういう競技なの?」
結婚がどうとかベストカップルがどうという話を耳にした玲衣が尋ねる。
「うぅん、そんなことはないけど。……でも、封魔師と調律師が二人一組になって行う競技だから、ペアが男女だったりカップルだったりする場合って、実は結構多いんだよ」
「ふぅん、そうなんだ」
女性の多くが調律師志望で、男性の多くが封魔師志望なのも関係しているのだろうと玲衣は思った。二人一組が一般的とされる封術師関係の仕事では、封術師同士の相性も当然あるということだ。
「他にも、花鶏家の火凜ちゃんと水凜ちゃんが中学二年生と小学六年生だから、二人とも私たちが学生のうちに何処かの封術学園に入学すると思う。鶺鴒家の深琴君はいくつだったかなぁ……」
「こうやって数えてみると、やっぱり結構いるんですね」
「分家とか遠縁の家系も含めると、もっと多いと思うよ」
「『星鳥』だって、封術学園を卒業しないと封術師にはなれないからね」
「三年制の一般高校と比べて、封術学園が五年制というのも関係あると思うな」
「悠紀さんと奈緒さんみたいに、ということですね」
女三人集まれば姦しいというが、玲衣、奈緒、綾、伊万里と、年頃の女子が四人も集まっているのだから、言葉は次から次へと溢れ出てくる。
そんな中、ただひとりその様子を静かに見守っていた桃花は、せめて彼女たちの話し声で周囲に迷惑が掛からないようにと、封術を用いて空気中を振動して伝わる音を適度に緩和するという地味な作業を続けていた。
「他の学園のことはよくわからないけど、考えてみればうちのクラスだけでも、今年は『星鳥の系譜』が三人もいるんだよね」
「うん。『星鳥の系譜』が十三家もあるとはいっても、本家の人が三人も同じ学園の同じ学年にいることは、やっぱり珍しいことだと思うな」
「そうだね。二人は結構あるけど、三人は珍しいよね」
「三人といえば――」
ふと、玲衣が言う。
「伊万里ちゃんにはまだ言ってなかったよね。今日の『妖精の尻尾』に出場する鶴木っていう選手は、私たちのクラスメイトなんだよー」
そのことを教えると、伊万里は眼を丸くした。
「えっ!? 一年生なのに、大会に出場している選手がいるんですか!?」
「……お姉ちゃんも一年生のときから出場してたよ」
なぜだか張り合うように姉の自慢を挟んできた奈緒の言葉を、玲衣は聞こえなかったことにする。
「そうなんだよ。だから、い・ち・お・う、今日はその応援というわけ」
「一応、なんだね……」
「うん」
「玲衣ちゃん、ひょっとして秋弥さんが大会に出られなかったことをまだ気にしてるの?」
眉尻を下げた困った表情で、綾が玲衣の顔色を窺った。
「だって、シュウ君が出られないのに鶴木が出るなんて、やっぱりちょっと悔しいんだもんっ!」
頭では納得できていても、感情の方はどうにもならないということらしい。
「あたしもシュウ兄なら一年生でも大会に出られると思っていたんですけど……。その人は『星鳥』なんですよね。それなら仕方がないんじゃないですか?」
伊万里は父親の仕事を手伝っていた秋弥の実力を知っているが、それ以上のこと――つまり、彼が封術学園に入学した後のことは何も知らないし、知らされていない。彼女が知っていることといえば、秋弥が学生自治会の役員となったことと、勉強の合間に月姫が嬉しそうに話してくれた彼の封術学園での学内成績のこと。そして、今年の四校統一大会には出場しないということだけだ。
伊万里は、秋弥に内在する隣神リコリスの存在も、紅の装具が規格外の特性を宿していることも、『課外活動』のことも、何も知らない――。
「確かに仕方ないのかもしれないけど……。シュウ君は模擬戦でその鶴木に勝ってるんだよっ」
「えぇ!? それ、ホントの話ですか!?」
伊万里は心底驚いた様子で、見開いた瞳を玲衣と同じクラスの綾と奈緒の二人にも向ける。鶴木と同じく『星鳥』である二人が頷いたのを見て、玲衣の言葉が真実なのだと理解した。
「うわぁ……シュウ兄ってお父さんの仕事を手伝ってたくらいだから普通じゃないとは思っていましたけど、それってもう最強じゃないですか!」
「最強って……。その表現はどうかと思うけど」
だけど実際のところ、そうなのかもしれないと玲衣は思った。
少なくとも、今年鷹津封術学園に入学した一年生の中では、学業においても封術においても、秋弥は間違いなくトッププラスだ――そのことは結果として表れている定期考査の成績以上に、玲衣がこれまでに自分の眼で見てきた様々な出来事が裏付けていた。
そして、おそらくは今年、全国に四校ある封術学園に入学したすべての封術師見習いの中でも秋弥が頂点なのだと、玲衣は密かに確信していた。
「でも、それなら何でシュウ兄が出場できなくて、その……鶴木さんが出場してるんですか? それって、何だかおかしくないですか?」
玲衣は内心で、しまった、と思った。
それは伊万里が秋弥の抱えている事情を知らないからだ。そう言ってしまうのはとても簡単だったが、それでは伊万里からの追及は避けられないだろう。彼女がその事情を知らないということは、秋弥や月姫が何も話していないということだ。
それなのに玲衣がその事情を伊万里に教えてしまうわけにもいかず――そうでなくてもこのことはまだ、他言して良い話ではなかった。
どう答えたものか困ってしまった玲衣は、助け船を求めるようにチラリと綾に目配せをした。しかし、彼女は複雑な表情を浮かべただけだった。
「……えっとね、伊万里ちゃん。確かに伊万里ちゃんが不満に思う気持ちもわかるし、あたしも少し不満があるよ。でも、たぶんだけどね。シュウ君よりも鶴木の方が封術の経験もあると思うし、実戦経験もシュウ君よりたくさん積んでいると思うの。それに、鶴木は学園の治安維持会のメンバーでもあるからね。そういう意味で、『妖精の尻尾』の選手として活躍できると判断したんだと思うな」
「うぅん……玲衣さんの言うこともわかりますけど、玲衣さんはそれで良いんですか?」
良くはないけれど、納得するしかないだろう。もちろん本心では、玲衣も伊万里と同じ思いだった。
だが、出場選手を決めたのは玲衣ではなく、封術教師たちと学生自治会の役員たちだ。
とかく世の中というものは、自分の思う通りには進まないものなのだ。
「認めるしかないのだと思います」
と、その声は玲衣たちの背後から聞こえた。
関内桃花だ。
「学園の封術教師や学生自治会役員の方々は、何らかの理由や考えがあって今回の代表選手を決定したはずです。いずれにしても、結果として九槻様ではなく鶴木様が選ばれたということは変わりようのない事実なのですから、私たちはそれを認めるしかないでしょう」
それに、と桃花は眼を細めた。
「九槻様が選ばれなかったことは皆様にとって非常に残念なことなのだとは思いますが、それと同じくらい、鶴木様が選ばれたことを喜んでいる方々がいるはずです」
それは、そうなのだろう。
だけど、そうやって割り切ることは、口で言うほど容易なことではない。
「だからこそ、認めながらも理由を見つければ良いのです」
「認めながら、理由を見つける?」
伊万里が繰り返すと、桃花は首肯した。
「はい。決定した事実は不変なのですから、まずはそれを認めてしまいましょう。そして、その上で考えるのです。何故そうなったのか、ということを。物事を疑うことと事実を認めることが、まったく違う意味であるように」
桃花は淡々とした口調でそう言った。
「そろそろ『妖精の尻尾』の予選リーグが始まるでしょう。初戦は鷹津封術学園と鶺鴒封術学園の試合です。鶴木様の活躍をご自身の眼でご覧になって、鶴木様が選ばれた理由を考えてみてはどうでしょうか?」
まるで生徒に教え諭すような桃花の言葉を訊いた伊万里は、月姫から勉強を教わっているときのように素直に頷いた。端で話を訊いていた三人も、伊万里につられるように首を縦に振った。
「それでは、ご歓談は一時中断としまして、『妖精の尻尾』の観戦といたしましょう」
桃花はその様子を見て、満足そうに表情を緩めたのだった。
★☆★☆★
第二演習場東区画。
鷹津封術学園の選手控え室兼作戦会議室には、『妖精の尻尾』に出場する男子選手三名と作戦スタッフ三名の計六名が集まっていた。
「既に対戦表を見て知っているとは思うけれど、キミたちが最初に戦う相手は鶺鴒封術学園だよ。そして、対戦フィールドはつい先ほど、『草原』に決まった」
男子『妖精の尻尾』の作戦スタッフリーダーを務めるスフィアが、部屋の中央に設置された長方形のテーブルに両手を突きながら言った。
「ツルギ、今回の作戦である『皇帝』で要となるのはキミだ」
「はい。承知しています」
スフィアから向かって右側の最も遠い位置でテーブルに視線を向けていた鶴木が顔を上げて応じる。
その言葉にスフィアが頷くと、右手を水平に振った。すると、その動作に連動してテーブルの上に第二演習場を真上から捉えた映像が映し出された。さらにスフィアは映像の端に掌をかざしてメニューウィンドウを呼び出す。そこからいくつかのリンクを辿った先で作戦名『皇帝』のファイルを選択した。
プログラムの起動により、スクリーン内の第二演習場に重なるようにして『草原』の地形を想定したワイヤーフレームのセットが出現する。
その両端に、光点が三つずつ浮かび上がる。光点の一方が蒼色、もう一方が碧色だ。この光点はそれぞれの学園の選手たちを表していた。
「初戦が『草原』だったのはワタシたちにとって幸いだったよ。このフィールドでなら、ツルギの捕縛術を阻害する要因は相手チーム以外に皆無だからね」
スクリーンに触れると、蒼い光点に三色のタグが付与された。光点には色付きのタグの他に、ネームタグも付いてた。
「『皇帝』の役割分担はツルギが捕獲役となり、ソウマとハジが捜索役だ。ツルギは妖精が見つかるまでの間、二人を護り、二人は妖精を見つけ次第ツルギに伝える。妖精が見つかれば、ツルギが妖精の捕獲を行うんだ。この作戦では青と赤の妖精捕獲による色の一致加点は望めないけれど、作戦の主眼は、対戦相手よりも多くの妖精をこちら側が捕獲することにある。たとえ赤の妖精をソウマが捕獲できなかったとしても、相手に赤の一致加点を許さなければ良いだけのことだ」
スクリーン上では三種の妖精が舞っている。赤タグの相馬と青タグの土師が黄タグの鶴木よりもやや後ろに配置され、鶴木を示す光点から伸びた輝線が三種の妖精と結びついて、いくつもの想定パターンを示していた。
一通り映像の再生が終わると、スフィアは選手たちに向かって、今のうちに解消しておきたい疑問点や問題点はないかと尋ねた。疑問点はともかく、悠紀を中心に学生自治会の役員が今日までに考案した作戦に問題点があるとは思えなかった。無論、選手たちにも事前に作戦のことは伝えてあったのだから、問題点が発覚したならば、その時点で連絡があったことだろう。その辺りのことについては自治会役員ではないスフィアにはわからなかったが、それは彼女が知る必要のないことだった。
試合前最後となる作戦会議の場で必要なことは、疑問点や問題点といった心残りがないということを確認できれば、それで良い。
「……大丈夫そうかな? それじゃあワタシからキミたちに言っておくよ。今回の作戦の要となっているのはツルギだけれど、この競技は個人戦ではなく団体戦だ。その違いだけは、たとえキミたちがどんな状況に置かれたとしても、決して忘れてはいけないよ」
やがて、部屋のスピーカーを通じて競技の準備が整ったという連絡が入ると、選手たちが部屋を出て行った。
選手たちを見送るスフィアは最後まで彼らに「頑張れ」とも「勝て」とも言わなかった。それらの言葉は作戦スタッフである自分が言うには、それこそ他人事のようであり、無責任な言葉のように思えたからだ。
勘違いしてはいけないことだが、作戦スタッフも選手の一員なのである。チームの勝利のために一丸となって戦うのだから、他人事のような言葉は決して言うべきではない。それでも仮に、試合に臨む彼らに言葉を贈るとするならば、「頑張ろう」や「勝とう」の方が正しいはずだ。
(いずれにしても、団体戦というのはワタシには不向きの競技なんだよね)
スフィアはテーブル上の映像を消すと、この後の試合――決勝に進めばいずれかの学園とはもう一度試合を行うことになる――に備えるため、秋弥と亜子を連れて、対戦相手を分析するための作戦スタッフ席へと向かうのだった。
第0話〜第44話までの可読性向上と誤記修正対応を実施しました。
※内容の変更はありませんが、表現が一部、変更されています。
また、2013/01/07に『登場人物紹介』、2013/01/08に『世界観設定』を章末に公開する予定です。
それでは、本年もよろしくお願いいたします。