第64話「小さな不安」
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四校統一大会二日目は、第一から第三までの演習場を使って二つの競技が並行して行われる。
第一演習場では、男子団体競技『事象の地平面』。
第二、第三演習場では、男女別団体競技『妖精の尻尾』。
いずれの団体競技も、予選では四校による総当たり戦を行う。その勝ち点に応じて、『事象の地平面』では決勝トーナメントの組み合わせが決まり、『妖精の尻尾』では上位二校が決勝戦へと駒を進める。
『妖精の尻尾』の決勝戦は翌日——つまり大会三日目に行われ、『事象の地平面』の決勝トーナメントは大会四日目に行われる。
秋弥は昨夜のミーティングでも話し合ったとおり、男子『妖精の尻尾』の作戦スタッフの一人に数えられているため、他の自治会役員——悠紀と亜子の二人と早めの朝食をとっていた。
なお、作戦スタッフではなく選手として大会に出場する朝倉は、既に『事象の地平面』に出場する他の選手たちとともに早めの朝食を済ませて第一演習場へと向かった。美空と時任に関しては、レストランにいないところを見ると、まだ部屋で寝ているのだろう。
「空いてるのなら、隣に座ってもいいかい?」
炊きたての白米を口に運んでいると、不意にそう尋ねられた。
朝食は夕食と違って学園ごとの食事時間が決められてはいなかったが、他校同士のイザコザが起こらないように、学園ごとの座席が決められている。
早朝と呼べる時間帯ということもあって、鷹津封術学園の指定席は他校のそれと同じくガラ空き状態だったが、わざわざ秋弥の席の隣を選んで声を掛けてきたのだから、声の主は当然、彼の知っている人物だった。
「えぇ、構いませんよ。……おはようございます、スフィア会長」
「うん、おはよう」
料理の盛られた——バイキング形式の食事なので正確には自分で盛りつけた——プレートをテーブルに置くと、スフィアが隣の席に腰を下ろす。対面に座る悠紀と亜子にも朝のあいさつを済ませると、「いただきます」と言ってからナイフとフォークを使って目玉焼きを切り分けた。
治安維持会長のスフィアも、今日は自治会役員たちとともに団体競技の作戦スタッフとして参加する。その競技は秋弥と同じ、男子『妖精の尻尾』だ。
ちなみに、亜子も男子『妖精の尻尾』の作戦スタッフである。悠紀と聖奈、美空は女子『妖精の尻尾』、時任は『事象の地平面』の作戦スタッフをそれぞれ担当する。『事象の地平面』については時任一人ではなく、選手である朝倉が作戦スタッフも兼任することになっていた。
「ん? そういえばセイナがいないね。もう食べ終わって部屋に戻ってしまったのかい?」
プレート上の料理を半分ほど消化し終えたスフィアは、聖奈の姿が見当たらないことに気付いて辺りをキョロキョロと見回した。
「いいえ、天河さんは来ていないですよぅ」
亜子がそう言うと、
「そうなのかい? それじゃあ遅れて来るのかな」
すると、亜子の隣でコールスローサラダをフォークで突いていた悠紀が首を左右に振った。
「今日は食欲がないから先に食べてて良いって、さっき聖奈さんから連絡があったわ」
皆で一緒に朝ご飯を食べるという決まりはなかったのだが、その連絡は聖奈らしいとスフィアは思った。
食欲がないというのは少々気掛かりではあったが、早朝の時間なので、そういうこともあるだろう。
「そうかい。まぁ、朝ご飯を食べたくない日もあるよね」
「えぇ、そうね。聖奈さんは貴女と違って食いしん坊でもないし、どちらかと言えば小食だものね」
スフィアの運んできたプレートに視線を向けながら、悠紀は言う。
「おやおや、ユウキ。それはひょっとして、遅れて来たワタシに対する皮肉のつもりなのかい?」
カリカリに焼いたベーコンをフォーク一本で器用に折り畳んでいたスフィアが、その手を止めた。
「あら、事実のつもりだけれど。違うの?」
悠紀が澄まし顔で言い返す。
「そうだね、否定はしないよ。ワタシはたくさん食べる」
いっそ開き直ったような調子のスフィア。
「だけど、これは暴食とは違うんだよ。この健康的でスクスクと育った身体を維持するためには必要な行為なのさ」
椅子に座ったままの姿勢でスフィアが胸を張ると、彼女の発育した胸部が制服越しに浮き上がり、身体のラインをより強調させた。
悠紀の身体に視線を向けながら、何処か勝ち誇ったような表情のスフィアに、しかし悠紀は怯むことなく、あくまでも落ち着いたまま、
「どんな事でも、どんな物でも、バランスというのは大切なのよ、スフィア。その二つの眼で私を良く見てみることね」
悠紀がテーブルに両肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せる。
灰と黒と蒼の視線が交錯し、互いに妖しげな笑みを浮かべた。
二人を知らない人物が見れば、これから二人が口喧嘩を始めようとしている風に見えるかもしれない。しかし、夏季休暇期間を除けば四か月近くも二人のことを見てきた秋弥には、もうわかっていた。
二人のこの笑顔は、別の何かを企んでいるときの笑顔だ。
ゆえに秋弥は、身体をほんの気持ちだけ後ろに引いて、二人から遠ざけた。あわよくば席を立って空になったプレートを返却口に持って行きたかったくらいだが、下手な行動をして二人の気を引いてしまうのもマズいと思ったので、そうはしなかった。
「バランス、ね。うん、それはとても大事なことだ。さすがはユウキ、良いことを言うね。だけど、そういう意味で言うなら、私は絶妙なバランス加減を保っていると言って良い」
自分で言うことか、と秋弥はツッコんだ。無論、口には出さずに。
「そういえば、そうね。よくよく見てみれば貴女のその派手な容姿も、全体のバランスという観点で見れば、申し分無いわ」
白々しい。何を今更。よくよく見るも何も、二人とも一年生の頃から姉さんと三人一緒で同じクラスだったじゃないか、と秋弥はこうも思ったが、やはり口には出さなかった。
そして、秋弥は会話の内容から、二人が誰をその毒牙に——否、からかい相手に選んだのか、わかってしまった。
反射的に、憐れむような視線をその人へと向けてしまう。
しかし、当の本人は二人の企みにも秋弥の視線にもまるで気付くことなく、言い合いが言い争いに発展しなくて安堵した後は、幸せそうに朝のデザートを堪能していた。
「そうだね、ユウキ。やっぱりワタシとユウキは意見が合うね。だけど、どうかな。ここに一人、背が小さくて可愛らしくて、今もパウンドケーキを美味しそうに食べて頬袋を膨らませている女の子がいるのだけれど。見たところ、どうやら膨らんでいるのは頬袋ばかりじゃなさそうだよ」
「そうみたいね。いったい何をどう食べたらこうなるのかしらね」
悠紀とスフィアから同時に注目されて、ようやく亜子はそれに気づき、
「ふへ?」
と、奇妙な声を発したのだった。
とはいえ——。いくら早朝のレストランが閑散としているといっても、レストランを利用している学生は秋弥たちだけではない。
しかもここは、四校の学生たちが集う共同スペースなのである。
他校の学生も少なからずいるその場所で鷹津封術学園のツートップが大声で騒いでいては、体面的にも宜しくないし、悪評を買ってしまうと学園全体の学生の質が疑われてしまう。
会長たちもそのことは重々理解しているので、いつものおふざけは普段と比べれば幾分抑えられたものであった——少なくとも、亜子のつぶらな瞳に涙の滴が溜まる程度で済んだのだった。
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朝食を終えた秋弥は男子『妖精の尻尾』の予選リーグが行われる第二演習場へ向かうため、ラウンジでスフィアと亜子の二人を待っていた。
「やあ待たせたね、シュウヤ」
エントランス側に視線を向けていた秋弥は、エレベーターから降りて真っ直ぐにこちらへとやって来たスフィアを見つける。
「いえ、まだ待っていませんよ」
立ち上がり、そばまで来たスフィアに言う。
スフィアが来たのは、待ち合わせの時間よりも少し前だった。
「うん、時間的にはそうだね。だけど、ワタシよりも早く来て待っていたシュウヤに掛ける言葉としては間違っていないよね」
朝食の後に直接ラウンジへと来て待っていた秋弥と違って、スフィアたち上級生は一度自室へと戻っている。秋弥よりもラウンジに来るのが遅いのは当たり前のことだった。
「んん、アコはまだ来ていないみたいだね」
「えぇ、鵜上先輩が来るまで座って待ちましょう」
秋弥が対面の椅子を視線で示す。スフィアが座るのを待ってから自分も座り直した。
「ところでシュウヤ、朝食のときに尋ねようと思っていて、すっかり忘れていたことがあるんだけれど、昨夜はゆっくり休めたかい?」
「……急に、どうしたんですか?」
「……何を警戒しているのかな? アコが来るまでの間の、他愛も、意味も、脈絡もない、普通の雑談だと思ってほしいな」
秋弥が疑心暗鬼になっているのは、暇さえあれば下級生をからかおうとするスフィアの性格を知っているからなのだが——それについ先ほどのこともあるからなのだが——この上級生はどうやら惚けているらしい。
「……そうですか。俺は別に、普段どおりですよ」
「そうかい、それは重畳だよ。でもほら、枕が変わると眠れなくなるとか、自分の家のベッドじゃないと落ち着かないとか、良く言うよね」
そういった話を秋弥も耳にしたことがあったが、彼がここに滞在している期間は他校の自治会役員との顔合わせから数えて、既に四日目にもなる。今のところ、そういったことで身体は不調を訴えていなかった。
「俺は特にそういうのはないので大丈夫です。スフィア会長こそ大丈夫なんですか?」
「ワタシはこのとおり、常に万全だよ。何処にいたって眠れるし、何処で寝ていたって起きられるよ」
外泊には慣れているからね、とスフィアは意味深な言葉を付け加えるも、秋弥はそれをいつもどおり聞き流した。
それから本当に他愛のない話で花を咲かせていると、亜子が時間ピッタリにラウンジへとやってきて、雑談はお開きとなった。
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ホテルを出発地点とした場合、女子『妖精の尻尾』の予選リーグが行われる第三演習場は、秋弥たちの向かった第二演習場よりも近い場所にある。
そのため、女子『妖精の尻尾』予選リーグの作戦スタッフ組である悠紀たちは、彼らが出発した二十分後の時刻に、ラウンジに集まることにしていた。
待ち合わせの時間の十分前になったところで悠紀が部屋を出ると、ちょうど聖奈も部屋から出たところだったので、廊下で鉢合わせした。
「おはよう、聖奈さん」
背を向けていた聖奈に追いつき、後ろから声を掛ける。
「おはようございます」
振り返って挨拶を返した聖奈と並び、一階に降りるためのエレベーターへ向かって歩く。
その途中で同じ階に宿泊している美空の部屋の前を通り過ぎたときに、彼女にも一応声を掛けておくべきかと悠紀はわずかに逡巡したが、結局やめた。待ち合わせの時間になれば降りてくると思うし、余計なお節介を焼く必要はないと思ったからだ。
二台あるうちのエレベーターの一方が到着すると、聖奈が操作パネルの前に立ってボタン操作を行った。エレベーター内には二人のほかに人の姿はなく、一階へ到着するまでの間、機械の稼働する音だけが響いた。
エレベーターが一階に到着すると、二人はフロントの前を横切ってラウンジに向かった。ひょっとしたら美空が既にラウンジに来ているという可能性も、期待していない程度にはあったのだが、案の定、美空の姿は見つからなかった。二人は適当に空いている席を見つけると腰を下ろした。
「ちょっと聞いても良いかしら、聖奈さん」
「はい、何でしょうか?」
両膝を綺麗に揃えて座る聖奈が小首を傾げた。透き通るほど細く綺麗な髪が一房、肩から落ちて流れる。
「言いたくなければ言わなくても良いんだけど……今朝、何かあったの?」
悠紀は二色の瞳を揺らした。聖奈から食欲がないというメールを受け取ったときから、彼女はそのことが気になっていたのである。
「もしも体調が優れないようなら、今日は無理しないで、静養していても良いのよ」
すると、聖奈は一瞬キョトンとした表情をしてから、慌てたように首を振った。
「いえ、そんな、お気遣いには感謝しますが、もう大丈夫です」
「そう? 本当に、無理をしてない?」
悠紀は念押しをするように繰り返し尋ねる。顔色を窺う限りでは、本人の言葉どおり、体調が悪いようには見えない。だが、相手は超が付くお嬢様学校で淑女教育を学んだ才女だ。その表情の裏に何を隠しているか、悠紀でも読み取るのは困難だった。
「はい、大丈夫です。今朝は、その……少し怖い夢を見てしまったせいで、食欲が出なかっただけなのです」
やや歯切れの悪い口調で、聖奈は恥ずかしげに答える。
その意外な理由に、悠紀は面食らってしまった。
「つまらないことで心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
聖奈が丁寧に頭を下げる。彼女の所作は、どんな些細なことでも綺麗に映った。
「……つまらないことじゃないわよ。何ともなくて良かった」
悠紀は内心で胸をなで下ろしながら、ニコリと微笑む。さまざまな環境の変化や自治会役員としての責務で心労が溜まっているのではないかと心配していたのだが、どうやら取り越し苦労のようだった。
「でも、そういうことってあるわよね。夢の中の出来事って大抵はすぐに忘れてしまうものだけれど、起きてすぐだったら結構覚えているものなのよね」
夢というのは脳に蓄積された記憶の断片を整理する過程で生じる現象だ。聖奈の見たという『怖い夢』というのは、きっと荒唐無稽で支離滅裂な内容だったに違いない。
自分も隣神と戦った日の夜なんかは怖い夢を見たものだ。悠紀が過去のことを思い出して懐かしみながら聖奈に視線を向けた——。
その瞬間、それは突如として起こった。
聖奈の瞳から、不意に光が消え失せたのである。
「……認識……器……可能性…界……精神……う…ぎ」
ほとんど音にならない音で意味不明の単語を呟く聖奈。その虚な瞳は何を映しているのかもわからなかった。
「ちょっと、聖奈さん? どうしたの!?」
左眼に刻まれた封術紋が何らかの干渉を受けて疼いたような気がしたが、悠紀の意識は左眼のことよりも聖奈の異常な様子に向いていた。急いで聖奈のそばまで駆け寄ると、彼女の肩を揺さぶった。
「……あ、れ」
半覚醒状態だった聖奈の意識が戻り、その瞳に光が宿る。
突然目の前に悠紀の顔があったからか、聖奈が眼を見開いた。その双眸が悠紀の瞳をしっかりと見返す。
「星条会長……あの、どうかしましたか?」
「ど、どうかしたかって……」
どうかしていたのは貴女の方よ。悠紀はそう言いかけたのだが、どうやら聖奈自身には何の自覚もないようだった。
不思議そうにキョトンと首を傾げている聖奈に、悠紀は出かかった言葉を無理矢理呑み込んだ。
「いえ、何でもないわ……突然ごめんなさい」
そう言って力無い笑みを見せてから座っていた席まで戻る悠紀。聖奈の様子に特別な変化は見られない。混乱した頭を指で抑え、悠紀は考える。
(——気のせいだったのかしら)
そんなはずはないのだが、平然としている聖奈を見てしまうと、自分の見たものが間違いだったのではないかと思えた。しかも本人に自覚がないのだから、問い詰めたところで何かわかるとは思えない。
(——私の気のせいだったのなら、それで良いのだけど)
そう思うも、悠紀は一抹の不安を拭いきれずにいた。
「聖奈さん、困ったことや心配ごとがあったら、一人で抱え込まないで、誰でも良いから相談するのよ」
念のためそう言っておくと、聖奈は眼をぱちくりさせながらも、「はい、わかりました」と頷いてくれた。聖奈は聡い学生だから、悠紀のこの言葉を決して無意味なものだとは捉えないだろう。
「それにしても、美空、遅いわね」
この話はここまでにして、悠紀は話題を変えることにした。スタンバイ状態にしていた端末を起動して時刻を確認する。
デジタルの数字が示す時刻は、待ち合わせの時間をとうに過ぎていた。
聖奈もラウンジやエントランスの方に視線を向けてから「そうですね」と同意する。
「美空が遅れてくるのは予想していたことだけど、さすがにあと十分遅れるようなら、部屋まで迎えに行こっか」
「はい」
それから少しの間、美空を待っていると、ようやく彼女がやってきた。
のんびりと歩いてきた美空は開口一番に、
「いやあ、遅れてごめんなさい。昨日遅くまでネットしていたら、つい寝坊しちゃいました」
そう言って、右側頭部で束ねた黒髪を手櫛で適当に整えた。
「いいわよ、貴女が遅れて来ることも折り込み済だから」
「会長がそう言うと思って、あえて遅れて来ました」
ぽかん、と悠紀に軽く頭を小突かれた美空が舌をチロリと出して聖奈の笑いを誘うと、悠紀たち女子『妖精の尻尾』作戦スタッフも第二演習場へと向けて移動を始めたのだった。
第三章(第45話〜)の可読性向上と誤記修正対応を実施しました。
※内容の変更はありませんが、表現が一部、変更されています。




