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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第1章「封術師編」
6/111

第5話「装具選定」

★☆★☆★



 施設名——マナスの門。

 鷹津封術学園の真下に広がる地下大空洞に、その施設は存在する。

 三組の学生たちは、特別訓練棟から地下大空洞へと至る通路の途中に設けられた空き部屋で、袋環から『門』に(まつ)わる知識と装具選定の説明を受けていた。


「これから君たちが行う装具選定には、マナスの門と呼ばれる特殊な施設を用いる。『門』に関する知識は受験でも問われていたはずだが、改めて確認しておくぞ。この世界——レイヤホロウモデルに当てはめると現層世界と呼ばれる私たちの世界以外にも、世界と呼ばれるものは無数に存在している。それらは総称して異層世界と呼ばれている」


 『星の記憶』と名付けられた『すべての答え』は、単一概念であるエリシオン光によって過去から未来までの全情報を記録している。

 全情報——星が持つ全ての情報資源(リソース)の根源は、九つの性質で表すことができる。


 『(ムーレ)』。

 『(ジャラム)』。

 『(アグニ)』。

 『(ヴァーヒ)』。

 『(ヴィクシェーパ)』。

 『虚空(シューニャ)』。

 『(マナス)』。

 『理性(チッタ)』。

 『自我意識(チュータナー)』。


 たとえば、火という情報体は『火』『風』『波』『虚空』、水という情報体は『水』『波』『理性』の原質で構成されている。

 情報体としての火と、原質としての『火』は同一視されない。ただし、エリシオン光という概念は、原質の『波』と等価である。

 存在証明とも呼ばれるエリシオン光は、主観により観測されて初めて、波長を固定するという特異な性質を有している。

 星は、世界を満たすエリシオン光の性質と、世界という情報体を構成する原質の『波』を利用した。

 世界を物理的(フィジカル)に構築するのではなく、論理的(ロジカル)に構築したのである。

 世界と世界に存在する情報体は、固定された『波』——エリシオン光の固有振動数によって結び付けられる。

 火という情報体が現層世界に存在するのは、火の情報体が持つ『波』の固有振動数が、現層世界の『波』が持つ固有振動数と結びつき、その存在を繋ぎ止められているためだ。


 もちろんそれは生命にも当てはまる。


 現層世界に結びついた者を『人間』と呼び——。


 異層世界に結びついた者を『隣神』と呼んだ——。


「半世紀前までは幽霊やオカルト、未確認飛行物体(UFO)未確認動物(UMA)、神や仏と言われていた事物は、レイヤホロウモデルによって一つの解答が出されることになった」


 世界多重層構造理論(レイヤホロウモデル)は星の仕組みそのものを定義するに至った。


「だが、そんな不明瞭で不明確な理論を誰が信じるだろうか。誰もがそう思い、事実、誰もがその理論に見向きもしなかった。あの出来事が起こるまではな——」


 袋環の言葉を聞いていた学生たちの表情にわずかに変化が生まれたのを見やる。


「それは、君たちや私が生まれるよりも以前の出来事だ」


 袋環が語ったのは過去に起こった四度の大地震。

 一九九五年一月十七日——阪神淡路大震災。

 二〇〇七年七月十六日——新潟県中越地震。

 二〇一一年三月十一日——東北地方太平洋沖地震。

 そして、二〇一九年十月八日——関東大震災。


「最初期の発端が何処にあったのか、それは未だに解明されていない。しかし、現層世界の誰の目にも明らかとなるほどに強大な力を持った異層世界の怪物——隣神が目撃されたのは、関東大震災から三日後のことだったという。ただちに自衛隊や機動隊が出陣してこれに対処したのだが、当時の彼らには隣神が操った未知の力が、魔法や超能力にも見えたことだろうな」


 ともすれば冗談にしか聞こえない話を真面目な口調で続ける袋環に、皆が聞き入っていた。


「そこに、隣神と同じように魔法や超能力——すなわち現代の封術の前身となった力で対抗しようとしたのが、鷹津封術学園を含む四校の創設者である封術師たちだった。彼らが最初に行ったことは、神仏に仕える者たちの召集だった。神官や宮司は、この世ならざるモノを見聞きできる特別な力——異層認識力(オラクル)を有していた。加えて彼らが後生大事に奉っていた神具や宝具は、元来より異層世界と強い繋がりを持つ道具だった——」


 強い繋がりとは、情報体そのものが持つ『波』——すなわちエリシオン光の波長域が、現層世界だけでなく、異層世界までも内包しているという意味だ。神器はそれ単体で異層へ干渉を及ぼすことが可能となる道具、またはそれに準ずるモノを指す。


「彼らは唯一『隣神に対抗できる力を持っている』からという、ただそれだけの理由で隣神と戦った」


 歴史とは単なる記録だ。

 そこにはただ、事実のみが綴られている。

 だからこそ袋環の語る彼らの想いは、学園の創設者でもある『始まりの封術師』から彼女自身が伝え聞いた言葉なのかもしれない。


「現層世界の異層世界に対する不干渉状態は、このときより大きく狂い出した。波長が乱れやすくなり、異層世界の存在である隣神が現層世界に干渉しやすくなったのだ。……かつては人間によって目撃されたことでUMAだの幽霊だのと持て囃されていたただけった、そんな世界は終わりを告げた」


 この出来事を皮切りにして、世界中で不特定多数の人間に隣神の存在は目撃され始めた。


「過去、隣神は情報体としての『波』の強弱によってのみ顕現していた。しかし、度重なる厄災によって、星の記憶領域そのものに異常が生じてしまった。数多の世界は論理的な領域を持って互いに干渉しないように存在しているが、物理的な側面——星の記憶領域そのものはたった一つしか存在しない。記憶領域を隔てるエリシオン光波長が誤った情報を記憶、記録してしまうことで、重層する世界同士が特定の領域において、同位相を作ってしまうようになった」


 過去の歴史において、隣神が目撃された出来事は世界中で数多く報告されていた。

 だが、その事象に決定的な転機が訪れたのは、日本という小さな島国を襲った四度の大地震であると、今では考えられている。


「さて、前置きはこのくらいで十分にして、そろそろ本題に入ろう。古来の装具——神器を用いて隣神と戦った聖職者や神職者たちだったが、そもそも彼らを集めて知識を与えた『始まりの封術師たち』とは何者だったのだろうか」


 その答えは、この『門』にある。

 門——震災の被害を被った地域の地下に、それは静かに存在していた。

 現世と常世を隔てる境界の名を与えられたそれは、星の記憶領域にアクセスを行う——多重層世界を繋ぐためのショートカットだ。

 それがいつから存在して、どんな目的で誰によって造られたものなのかは、誰にもわからない。

 しかし、それは確かに、そこに存在した。

 ただし、これまでは誰の眼にも観測されることがなかった——『星の修正力』でも修正が間に合わないほどの震災が短期間に重なるようにして起こらなければ。


「分類上はOUT OF PLACE ARTIFACTSオーパーツとされている門は、最初からその場所にあった。人間という情報体が有する『波』では知覚できないほどの深層にな」


 その門が突如、現層世界に顕現した。

 そして、その場に偶然にも居合わせた——後に『始まりの封術師』と呼ばれることになる者たちを、門の向こう側へと取り込んだのである。

 門は星の記録領域を介して情報体の『意』に直接働きかけ、世界の仕組みを決定付けている原質を組み変えるための力を与えた。


 それが装具——。


 正式名称を事象干渉機構(Medion Interference System)と名付けられたそれは、言わば生命が持つ心の力。

 世界を塗り替えてしまうほどの、強い想いの力だ。


「彼らは強制的に、己が為すべきことを理解させられた。星が元の状態に戻ろうとする修正力の担い手として隣神と戦い、世界をあるべき姿へと戻すための力と知識を与えられたのだ」


 これがそもそもの発端。

 封術の歴史の始まりだった。




 『始まりの封術師たち』は、異層世界の脅威に対抗するために門を利用しようと考えた。

 まずはじめに、力を持つ者に知識を与えた。

 知識を持つ者に、技術を与えた。

 技術を持つ者に、名前を与えた。

 力は、やがて体系化された。

 それがわずか十数年の間に行われた。


「封術学園は異層世界の脅威に立ち向かうことを目的として門の真上に造られた。全国に四校しか存在しないのは、現在確認されている門の数がそれだけしかないからだ」


 しかし、門は観測されていないだけで、世界中に存在するのだろう。あるいは既に発見されているが、その存在を隠匿されている可能性も十分に考えられた。


「ある地点——すなわち、現層世界の領域が異層世界の領域と同調する地点で、人間と隣神は互いの存在を認識し合う。ただしそれは、情報体そのものの『波』が変化したわけではない。情報体が持つ『波』はそれぞれの世界の固定波長と密接に関係しているため、情報体同士が互いに干渉し合うことは、通常ならば起こり得ない」


 袋環は言葉を続ける。


「だが、異層世界に住まう情報体——隣神が広い『波』の波長域を有していたことで、隣神は一方的に現層世界に干渉することができたのだ。我々が同じようにして隣神に干渉するためには、情報体レベルで異層世界に干渉できるほどの、高い異層認識力が必要だった」


 そのため、封術学園の入学条件として高い異層認識力を持つことが大前提なのであった。


「さらに言えば、『(マナス)』の原質を司る門は、異層に干渉することが可能なほどの高い異層認識力を持つ者にしか、その力を与えようとはしなかった。これについては、門が『星の修正力』の補助機構としての役割を担っているためではないかと考えられている。不用意に力を与えた結果、重層世界の均衡や秩序が崩れる可能性を考慮した安全装置(セーフティ)なのかもしれないな」


 デバイスのウィンドウを閉じながら袋環は言った。


「では、装具選定の説明に入ろう。これから向かう『マナスの門』によって、君たちは自身の『意』を具現化した力——装具を手にする」


 瞬間、学生たちの間にどよめきが生まれる。皆、目前に迫った装具選定に緊張している様子だった。


「手に入れる装具の系統や形状がどのようなものになるか。それは手にするまで誰にもわからない。君たちの生まれ持った才能や血縁に左右されるかもしれないし、人間関係や家族関係、あるいは性格によって決まるかもしれない。そういえば、それらの情報を用いた装具の自己分析や診断というのもあるらしいな。信じるかどうかはその者の自由だが——」


 その台詞に、玲衣が苦虫を噛み潰したような顔をした。袋環はそれ以上何も言わなかったが、それは言外に「当てにならない」と言っているようなものだった。

 堅持も玲衣の様子に気付いたようで、事前に自己分析の話を彼女がしていたことを思い出したのだろう。意趣返しをするようにニヤリと笑った。


「まあ、そうだな……。私としては君たちが分相応に願った形で想いは実現されるのではないかと思っている。何の理屈も理由もない、楽観的で希望的な観測だがな」


 苦笑交じりに袋環は言った。およそ自分に似つかわしくない台詞だとでも思ったのかもしれない。


「装具選定の話の続きは、地下に降りてからにしようか。門を直接見たほうが話しやすいだろうしな」


 袋環はデバイスを仕舞ってから学生たちを連れ立って部屋を出た。

 通路の先に設けられたエレベーターへと乗り込む。

 エレベーターは学生プラス教師の三十人を楽々収容できる作業用コンテナタイプで、袋環は全員が乗り込んだことを確認すると首からぶら下げていたネックレスを外した。どうやらそのネックレスが大空洞に繋がる階層へ降りるための鍵になっているらしい。

 ネックレスの先端にある空色の宝石をコンソールの窪みに嵌める。

 瞬間、コンソールから放たれた赤い光が宝石を走査したかと思うと、身体に小さなGがのしかかり、エレベーターが静かに動き始めた。

 皆が階数表示盤を見上げていたので、秋弥も何となくそれを見詰める。表示盤には数字の類は一切見られない。代わりに菱型の輝石が三つと、それらを繋ぐ丸型の輝石が一定間隔で埋め込まれている。

 時間が経つにつれて、丸型の輝石は右から左へと光を移していった。どうやらその光が地上からの深度を表わしているようだ。

 光は中央の菱形の輝石を灯した。しかしそこでは停止せずに、左端の菱形の輝石を目指して進んでいった。

 どのくらいの速度で、どのくらいの深度を目指しているのだろうか。

 コンテナ内の急激な気圧変化によって耳詰まりが起こり、耳や額を押さえる学生も出始めた頃、再びエレベーターが小さく揺れた。

 Gが逆方向に働いてから徐々に弱まっていく。

 エレベーターが停止して最下層に到着したらしい。

 ドアが開くと、袋環が先頭に立って歩き出した。

 白塗りの通路に天井からの白色光が反射している。地下階の廊下は特別訓練棟の地上階と似たような造りで、本棟の廊下と比べると縦にも横にも広い。窓が無い分、白を用いることで広く見せようとしているのかもしれない。病院を髣髴とさせる病的な白さに、少し目が痛かった。

 一定とは言えない足音が通路に木霊する。エレベーターが真下へと一直線に下降する以上、大空洞までの通路はそれほど長くないはずだ。

 通路はそのまま、大空洞へと繋がっていた。

 白塗りの壁は岩肌へと変わり、白色光は広範囲照射型の照明器具へと変わる。

 そして皆、一様に感嘆の吐息を漏らした。

 学園の地下に広がる大空洞内は、踏み固められた地面を除いて全方位の岩肌がむき出しの状態だった。天井は最低限光がかすかにしか届かないほど高い。だが、風も届かない密閉空間であるにも関わらず、空気はわずかにも淀んでいない。むしろ、地上よりもよほど清いようにも感じられた。

 最低限の照明器具だけしか取り付けられていないようだが、それでも、目の前に広がる『それ』を照らすには十分な照度があった。

 秋弥は、その鮮やかな朱の色に目を奪われた。

 高さ五メートルにも及ぶ『それ』は、鳥居の形をしていた。


「これが、マナスの門だ」


 鳥居に近付き、手を触れながら袋環が言う。

 彼女に言われるまでもなく、皆は鳥居を見た瞬間に理解していた。世界を隔てる境界として、これほどまでに的を射た形のものはないだろう。地獄の門を見せ付けられるよりもよほど納得できた。


「マナスの門はこのとおり鳥居の形をしているが、他校の門は違う形をしているらしい。私は見たことがないがな。……こうして門を直接見ることができ、そのそばまで近付くことができるのは、一部の例外を除いてこの装具選定のときだけだ。君たちが学園の封術教師にでもならない限り、今日が最初で最後になるかもしれないだろうから、今のうちに好きなだけ見ておくと良い」


 袋環は言う。


「とはいえ、見学は各々の装具選定が終わった後にしてほしい。そうしないといつまでも経っても選定が終わらないからな。では、先ほどの説明の続きをするぞ」


 袋環が掌で鳥居を叩いた。


「これから君たちには、一人でこの門を(くぐ)ってもらう」


 途端、驚きに息を呑む音がいくつも聞こえた。


「良いか。君たちが門の向こう側で向き合うのは己の中の『(こころ)』だ。そこに他人が介入することはできない。それは、あってはならないことだ」


 他人と一緒に潜るとどうなるのだろうか。そんな疑問が一瞬、秋弥の頭をよぎった。それを見て取ったわけではないだろうが、続く袋環の台詞がこの疑問を解消してくれた。


「仮に誰かと共連れで入ろうとしたところで、それぞれの『意』に繋がってしまうだけだ。手を繋いでいたとしても、互いの身体を縛り付けていたとしても、それは変わらない。原質の根源では全て、何の意味を為さない」


 それは、言い換えれば門を潜ることに肉体の物理的な移動が伴わないということだ。


「だが、そんなに不安がることもない。君たちがすべきことはただこの門を潜って、装具を手にして出てくるだけだ。その間に起こる出来事に多少の個人差はあるだろうが、向こう側——すなわち心象世界に行ったきり、帰ってこれなかった学生は過去に一人もいない」


 気休めにしかならないと思うが、という台詞を言葉の頭に付けなかっただけで、何人かは安堵の息を吐き出した。


「ちなみに、心象世界と現層世界の時間の流れは異なっているということにも注意してほしい。ここで待っている者たちにとっては一瞬の出来事でも、中に入った者にとっては早くて十数分程度になるだろうな」


 予想外の袋環の言葉に、再び皆のざわめきが広がった。(さき)の台詞と繋げたら『帰ってきたけど中で何年も経過していた』ということも考えられた。


「シュウ君。戻ってきたらあたし、お婆ちゃんになっちゃうのかなっ」

「それはそれで期待だな」

「あっ、ひっどーい! 絶対にすぐ終わらせるんだから!」

「時間の経過は、お肌の敵ですからね」


 何故か他人事のような口調で綾が言った。


「あの……、質問しても良いですか?」


 と、前方にいた女子生徒がおもむろに手を上げた。


「何だ? 言ってみろ」

「はい。えっと、たとえばですけど、マナスの門の向こう側で何らかの問題が発生した場合には、どうしたら良いのでしょうか?」


 その声には、多分に怯えの色が混じっていた。


「良い質問だ。その場合には、全力でここまで戻って来い」


 簡潔な答えを聞いた女子生徒は肩を落として俯いてしまった。

 心象世界にいる限り誰にも助けようがないのだから、そうする他に対処法はない。

 それがわかっていても、聞かずにはいられなかったのだろう。


「他に何か質問のある者はいるか?」

「はい。うちのクラスって一学年の最後なんですよね。他のクラスの人たちのときって、どんな感じだったんですか?」

「何事もなく、全員終了している」


 それを聞いて、最初に質問をした女子生徒がホッと胸を撫で下ろしたのが見えた。


「だからといって、君たちが気を抜いて良い理由にはならないからな。質問されなければそのことについて話すつもりはなかったのだということの意味を、心に留めておいて欲しい」


 少々複雑な表情を浮かべた袋環が言う。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに毅然とした表情に戻ると、学生たちの顔を見回した。


「ところで、君たちの中で既に装具選定済みの者はいるか? いたら挙手してほしい」


 問われ、自分にとっては無関係の話だと判断した学生たちがキョロキョロと周囲を窺う中で、二人の学生が手を挙げた。

 手をスッと伸ばして挙げたのは、背が高くて利発そうな男子学生。

 恐る恐るといった様子で手を挙げたのは、注目されるのが恥ずかしくて顔を俯かせた女子学生で——。


「あれ、綾?」

「鶴木と朱鷺戸か。まあ順当なところだな。手を下げていいぞ」


 満足げに頷く袋環を見て、一部の学生たちが頭上に疑問符を浮かべた。彼らの無言の問いかけを受けて、袋環が答える。


「神職者や聖職者のように、封術が体系化される以前からその力を扱ってきた家系というものは、代々より受け継がれてきた独自の技術や知識を後世へと伝え残すために、家督を継ぐ後継者には幼い頃から封術師としての修行や訓練をさせている。そのためには当然、装具が必要になるのだが、封術が国の管理下に置かれるようになって以降、各家系が装具代わりに用いていた神器の扱いが厳しくなったため、そういった者たちには特例として、装具選定を行うようにしているんだ」


 鶴木と朱鷺戸。

 『糸繰り』の鶴木。

 『星詠み』の朱鷺戸。

 どちらも、封術師としての名家だ。


「もちろん、それが理由で封術学園に裏口入学できるようなことはないから、そこは勘違いすることのないようにな。どんなに力を持っていたとしても、知識や良識を持たない者に封術師を目指す資格はない。鶴木と朱鷺戸の両名はそのどちらも満たした上で、君たちとともにいることを忘れないことだ」


 全体が見える位置にいる袋環からは、学生の中に不審な視線を二人に向けた者が見えたのだろうか。犯人探しをするような趣味は秋弥にはなかったので、それ以上気に留めないことにした。


「そうだったんだね。言ってくれれば良かったのに」

「オレ、全然気付かなかったなぁ」

「ご、ごめんね。玲衣ちゃん、沢村さん……」


 一方、玲衣と堅持から羨望の眼差しを向けられて、何故かペコペコと謝る綾の姿があった。


「でも、言われてみれば朱鷺戸って名前、何処かで聞いたことがあるような気がしてたんだ。なるほど、『星詠み』か。そりゃあ目指すのが調律師で当たり前だよな」

「え、『星詠み』って何? 何?」

「そこ、静かにしろ」


 咎められ、大人しくなる堅持と玲衣の二人。似たもの同士だな、と他人事のように(文字どおり他人事なのだが)思っていたとき、綾がこちらに視線を向けていることに気付いた。お互いの視線がぶつかったことで綾はすぐに眼を逸らしてしまったのだが——。


(なんだ?)


 綾の不自然な仕草が気にはなったが、その思考は袋環の言葉によって遮られた。


「他に質問のあるものはいないな? それでは、心の準備ができた者から私のところに来い。早く済ませようと最後に済ませようと、それで君たちの今後の評価が変わるわけでも、装具の系統や形状が変わるわけでもないからな。時間が許す限り、私は待つぞ」


 説明を終え、袋環は腕を組んで鳥居に寄りかかった。

 学生たちがおっかなびっくりで周囲の様子を窺う中、真っ先に袋環のところへ向かった学生がいた。


「袋環センセ。オレ、行って来ても良いですか?」


 堅持だった。袋環は再展開済みのウィンドウに表示した名簿欄から堅持の名前を探し出してチェックを入れると、


「あぁ、行って来い」


 短い言葉で、堅持の背中を押した。

 堅持は朱に彩られた鳥居の境界部分に掌をかざした。

 すると、その位置を中心にして波紋が広がった。空間を隔てる境界面がそこに存在しているという証だった。その様子を見ていた他の学生から、声にならない声が上がったような気がした。


「それじゃ、ちょっと行って来ます」


 誰にともなく、おそらくは自分に言い聞かせるための呟きを最後に、堅持は何気無い足取りで鳥居を潜り抜けようとして——消えた。

 反対側から、彼が出てくることはない。

 空洞内が静寂に満ちる。

 皆が固唾を呑んで、堅持が帰ってくるのを見守っていた。

 時間にして一分が経過しようとしたところで、再び鳥居の境界面が揺れた。

 堅持が行きと同じ足取りで現層へと帰還したのだ。


「え、もしかしてこれで終わり?」


 右手で頭を掻き、拍子抜けしたような声を漏らす堅持。

 彼の左手には、鈍色に輝く剣が握られていた。


「早かったな。装具を登録するからこっちに来い」


 袋環に声を掛けられ、堅持は彼女の言うとおりにそばに寄った。


「……重剣だな。系統はわかるか? 扱い方を記憶に刷り込まれただろう?」

「えっと、たぶん強化型の近接系です」

「了解した。御苦労だったな、もう休んでいていいぞ。それと、装具には名前を付けておくと良い」


 肩にポンと手を置かれ、袋環から労いの言葉を受ける。

 堅持は一つ頷いてから装具を一瞬にしてリング状に変形させると、学生たちの輪の中へと戻っていった。

 途端、彼の周囲に人が群がって質問が殺到した。


「ねぇ、中はどんな感じだったの?」

「あー……、何か普通の道だったな」

「道? それでそれで?」

「遠くの方に丘が見えて、何となくそこに向かって歩いていったんだ。そしたら急に頭の中に声……声だったかな。記憶だったのかもしれないけど、とにかく何かが流れ込んできて、気付いたら装具を持ってたんだよな」

「へぇ……何だか夢の中の話みたいだな」

「そう、それだ。夢を見てるような気分だったな。思い出そうとしてもうまく思い出せないっていうの? 不思議な感覚なんだよな」

「……ちやほやされて嬉しそうね」


 律儀にも一つ一つの質問に答えていく堅持の様子を遠巻きに眺めていた玲衣が、不機嫌そうな口調で呟いた。

 秋弥、玲衣、綾、それと鶴木という名の男子学生はクラスメイトの輪に加わっていない。

 装具持ちの二人は元よりあまり関心がないだけだろうが、お祭り騒ぎの好きな玲衣が堅持を囲う輪に加わっていないということが、秋弥には少し意外だった。


「玲衣は行かなくていいのか?」

「それは堅持のところに? それとも門のところ?」

「両方。お前らって何か似てるしさ」


 からかうような口調で秋弥は言った。


「えっ……、ちょ、ちょっと! やめてよねっ、もう!」


 玲衣は頬を上気させて、そっぽを向いてしまった。

 それを横目に、秋弥は先ほどからチラチラとこちらを見ている綾の方へ向き直った。


「綾、さっきからどうした?」

「……何でもないです」

「何でもないってことはないだろう。さっきから何か変だぞ」

「はい……ごめんなさい」

「いや、謝られても困るんだけど」


 秋弥の方こそ表情を曇らせてしまった綾を見て、申し訳ない気持ちになってしまった。視界の隅にジト眼の玲衣が映ったが、それに対しては無視を決め込んだ。

 そのままお互いに黙り込んだままでいると、先に沈黙に耐えられなくなった綾が、観念して口を開いた。


「あのですね……不躾だと思うかもしれませんが、九槻さんに聞きたいことがあるのですが、良いですか?」

「うん? 何?」

「先ほどの……ここに来る前のことなのですが、九槻さんは封魔も調律も両方できると言っていましたよね。それなのに、自身の装具を持っていないんですか?」


 疑念の種はそれか、と秋弥は思った。

 名家の出身で封術学園に入学している以上、彼女の中ではたった一つの可能性に辿り着いているはずだ。しかし同時に、名家であるということがその可能性を否定しているのだろう。


「俺には自分の装具ではないけど、封術を使えるモノが別にあるんだよ」


 と、秋弥はあっさりと答えた。これについては隠すようなことではないし、隠すべきことは隠せば良いだけの話だった。


「……ということは、九槻さんは『神器』を持ってるんですね!」


 決して大きな声ではなかったのだが、たまたま彼女の声が耳に入ったのだろう。クラスメイトの輪から外れ、マナスの門を眺めていた鶴木がギョッとした眼でこちらを見た。

 それを視界の端に捉えつつ、嬉々として両の掌を合わせて高揚している綾に対して、人差し指を口元に当てるジェスチャで、少し静かに、と伝えた。


「あ……ごめんなさい」


 そしてまた謝られてしまう。すぐ謝罪してしまうのは彼女の癖なのかもしれなかった。


「……期待を裏切るようで悪いんだけど、俺が使ってるものは神器とはまた少し違うんだよ」


 神器というのは、特別な道具や術具が装具へと昇華したものを指す封術用語の一つだ。

 秋弥が微妙に曖昧な表現を用いて言うと、意味がわからないという風に綾が小首を傾げた。


「神器はそれを為す情報体が強力な『波』の原質を持つがゆえに、異層に対して影響を与えることができる。そうだよな?」


 それだけの台詞で、綾はハッとして眼を丸くさせた。


「だけど、神器では単一の、あるいはせいぜい数個の事象干渉しか発生できない。しかし、だからこそ神器は、封術師が通常行使できる事象干渉以上の干渉力を持っている。朱鷺戸家の神器もそうだろう?」


 現代において、『星鳥の系譜』と呼ばれる封術師の名家は、それぞれに固有の神器を所持している。

 そして当然ながら、その特出した性質についてはほとんどが秘匿されている。

 それは、『星鳥の系譜』に連なる朱鷺戸家においても同じことだ。秋弥は『星詠み』という名前から、朱鷺戸家の神器の性質を連想することしかできない。

 綾もそこまでの考えに至ったのだろう。それ以上聞き出そうとはせずに、困惑気味だった表情を柔和な微笑みに変えた。


「わかりました。九槻さんは、何か凄い力を持っているということですね」


 えらく都合の良い解釈にも思えたが、勝手に納得してくれたのならばわざわざ訂正する必要もないだろう。

 そもそも、九槻家は朱鷺戸家や鶴木家のような『星鳥』ではないのだから。

 神器を持つどころか、封術を扱えるのは姉弟だけなのだから——。




「……さてと、俺もそろそろ行ってくるよ」


 クラスメイトの半数以上が装具選定を終えた頃になって、秋弥はようやく行動を開始した。

 ちなみに玲衣はどうしているかというと、既に装具選定を終えて、今は女子グループの輪の中心でお互いの装具の見せ合いをしていた。

 だからこれは、今も秋弥と一緒にクラスメイトたちとは距離を置いたところで傍観していた綾に掛けた言葉だった。


「あ、はい。お気をつけて」


 綾のその台詞に、秋弥は不覚にも吹き出してしまった。


「なっ……なんで笑うんですか?」

「いや、ごめんごめん。何か可笑しくってさ……」


 謝罪をしておきながら、なおも秋弥は綾から背を向けたままで肩を震わせる。

 綾はその正面に回りこむと、半目に開いた眼差しで低い位置から彼を見上げた。


「門の向こうは危険がいっぱいなところかもしれませんよ?」

「経験者はかく語りき、ってことかな」

「……まったく信じてませんね?」

「そんなことはないよ、覚えておく。それじゃあ、気をつけて行って来るよ」


 実のところ、装具選定は封術師になるための単なる通過点に過ぎないと秋弥は考えていた。仮に装具選定を行わなかったとしても、彼には扱える装具が他にあるのだから、別段気負う必要もなかった。

 封術学園で封術を学ぶ以上、それが必要だからやっているだけだ。

 それをまさか、意図はどうあれ他人に心配されるなんて、秋弥は思いもしなかったのだった。

 そして、それが少しだけ、昨日の姉の姿に重なってしまっただけだ。

 ただ、それが姉から掛けられた言葉ではなかっただけで、不思議と笑いがこみ上げてきたのだ。

 そんなことを思ってしまった自分が可笑しくて——。

 

(——さっさと装具選定を済ませて戻ってくるとしようか)


 秋弥が近付いてくるのを認めた袋環は、彼の言葉を聞く前に名簿欄にチェックを付け始めた。さっさと行けと言わんばかりに目線でマナスの門を示す。

 最初に堅持を送り出したときとは違う態度に軽く呆れながらも、声を掛けるまでもないと判断してのことだろうと、適当に思い直した。

 秋弥は門の前に立つ。

 堅持のように掌で境界を確かめることはせず、彼は普段と何ら変わらない足取りで『マナスの門』を潜った。

4/14:文章校正

2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施

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