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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第3章「四校統一大会編」
53/111

第52話「先輩と後輩——火浦千景の場合」

★☆★☆★



 予鈴どころか、本鈴もとっくに鳴り終わっている。

 一コマ目の授業は封術基礎Iだったので、袋環はもう三組の教室へと向かったことだろう。

 しかし鶴木は袋環の研究室を出たその足で、教室ではなく多目的棟の屋上へと来ていた。

 屋上に通じる扉の前、非接触式認証端末に左腕に巻かれた治安維持会の腕章をかざす。

 ロックが解除される軽快な金属音とともに扉が開くと、鶴木は屋上に出た。

 治安維持会の腕章には自治会役員の制服と同様に、各種施設の施錠を解除するタグが埋め込まれている。本来、厳重な施錠によって学生の立ち入りが禁じられている屋上だが、治安維持会のメンバーにとっては、その場所も巡回コースのひとつなのである。


 鶴木は屋上に立って空を見上げる。

 雲ひとつない、青く澄んだ空だ。空を流れる微風が心地良いと思える。

 袋環の研究室を訪ねるまで、彼の心には白いもやのようなものがかかっていた。

 今もまだ、そのもやはかかったままだ。この空のように澄んではいない。

 空を見上げながら、鶴木は袋環の言葉を胸の内で反芻してみた。


 ——どんな理由があろうとも、選ばれた以上はその責任を果たし、力を示さなければならない。

 実力主義の封術の世界では、過程よりも結果こそが、より重視される。

 はじめに結果が評価され、次に過程が評価される。

 努力は、結果に繋がらなければ意味を為さない。

 過程は結果を得るための手段に過ぎないということを、忘れてはならない。

 当たり前のことだ。

 その当たり前を、鶴木は憤ることで忘れてしまっていた。

 小さなプライドが邪魔をして、感情に我を忘れて、冷静な判断ができずにいたのだ。

 それを鶴木は袋環に指摘された。

 自分が封術師として未熟なのだと、理解させられた。

 鶴木は制服が汚れるのも構わずに、屋上の真ん中で横たわる。

 制服の汚れは後で封術を使って取り除けば良いのだと、半ば自動的に考えながらの行為だった。


「はぁ……僕は弱いな」


 封術の力だけじゃなく、心の在り方も弱い。

 彼が授業をサボタージュして屋上へとやってきたのは、己の中の思いを見つめ直すためだった。選ばれたことの意味をもう一度きちんと理解して、自分の弱さを自覚して、下らないプライドを捨てるためだった。

 視界いっぱいに空が広がる。

 そういえば授業をサボるという行為はこれが初めてのことだったが、案外悪いものではないと、鶴木は感じていた。

 むしろ、あらゆるしがらみから解放されたかのような、不思議な心地良さすら感じる。

 しかし、だからといってそう簡単に気持ちが切替えられるほど、鶴木は大人ではなかった。八月に誕生日を迎えているとはいえ、まだ十六歳の少年だ。心の整理に時間が掛かってしまうのも仕方のないことだった。


「おやおやぁ、つるぎんではないですか」


 と、一面が青空だった鶴木の視界に、不意に影が落ちた。それと同時に頭上から降ってきた声に鶴木が視線を上向けると、ピンク色の何かが一瞬、視界に入った。


「……はっ!? もしかして今、さりげなさを装ってあたしのスカートの中を覗き見ようとしましたね?」


 そこには校則で定められた丈よりも幾分短く詰めたスカートを両手で押さえ込みながら、少し前屈みになっている女子学生がいた。鶴木は顔をサッと赤らめながら慌てて視線を逸らす。


「誤解です! み、見ようとして見たんじゃありませんから!」


 若干言い訳がましい口調になりながら早口でまくし立てると、鶴木は上体を起こした。

 女子学生の方を振り返ろうとしたところで、彼女の方から鶴木の視界に入る位置まで、スキップをするような軽やかな足取りで移動した。

 大腿部までを包む黒のニーソックスと赤黒チェックのプリーツスカート。スカートの裾には白いレースが縫い込まれている。トップは胸元までのボタンを外した白のワイシャツに、これまた赤のベストを身に付けている。

 そして、彼女の左腕には鶴木と同じく、治安維持会の腕章が巻かれていた。

 女子学生——二年生で治安維持会メンバーの火浦千景(ひうら ちかげ)は、改造制服のスカートをお尻の方から両手で押さえるようにしながら、鶴木の正面で膝を抱えた。


「まあ減るものでもないですし、別に良いのですけどね。ところで、つるぎんが授業をサボってこんなところにいるなんて、珍しいですね」

「火浦先輩こそ、こんなところで何をしてるんですか。授業はとっくに始まっていますよ」


 鶴木が自分のことを棚に上げて言い返すと、千景はニカッと笑った。


「それではお互いさまですね」


 そう言う千景に、悪びれた様子は見られない。授業をサボっている後輩を見つけても注意する風でもなく、むしろ物珍しそうに、興味津々といった視線を向けてくるだけだった。


「あたしはですね、授業には必ずしも全て出席しなければいけないとは思っていないのですよ」


 生まれつきの赤毛が湿気を含んだ夏の風に当たって揺れる。全身を赤系統の色で包み込んだ千景が、黒い瞳で鶴木を見詰めた。


「つるぎんは知っていましたか? 単位を取得するためには、授業日数の三分の二以上出席すれば良いのですよ。裏を返せば、三分の一は出なくて良いということです。封術学園の授業は一コマが一般高校の二コマ相当ですので、一回の授業時間はおよそ九十分になりますね。一単位の授業は年間で三十五時間となりますが、これを九十分で割ると授業の回数は二十三回です。このうち、出席しなくても良い回数は三分の一なので七回ということになりますね。これをもう一度時間に戻すと十時間半ですね。ねえ、つるぎん。つるぎんはこの十時間半で、何ができると思いますか?」


 問われ、鶴木は考える。

 だが、考えている最中にも、千景は言葉を止めなかった。


「あたしはそういう時間を、自分のために使います。勉強をするにしても、遊ぶにしても、こうして学園内を歩き回っていても、つるぎんと話していても、何をしていても良いのです。たとえばそうすることで、誰かが死んでしまうわけでも、誰かに迷惑を掛けるわけでもありません。封術学園(ここ)はそういうところなのですよ」


 すべて自己責任となるだけです、と、千景は眼を弓なりに細めた。


「だからですね、残り三分の一の授業に出ている学生たちが全員、真面目だということではないのですよ。そういう人たちは自由に使える三分の一の時間を、勉強をするための時間に充てているという、ただそれだけのことなのです。幸い、学校という機関は勉強を教えてくれる先生方がいますからね。利用できるものは有効に利用すべきです。さて、つるぎん。つるぎんはこんなところでいったい何をしているのですか?」




 鶴木の話に相槌を打ちながら、彼が屋上へとやって来た理由を聞き終えた千景は「なるほど……」と頷いた。


「あたしも、くっきーのことはリーダーからいろいろと聞いていますよ」

「……あの、火浦先輩。一応確認したいんですけど、くっきーというのはもしかして、九槻のことですか?」

「ウン? うん、くっきー」


 鶴木はふと、自分が治安維持会のメンバーとなって千景と初めて顔を合わせたときのことを思い出した。彼女は最初、鶴木の名前を聞くと、「それでは君のあだ名は『つるぎん』で決まりですね」と言ったのだ。そして、その日から鶴木はずっと、彼女につるぎんというあだ名で呼ばれている。

 ちなみに、リーダーというのは治安維持会長であるスフィアのことを指した呼び名だった。


「くっきーは学生自治会の役員ですが、どうやら彼はリーダーのお気に入りでもあるようですね。リーダーはずいぶんと彼に入れ込んでいるようにも思えます。どうです? 同じ一年生としては妬いてしまいますか?」

「いえ、そんなことは……」


 鶴木は今朝までの自分だったらそうだったかもしれないと思っていた。

 嫉妬。

 この感情はまさにそれだった。

 だが、その考えは改めるべきだと思い直したばかりだ。


「ふふ、つるぎん、表情が言葉を裏切っていますよ」


 鶴木は慌てて顔をぺたぺたと触れた。その仕草が面白かったのか、千景はクスクスと笑う。


「良いのですよ。他人と比較しながらも、それでも、他人と自分は違う人間なのだということを意識するというのは簡単なことではありませんからね。それはあたしにとってもリーダーにとっても、くっきーにとっても同じことです」


 悟ったような千景の口調は、この先輩が本当に自分の一つ上なのかと疑いたくなるほどだった。こういう人を達観しているというのだろうか。

 あるいはこれが、三分の一の時間を使って彼女が得た答えなのだろうか。


「他人と自分を比較することは悪いことではありません。学園が定期考査の成績を全学生に対して発表するのも、入試の成績でクラス分けをするのにも全て、きちんとした理由があってのことです。ですが、あたしにはつるぎんが、何でくっきーと比べたがっている理由が良くわかりません」

「……」

「いえ、気持ちとしてはわかりますよ。比べることが間違っていると言うつもりでもありません。ですが——」


 千景はいったん言葉を区切って、


「——その気持ちは一時の感情に過ぎません。あたしは『星鳥』ではないので、つるぎんが抱えている思いを真の意味で理解することはできませんが、もしもつるぎんが『星鳥の系譜』に連なる家系の生まれでなければ、あるいはもう少しだけ大人になれば、こうして難しく思い悩むような問題ではないと、はっきりと断言できるでしょう」


 一気に言い終えた。


「……」


 そして、彼女は問う。


「なので、教えてください。つるぎんはどうして、そんなにもくっきーと自分を比べたがるのですか?」

「それは……」


 ようやく開いた鶴木の口は、ずいぶんと重い。


「…………それは、九槻の方が僕よりも勝っているから……」


 俯き、屋上の床へと向けて絞り出すようにして放ったか細い声を、しかし千景は聞き逃さなかった。


「どうして、そう思うのですか?」


 千景は重ねて問い掛ける。


「……考査の成績でも模擬戦でも、僕は九槻に勝つことができなかったから——」

「だったら、それだけでもう立派な理由ではないですか」

「え?」


 鶴木は俯けていた顔を上げ、瞳を驚いたように丸くして千景を見詰めた。


「『星鳥』がどうだとか、血統がどうだとか、そんな脚色は初めからいらなかったのですよ。単純に、学校の成績や模擬戦でくっきーに負けたからなのだと、負けて悔しいからだという理由だけで十分なのですよ」


 ああ、確かに千景の言うとおりなのかもしれない。

 封術が昔よりも認知されるようになった近年では、一般家庭においても偶発的に、あるいは隔世遺伝的に強い力を持った子供が生まれてくるケースが多く見られている。現在の封術社会を作り出したのが『星鳥の系譜』に連なる十三家というだけで、彼らが絶対的な強者であるという図式は、もはや旧世代的な考え方なのだった。


「つるぎんは難しく考えすぎなのですよ。あたしたちの世界はもっと単純で、簡単にできているのですからね。難しく考えてしまって、そもそもの根源を見失ってはいけませんよ」

「……」

「それに、嫉妬という感情は誰にだってあります。あたしにだってありますし、くっきーにだってあると思います。嫉妬は『七つの原罪』にも数えられていますからね。知ってます? 七つの原罪。九つの原質に通じるものがあると思いませんか」

「……」

「だから、その気持ちだったらあたしにも理解できますよ。悔しい、負けたくないという気持ちは、皆が共通して持っている思いですから。であればもう、その相手よりも強くなるしかありませんよね。目標があれば、人はもっと強くなれますから」


 千景の言葉で、鶴木はようやく理解した。

 自分はただ、秋弥に負けて悔しかっただけなのだ、と。

 それを、家柄や血統という醜い形をしたオブラートで包んでしまっていたことで、今まで気付けなかったのだ。

 鶴木は優しげに微笑む千景の顔を見て、思わず泣いてしまいそうになる気持ちを必死に堪えた。


「そう、ですよね……。火浦先輩、ありがとうございます。おかげですっきりしました」


 そして、気を抜けば震えてしまいそうな声で、気丈に振る舞う。

 その様子から何かを察した千景は、静かに首を傾げた。


「迷いは吹っ切れましたか?」

「……はい。火浦先輩に話して良かったです」


 鶴木が晴れ晴れとした気持ちで応じると、千景はニカッと笑った。


「そう言ってもらえると、あたしの時間も報われるというものですね」


 腰を上げ、うーんと伸びをする千景。鶴木も彼女に倣って、下ろしていた腰を上げて立ち上がった。


「火浦先輩はこれからどうする予定ですか? ……特に予定がなければ、『妖精の尻尾(フェアリー・テイル)』の練習を一緒にしませんか?」


 鶴木の出場する競技は、今年の四校統一大会の開催校である烏丸封術学園が選んだ『妖精の尻尾』と呼ばれる競技だった。これは三人一組で行う団体競技なのだが、女子の部門では千景がこれに出場することが決まっていた。


「そうですね。時間もあることですし、あたしは構いませんよ」


 すると、少し考え込むような仕草の後で、


「ですが、今は授業時間中なので、競技スペースが空いているかはわかりませんけどね」


 千景は振り返ってから、そう言った。



★☆★☆★



 封術学園に通う全学生を講堂に集めて行われた学生総会——四校統一大会の出場選手発表は、学生自治会長である悠紀の司会進行によって滞りなく開始された。

 悠紀とともに舞台の上にあがっているのは、大会に出場する学生たちと学生自治会の役員たちだ。当然のことながら今回の主役は出場選手たちなので、秋弥や聖奈は舞台袖に控えている形となっている。

 悠紀が演壇に立ち、選手一人ひとりの名前と出場競技種目を発表していく。

 学生の名前がひとつ呼ばれるたびに、講堂からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

 たかだか高校生の競技大会にそこまで熱狂するものなのかと思うかもしれないが、四校統一大会は個人あるいはチームによる戦いであると同時に、各封術学園の威信を賭けた戦いでもあるのだ。

 東北の鷺宮(さぎのみや)封術学園。

 関東の鷹津(たかつ)封術学園。

 信越の鶺鴒(せきれい)封術学園。

 関西の烏丸(からすま)封術学園。

 これら四校の封術学園に通う学生が一堂に会して力と技術を競い合う——。

 それが、四校統一大会なのである。




 四校統一大会はこれまでに九回、開催されている。

 このうち、鷹津封術学園は四回、総合優勝を果たしている。その他の記録としては、鷺宮封術学園と鶺鴒封術学園が一回ずつ、烏丸封術学園が二回優勝しており、一回は大会そのものが中止となっている。

 鷹津封術学園が他校に比べて優勝回数で飛び抜けている背景には、人口が集中する都心部には将来有望な封術師の見習いが多く集まっているという統計的な事実がある。もちろん、人口が多いことはイコールで封術師見習いそのものの人数も多いことになるのだが、封術学園には人口密度に比例して入学枠を増やすということがないため、必然的に質の高い学生が鷹津封術学園には集まってくるのであった。

 そして今年、第十回目となる四校統一大会で鷹津封術学園が総合優勝を果たした場合、大会が中止となった昨年度の第九回大会を除いて、勝率で五割を上回るということになる。

 そういった理由もあって、出場選手たちに向ける学生たちの期待はいつも以上に大きいものとなっていることを、講堂の隅で様子を見ていた袋環は感じ取っていた。


 ——やはり、九槻秋弥を選手に推すべきだったかな。


 鷹津封術学園創設以来の天才封術師と呼ばれていた九槻月姫の弟であり、歴代でも特出した力と技術を持つ学生自治会長と治安維持会長の二人が気に掛けている人物の名を、袋環は内心で呟いた。

 だが、そのためには越えなければならないハードルが多すぎることも、袋環にはわかっていた。

 秋弥に内在する高位隣神の問題は、半年が経った現在でも結論に至っていない。

 そもそも封術師と隣神がともに在るというケース自体が初めてのケースであり、前例がないのである。

 対応方針についても、安易に決定を下せるものではない。藪をつついて蛇を出したくないのは、誰にだって同じことだ。


 ——しかし、早く何とかしてやりたいものだな……。


 口で言うのは容易いが、共同体というものはそううまくは回らないものなのである。

 あちらを立てればこちらが立たず、何処かにある落としどころを探す不毛な行為を強いられているのが現状だ。

 袋環は左右に立つ封術教師に気取られない程度に小さく溜息を吐いた後で意識を切り替えると、壇上の学生たちに視線を移した。

 昨年度以前に四校統一大会に出場したことのある学生は、落ち着いた面持ちで自分の名前が呼ばれるのを待っている。

 対照的に、今年初めて選ばれた学生は、ずいぶんと緊張した面持ちだ。そわそわとしている様子が遠目にも見て取れた。

 そんな学生たちの中の一人、袋環が担任を受け持つ一年三組の学生から唯一選ばれた鶴木真へと眼を向ける。授業が始まる前に彼が血相を変えて研究室を訪ねてきたときはどうなるものかと思っていたものだが、どうやら自分が選ばれたことの意味を少しは理解できたらしい。壇上に立つ鶴木は、教師陣を含めて約七百五十名近い数の視線を向けられても、多少の緊張こそ見られるが、じつに堂々としていた。

 袋環は一安心といった様子で、今度は安堵の息を吐いたのだった。



★☆★☆★



 学生総会と銘打たれた大会出場選手の発表会はこれといった問題もおこらず、つつがなく終了した。

 学生たちが講堂から退場していく際の誘導を治安維持会のメンバーに任せた悠紀は、自治会役員を全員、舞台裏に集めた。

 朝倉瞬、時任達彦、鵜上亜子、西園寺美空、九槻秋弥、天河聖奈。

 全員が集まったところで、悠紀はまず、全員に労いの言葉を贈った。


「皆さん、今日までお疲れさまでした」


 今回の発表会の司会進行役を単独で務め、また、自身も四校統一大会の出場選手であり、選手陣の総指揮も執る悠紀に、役員たちも口々に労いの言葉を返した。


「だけど、これで終わりではないわよ。むしろ、これからが始まりだからね」


 おどけた調子の悠紀の表情に、疲労の色は見られない。

 気丈に振る舞っているのでなければ、何という胆力の持ち主だろうと、秋弥は内心で舌を巻いていた。あるいはこれが、星条家の次期当主候補なのだろうか、とも。


「演壇でもアナウンスしたけれど、再確認するわね。これから大会が開催されるまでの三週間は、出場選手に対して優先的に、授業外での運動場や訓練場などの各種設備の貸し出しを行います。これについては毎年、治安維持会の方で処理してもらっているから、私たちが何かをすることはないわ。朝倉君はもうわかっていると思うけれど、時任君と美空も、訓練場が使いたかったら治安維持会の特設ページから申請を行ってね」


 自治会役員の中で今年の四校統一大会に出場する学生は、悠紀、朝倉、時任、美空の四名である。このうち、悠紀と朝倉は昨年度も大会に出場している。


「質問でーす。今までどおり、学生自治会のページから申請を行った場合はどうなるんですか?」


 申請の受理は書記の仕事であり、自治会の書記を務めている美空が懸念点を上げた。


「自動的に治安維持会の特設ページに飛ぶから問題ないわよ」


 数年前まではこの対応を行っていなかったため、自治会役員が申請を誤って受理してしまい、窓口が二つに分かれてしまったことで練習施設のダブルブッキングが起こったというトラブルがあった。


「それと、他校の有力選手に関する情報収集は今後も継続して行います。これに関しては時任君と美空の二人で進めてね」


 出場選手と競技種目が決まってしまえば、あとは状況に応じて最適な作戦を立てるだけだ。そのためには情報が必要不可欠だった。


「亜子と秋弥君、それに聖奈さんの三人は大会が始まるまでの間、細かな残作業をしながら、治安維持会のサポートをしてもらいます」


 三人が頷いたのを見て、悠紀は口元に笑みを浮かべた。


「ここまでは良いわね。それじゃあもう少し先の話もしておくわね。まず、私たち自治会役員は、大会の前々日に開催地である滋賀県の箱館山に設けられた合同演習場へと向かい、そこで他校の自治会役員との顔合わせを行います。ただし、前日に会場入りする選手たちを引率する役員が必要なので、前々日に会場入りするメンバーは、美空、亜子、秋弥君、聖奈さん、それに私の五人とします」


 悠紀のセリフを裏返せば、朝倉と時任が選手たちの引率役ということになる。


「引率役の二人には、あとで必要な手続きや手順を連絡するとして、私たち五人も今回は全員で集まって会場に移動しようと考えているわ」


 悠紀は裏表を感じられない穏やかな口調で言う。的外れなことを言っているわけでもないのに、秋弥には、彼女の言葉に何処か引っかかるものを感じていた。

 だがそれが明確な形を成していない状態で話の腰を折るわけにもいかず、とりあえずは続けて話を聞くことにした。


「全員で集まって、というと、学園にですか?」


 亜子が小さく挙手をしながら控えめな声で発言をする。

 すると会長は、首を左右に振って、亜子の質問を否定した。


「それも一つの方法だけど、全員が集まる場所が、必ずしも学園である必要はないわよね」

「それならえっと……、神来駅ですか?」


 しかしこれにも、会長は首を横に振るだけだった。

 亜子の質問が否定されるたびに、秋弥の中では不安がむくむくと膨れあがっていた。漠然とだが、悠紀が何か良からぬことを考えているような気がしてならなかった。


「ハズレ。今回は四人とも、私の実家に集まってもらおうと思います」


 これには、引率役の二人を含めて、全員が驚きの表情を浮かべた。

 悠紀の実家といえば、『星鳥の系譜』序列第一位の星条家であると同時に、星条家の総本家でもあるということだ。秋弥も詳しくは知らないが、かなりの敷地面積を有する大邸宅であることだけは知っている。

 さらに悠紀は、全員の驚きが冷め止まぬ間に、言葉を続けた。


「段取りとしては、私たちが会場入りする前日——つまり木曜の授業が終わった後で私と一緒に星条の家まで移動。そこで一泊してから会場へと移動しようと考えているわ」

「ふぇ!? お泊まり会ですか!?」


 亜子が二度目の驚きでおさげ髪を揺らした。声には出さなかったが、聖奈も同じような思いを抱いていた。


「そうとも言うわね。この案でいこうと思うのだけど、どうかしら?」


 提案の是非を問うてくる会長に、しかし秋弥は悪い予想……否、嫌な予感が当たって眉根をひそめていた。できることなら丁重に『会長企画のお泊まり会』の辞退を申し入れ、その上で移動日の朝に会長たちと合流するか、あるいは朝倉たちとともに選手たちの引率役を務めたいという心境だった。


「お、おと、おと、お泊まり会ですって!?」


 しかしどうやって辞退しようかと秋弥が考えていると、突然隣から上ずった声が聞こえてきた。


「お泊まり会……あぁ、なんて甘美な響きの言葉なの。いいわ、いいわよそういうの! きゃ、鼻血出そう」


 何故か美空が、鼻を押さえながら一人で悶えていた。


「ひとつ屋根の下で女子が四人に男子が一人のお泊まり会。くっ、この発想はなかったわ。でも良いの、おかげでまたネタがひとつ増えたから。あぁ、構想がどんどん膨らんでいくわ! 一人の男の子を巡って競い合っていた上級生のお姉様二人。そこに最近、新しくやってきた同級生の女の子も加わったことで壮絶な四角関係が始まってしまうの。最初は互いに牽制しあっていた三人だけれど、時間が経つほどに上級生の行動は次第にエスカレートしていくの。だって、同級生の女の子の方がどうしたって、男の子と一緒にいる時間が長いんですもの。そこで上級生のお姉様二人が考え出した計画は、お泊まり会を開くことだったの。そしてその計画は実行された。上級生のお姉様二人からお泊まり会に招待された男の子は、口や表情では嫌々ながらも、内心では憧れのお姉様の実家に行くことができて浮かれていたのね。でもそこには男の子だけじゃなく、同級生の女の子も一緒に招待されていたの。一人の男の子を巡る四角関係の舞台を上級生の実家に移した夜のお泊まり会編、アリだわ!」

「はい美空、聖奈さんが軽く引いちゃってるから、その辺にしておきなさいね」


 悠紀が妄想を口から垂れ流す美空を慣れた様子でなだめる。美空がハッとして我に返った。


「すみません、いつもの癖でトリップしていました」


 そして、美空はお決まりのセリフを口にする。


「……聖奈さんに美空のキャラクターも理解してもらえたところで、話を戻したいのだけれど。前々日に会場入りするメンバーの段取りはこれでどうかしら?」


 秋弥、聖奈、美空、亜子の顔を順々に見回す悠紀。


「星条会長」


 すると、口を開いたのは秋弥ではなく、全く予想外の人物だった。

 涼やかな笑みを浮かべ、アッシュカラーの髪を軽く払いのけて一歩前に出た時任に、会長がジト眼を向けた。


「時任君には聞いてないわ」

「冷たい! でも、そんな星条会長も素敵です!」


 悠紀が額に手を当てたのを見て、彼女も苦労しているのだと秋弥は悟った。


「……それじゃあ一応形式的に尋ねるけれど、何かしら、時任君?」

「はい、お泊まり会の件についてです」


 いつの間にか自治会役員の間で『お泊まり会』という言葉が定着してしまっていることが秋弥には少しだけ気がかりだった。


「そちらのメンバーには星条会長だけでなく、大会に出場する西園寺書記もいますし、十三家の鵜上会計もいます。もちろん、九槻書記補佐も、天河会計補佐も、俺たちにとっては大切な仲間です。であれば、星条家の強力なサポートを受けることができる今回のお泊まり会は、これ以上ないほどに安全で確実な手段であると俺は考えます」


 時任の説明は、否定の余地がないほどに完璧で隙がなかった。

 そして、秋弥は気付いた。悠紀が今回のような手段を考えた背景には、昨年度の四校統一大会で起こった封術事故が少なからず関係しているのではないかと。

 悠紀は昨年度も自治会の役員を務めており、大会の開催校は鷹津封術学園だった。事故を防ぐことができなかったことの責任が、今も彼女の胸を痛めているのかもしれなかった。


「だから、会長の提案を否定するような者はこのメンバーの中にはいませんよ」


 軽薄そうな外見と言動に惑わされがちだが、時任はこう見えても学生自治会の副会長を務める人物だ。話の内容に、一本の筋がしっかりと通っている。

 会長の実家に泊まることは、もうほとんど避けられないと考えるべきだろう。


「まあ、できることなら引率役の俺たちもお泊まり会に参加したかったですけどね」

「おい時任、僕まで一緒にするなよ」

「またまた。朝倉副部長だって本当は星条会長の実家に行ってみたいんでしょ? 星条会長から引率役を言い渡されなかったら喜んでたくせに」

「そ、そんなことはない!」

「あら、時任君たちはダメよ」


「「えっ」」


 だが、悠紀からの素っ気ないお断り宣言に、朝倉と時任は同時に声を上げたのだった。



★☆★☆★



 それから四校統一大会が開催される三週間は、あっという間に過ぎていった。

 大会に出場する学生たちは友人や部活の仲間とともに競技練習に励んだ。

 スフィアたち治安維持会のメンバーは各種施設の調整や学園内で起こる大会絡みのイザコザを治める傍らで、メンバーの半数が大会出場選手ということもあって、その合間を縫うようにして自身の鍛錬に励んでいた。

 秋弥たち学生自治会の役員は収集した情報や過去のデータをもとに作戦の立案と検討を繰り返し行った。また、大会に出場する悠紀たちの練習時間を割くために、秋弥と聖奈は上級生の亜子を中心にして学生自治会の仕事と治安維持会のサポートを行った。

 そんな風にして役員となって以来、最も多忙を極めた怒濤の三週間が過ぎ、大会が開始される三日前の放課後。

 秋弥と聖奈は授業が終わると手荷物を持って正門の前までやって来ていた。

 これから二人は、他の自治会役員と合流して、悠紀の実家へと向かうことになる。

 前日に悠紀の実家で一泊してから、会場入りするという流れだ。


「学生自治会の皆とお泊まり会なんて、すっごい楽しそうだね、お姉ちゃん」


 亜子の到着を待っている間、秋弥たちと一緒に正門まで来ていた奈緒が、姉である悠紀と話をしていた。


「そうね。考えて見れば実家に学園の子たちを招くのも初めてかも」

「あっ、そういえばそうかもね! きっとお父さんも喜ぶと思うよ」

「……そうだったら良いわね」


 奈緒の口から『お父さん』という単語を聞いた悠紀は途端、声の温度を落とした。首を横に振り、曖昧に言葉を濁す。


「それよりも奈緒、貴女も一緒に帰るの?」


 しかしすぐに声のトーンを元に戻すと、脱線しかけていた話題を修正した。


「うん。そうする」

「でも奈緒、私たちは明日から会場に向かうけれど、貴女はちゃんと授業に出なきゃダメよ」

「えー……私もお姉ちゃんたちと一緒にあっちに行きたいよ」

「ダメよ。奈緒はまだまだ未熟なんだから、しっかりと学ばなくちゃね」

「……はーい」


 そんな仲睦まじい姉妹のやりとりを横目に眺めていると、本棟の方から小走りで秋弥たちのもとへと駆け寄ってくる小柄な女子学生の姿が視界に移った。

 トテトテという効果音が似合いそうな亜子が、体格と不釣り合いなほど豊かな胸を揺らしながら傍までやって来ると、肩で息を切らせながら遅れたことを謝った。


「これで全員集合したわね。それじゃあ行きましょうか」


 無人自動制御車ではなく、星条家お抱えの運転手が横に控えるリムジンが学園の正門に停まっているという光景は、学園に通う学生たちにすれば注目の的でしかなかった。しかし、そんなことを気にする様子もなく、悠紀は早々とリムジンに乗り込む。

 続いて奈緒が乗り込み、美空、亜子、聖奈、秋弥といった順でリムジンに乗り込む。箱型の座席に腰を下ろすと、リムジンは静音を奏でながら、わずかな振動とともに悠紀の実家を目指して動き出したのだった。

2012/12/27 可読性向上と誤記修正対応を実施

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