第41話「2053/08/21 16:15:00 九槻秋弥」
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先頭を歩く会長の足が不意に止まる。
照らされた道の正面に、何者かがひっそりと佇んでいた。
「……人型の隣神ね」
見たままの感想を述べる会長だったが、それには俺も同意見だった。
全身を黒で塗りつぶしたような、子供の形をしたシルエットだ。何をするでもなく、ただジッとこちらを見詰めている——ような気がする。
「この子が『神隠し』の正体なの?」
玲衣と綾が後ろに下がり、代わりに俺が前へと出る。二人を背に庇う形で、もちろん背後への警戒も怠らない。
「どうだろうな……だけどおそらく、そう考えて良いと思う」
シルエットのため性別の判断はしづらいが、背丈から察すると小学校中学年程度だろうか。
遠目に姿を見かけたら、そして人気の少ない路地の奥へ一人で入っていく姿を見かけたら、心配になって思わず後を追いかけたくなるような、そんな儚さがあった。
「隣神が異層領域の中心にいる……。ということは、神格化した隣神の仕業という会長の推測は正しかったようだな」
「隣神へと昇華した人、ですか……」
綾の言葉に、俺は同意を示した。
「現層に対する強固な執着心や未練が、現層と強く結びつけているからだろう。人が神格化すると霊体になるケースがほとんどなんだがな……」
「未練……」
「ああ、そうだ。霊体世界の振域レベルはそれほど高くはないから、討伐は容易だろう。だけど……」
「だけど?」
神格化して生まれた隣神の原型は、元を辿れば現層世界の生物に他ならない。
ましてや、目の前の隣神は人の姿を模している。
それが意味することを考えた俺の表情は、いったいどんなだっただろうか。
キョトンとした表情で俺の言葉尻を繰り返した玲衣に、俺はきっと、寂しげな表情を見せたのだと思う。
隣神は、俺たちがこうして話している間も、一歩たりともその場から動こうとはしなかった。
そこに、何かあるのだろうか。
「お喋りはその辺りで止めましょうか。隣神とは私が戦うから、秋弥君は二人をしっかりと護ってあげてね」
言いながら、会長は光源を天井へ向かって放った。
垂直に上昇していった光源は下水道の天井に接するとぴたりと張り付き、周囲一帯を明るく照らし出す。
両手が自由となった会長は、続いてその左手に、彼女の身の丈を上回る巨大な弓を召還した。
俺はその弓を、かつて四校統一大会の場で見た覚えがある。
その特徴的な弓は胴に当たる部分がドーム状に膨らんでおり、中央には、人の握り拳ほどもある碧の宝石が埋め込まれていた。宝石の周囲には複雑な紋様が刻まれ、美しい菱形を作り出している。
シールドのようにも見える胴の上下から伸びるのは鳥の——否、天使の翼だった。純白の翼は羽ばたく直前の姿のようで、目を離したら何処かへ飛び去ってしまいそうな錯覚さえしてしまう。
——特殊型特殊系天衝弓『月蝕』
それが、星条会長の装具に与えられたカテゴリと名前だった。
「綺麗……」
呆けたように会長の装具を見詰めていた玲衣の口からそんな言葉が漏れる。
俺も、内心では玲衣と同じ感想を抱いていた。
会長の装具には弦がなく、矢もない。
そのどちらも、封術によって創り出すためだ。
会長は弓を持った左手を伸ばして垂直に構える。右腕を胸のやや上あたりまで持ってくると、人差し指と中指、それと親指で虚空を摘んだ。
「会長、待ってください」
だが、矢が生成されるよりも先に、俺は会長に制止の声を掛けた。
会長は弓を構えたままの格好で、顔だけで俺の方を振り向く。
「その隣神は、俺の力で異層世界へ還させてください」
制止の声が会長に届いたことで、俺は続いて、制止の理由を口にしたのだった。
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俺の言葉の意味を汲み取ったということではないだろう。
それでも会長は俺の瞳を覗き込むようにまじまじと見詰めた後で、矢を生成する術式をキャンセルして、構えていた両腕を下ろした。
会長の背丈よりも大きな弓型の装具『月蝕』は、翼部分が自動的に可変して丁寧に折り畳まれる。待機状態に移行すると形状が変化するらしい。
「それは構わないけれど……だけど秋弥君。隣神を異層世界へ還すって、具体的にはどうするつもりなの?」
至極真っ当な質問に対して、俺は蒼の装具『クリスティア』を仕舞うと、代わりに紅の装具、魔剣『紅のレーヴァテイン』を召還して見せた。
途端、俺の背後で息を呑む音が二つ。
会長も眼を丸くして、俺のもう一つの装具に視線を向けていた。
「隣神を還すにはこの装具を使います。ですが、その前に会長たちにお願いがあります」
「……何かしら?」
「これから俺が使う術式については、詮索や口外はしないでいただけますか?」
禍々しくも煌めかしい真紅の装具をぶら下げた俺は、三人の顔を順に眺めた。
異層領域から顕現した隣神ならばともかく、現層と異層を結ぶ回路をその身に宿した隣神を異層世界へと還すなんて、封術の知識をある程度有する者にとってすれば荒唐無稽なことのように思うだろう。
しかし俺には『波』の原質を操る異能型の魔剣がある。
その手段を説明するのは簡単だが、それをしてしまうと魔剣の秘密についても明かさなければならなくなるため、下手に説明することはできない。
だから、ここは強引にでも、全員の同意を得ておく必要があった。
「はい、もちろんです」
即答したのは、やはり綾だった。綾は何処か熱意の籠もった視線で力強く頷いた。
「あ、あたしも絶対の絶対の絶対、誰にも言わないよっ!」
競うように玲衣も同意する。絶対という言葉は上乗せすればするほど胡散臭くなっていくものだが、玲衣が他人の秘密をペラペラと喋ったりしない性格であることは知っているので、そこは安心しても良いだろう。
問題は残る一人。
俺は会長と眼を合わせる。
「……秋弥君、二点だけ確認させて」
「答えられる範囲であれば」
「その方法は、異能型の装具を使えば可能なの?」
言い換えれば、異能型の装具にしかできない術式なのか、ということだ。特殊型装具の専用術式である『領域支配』のように、異能型に分類される他の装具でも可能かどうかと問われているのであれば、答えはノーになる。異能型という分類は強化型と特殊型に比べてその線引きが曖昧であり、明確な区別を付けることができないからだ。
だが、おそらく会長は、その術式が俺の持つ真紅の魔剣だけが可能なものであるということを見抜いている。
「はい、可能です」
それでも俺は、どうとでも取れるような曖昧な答えを返した。
「二つ目の質問は何でしょうか?」
そして有無を言わせずに次を促す。
「……秋弥君に危険はないのよね?」
その質問に、俺は不意を突かれて硬直した。
と同時に、そんなことか、とも思った。
会長は先輩として、上に立つ者として、俺の身を心配してくれていたのだ。
俺は表情を和らげて、口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。それに、この程度の相手に会長の手を煩わせる必要もないでしょう」
多少調子の良いことを言いながら、俺は前へと進み出る。身体を横に引いた会長のそばを通りすぎて人型の隣神に近付くと、隣神の身体がかすかに揺れ動いた。
「レーヴァテインの波動に反応しているのか。もうすぐ、元の世界に還してやるからな……」
俺の腰あたりまでの背丈しかない隣神が、俺を見上げる。
隣神との距離は一メートルもないが、俺に危害を加える様子は全く見られない。とてもじゃないが封術師を含めて七人もの被害者を出した『神隠し』の犯人とは考えづらかった。
しかし、それも魔剣の固有装術『狭き門』を使えばわかることだ。
俺は静かな動作で魔剣を構えた。
左手を刃身に添える。
右手をゆっくりと押し出して、隣神の身体を中心から貫いた。
人型の隣神は、己の胸を貫いていく装具をただただ静かに見下ろしている。
実体を消した刃に貫かれているので、苦痛はない。
だがこれで、隣神の中に宿る異層領域が開かれた。
続いて俺が左の掌を向けると、術式に反応して隣神の身体から情報体を構成する原質の光が溢れ出した。色とりどりの光の粒子が広がって、放物線を描きながら魔剣へと吸収されていく。
粒子の奔流が、天井に張り付いた光源よりも強烈な発光現象をもたらす。地下水道内がネオン街のように様々な色の光に溢れ、幻想的な光景に映った。
やがて、分解されて薄れゆく隣神の身体から、一際強い光を放つ原質が乖離した。
隣神の、もっとも強い記憶の欠片だ。
神格化した原因。
執着心。
未練。
残留思念ともいえる、残酷な輝きだ。
その光が魔剣へと取り込まれた、その瞬間——。
魔剣を介して結ばれた俺の記憶に、神格化する以前の隣神の記憶が流れ込んできた。
2013/01/05 可読性向上と誤記修正対応を実施