第39話「2053/08/21 15:48:00 九槻秋弥」
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標準的な体型の二人が適度な距離を空けて並んで歩くのがやっとの狭い路地を四人は歩いていた。
先頭は星条会長で、その少し後ろを玲衣が続く。俺と綾は二人の後ろを歩いている。
今のところは隣神の——異層領域の存在は感じ取れない。
まず最初に俺たちが選んだ路地は、『神隠し』の第三の被害者と思しき女子高生が最後に目撃された方の路地だった。路地が行き止まりとなる地点まで向かって歩いているのだが、両隣がオフィスビルで囲まれた路地は、傾き始めた陽の光を見事に遮断していて、わずかに薄暗い。
建物の窓ガラスも内部を覗くことができないようなミラーガラスを利用しているため、室内の光が外へ漏れ出すことはない。薄暗いとはいえ、通るのに不自由するほどのことではないが、建築基準法に則って考えれば、建物と隣地の距離を中途半端に人が通ることのできる幅で残しておく必要があったのだろうかと疑問に思わなくもない。
しばらく道なりに進んで行くと、路地が二手に分かれていた。一方は反対側の通りに抜ける路地だったので、俺たちはもう一方の路地を選んで右折する。
すると、路地はすぐに突き当たってしまった。
「ここで行き止まりね。三番目の被害者はこの場所で『神隠し』にあったのかしら?」
首を傾げる会長に、答える声は無い。
誰も、返す答えを持ち合わせていないからだ。
相変わらず左右はオフィスビルに囲まれ、加えて突き当たった原因である正面にも別のビルが建っている。突き当たりにはオフィスの窓ガラスひとつなく、壁を上っていくことも普通に考えれば不可能だった。
と、俺は足下に転がっているものに気付いた。誰かがこの場所で仕事をサボってでもいたのだろうか。地面にはカップ麺の容器やゴミが無造作に捨てられている。
他には下水へ通じるマンホールの入口があったが、長年使用されてこなかったのだろう。丸い蓋は錆びていて開きそうにない。
目立ったものは何もなさそうだった。
「秋弥君は何か感じる?」
「いえ、何も。ここはハズレのようですね」
「そうね……」
会長は周囲を見回すと、一度空を見上げてから、視線を固定した。
「事件が比較的広範囲で発生していることも視野にいれると、隣神は異層領域ごと移動している可能性も考えられるわね」
「異層領域ごと? そんなことができるんですか?」
玲衣が思わずそう尋ねると、会長は浅く頷いた。
「現層生物が神格化した場合、『星の矛盾許容』と呼ばれる作用によって現層領域と異層領域の間に半永久的な回路を生み出してしまうのよ。そうなると隣神そのものを核として異層領域が形成されてしまうから、隣神の自由行動が可能になってしまうのよ」
俺が四月末に戦った禰子も神格化した隣神だった。つまりあのときの禰子は廃病院内に発生した異層領域に縛られることなく、自由に行動することができたということだ。
ただ、現層生物が神格化するにはそれ相応の強い理由が伴うことから、強迫観念にも似た絶対的な縛りが与えられている場合が多い——廃病院の禰子が、既に亡くなってしまっていた少年を病室でずっと待ち続けていたように。
「ですが、それなら一般の方や封術を悪用している方が起こしている事件という可能性の方が、私には現実的に思えるのですが」
「そうよね……現場を実際に見てみても隣神や異層領域の存在を感じ取れないし、その可能性も考慮に残しておく必要があるのかもしれないわね」
綾と玲衣には『神隠し』事件の詳細までは話していないが、無差別という言葉を当てはめるのならば、綾の言う可能性がもっとも有力であることに間違いない。
しかし、引っかかるのは被害者の中に封術師が含まれていたということだ。
このような袋小路に『追い込んだ』のではなく、『誘い込んだ』ということは、一般人による不意打ちの犯行という線は考えづらい。いや、誘い込みと追い込みを両方同時に実現すれば良いのだから、単独犯ではなく、複数犯であれば可能か。しかし、それならばそもそも封術師は容易に誘い込まれたりはしないだろう。それ以上は警察の領分だと、被害にあった封術師も分を弁えるはずだ。
では違法封術師が犯人かといえば、これもどうにも疑わしい。装具を手にして封術を行使するような人間が、善悪の区別に関わらず『無差別』という道理に適ってないことをするだろうか。
「ここの調査はこれくらいにして、もう一つの路地に行ってみましょう。聖奈さんがいなくなってからまだそれほど時間も経っていないから、もしかしたら何か別の発見があるかもしれないしね」
会長の一声で、俺たちは来た道を辿って大通りへと戻る。
もう一か所の路地は道路のちょうど反対側にある。
すぐ近くに横断用の歩道がなかったので、俺は車通りを見て安全を確かめてから道路を横切ってしまおうかと考えた。しかし会長が当然のように横断歩道へ向かって歩いて行く姿を見て、俺は会長の後を追うことにした。
車が通らなくても、信号機の色が赤から青へと替わるまでは横断しない。信号機横の切替ランプが徐々に消灯され、車道の信号が赤へと替わると、切替ランプもすべて消灯された。それと同時に、歩道の信号が青へと切り替わる。
結局、俺たちが横断歩道の前で信号の切替待ちをしている間、車は一台も通らなかった。
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「さっきの路地とほとんど何も変わらないか……」
俺は路地の突き当たりに立って周囲の様子を観察してから、誰にともなく呟いた。
「……ダメね。何度試してみても聖奈さんには繋がらないわ」
指をスライドさせてホロウィンドウを閉じる星条会長。玲衣と綾も各々のデバイスを立ち上げて天河と連絡を取ろうと試みているものの、見たとおり成果はなさそうだ。
「これが杞憂であれば良いのだけれどね」
下級生に過度な不安を与えないようにするためか、会長が玲衣たちへ向かって勇気づけるような言葉をかける。
それでも玲衣たちの表情は不安に沈んでいた。もしかしたらわずかな間とはいえ、天河から目を離してしまったことに責任を感じているのかもしれない。
もちろん、二人には何ら非はない。しかし結果論として、これが原因で天河が『神隠し』の八番目の被害者となってしまった場合、二人は今後ずっと、このときのことを気に病んでしまうだろう。
俺は何とか手がかりはないものかと、人目に付きづらい……否、もはや人目に付かないと断言しても良い袋小路の路地で周囲に視線を向けた。
何か、見落としはないか。
この場所は過去の事件とは関係のない場所だ。ただ、共通項として人目に付かないというだけで、事件の発生現場として当たりを付けるには些か弱い。
『神隠し』被害は新市街よりも旧市街に多く分布している。旧市街側も急速に発展を遂げているが、それでも未だ区画整理が未着手の部分が多く、事件の起こりそうな候補地なら枚挙に暇がない状態だ。
しかし、これまでに七件の被害が出ている『神隠し』だ。俺たちが気付いていない共通項が、まだ何かあるはずなんだ。
俺は眼を伏せて異層認識の感覚を研ぎ澄まさせた。周辺の現層領域に対して固有振動のパターンをドーム状に展開して領域の整合性を問い合わせていく。
会長が俺のやろうとしていることに勘付いたのだろう。異層探査用の最適化領域を展開し始めた。さすがは星条家の当主候補といったところか。封魔師志望であるにも関わらず、会長の最適化領域には一分の隙も見当たらない。俺の異層探査術式にぴったりと同調しており、ノイズはまるで感じられない。最適化領域の同調、共有が発生しても不快感は全くなかった。
俺の探査範囲はオフィスビルの屋上を飛び越えて、直線距離にすると大通り付近までその半球を広げていた。
だが……。
俺は術式を解除してゆっくりと瞳を開く。
ダメだ、この場所にも隣神がいたという痕跡は無い。
「秋弥君……、いえ、何でもないわ」
最適化領域を解除した会長が俺に何かを言おうとして、しかし首を振って止める。
俺の探査術式に同調したことで、俺が現在内包している強大な異層認識力を知覚してしまったのだろう。何も言わなかったのは、それが隣神リコリスに起因している可能性にまで行き着いたからなのか、あるいは問うことを恐れたからなのか。
「……ここもダメですか」
「あぁもう……、聖奈、ホントにどこ行っちゃったのよっ!」
俺たちの表情を見て、芳しくない結果を察したのだろう。
堪らず、玲衣が癇癪を起こしたように声を上げた。
「玲衣ちゃん、ちょっと落ち着こうよ」
綾が玲衣を宥めようとするが、むしろ逆効果だったようだ。玲衣は怒りの矛先を綾へと向けると、キッと睨み付けた。
「これが落ち着いていられる!? っていうか何で綾はそんなに落ち着いてるのよっ」
「私たちが焦っていても仕方のないことだよ」
「それはそうだけどっ!」
「星条会長と秋弥さんも一生懸命聖奈さんのことを探してくれているよ。だから、ね。落ち着いて冷静になろうよ」
本当ならば綾も気が気ではないはずだろうが、感情を表面に出しやすい玲衣が代弁者となってくれていることで、自分の感情を抑制しているのだろう。
「うぅ〜……落ち着いても、冷静になっても、どうにもならないじゃない……」
「それは……」
「それに、イマドキ電波が通じないところって何処よ? こんなの絶対におかしいよ」
「……電波が通じない?」
俺は玲衣の言葉を拾い上げて繰り返した。
「二人とも、天河に電話をしようとしたら、どんなアナウンスが流れたんだ?」
「え? んと……電源が切られているか、とか、電波の通らない場所にいるか、とかだよ」
「会長も、同じですか?」
「えぇ。それがどうかしたの?」
思い出してみれば、俺は天河がいなくなったと訊いてから、本人と連絡を取ろうとはしていなかった。だから、天河と連絡が取れないという状況がなぜ発生しているのかを全く知らなかったのだ。
「もしかしたら天河の行方が……否、『神隠し』の正体がわかったかもしれません」
三人の視線が俺へと向けられている中、俺は現在の状況から、ある一つの推論を導き出した。
「その答えはきっと、此処にあります」
そして俺は、己の足下を指差した。
そこには、先ほどもう一つの路地でも見た、錆びたマンホールの蓋があった。
2013/01/05 可読性向上と誤記修正対応を実施




