第36話「2053/08/21 14:21:00 九槻秋弥」
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「——秋弥様ぁ」
俺の呼び声に応じて、一輪の彼岸花が鮮やかな紅い花びらを舞い散らせながら、甘えるような猫撫で声とともに顕現した。
真紅のワンピースをふわりと靡かせたリコリスは、顕現すると同時に、その細い両腕を俺の身体に回して抱きついてきた。
「リコリス……、暑いから離れてくれないか」
小さな身体を押しつけてくるリコリスに、俺は呻くように言った。
いくら空調の効いた室内とはいえ、今の季節は夏だ。抱きつかれ続けるのはさすがに堪える。
「イヤっ」
だが、リコリスは俺の言うことを聞いてくれなかった。
むしろ嬉しそうに、より一層俺に身体をくっつけたのだ。
……暑い。
「えっと、秋弥君?」
星条会長の声がした。
げんなりしたまま、俺はそちらに眼を向ける。
星条会長は可哀想なものを見るような、哀れむような視線を俺に向けていた。
「あー……」
俺がこの現状を何と言い訳したものかと考えあぐねていると、星条会長の方から先に口を開いた。
「とりあえず、そのままで話をすれば良いのかしら?」
「……はい」
俺はどうにか、その言葉だけを絞りだした。
リコリスの細腕を身体に巻き付けたまま、俺たちはソファに座り直した星条会長と向かい合った。
「……これで二度目になるのかしらね、隣神リコリス。私から貴女に、いくつか質問をしても良いかしら?」
「人間と話すことなんて何もないわ」
先ほどの猫撫で声とは打って変わって、刺すような口調でリコリスが応じる。
だが、俺がリコリスの小さな頭を掌でぽんぽんと軽く叩くと、リコリスは上目遣いで俺の顔を見つめてから、若干不服そうな表情で星条会長に視線を戻した。
「……何よ。先に言っておくけど、答えたくない質問には何も言わないからね」
「えぇ、それで良いわ。まず一つ目、貴女は隣神なのよね?」
「……そうよ」
「二つ、あの紅い装具…『紅のレーヴァテイン』と言ったかしら? あの装具は貴女の装具で間違いないのよね?」
「そうよ」
「三つ、秋弥君に呼ばれなくても顕現できるの?」
「当たり前じゃない」
「貴女は私たちの敵? 味方?」
「秋弥様の味方よ」
どちらとも取れるような回答だが、幸いなことに星条会長はあまり気に留めなかったようだ。
俺は黙って、二人の質疑応答を見守った。
「——貴女は普段、お家で何をしているの?」
「……」
「秋弥君のお姉さん、月姫とは話をしたことはある?」
「当然じゃない」
「それなら、秋弥君のご両親に会ったことは?」
「……」
「人前に姿を現したのは、装具選定が初めて?」
「……」
「異能型の装具の特性は?」
「人間如きに教えるわけがないでしょう」
「秋弥君のことは好き?」
「大好きに決まっているじゃない!」
「装具がなくても、封術は使える?」
「……」
「学園に通ってみたい?」
「秋弥様と一緒にいられるなら何でも良いわ」
「人間のことは好き?」
「秋弥様のことは大好きよ」
「それは肯定と受け取れば良いのかしら?」
「好きにすれば良いわ」
「『星鳥の系譜』と呼ばれる人たちについて、どう思う?」
「人間の事情なんて知らないわよ」
「貴女の元々いた異層世界はどんなところ?」
「……」
「貴女の名前、彼岸花は誰が名付けたものなの?」
「……」
「ありがとう。質問は以上よ」
「あの、会長。こんな質問で何かわかったんですか?」
端で訊いていた限りでは、星条会長がリコリスに意味のある問いかけをしていたようには見えず、俺はついそう尋ねていた。しかし会長は、
「えぇ、十分に理解できたわ。以前にスフィアが秋弥君にした問いかけとの矛盾点も見られなかったし、理由は見当も付かないけれど、隣神リコリスの中には何よりも一番大切な想いがしっかりと根付いているようだから、きっとそれが揺らぐことはないでしょうしね」
俺には皆目見当も付かなかったが、会長は自分にだけ理解できる何かを、リコリスとの短い質疑応答の中に見出したようだった。
「秋弥様ぁ、ご褒美に頭なでなでして〜」
これはまあ、ご愛敬ということで。
俺は絹糸のように柔らかくて光沢のある金の髪をそっと撫でた。リコリスは会長の質問に答えていたときの不機嫌そうな表情から一転、瞳を弓なりに細めて、心底気持ち良さそうな表情を俺に向けた。
会長が何か言いたげに半眼でこちらを見詰めていたが、結局何も言わずに、いやに重い溜息を吐き出したのだった。
「……私からの話は以上なのだけれど、ついでに秋弥君たちの現状についても少し話しておくわね」
そして、溜息によってこれまでの話を打ち切ると、話題を別に移した。
「……高位隣神リコリスの待遇については今のところはまだ議論中よ。袋環教諭はできる限り早期に結論を出すとは仰っていたけれど、クラス1stの高位隣神についてのことだから、そう簡単に議論が決着するとは思えないわ。楽観的に見ても、四校統一大会前までに話がまとまるとは思えないわね」
俺はただ黙って、星条会長の言葉に耳を傾けていた。
「そうなると必然、学園側にとっては要注意人物として見なされている貴方を今年の四校統一大会の出場選手に選ぶことはできないという結論に至ったわ。それに今はまだ、学園の中でさえも隣神リコリスの存在を公にすることはできないわ。秋弥君にとっては不本意かもしれないけれどね」
俺は会長の口から、自分が今年の四校統一大会の出場選手候補だったと聞かされても、別段驚きはしなかった。
封術の世界に、年功序列という制度はない。
力あるものが選ばれ、力無いものが蹴落とされるだけなのだ。
だが、何事にも例外は存在する。俺自身にどれだけ強い力があろうとも、人々にとっては脅威である隣神という異層の存在を呼び出せる俺を、衆目に晒すわけにはいかないのだろう。
今は鷹津封術学園の封術教師たちだけで議論をしているようだが、そこでまとめた内容は各校の封術教師たちも集まる四校統一大会の場にまで持ち越されることだろう。
俺は四校統一大会に出場したいとは思わなかったが、技術的な理由ではないところで出られないと断言されてしまうと、少しだけ残念な気もした。
というのも、俺は過去に三回だけ、四校統一大会を観戦したことがある。
三回——。
その三回はすべて俺の姉——九槻月姫が出場した大会だ。
四校統一大会は年に一度、十月末に七日間かけて行われる行事だ。
姉さんは特出した封術の才能と技術によって、一年生の頃から三年連続で四校統一大会に出場している。
そして、出場したすべての種目で優勝しているのである。
俺は、姉さんが立っていた舞台と同じ場所に、同じ年齢で立つことのできる機会が永遠になくなってしまったことに対して、少しだけ残念に思えたのだ。
ちなみに星条会長もまた、姉さんと同じように一年生の頃からずっと大会に出場しているのだが、俺は会長の活躍をほとんど覚えていなかった。俺が会長の名前と名声を知っていたのは、星条会長が『星鳥の系譜』序列第一位の星条家直系の一人だからという、ただそれだけの理由だった。
「だから、秋弥君たちには不自由をかけるけれど、もうしばらくはこのままでいてね」
「はい、俺はそれで構いません。リコリスも、それで良いよな?」
頷きつつ、俺はリコリスへと視線を向けた。
「うん。リコリスは秋弥様と一緒にいられるなら何でも良いから」
むぎゅ〜っと、俺の身体を抱き締める腕に力を込めるリコリス。
俺はぬいぐるみじゃないんだぞ。
「……ちょっと秋弥君、さすがにそれは犯罪的だと思うのだけれど」
ああ、会長の視線が痛い!
「ところで、人間」
と、リコリスは力をわずかに緩めて、真紅の双眸で星条会長を睨み付けた。
会長に対しては相変わらずの、鋭く刺すような口調だ。
「……それはひょっとして私のことかしら?」
星条会長が小首を傾げながら、リコリスに視線を移す。
「貴女以外に誰がいるのよ。人間といえば貴女でしょう」
「秋弥君も私と同じ人間なのだけれど」
「何言ってるのかしらね、人間。秋弥様は秋弥様よ」
当然のようにリコリスは言うが、それでは答えになっていなかった。
「……はあ、それじゃあもう私は人間で良いわよ。で、何か用かしら、隣神リコリス」
根負けしたと言えば聞こえは悪いが、星条会長の方が大人の対応で一歩引いただけのことだった。
「人間、リコリスのことを隣神リコリスと呼ぶのは止めなさい」
リコリスがムスッとした態度のままで言う。
俺はというと、下手に口を挟もうとはせず、ただじっとしていた。
「それじゃあ何と呼べば良いのかしら? ……リコリスちゃん?」
「ちゃん付けするな!」
「なら私も、秋弥君と同じように貴女のことをリコリスと呼ぶわね」
「そう、それでいいのよ。最初からそうしなさいよね」
「貴女は、自分のことを隣神と呼ばれるのが嫌いのようね」
「当たり前よ」
星条会長を睨め付けるリコリスだったが、容姿が幼すぎて些か迫力に欠けていた。
「貴女は『隣神』と呼ばれるのが嫌い。それなのに私のことは『人間』と呼ぶのね」
「それが何だって言うのよ」
「私も『人間』と呼ばれるのは嫌いなの。できれば別の呼び方をしてくれないかな?」
「……」
不機嫌な表情で黙り込むリコリス。
どうやらリコリスにも、少し思うところがあったらしい。
これはひょっとしたら良い傾向なのかもしれないと、俺は思った。
リコリスと俺が初めて出会ったあの日から、俺はリコリスの存在をひた隠しにしてきた。これまでリコリスのことを知っていたのは姉さんと母さんだけで、リコリスが俺たち以外の他人と接する機会は全く無かったのだった。
だからせめて、リコリスのことを知っている人とは仲良くしてほしいと、俺は内心で願っていた。
そして、俺のその願いが通じたのだろうか。やがてリコリスは眉根を中心に寄せながら、顎を持ち上げてやや上から目線気味に星条会長を見ながら言った。
「人間、貴女の名前は何というのかしら?」
「星条悠紀よ」
「それならリコリスは貴女のことを悠紀と呼ぶわ。喜びなさい、悠紀」
瞬間、俺は軽い目眩がした。
嫌いと言われたから呼び方を変えた、だから喜べ、とは傲慢にもほどがある。
俺はリコリスを窘めようとして口を開きかけた。
しかしそれよりも少しだけ早く、星条会長の凛とした声が飛んできた。
「うん、それで良いわよ。良い子ね、リコリス」
子供をあやすような穏やかな口調の星条会長に、俺は出かかっていた言葉をぐっと呑み込んだ。
リコリスも意外そうに真紅の瞳を丸くしていたが、ハッとして我に返ると、腕を組んで鼻を鳴らした。
「ふん、当たり前じゃない」
口では強がっているものの、内心では会長に褒められて嬉しそうだった。
容姿は十歳前後のリコリスだが、精神年齢は遙かに高いはずなのだが——。
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人目につかなければ、リコリスが顕現していても問題にはならない。
だが、俺に抱きついたまま何故だか星条会長を威嚇しているリコリスと、ニコニコとした笑顔の裏に邪悪な感情を渦巻かせている星条会長に挟まれては、自治会の仕事も手に付かないというものだ。
というより、何故二脚ある三人掛けソファの片側に、三人が掛けているのか。
一旦は正面に座り直したはずの会長が再び俺の隣に腰掛けていることについて苦言を呈したい俺だったが、会長に理論武装ができるだけの余地がいくらでも残されていたため、言うだけ無駄だろうと思って諦めた。
そんなときだった。
自治会室に来訪者を示す電子音が鳴り響いた。
こそこそしているようで良い気はしないが、今はまだ、リコリスの姿を第三者に見られるわけにはいかない。
俺がそう言おうとしてリコリスに視線を向けると、リコリスはアイコンタクトだけでそれに応じた。
淡い紅の花弁を舞い散らせながら、リコリスは顕現したときと同じように現層世界から姿を消した。
星条会長はそれを見送ってから、手元のデバイスを操作して入室許可を出した。
「どうぞ」
自動的に開いた扉の前に立っていたのは、俺の見知った人物だった。
「なんだ、九槻。今日はお前が来ていたのか」
夏期休暇中で本棟に学生がほとんどいないからだろうか。ツイード調のカットソーにシックなタックパンツ姿の袋環教諭が、ソファに腰掛けて顔だけを向けていた俺を見て言った。
「夏期休暇中だというのに自治会の仕事に勤しむとは、ご苦労なことだ。しかしその方が、都合が良い」
「どうかされたのですか?」
ソファから腰を上げた星条会長は、執務机の前まで移動した。
応対は星条会長に任せるべきだろう。俺はデバイスからアプリケーションを立ち上げて詳録を行うための準備を始めた。
「今日は星条と九槻の二人だけか?」
星条会長の近くまで寄った袋環が室内の様子を確かめながら言う。
「ええ、自治会の役員であっても休暇期間中くらいは皆さんと同じようにお休みしますよ」
昨夜の電話のことなどまるで意に介した風もなく、いけしゃあしゃあと星条会長が言う。
「まあそうだな……。だが今日に限って言えば、役員が二人も登校していたのはじつに都合が良い」
もう一度、袋環は言った。
複数人を強調するような物言いが示していることは、ただ一つしか考えられない。
「君たち自治会役員に、学園側からの依頼だ」
課外活動だ。
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俺と星条会長のデバイスに仕事の資料が転送される。
数キロバイト分の文書データ転送が一瞬のうちに完了すると、俺はダイアログに従ってデータを開いた。
「今回の依頼の内容は『神隠し』と呼ばれる現象についてだ」
袋環教諭が課外活動の概要説明を始めた。俺は教諭の言葉に耳を傾けながら、視線で文書データの文面を追った。
「最近、神来駅周辺で人が失踪するという事件が発生している。警察が捜索願を受け取っているのは現在までに三名だが、実際には先月に四人、今月に入って三人の計七人が誰にも何も告げずに行方を眩ませている」
「捜索願の届けがあった三名というのは?」
言葉が途切れた瞬間を見計らって、星条会長が尋ねる。
「全員、この辺りの学校に通う中高生だ。警察はその共通点を基に調査を進めているようだが、実際に失踪している七名は年齢も性別も様々で、これといった共通点はない」
二ページ目の資料を見てほしい、と袋環教諭は言った。
ページを切り替えると、神来駅を中心とした地図が表示された。地図上には七つの赤い点がマーキングされていた。
「これらは失踪した人々が最後に目撃された場所だ。失踪者の容姿同様、共通点は見られない——神来駅周辺という点を除いて、な」
神来駅の周辺は第六新都市開発計画によって目覚ましい発展を続けている。そのため、周辺道路の区画整理も積極的に勧められてはいるが、旧市街と新市街がない交ぜになっている現状では、複雑で入り組んだ道が多く見られていた。
「いや、もう一つ共通点があるとすれば、失踪したと思われる場所はいずれも人目に付き辛い路地だったということくらいか。我々も直接現地に赴いてはいないが、それくらいのことは地図上からでも確認することはできる」
「それでは、これが隣神の仕業だとする根拠は、いったい何なのでしょうか?」
封術が関係する事件でなければ学園に——俺たちのところに依頼は来ない。通常の事件であれば、それは警察機関が受け持つべき領分だ。
「失踪者の中に封術師がいるからだ」
俺と星条会長は揃ってウィンドウから顔を上げて、袋環教諭を見た。
「知ってのとおり、ライセンス持ちの封術師は一般社会においても封術の行使が可能だ」
袋環教諭は俺たちの顔を順に見回してから、険しい表情で言った。
「封術師は闇討ちでも受けない限り、一般人に遅れを取るようなことはない。それが多少、手傷を負っていたとしてもだ」
「ですが袋環先生。先生の仰るとおり、封術師の方が闇討ちにあったという可能性もあるのではないのですか?」
「星条の言うとおりだ。まだ断定はできない。だからこそ、今回の依頼は隣神の討滅が目的ではない」
俺は視線を文書データの一ページ目へと戻した。タイトル、背景と概要に続いて、依頼の目的が書かれている。
「依頼内容は『神隠し』の実態の調査だ。そして、隣神もしくは悪意を持った封術師の仕業であると断定できた時点で、これの対処に当たってほしい。ただし、これが一般人の仕業であるという証拠を掴んだ場合には、すぐに調査を止めて学園に連絡をするんだ」
「承知しました」「わかりました」
俺と星条会長は同時に応じる。
それは部屋の中に籠もって自治会の机仕事を続けているよりも、ずっとマシな仕事だった。
2013/01/05 可読性向上と誤記修正対応を実施