第31話「2053/08/21 11:23:00 天河聖奈」
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冷房の効いた店内に入ると、玲衣さんは真っ先にお目当ての靴を手に取りました。
どうやらここに来る前から、買う靴を決めていたようです。
そして、早々にわたしの靴選びが始まります。
玲衣さんはわたしの服装を注意深く眺め、足のサイズを確認してから、わたしに合う靴を探しに行きました。
綾さんは綾さんで、店内に入った途端、綺麗に飾られたたくさんの靴に目を奪われていました。たまに手に取っては、椅子に腰を下ろして靴を履いてみたりしています。
「これはどうかな?」
と、玲衣さんが選んだ靴を持って戻ってきました。
低いヒールのパンプスです。
わたしは近くの椅子に座って、玲衣さんが持ってきてくれたパンプスを履いてみました。
「うぅん……聖奈の場合は全体的な印象が『ブーツが似合いそうな感じ』なんだよねー」
玲衣さんは唸りながらしゃがみ込んで、パンプスをわたしから脱がします。
「第一印象の問題かなぁ……。それともやっぱり、聖奈の服装なのかなぁ」
それしか持っていないというのもありますが、わたしは普段からブーツを履いているので、洋服選びは必然的にブーツに合うものを選んでいます。コーディネートは一部分ではなく全体のバランスなので、それも仕方のないことなのかもしれません。
「パンプス系はダメダメだね。いっそ洋服も合うものを選んじゃうという手もあるけど……うぅん、別の探してくるねっ!」
パンプスを持って再び玲衣さんが店の奥へと入っていきます。わたしは脱いだブーツを履き直さず、座ったまま店内を眺めました。
ビジネスシューズやスニーカー、パンプス、ブーツ、子供用シューズなどなど。サイズや色も様々な靴が並ぶ光景は圧巻です。聖條女学院にいた頃は数か月に一度、学院専属の業者がやって来て靴や洋服を見立ててくれるのですが、わたし一人で靴を選ぼうと思ったら、あれもこれもと目移りしてしまって、いつまで経っても選べなかったかもしれません。
しばらく座ったままで見える範囲の店内を眺めていると、今度は綾さんが戻ってきました。
手には、二足のスリッパを持っています。
「これなんてどうかな?」
水玉模様をベースに睡蓮のブローチをあしらったスリッパが色違いで二足。
何故綾さんが二足のスリッパを持ってきたかは、わざわざ問うまでもなく——。
「私、一目でこれが気に入っちゃって。色違いでお揃いなんだけど……」
それはわたしが店内を眺めているときに、綾さんが気になっていた様子で何度も眼を向けていたスリッパだったからです。
尻すぼみして最後は消え入りそうな声で訊ねる綾さんに、わたしは微笑みました。
「ありがとうございます。綾さんとお揃いなんて、嬉しいです」
と言うと、綾さんは顔を赤らめてスリッパを持った手で顔を覆い隠しました。
「おぉー、センスが良いねっ! あたしも家で履くスリッパを同じのにしようかなっ」
別の靴を持って戻ってきた玲衣さんが、ひょっこりと顔を覗かせながら言いました。
「いろんな色のスリッパがあったから、玲衣ちゃんもきっと気に入るのがあると思うよ。良い靴は見つかった?」
玲衣さん手に持っている靴の方に視線を向けながら、綾さんが言います。
「うん、これならきっと聖奈に似合うと思うな!」
と言ってわたしに差し出した靴は、ブラウンの……これは、サンダルでしょうか。
サンダルといってもビーチサンダルのような類いではなく——ふくらはぎの辺りまでを覆うのは多重のクロスストラップで、踵部分は先の尖ったピンヒールになっていました。
「とりあえず履いてみてよ!」
玲衣さんが見つけてきた靴は足の全面を生地で覆うタイプではないので——ブーツではなく、サンダルだと判断したのはそのためです——わたしはブーツの下に履いていた短めの靴下も脱いでから、それに足を通します。
今回は自信があったのでしょう。玲衣さんは靴を左右とも持ってきてくれましたので、わたしは反対の足に履いていたままだったブーツと靴下も脱いで、同じように足を通します。
靴紐や留め具はありませんが、ブーツのようなバックファスナーが付いていたので、わたしはファスナーを閉めて足首を固定しました。通気性の良いデザインの靴なので、足に冷房の風が当たってひんやりと気持ち良いです。
わたしは立ち上がって、姿見の前で自分の姿を確かめます。
フレアスカートの先から覗くわたしの足は、靴ひとつ変わっただけで印象がずいぶんと変わりました。
ブーツに似たデザインでありながらも清涼感のあるそのサンダルは、すっきりとしたピンヒールも相まって全体で夏のらしさが表現されていました。夏に着る洋服はどれも薄い生地なので、ブーツの種類によってはゴテゴテとしてしまうこともあったのですが、このサンダルであればわたしの持ち合わせている夏用の洋服とも合うように思えました。
その場でくるりと一回転してみたくなります——もちろんしませんでしたが。
「わっ、聖奈さんそれ、すごく似合ってる」
「これは……自分で選んでおきながら予想以上だったね」
二人が姿見の左右から顔を覗かせて、絶賛しました。
「あたしじゃこうもいかないなぁ……、聖奈だからきっと似合うんだよね」
「私も、そう思う」
「そんなことありませんよ。お二人にも似合います!」
わたしはそう言うのですが、玲衣さんも綾さんも、苦笑いでした。
「いや……、さすがにこれは、比べられちゃうと切なくなるかも」
「スカートで隠れて見えないのに、聖奈さんの脚が長くて綺麗なのが想像できるよね……」
二人から手放しに絶賛されて悪い気はしなかったので——むしろわたしは自己評価も含めてこのサンダルを気に入ってしまいましたので——一生懸命わたしのために選んでくれた玲衣さんにお礼を言いました。
わたしはサンダルをブーツに履き替えてから、近くにいた店員さんに綾さんの選んでくれたスリッパと、玲衣さんの選んでくれたサンダルを購入する旨を伝えました。店員さんがポケットから取り出した会計用端末にわたしの端末を近付けて、自動引き落とし機能を用いて手早く会計を済ませます。購入した靴の配送希望日を訊かれましたので、翌日を指定しました。
玲衣さんと綾さんの会計を待ちます。
「結構時間使っちゃったね。おなかも空いてきたし、そろそろお昼にしよっか」
わたしと綾さんが玲衣さんと合流してから、もう一時間以上が経過していました。
楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまいます。
わたしたちは何を食べようかというような話をしながら、レストランフロアのある七階へと向かうことにしました。
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お店の前で少しだけ順番待ちをしてから、店員に名前を呼ばれたわたしたちはテーブルまで案内されて、席につきました。
「まとめて入力しちゃうから、決まったら言ってね」
このお店では各テーブルに用意されたローカル通信専用の端末を使ってオーダーを行うシステムのようです。
わたしたちはテーブルの上に広げられたメニューから食べたいものを選びました。玲衣さんが一括で入力して注文確定をすると、しばらくして料理が運ばれてきました。
わたしたちは声を揃えて「いただきます」を言うと、早速料理に舌鼓を打ちました。
ちなみに、選んだ料理のジャンルはフレンチです。これは綾さん案で、こう思っては失礼なことなのですが、綾さんは和食よりも洋食がお好きなようです。
「聖奈と綾は、夏休みの間どうしてるの?」
わたしがナイフとフォークを使って人参のグラッセを一口サイズに切り分けていると、玲衣さんがパスタを嚥下してから尋ねました。
「先週のお盆は実家に帰っていたけど、それ以外はだいたい寮にいるか、訓練棟で封術の練習をしてるかなあ」
「そっか。綾の実家って、確か京都にあるんだっけ?」
「うん」
「そうだよね。……前から訊いてみたかったことなんだけど、何で綾は烏丸封術学園じゃなくて鷹津封術学園に入学したのかな?」
玲衣さんの質問に、わたしも、そういえば、と思いました。
烏丸封術学園は兵庫県南部に建造された学校で、西日本エリアで暮らす多くの封術師見習いたちが通う封術の高等専門学校です。
綾さんの実家——朱鷺戸家のある京都からもそう遠くはありません。少なくとも、現在わたしたちの通う東京都西部の鷹津封術学園や、新潟県中部の鶺鴒封術学園よりは。
すると綾さんは、やや困ったような、それと同時に、少し恥ずかしげな表情で言いました。
「鷹津封術学園を選んだのは、私の意思じゃないんだ。お母さ……宮司様が、東日本側の封術を学べる良い機会だからって、そう言ったから」
途端、玲衣さんが不快そうに表情を歪めました。
そして憤りを隠そうともせず、眉を釣り上げました。
「はぁ!? 何それ! 良いように使われてるだけじゃん!」
わたしも内心では似たようなことを思いましたが、家庭の事情に他人が首を突っ込むべきではないとも思いました。
だからわたしは黙っていました。
「そうだね。そうかもしれない」
「そうかもじゃなくて、間違いなくそうだよ!」
「でもね、玲衣ちゃん」
そこで綾さんは困ったような表情から一点、穏やかな水面を連想させる微笑みを浮かべると、
「そのおかげで、こうして玲衣ちゃんとも出会えたし、聖奈さんとも出会えたんだから」
それが結果論であることは、誰が訊いても明らかです。ですがその言葉を訊いた瞬間、玲衣さんはまるで憑き物が落ちたように沈黙しました。
見ると、綾さんの視線も遠くを見詰めているようで、以前に別の誰かに言われた言葉を繰り返したことで、そのときの事を思い出して懐かしんでいるようでした。
「……そうだよね。うん、そうだよ。宮司様? には、むしろ感謝しなきゃだねっ!」
玲衣さんがコクコクと頷きました。それから、「ちょっと雰囲気悪くしちゃったね、ごめん」と両手を合わせてわたしたちに謝りました。
「えっと、何の話をしてたんだっけ? ……そうだ、聖奈は何か他に、夏休みの予定とかってあるの?」
「わたしはずっと寮にいると思います。学生自治会のお仕事もありますし、綾さんと一緒に封術の練習をする約束もしていますので」
わたしは綾さんとアイコンタクトを交わします。
ところで、わたしの所属している学生自治会が行っている『課外活動』のことは二人には話していません。星条会長とスフィア会長からも口止めされていますし、そうでなくても、わたしはたぶん、二人に余計な心配を掛けたくはなかったので、何も言わなかったでしょう。
ただ、『星鳥の系譜』に連なる家系の綾さんは『課外活動』のことを知っているかもしれません。
自治会のお仕事でわたしが夜遅くに戻ってきても——聖條女学院では門限という制度が必要無いほど厳密に管理されていましたが、封術学園の門限はそこまで厳しくはありません——綾さんは一言労いの言葉を掛けてくれるだけで、そういった話をしようとはしないのです。
事情を知った上で何も言わないのだと、私は勝手に思っているのですが——。
「ふぅん……綾みたいに実家とかには帰らないんだ?」
「はい。聖條女学院にいた頃も休暇中はずっと学院か寮にいましたし、その予定はありませんね」
わたしは普通に受け答えをしたつもりでしたが、玲衣さんと綾さんは何故か浮かない表情を見せました。
わたしの言葉から、何かを察したのでしょうか。
長期休暇で実家に帰らないということは、別段珍しい話でもないとは思います。
わたしの帰る家が、とても遠いところにあるというだけの話なのですから。
それでも、先ほどより空気が重くなってしまったのは、間違いなくわたしの言葉が原因のようです。ですので、わたしはそんな空気を変えるべく、玲衣さんに訊ね返しました。
「玲衣さんは夏休みにご家族とお出かけになられたりはしないのですか?」
「あたし? んー……今年は何処にも行かないかなあ。何か、『今年は四校統一大会を見に行くんだ』って言ってたから、それが旅行代わりになると思う」
玲衣さんはお父様(?)の物真似をしながら答えました。
「まあ、一年生のあたしが統一大会に出るわけでもないんだけどね」
「そういえば、四校統一大会の選考ってもう始まってるの?」
「先生方は毎日集まって選考会議をしているようです。自治会の役員も大会の準備を始めていますよ」
「そうなんだ。だから最近は帰りが遅いんだね」
「シュウ君も毎日忙しそうだもんね。本当は早く帰りたいと思ってるはずなのに」
玲衣さんはわたしが知らない九槻秋弥さんの事情をたくさん知っているようで、彼の話をするときはいつも楽しそうです。
「デバイスがあるのでご自宅でできるお仕事もたくさんあるのですが。九槻さんは星条会長とスフィア会長から、よく呼び出されていますよね」
と、わたしが事実だけを伝えると、
「会長たちにからかわれているだけだよっ!」
「会長たちに気に入られているんだね」
二人がそれぞれに言いました。
捉え方の違いこそありますが、わたしの見ている限りでは、そのどちらも正しいのだと思いました。
2013/01/05 可読性向上と誤記修正対応を実施