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封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第1章「封術師編」
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第2話「月姫の憂鬱」

★☆★☆★



 放課後、秋弥はクラスメイトと親睦を深めるという理由の玲衣たち(綾は彼女に付き合っていただけだが)と教室で別れることにした。

 学園に残っていても特にすることはない。入学式は始業式に先んじて行われるので、上級生たちも今日は学校には来ていない。上級生の中に会いたい人がいるわけでもない秋弥にとっては、どうでもいいことだった。ただ、学園内の喫茶店や図書館といった施設も今日は開いていないので、寄り道する場所もなく、秋弥は学園を出ると真っ直ぐ家へと帰った。


 バイオメトリクス認証を済ませて、玄関を開ける。ただいま、と言おうとしたところで玄関口に見慣れた藁草履があることに気付いた。

 二十一世紀も折り返した時代に藁草履でこの家を尋ねて来るような客に心当たりがあるとすれば、一人しか思い至らなかった。

 靴を脱いで玄関を上がる。

 自室で学園の制服から部屋着に着替える前に、ダイニングへと向かった。

 ドアに手をかけて開くと同時に、秋弥は「ただいま」と言い直す。


「おかえりなさい、秋弥」

「おかえり、秋弥君」


 すると、二つの声が同時に返ってきた。

 一方は鈴の音のような月姫の声。

 もう一方は張りのある男性の声。年を経て目尻に皺の寄った顔を秋弥の方に向けた壮年の男だ。


「ただいま。それと、こんにちは、浅間さん」


 狩衣に白袴という常装に身を包んだ壮年の男——浅間総一郎(あさま そういちろう)に視線を向ける。


「こんにちは。あぁそうか、今日は入学式だから終わるのが早かったんだね」


 総一郎は見た目通りの神職者で、神来町の郊外に位置する浅間神社の神主を務めている。

 神職者や聖職者は世界多重層構造理論が提唱される以前から異層認識力(オラクル)を用いた祭儀や神託によって、異層に住まうこの世ならざるもの——隣神と戦い続けており、現代においては神職者と封術師はほぼ同義とされていた。

 総一郎もまた、浅間神社の神主であると同時に封術師——特に調律師(ちょうりつし)と呼ばれる者の一人である。


「ちょうど、月姫さんから君の話を聞いていたところだったんだよ。鷹津封術学園の新入生総代なんて凄いじゃないか! まあだけど、それも当たり前といえば当たり前なのかな」


 二人の顔を交互に見比べて、総一郎は納得したように大きく頷いた。


「喉が渇いたでしょう? 何か飲み物を取ってきますね」


 秋弥が椅子に腰を下ろすと、入れ替わるように月姫が席を立った。


「浅間さんも、何かお持ちしましょうか?」

「いや、私は構わないよ。それほど長居するつもりもないからね」


 月姫の申し出を総一郎がやんわりと手で制する。ニコリと微笑んでからキッチンへと向かった姉から総一郎へと視線を戻すと、彼は両手の指をテーブルの上で組み直した。


「……だけど、ようやくこれで秋弥君も本格的に封術師を目指すことになるんだね。どうだい、もう友達はできたかい?」

「どうですかね。初日なんでまだ何とも。だけど、知り合いと同じクラスになりましたし、話が合いそうなヤツもいましたよ」

 それを聞いた総一郎は微笑みを浮かべた。

 父親がいたらこんな感じなのかもしれないなと思い、秋弥はすぐに内心でかぶりを振った。

 ないものねだりにすら値しない、余計な感傷だ。


「うんうん、やっぱり若者の本分は人間関係と自己の感情を育むことにあると私は思うよ。良い友人や良い好敵手(ライバル)に恵まれた環境で過ごす学生時代というものは、かけがえのないものだからね」


 昔を懐かしむように遠い眼をした総一郎は、途端にハッとなって我に返った。


「いやはや……少し説教臭くなってしまったかな。年を取ると昔を懐かしくなってしまっていけないな。私もおじさんなんで、その辺りは大目に見てくれるかい?」

「いえ、参考になりますよ」

「はは、ありがとう。うちの娘も秋弥君みたいに素直になってほしいんだけどね……。って今度は愚痴になってしまったかな」


 神職者の言葉が説教臭い物言いに聞こえてしまうのは、職業病なのかもしれない。


「そうそう、うちの娘と言えば……。娘も昨日から中学三年生になったのだけどね。来年から封術学園に通うために、今から受験勉強を始めているよ。私の家系的に適正試験は問題無いと思うのだけれど、一般教養試験の方がどうにも苦手なようなんだ。そこで秋弥君。ものは相談なのだけれど、時間の空いているときで構わないから、娘の勉強を見てやってはくれないだろうか?」

「私で良ければいつでも構いませんよ」


 と、コーヒーを淹れて戻ってきた月姫が話に割って入った。

 総一郎は月姫がいつ戻ってきたのかわからなかったようで、軽く眼を見張った後に少し困ったような表情をした


「えぇと、私は秋弥君にだね——」

「秋弥よりも私の方が、時間的に余裕があります。それに、この家にお越しいただければ、いつでもお勉強を見て差し上げられますわ」


 総一郎の言葉を遮ると、月姫は理詰めで一気にまくし立てた。表情は相変わらず穏やかだが、紡がれる言葉の端々から総一郎に対する棘のようなものが感じられた気がした。


「そ、そうだね……。それじゃあ今度、時間のあるときに娘をお邪魔させてもらっても良いかな?」


 総一郎もまた、秋弥と同じものを感じ取ったのだろう。

 二回りほども年の離れた少女に気圧されたように、彼は首を縦に振った。


「えぇもちろん。歓迎いたしますわ」

「う、うん。娘も喜ぶと思うよ。……ふぅ」

「……それはそうと、今日は何の用があって来られたんですか。まさか俺の入学を祝うため、とは言わないでしょうね?」

「おぉっと、そうだった」


 この話題をこれ以上続けると月姫の機嫌が悪くなるように思えたので、秋弥は強引な話題転換を試みた。大仰に眼を見開いた総一郎も彼の話題転換に我が意を得たりとばかりに乗ってくる。

 知らず知らずのうちに額に浮かんでいた冷や汗をハンカチで拭ってから、総一郎は言葉を繋げた。


「今日来たのは他でもない。先週、秋弥君に手伝ってもらった封術の仕事が落ち着いたから、それの事後報告をしようと思ってね。あぁっと……もちろん君の入学祝いも兼ねて、という意味だよ」

「そうでしたか。わざわざありがとうございます」

「こちらこそ、いつも助かっているよ。うちの家系にも一人くらいは秋弥君のように封魔術に優れた者がいてくれれば良いんだけどね」


 総一郎が小さく溜息を吐いて、肩を落とした。後半の台詞は彼の独り言だとわかっているので、秋弥は曖昧な笑みを返す。


「浅間さんの干渉力があれば、俺程度の力なんて借りなくても一人で何とかできたと思いますよ」

「いいや、そんなことはないよ。全くない。私が安心して調律術を行えるのは、君が護ってくれると信じているからさ」


 封術師が用いる事象を改変する技術——封術は、大きく二種類に分けられる。


 『封魔術(ふうまじゅつ)』と『調律術(ちょうりつじゅつ)』だ。


 封魔術とは、世界の理を変える力や技術を指す。

 たとえばそれは原質(メディオン)を操作して大気中から炎や水を作り出す技術や、『この世ならざるもの』に対抗し得る干渉力などがこれに含まれる。


 調律術とは、世界の理を正す力や技術を指す。

 世界多重層構造理論により証明された異層世界が現層世界に干渉している状態を元に戻すための力や、同位相体への憑依浄化技術がこれに該当する。


 調律術は非常に強力な術式なのだが、反面、術式を発動中の術者は外敵に対して完全な無防備状態となってしまう。この欠点を補うため、調律を専門に行う封術師——調律師と、外敵の排除を専門とする封術師——封魔師はツーマンセルを組むのが一般的とされている。


「あそこは振域(しんいき)レベル三まで達していた領域だからね。調律にかかる時間と、それに比例して高まる危険性を考えたら、秋弥君以上の適任者はいなかったよ」


 浅間の家系は代々、祝詞や祈祷によって人や土地の浄化を行うことを得意としていた。これは現代の封術に当てはめると調律術に該当する。

 先週の中頃、秋弥は春休みということもあって総一郎が行う調律の護衛役として、彼の仕事に同行したことがあった。

 国に認められた公式の封術師である総一郎と違い、秋弥のように国家封術師資格を持たない者は、政府によって決められた場——たとえば封術学園内——以外での、封術の私的利用を禁じられている。しかし、一人以上の国家封術師(この場合では浅間総一郎)が監督者としてそばに付いていれば、特例として封術の行使が認められている。


「……振域レベル三の割に、隣神はそれほど強くありませんでしたよ」

「そう思えるということは、それだけ君の力が強いということだろうね」

「過大評価ですよ。今日から正式な封術師見習いになった学生に対して言うことじゃないですね」


 秋弥は軽く肩を竦めた。

 その仕草が面白かったのか、総一郎が可笑しそうに笑った。


「はは、これでも過小評価だと私は思っているがね。本当に君たち姉弟の力は底が知れないよ」


 ともかく、と総一郎は言葉を続けながら席を立った。


「お礼を言わせて欲しい。ありがとう秋弥君。今回も君のおかげで万事うまくいったよ」


 背筋を伸ばし、頭を下げて腰を折る。それは拝揖(はいゆう)と呼ばれる礼法だった。


「……それと、仕事が終わったばかりで言い辛いことなんだけれど、もうひとつ、別件を頼まれてくれないかい?」


 と、頭を上げた総一郎は席に座り直さずに言った。


「……仕事の内容にもよりますが、何でしょう?」

「調律師の護衛だよ。と言っても仕事の内容はまだ正式には決まってないんだけどね」

「と言いますと?」

「昔から親交のあった調律師から優秀な封魔師を一人、紹介して欲しいと頼まれてね。私はその仲介役というわけだよ」

「……それで、俺ですか?」

「君以上の適任者を私は知らないからね」


 総一郎はつい先ほどと似たようなことを言った。


「……わかりました。その仕事を請けますよ」


 わずかに逡巡してから、秋弥は頷く。


「そう言ってくれると思っていたよ。仕事の内容は時期が来たら連絡するから、よろしく頼むね」


 総一郎は安堵したような笑みを浮かべると、伝えるべき事を伝え終えたからか、それじゃあ私はそろそろ帰らせてもらうよ、と言って背を向け、ダイニングを出て行った。

 二人も席を立って、彼を見送るために玄関口へと向かった。




 総一郎が帰った後、秋弥は自室で部屋着に着替えてからダイニングへと戻ってきた。

 ダイニングに面したリビングのソファに腰を下ろして、大きく息を吐く。

 身体的に疲れるようなことがあったわけではない。入学式での答辞はそつなくこなせたと思うし、知り合いで幼馴染でもある玲衣と偶然にも同じクラスになれた。綾、堅持という新しい同級生とも知り合えた。

 だからこれは、単なる気疲れだろう。


「……」


 頭を上向け、視線を中空に彷徨わせる。焦点を(ぼか)した瞳が天井に取り付けられた電灯の輪郭を崩した。光源は二つになって、一つになって、三つになる。意識が朦朧になり、ぼぅっとした思考がぐるぐると渦を巻く。だんだんと彼の脳は原質の根源へと近づき、収束して、拡散、断片化された数多の情報体が星の記憶へと——。


「秋弥?」


 ——至ろうとしたところで、月姫の声が彼を現実へと引き戻した。

 視線をわずかに上向けると、逆さまになった月姫の顔が映った。

 目鼻立ちの整った顔は左右に均整が取れ、きめ細かく透き通るような肌には化粧っ気がまったく感じられない。朝露を浴びたバラのように瑞々しい唇や、黒真珠を思わせる大きな瞳と柳眉。身内贔屓を差し引いたとしても、月姫は百人いれば百人が振り返るほどの美人であると秋弥は断言できる。

 その、常に微笑を称えた表情に、不意に影が差した。

 微睡みに沈んでいた秋弥の思考が急激に覚醒する。

 月姫はソファの正面に回りこんで、彼の隣に静かに腰掛けた。

 だらしなくもたげていた頭を起こし、上体を捻るようにして月姫の方に向き直る。

 何か思いつめたような表情で時折口を開こうとはするものの、月姫は一向に言葉を紡ごうとはしなかった。


「……どうしたの?」


 その様子に耐えかねたのではなく、姉に話すきっかけを与えようとして、秋弥は問いかけをする。

 それでも月姫は逡巡する素振りを見せてから、ようやくのこと、秋弥と目を合わせた。


「あの……先ほどのお話なのですが」


 と、躊躇いがちに切り出した。


「うん?」

「今回のお仕事を、その……断っていただけませんか?」


 思い掛けない月姫の言葉に、秋弥は目を丸くした。


「急に、どうしたの?」


 先ほどと同じ台詞だが、今度は純粋な問いかけだった。


「……うまく言えないのですが。何だかとても、悪い予感がするのです」

「……っ!? 姉さん、もしかして力が!?」


 秋弥は思わずハッとして、無意識的に声を荒げてしまった。

 しかし、月姫は悲しそうな表情で首を左右に振った。


「まだ良くわかりません……。私の思い過ごしかもしれませんし、考えすぎなのかもしれません。ですが、もしも……もしも秋弥の身に何かあったらと思うと……」


 それ以上は言葉にならなかった。

 鼻腔をくすぐるような甘い香りがして、ふと気が付くと、月姫の白く柔らかな両腕が秋弥の首の後ろで浅く交差され、彼は包み込むように優しく、抱きしめられていた。


「ごめんなさい……。私がこんな身体にならなければ、秋弥を護ってあげられるのに——」


 耳元で囁かれた、酷く弱々しい声。

 月姫の表情を窺い知ることはできない。

 だけど、その神秘的なまでの美貌に涙の滴を浮かべているであろうことは手に取るようにわかった。

 自然、秋弥は月姫の背中に腕を回してそっと抱きしめ返す。

 密着した身体を通じて、お互いの鼓動が伝わり合う。


「……」

「……」


 どのくらいの間、そうしていただろうか。

 一瞬を引き伸ばした永遠か。

 永遠のような刹那か。

 どちらともなく、身体を離す。

 瞳はお互いを見詰めたままで——。


「いつの間にか、泣き虫になってしまいましたね」


 落ち着いた様子の月姫は、泣き腫らした瞳のままで綺麗に笑った。


「良いんだよ。姉さんのことは俺が護るから」


 秋弥は、他人には決して見せることのない優しげな顔で微笑んだ。

4/14:文章校正

2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施

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