第27話「銃撃の舞踊」
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眼前に広がる血みどろの光景に、思考が停止する。
条件反射的に顔を背けた聖奈は、偶然にも視線を向けた方角からこちらへと迫る獣型の隣神を、誰よりも先に目撃していた。
しかし、聖奈は驚きのあまり、声一つ発することができなかった。ようやく動き出せたのは、秋弥がスフィアの名を叫び、聖奈たちの間に飛び込んで隣神の攻撃を受け止めた後のことだった。
すぐさま杖型の装具を召還したが、既に臨戦態勢を取っている秋弥とスフィアを見て、自分の身構えがあまりにも遅すぎたということを自覚する。
(もしも九槻さんが護ってくれなかったら……)
そう思うと今更ながら恐怖で足が竦みそうになったが、聖奈はそれを精一杯堪えた。
ここで頽れてしまったら、ただの足手まといになってしまう。
そもそも今回の課外活動には見学という立場で同行しているため、徹頭徹尾足手まとい以外の何者でもないのだが、足手まといにだって程度というものがあった。
せめて、自分のことくらいは自分で護らなければ、と。
だけどそれは、今思えば浅はかにもほどがある甘い考えだった。
そう、聖奈は装具を召還したところでわかってしまった。
今の自分には、結局何もできないのだということに——。
封術学園に入学してから聖奈が学んだ封術は、全て封魔術の、それももっとも基本的な術式だけだ。
たとえ学校の成績がどんなに良かったとしても、それは所詮、封術学園一年生の枠の中での話でしかない。学生自治会長に封魔の技術を期待されて課外活動に臨んでいる秋弥や、治安維持会長であり、学園でも指折りの封魔師見習いであるスフィアには遠く及ばないことは、聖奈自身が一番自覚していることだ。弁えるべき分は、弁えているつもりだ。
それでは調律術の方はどうかといえば、構造や理論こそ独学の範囲内で理解しているが、ぶっつけ本番で調律術式を行使して、万が一にも封術の暴発を起こしてしまったら取り返しの付かない事態になってしまう。
夢の中で封術を行使していたときのように、何でも思い通りになるとは限らない。
ゆえに聖奈は隣神と相対する二人の邪魔にならないように、ただジッとしていることしかできなかった。
聖奈の隣では亜子が封術結界の術式を構築するために、抱きかかえた装具に意識を傾けている。できる限り強固な結界を作り出そうとしているのか、その表情は少し険しかった。
視線を隣神の方へと向ける。
産土神であると自称する森の獣の身体に、傷が増えていた。
目を離しているうちに、戦闘は進展していたらしい。
身体から黒い血を流す隣神の様子から、秋弥たちの方が優勢であることが窺えた。
——……その力………眷属…殺め……。
思念言語の向き先を、相対している秋弥とスフィアにのみ制限しているのだろうか。さっきまでは聖奈にもはっきりと届いていた獣の思念言語が、途切れ途切れに彼女の意識に届いてきていた。
(隣神の眷属を、人が殺した?)
獣の思念言語を反芻して、聖奈は思案する。
なぜ獣型の隣神は、人間に対して激昂しているのだろうか。
その理由を思念言語による獣の言葉から察すると、どうも人間が隣神の眷属を殺したからだということらしい。
しかし、聖奈はその部分に違和感を覚えていた。
そこに何らかの認識の齟齬があるように思えてならなかった。
(普通の人に、隣神を殺めることができるというの?)
無人自動制御車に乗って移動している最中、聖奈は課外活動の内容と森林公園から戻ってこなかった者たちの詳細情報を確認していた。それによると、行方不明者——おそらくは既に亡くなっているだろう——の中に封術師の認定位を持つ者はいなかった。
封術を扱えない一般人が、自称森の神様である獣型の隣神を襲い、獣が語ったような無残な殺し方ができるとは、到底考えづらかった。
もちろん彼ら一般人が森に入るよりも以前に、封術に精通した何者かが森に入って獣の眷属を殺害したという線も考えられた。しかし今回の課外活動はあくまでも『人間を襲った隣神の討伐』であり、『封術師が斃せなかった隣神の討伐』ではない。
仮に認定位持ちの封術師を管理している封術協会の与り知るところで別の封術師が動いていたのであれば、今回のような依頼が封術学園を経由して学生自治会に回ってくることはなかったはずだ。
そう考えたとき、聖奈はある可能性に辿り着いた。
獣の眷属を襲った者は、本当に人間ではないのではないか。
しかし、獣型の隣神は人間の仕業であると誤解したのではないだろうか。
そして眷属殺しの恨みから、森に入った人間たちを次々に襲い始めた。
現在わかっている範囲内で話のつじつまを合わせようとするなら、そういうことになるはずだ。
もう一度、聖奈は獣の言葉を思い返してみる。
獣型の隣神が人間を襲った理由は何だっただろうか。
神として奉られ、土地を守護し、人々に生きるための知恵や技術を教えたという獣が、本来敬われるべき人間から恩を仇で返されたからこそ、怒り狂っているのではないのか——。
と、森がざわめき、存在証明の干渉波が聖奈の頬を撫でた。
獣から放たれた強力な干渉波に、森が呼応している。
森の生命エネルギーを示す存在の淡い発光体が、根から養分を吸い上げるように幹を巡り、枝を巡り、葉の先から溢れ出す。
その光は獣型の隣神へと集まって、隣神の傷を癒やし始めた。
ここに至って——森全体が獣からの呼び掛けに力を貸しているのだと理解したことで、聖奈は目の前の獣が、本当にこの地の産土神なのだということを理解した。
その瞬間——。
聖奈は獣が放つ干渉圧とは異なる種類の干渉圧が、森の空間領域に混ざっていることに気が付いた。
不統一だった森の対干渉力が獣からの干渉に呼応するために単一の指向性を持たせたことで、森に隠れ潜んでいた別種の存在が浮き彫りになったのだった。
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鋭く尖った牙の生え揃った口を大きく開き、その上顎と下顎の中央に灼熱の炎球を生み出した獣が、吠えるように炎球を放つ。
射線軸上の草葉を焼きながら迫る炎球を、秋弥はタイミングを合わせて中段から下段へと振り下ろした装具の刃で真っ二つに斬り割いた。
半球となった炎が秋弥の左右を抜けて背後の地面に落ちるが、炎球は草葉に燃え移る前に消滅する。
その隙に秋弥へと肉薄していた獣が、長く伸びた爪を振るった——その前脚を、スフィアの装具から放たれた銃弾が撃ち抜く。
それでも、獣の攻撃動作は止まらない。
秋弥は身体を引きながら返す刃で下段から装具を振り上げた。後ろに下がったことで獣との間にわずかな空間が生まれ、そこに装具が差し込まれる。
獣の爪と装具の刃。
双方の間で証明の光情報流が散った。
獣の動きが一瞬、静止する。
その間に秋弥は左の掌に封魔系統の防御術式『干渉壁』を展開すると、獣の胴体にそれを押し当てた。
調律術における封術結界が術者を中心として外側からの干渉を遮断する防御系の術式とするならば、封魔術における干渉壁は異層への対干渉効果を逆手に取った攻撃系の術式である。干渉壁に設定した現層世界のエリシオン光波長が異層世界の獣が内包する異層世界のエリシオン光波長に反発して、獣の身体を外側へと押し戻したのだ。
獣は干渉壁によって押し戻された勢いをそのままに、近くの木の幹に四肢を貼り付けた。
揺さぶられた樹木から、乾燥した葉が舞い落ちた。
スフィアの銃弾を受けた前脚は、既に傷口一つ残ってはいない。
森から供給される生命エネルギーの恩恵を絶え間なく受け続ける獣型の隣神に、生半可な攻撃は通用しない。
だが、対干渉の効力によって、今の秋弥たちには簡単な術式を構築することでさえも難しい状況となっている。
『火球』や『電光』といった単一原質系の術式ならば、多少強引な構築式でも術式の発動はできる。
たとえば秋弥が使った干渉壁のように、少しの間だけ現層世界に干渉したい場合は、改変結果の維持を続けるための干渉力を極端に減らしてしまえば良い。そうすることで対象物に干渉するための干渉力が多く必要になったとしても、総合的に見れば術式の構築式を短くすることができるのだ。
しかし、『洞察眼』や『瞬間加速』のように身体や情報を強化する術式は、発動中の術式が常に無意識領域を占有し続けてしまうため、下手に複雑な構築式を組んでしまうと、他の術式を並列で演算する際に使用できる領域が減ってしまうのである。
ゆえに、秋弥たちは二対一ながら、獣型の隣神に決定的な一撃を与えられずにいた。
「このままだと埒が明かないね。消耗戦ではワタシたちの方が不利だよ、シュウヤ」
秋弥の不定形剣型の装具と異なり、スフィアの拳銃型の装具は攻撃をするたびに封術の銃弾を作り出さなければならない。
銃弾の生成プロセスは、彼女が装具を手に入れた瞬間から今まで、幾千幾万と繰り返してきたことだろう。だからこそ、空間領域が隣神の支配下にあっても、術式の発動に遅れはないように思えた。だが、それはあくまでも秋弥から見た客観的な感想であり、術者の脳にはそれなりの負荷が掛かっているのかもしれない。
「それもそうなんですが、スフィア会長。気付いていますか?」
「何をだい?」
問い返しの言葉だけで、スフィアがその事実に気付いていないことは明白となったので、秋弥は単刀直入に言った。
「もう一体、別の隣神が接近しています」
戦闘の最中、隣神リコリスの力の一部を共有している秋弥もまた、聖奈と同じように森に潜む別の存在を感知していた。だが、その存在はあまりにも希薄な干渉圧力しか有していなかったため、秋弥がその存在を感知できたのは、ほとんど偶然に近かった。森全体の対干渉力が獣型の隣神に呼応して単一の指向性を持たなければ、秋弥がその存在を感知したのはもう暫く先になっていたかもしれなかっただろう。
「何? それは本当かい?」
「この状況で嘘を言っても仕方がないでしょう。……来ますよ」
言葉と同時に、秋弥が視線を向けた先にある木の幹が中央部から忽然と消滅した。
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聖奈が悲鳴を上げなかったのは、隣で封術結界の維持を続けていた亜子が先に悲鳴を上げたからだった。
突如木の幹が消滅したかと思うと、空間を揺らめかせながら新たな隣神が顕現した。
ガス状の気体で覆われた本体を持ち、それ以外には何もない。
知能があるのかも定かではない、姿までも希薄な隣神だった。
だが、その隣神が纏うガスに木の幹が触れた瞬間、触れた部分が一瞬にして消滅してしまった。まるで、最初からそこには何もなかったかのように、綺麗さっぱりなくなってしまったのだ。
そして遅れること数瞬、幹の一部が消滅した樹木の上端部分が、地球の引力に引っ張られるようにして地面へと落下した。
瞬間、轟音。
亜子が悲鳴を上げたのは、彼女たちのすぐ近くに木が倒れ掛かってきたからだ。
封術結界が遮断するものは、あくまでも本来現層世界に存在しないものからの干渉行為に対してだけで、現層の情報体には効力を発揮しない。
倒れた樹木は現層世界の情報体であるため、このまま木が倒れてきたら、聖奈たちは為す術もなく木の下敷きになっていたかも知れなかった。
そうならなかったのは、秋弥の放った炎の波が倒れ掛かってきた樹木を瞬く間に焼き払ったからだった。
「アコ、セイナ、大丈夫かい?」
封術結界の外側から、声が貴凝る。
「はぃ〜……」
右手の拳銃を獣型の隣神に、左手の拳銃をガス状の隣神へと向けて、首だけで振り向いたスフィアに、亜子が力なく答える。
吃驚した拍子に集中力を乱したものの、結界術式の継続処理は途切れなかったようだ。
——何者だ、貴様!
獣型の隣神が牙を剥き出しながらガス状の隣神に思念言語で威嚇する。
しかし、ガス状の隣神は応じない。
元より応じるための言語を持たないのか。ゆらゆらと空中に浮遊している。
——森を汚し壊する不浄の者よ! この地が我の神地であると知った上での狼藉か!
獣型の隣神は破壊された森の一部をその瞳に映すと、身体に炎を纏って怒りを露わにした。
——さしたる力も持たぬ身で我が神地を土足で踏み荒らした罪、償ってもらおうぞ!
そして、獣は跳んだ。
己を炎の塊として、ガス状の隣神へと牙を向ける。
(喰うつもりなのか?)
実際、秋弥が内心で思ったとおりのことが起こった。
獣は木の幹を足場にした三次元的な動きで撹乱しながら、四方八方あらゆる方向から、ガスで覆われた隣神の身体を次から次へと削り取った。ガス状の身体が、開かれた獣の口腔内へと消えていく。
やがて、ガス状の隣神は獣型の隣神に完全に喰われてしまった。
隣神を喰った隣神は、満足そうに高速移動を止めて着地すると、高らかに鳴いた。
——ふん、矮小な存在だ。
鼻を鳴らし、思考を切り替えて再び秋弥たちと向き合う獣。
思わぬ乱入者は一瞬のうちの駆逐され、一時休戦となっていた獣型の隣神との戦闘が再び動き出す。
そのはずだった——。
突然、眼前の獣の身体が二回りほど大きくなった。
膨張して、皮膚がはち切れんばかりに伸びて、伸びて、千切れる。
身体の内側に爆弾でも仕掛けられたかのように、炎を纏った獣の身体が、内部から爆散した。
獣型の隣神には、断末魔の絶叫を上げる時間すらなかった。
飛び散った獣のパーツと黒い血が飛礫と飛沫となって秋弥たちに降り注ぐ。
防御術式を展開しようにも、森の対干渉力の影響を受けてしまって普段どおりに術式を発動することができない。術式の発動が間に合わず、秋弥たちは全身で隣神の血飛沫を受けた。
とはいえ、身体が細分化されたことによって現層世界に留まるための干渉力を失った獣のパーツは、時間が経てば現層世界から溶けるように消えていくものだ。秋弥たちの身体に付着した獣の黒い血もまた、そうして本来在るべき世界へと還っていった。
後に残ったのは、獣の内側から復活を果たした——ガス状の隣神の姿だった。
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なるほど、と秋弥は内心で納得した。
森に入った人間や獣の眷属を襲ったのは、眼前でふわふわと浮遊しているこの隣神で間違いないだろう。
獣の隣神の、最期の光景を思い浮かべる。
広範囲に飛び散っていた赤黒い血溜まりは、ガス状の隣神によって身体を内側から爆散させられたからで間違いないだろう。現層世界の情報体である人体のパーツが辺りに転がっていなかったのは、情報体を消滅させる謎のガスに触れたためか。
秋弥はガスを纏った隣神を見詰める。
隣神の干渉圧が希薄だったのは、姿を隠していたためではなく、密度の小さい気体の粒子それぞれが本体だからと考えられた。
不定形の隣神。
アストラル体——。
霊体とも呼ばれる、物理的な肉体をほとんど伴わない種類の隣神だ。
気体系の隣神も、最小単位が粒子レベル(極小)であることから、アストラル体に分類されている。
「あらら、これはちょっとピンチかな?」
森の力を借りて圧倒的な力を得ていた獣を一瞬で葬ってしまったガス状の隣神を眺めて、スフィアが言う。
「何を言ってるんですか。これはチャンスですよ」
秋弥はそれに、肩を竦めながら答えた。
「対干渉の源となっていた獣が斃されたということは、こちら側から空間領域に干渉しやすくなったということですよ」
「だけど、森の対干渉力そのものが変化したわけではないよ。依然としてワタシたちが封術を行使するためには、必要以上の演算を行わなければならないよね」
言いながらゆっくりと近付いてくるガス状の隣神を装具で牽制するスフィアだったが、拳銃から発射された銃弾は隣神の身体をすり抜けてしまう。
「忘れてしまったんですか、スフィア会長。俺の装具は特殊型ですよ」
秋弥は蒼の装具——特殊型遠近接系流剣『クリスティア』を身体の正面に掲げると、装具の柄を逆手に握り直して、その刃を地面へと向ける。
秋弥の言葉と行動が意味することを理解したスフィアの瞳が、大きく見開かれた。
「まさかシュウヤ……キミは領域支配ができるのかい?」
驚きを通り越して、いっそ呆れたような声音のスフィアからの問いに、しかし秋弥は答えなかった。
代わりに——。
「スフィア会長。少しの間で良いので、時間を稼いでください」
言い、蒼の装具に意識を傾ける。
秋弥の意思に呼応して、装具の刃が液状化した。
流れる水の如く滴り落ちた装具の滴が、波紋となって地面へと広がっていく。
装具を介して空間領域に干渉し、特定空間内を己の支配下とするため、秋弥は対干渉力の最適化を始めた。
スフィアはそんな後輩に苦笑いを向けると、双銃のトリガーガードに指を通してクルクルと回転させながら、
「やれやれ……、アストラル体はワタシの苦手な相手なんだけどね」
どこか嬉しそうな声で、独り言のように呟いた。
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苦手。
その言葉に嘘偽りはない。
物理的な破壊をもたらす二丁の拳銃を装具として扱うスフィアが得意とするのは、ガス状の隣神に飲み込まれた獣型の隣神のように、物理的な肉体を伴うマテリアル体と呼ばれる隣神だ。
眼前の隣神が、ふわふわと空中を漂いながら近付いてくる。
無駄なことと知りながらも、スフィアは銃弾を放った。
予想するまでもなく、銃弾は隣神に当たらない。
否、当たってはいるが、効果がないのだ。
それでも、隣神の注意を惹きつけることくらいはできる。
スフィアは双銃の照準を隣神に向けたままで、静かに、回り込むように側方へと移動する。
すると、その動きに釣られるように、隣神の移動方向が変わった。
どうやらこの隣神は、音にだけ反応しているらしい。
原始的な生物だ、とスフィアは思う。
あるいは、原生的だとも。
知能や行動パターンから推測しても高位の隣神であるとは思えないが、産土神である獣の隣神をあっさりと斃してみせた隣神だ。
油断する気持ちはない。
距離感の掴みづらい不定形な気体の身体を揺らめかせた隣神の進路上にあるあらゆる物質が、ガスに触れた端から次々と破壊されていく。
これでは迂闊に近付くこともできない。
だが、それで良い。
スフィアの装具は形状からもわかるとおり遠距離系だ。そもそも近付く必要がない。
スフィアは腕を交差させて両手に握られた拳銃のグリップの底面部分を繋げると、二つの術式を発動させながら、トリガーを同時に引いた。
右手の自動拳銃『炎熱』の銃口から、炎の原質を加えた銃弾が——。
左手の回転式拳銃『雪風』の銃口から、水の原質を加えた銃弾が——。
それぞれの拳銃から発射される。
火薬の代わりに現象を閉じ込めた二つの銃弾は、隣神の目の前で互いに衝突する。
その瞬間、現象が発現する。
一方の銃弾から溢れ出した水の柱が、もう一方の銃弾と隣神を包み込んだ。超高熱を纏った炎の銃弾の周囲に、水蒸気の薄膜が形成される。
そこへ、さらにもう一発。
前の銃弾を追いかけるように放たれた三発目の銃弾が、炎の銃弾に接触した、その瞬間。
衝撃波が発生した。
界面接触タイプの水蒸気爆発だ。
それは秋弥と鶴木の模擬戦中に起こった事象の再現だった。
だが、発動速度を重視して構築した術式では、現実に干渉する力が弱かった。
事実、発生した衝撃波はスフィアのいる場所までは届かず、また、発動直後、急速に収束して元の状態へと戻ってしまった。
その蒸気のなかから、異層世界の気体を纏った隣神が現れる。
外見を見た限りでは、術式発動前と変わらない姿だ。
強いのか弱いのか、それすらもわからない。
まるで雲を掴もうとしているかのような、漠然としていて張り合い甲斐のない、つまらない相手だ。
(それに比べて——)
スフィアは横目でちらりと領域支配を行っている秋弥の様子を窺った。
特定領域内の対干渉力が、秋弥からの領域支配——干渉を受けて、着々と構成情報を塗り替えていくさまが、異層認識力を通じてスフィアへと伝わる。
『領域支配』は特殊型の装具にのみ許された封術師の高等調律技術の一つだ。特定空間内に干渉して己の干渉力場を生み出すことで、己の干渉力と特定空間内の対干渉力との間にある種の回路を作り出して、事象改変の干渉を容易にする技術——。
獣型の隣神が使った神の力というのも、封術用語に当てはめればこの術式に近い。
秋弥は獣型の隣神が作り出した干渉力場を理解して、紐解き、さらに己の干渉力場として再構成しようとしているのだ。
その様子が、戦いの最中にいるスフィアにもはっきりとわかる。
しかもその再構成速度が恐ろしく速いことまで。
理解力も読解力もさることながら、特出して目を見張るのはその再構成力だろう。
四校統一大会の花形競技である一対一の対人戦闘競技『神の不在証明」において、特殊型装具の使い手による決闘を何度も見たことのあるスフィアだったが、邪魔をする相手がいないことを差し引いたとしても、他者の作り出した干渉力場を、これほどまでに高速で書き換えることができる封術師見習いを、スフィアは知らなかった。
——シュウヤ、やはりキミは面白いね。
と、秋弥が顔をこちらへと向けた。
内心で呟いた言葉が彼に届いたわけではないのだろう。
ならば、その理由は一つしかない。
「スフィア会長!」
秋弥の声に、スフィアは言葉ではなく、頷きをもって返した。
と同時に、自動拳銃と回転式拳銃の銃口を隣神へと向ける。
意識領域で途中まで構築していた術式を無意識領域へと移し変える。
情報体への干渉と改変結果維持の均衡を考えた演算式はいらない。
この辺り一帯の空間領域は、秋弥の『領域支配』によって最適化されているはずだ。スフィアはそれを微塵も疑わない。最適化された領域はおそらく、秋弥自身だけでなく、スフィアからの事象改変行為も、ほとんど雑音無しで受け入れるはずだからと——。
ゆえに、スフィアは干渉力の演算式を改変後の結果維持に費やす。
意識領域から移した新たな情報体を創り出す構築式に、干渉強度を高めに設定した演算式を組み込んで封魔術の構築式とする。
しかしスフィアはそこで構築を終了せず、おまけとばかりに構築式全体を括って変数を外側に出すと、通常、設定する値を二割増ししたパラメータを外部変数として加えた。
明らかに余計な情報まで詰め込んだことで複雑化した構築式を、スフィアの無意識領域が演算し始める。
構築式の演算が進むにつれ、自動拳銃のマガジンと回転式拳銃のシリンダーに、存在と証明の光が集まっていく。
領域支配の効力によって干渉と対干渉の鬩ぎ合いを感じないからか、演算処理がスムーズに行える。
それは何だか、とても心地が良かった。
「——これで閉幕だよ」
そしてスフィアは左右の手に握られた拳銃のトリガーに指をかけて、静かに引いた。
苦手。
その言葉に嘘偽りはない。
だけど、それは単に、得意ではないからという意味での苦手だ。
スフィアの装具、双銃『炎熱』と『雪風』の銃弾は、形を持たないアストラル体ですらも容赦なく破壊する。
銃装術『バレット・ダンス』。
二つの銃口から放たれた無数の弾丸が隣神の全身を貫いた。
圧倒的な数の点と線が、面と空間を凌駕して——。
ガス状の隣神は、原型を失って消滅した。
2013/01/04 可読性向上と誤記修正対応を実施