第24話「学生自治会会計補佐」
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その日の放課後。
秋弥たちは来週末に迫った前期中間考査の実技科目に備えて、ようやく利用可能になった特別訓練棟の第一訓練場に集まっていた。
「えっと、まずは術式の構造を思い描いて……」
以前に綾から基本封魔術を教えてほしいと頼まれていた秋弥は、彼女のそばに付いて封魔術式を教えていた。
視界の端では玲衣と堅持が、ああでもないこうでもないと言い合いながら術式の構築を行っている。どうやら午前に行われた模擬戦は二人の向上心に良い影響を与えたようだ。
奈緒は家の用事があって今日は先に帰っている。彼女は星条家の跡継ぎ候補ではないとはいえ、直系の者としてさまざまな行事に招待されることが多いのだと、困り顔で言っていた。
そして、遅れてきた新入生の聖奈は秋弥たちの——正確には玲衣からの——誘いに蕾も綻ぶような笑顔で快諾し、今は綾とともに秋弥から封魔術の基礎を教わっていた。
「……どうですか、秋弥さん」
左手で右の手首を押さえ、人差し指と中指の間に挟んだ術符に火球の封魔術を構築した綾がおずおずと尋ねる。
球状の保護膜の内側に煌々と燃え盛る火を閉じ込めた火球は、確かな干渉力を伴って現層世界に顕現していた。
「うん、良いんじゃないかな。干渉力も十分だ。……そろそろ二十秒になるかな」
秋弥がそう評価したところで、直系十センチほどの火球が音を立てずに消滅した。徐々に減衰し続けていった干渉力が、現層世界に存在を保てなくなった結果だ。
事象の改変から二十秒程度も存在を維持し続けた火球が消滅すると、綾はふぅっと息を吐いた。
「時間をかければこうして存在の維持もできるのですが、術式の発動速度が遅いのでは、実戦で使えませんよね……」
「構築に時間がかかるのは、封魔の術式演算に慣れていないからじゃないかな」
「そうなのでしょうか。……いえ、そうなのかもしれませんね」
封魔術式と調律術式では扱う原質がまるで異なる。それに封魔術式の多くは調律術式ほど複雑な構築式ではないのだが、種類の異なる原質を改変の用途に合わせて組み替えているため、構築式には術士のセンスが多少なりとも必要とされる。
自分に合った演算方式を見つけて演算の速度を向上させることが、封魔術式の発動速度へと繋がる。後は演算速度と干渉強度の間で折り合いをつけながら、術式の最適な構築を行うのである。
……ということは、わざわざ言われるまでもなくわかっていることだろう。
しかし、頭ではわかっていても、ままならないのが人間だ。
「そうだな……綾の場合は調律——つまり領域に干渉する構築式の方が演算し慣れているよな?」
「そう、ですね……。封魔術式は領域指定ではなく座標指定なので、構築式も本当はもっと簡単なはずなのですが……」
綾が申し訳なさそうに眼を伏せながら、か細い声で言った。
「あ、いや、責めてるわけじゃないんだ。えっと、そうだ。試しに、普通はあまりやらないことなんだけど、事象改変の座標指定を領域指定に置き換えてみたらどうだろう」
「封魔術の構築式にですか?」
要領を得ないといった風に首を傾げる綾に、秋弥は人差し指を立てて説明をした。
「そうだ。たとえばこの指の先端に封魔術式を構築しようと考えた場合、普通は指先の座標を構築式に組み込むよな。だけど、その代わりに指先の極小領域を構築式に組み込むことができたとしたら、それは綾が普段使っている領域指定の構築式になると思わないか?」
限りなく狭い領域は、直接座標指定をするのとほとんど変わらないはずだ。領域指定を行う方が構築式は複雑になるのだが、綾がその演算に慣れているのであれば、おそらくは——。
「わかりました。もう一度やってみます」
綾は先ほど行使した火球術式の影響で燃え尽きてしまった術符を取り替えた。意識を集中させて、もう一度火球術式の構築を行う。
綾がどのような構築式を組み上げて術式演算を行っているのかを窺い知ることはできなかったが、その結果は秋弥の目に見える形ですぐに現れた——明らかに先ほどと比べて短い時間で、綾は火球の封魔術を発動させたからだ。
「わわっ……秋弥さんの言うとおりにやってみたら、本当に上手くいきましたよ!」
黒目がちな瞳を大きく見開いて術符に灯る火球を眺める綾に、秋弥はかすかな笑みを浮かべた。
極小領域を指定して構築したのであろう火球は、先ほどの術式とほぼ同じ時間、現層に留まった後で静かに消滅した。
「良かったな。だけどこれは擬似的に座標指定を行ってるようなものだから、ちゃんと座標指定を使った構築式の演算練習もしておいた方が今後のためになると思うよ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
「九槻さん、わたしも朱鷺戸さんと同じ術式を試してみても良いですか?」
と、今まで聞き役に徹していた聖奈が胸の前で装具を抱えながら言った。
「ん、良いよ」
頷くと、聖奈は一歩後ろに下がってから両腕を前に伸ばして杖型の装具に意識を傾けた。
刹那——先端部が膨らんだ装具のやや上方に、火球が浮かび上がった。
それも、赤色の火球ではなく、白色の火球だった。
「……っ!?」
「は、速い……」
綾は術式の発動速度に目を見張っているようだが、驚くべきところはそこではない。
炎色反応に照らし合わせるならば淡紫色に属するその輝きは、通常の術式構築では有り得ない輝線スペクトルを有している証だった。青色や黄色の火球ならば条件さえ揃えば簡単に作り出せるが、淡紫色の炎はさまざまな波長の可視光線が混ざり合わなければ生じることのない色なのである。
おそらく、原質『火』の基本術式である火球を、恐ろしく複雑で必要工程の多い構築式を用いて演算したに違いない……。
「こんな感じで良いのでしょうか?」
杖の先端に浮かぶ白の火球をまじまじと観察しながら、聖奈が言う。
ついさっき綾が構築した火球と異なっていることに疑問を抱いているようだが、構築過程に問題はなさそうだったので、秋弥は一応頷いておいた。
薄い保護膜の中に閉じ込められた白い火球には、いったいどれほどの干渉力が込められているのだろうか。秋弥には想像すらできなかった。
「……えっと、これはどのように消せば良いのでしょうか?」
「あぁ……、任意で術式をキャンセルする場合は、構築した情報体に対して逆演算を行って元に戻すんだよ」
綾の火球術式は約二十秒ほどで自然消滅してしまったが、聖奈の火球は既にその倍以上もの時間、存在し続けている。
いつまでも消滅することなくぷかぷかと浮かび続ける白い火球を見て不安げな声を漏らした聖奈に、秋弥がそう答えると、
「わかりました。試してみます」
頷いた聖奈は、これまた一瞬のうちに白い火球を改変前の状態へと戻すことに成功した。
(あの杖型の装具が天河の術式に何らかの作用を及ぼしているのか?)
秋弥は聖奈の装具にさりげなく視線を移した。
火球の術式を構築したのは聖奈自身だ。しかし、その構築結果が彼女の意図していたものとは違っていたらしいことは、彼女の仕草から見て取ることができる。
ならば、事象の改変結果を現層領域に投影するための触媒——橋渡しとなっている杖型の装具が、現層に干渉する前の術式に割り込んで、その演算結果を別の形式へと変換している可能性が十二分に考えられた。
「ふぅ……。きちんとした封魔術を使うのはこれが初めてでしたが、なかなか上手にはできないものですね」
その言葉は謙遜なのか本意なのか。聖奈は火球の術式が思い通りの結果にならなかったことを恥じるように、はにかんだ笑みを浮かべた。
すると、綾がキラキラした瞳で聖奈を見詰めた。
「そんなことない! 聖奈さんの方が私よりもずっと上手に封魔が使えてました!」
「え、そうなのですか? ……だけど朱鷺戸さんの術式とは少し違っていましたし——」
「うぅん。私も封魔についてはあまり詳しくないけど、火球術式の火の色は燃焼現象の付加要素のはずだから、基本の構築式は同じだと思う。それに、私の封魔術よりも長く維持できていたから、干渉力もずっと大きかったはずです」
拳を作って力説する綾に、聖奈は屈託のない笑顔で「ありがとうございます」と言った。
「私も聖奈さんに負けないようにもっと頑張ります」
薄々気付いてはいたことだが、綾は割と有言即実行派だ。彼女はすぐさま自身の装具である術符の一枚を召還して指の間に挟むと、火球の術式を構築し始めたのだった。
聖奈も綾に倣って火球の発動と解放を繰り返し行ったのだが、何度構築しても彼女の火球は白く、行使する聖奈にもなぜそうなるのか良くわかっていない様子だった。
十数回ほど反復練習をして、綾の火球が現層に干渉している時間が徐々に長くなってきた頃、離れたところで封魔術の練習をしていた堅持と玲衣の二人が、秋弥たちの様子を見にやってきた。
「よう、秋弥。そっちの調子はどうだ?」
「上々といったところかな。反復練習で演算効率が上がってきたから、干渉力を向上させる構築式を織り交ぜても構築から発動までの速度はほとんど変わらなくなったし、この調子なら実技試験は問題ないと思う」
堅持の何気ない問いかけに秋弥がそのように評価をすると、術式の構築途中だった綾が唐突に集中力を乱して封魔の発動を失敗させた。指の間からひらりと舞って落ちた術符を慌ててキャッチすると、両手をあわあわと振って、何でもありませんよ、とでも言いたげなポーズを取った。
その様子を横目で見ていた秋弥は、褒めるのは逆効果かなと軽く肩を竦めて見当違いの考えを抱いたのだが——。
「そりゃすごいな。オレもいろいろやってみたけど、どうにもうまくいかないんだよな」
「堅持は火球や電光みたいな遠隔系封魔術よりも、瞬間加速や風刃のように身体や装具に纏う術式の方が合ってそうだよな」
「お、わかっちゃう? 何かそうみたいなんだよなぁ。だからそっちの方向に絞って鍛錬するようにしようと思ってるんだ」
「良いんじゃないか。だけどまあ、中間考査の課題術式は火球だけどな」
すると堅持は頭を抱えて、「そうだったー!」と叫んだ。三組に所属しているということは今年度の新入生の中では上位に入る入試成績を収めているはずなのだが、得手不得手だけは努力で補うしかないだろう。
「ちょっと煩いわよ、堅持」
と、すかさず玲衣が堅持に噛み付いた。
「あぁ!? だってよ、このままじゃ中間考査がヤバいだろが!」
「ヤバいのは堅持だけだよっ。あたしは遠隔系も得意だもんね」
模擬戦でもその片鱗を見せていたが、玲衣は苦手とするタイプの術式がないようだ。
玲衣の一言は堅持にとって火に油だったが、事実を素直に認められないほど子供ではない彼は口惜しげに唇を噛み締めた。
「そんなことより、そろそろ休憩にしないかなっ?」
堅持を適当にあしらいながら玲衣が言うと、綾と聖奈の二人も手を止めてこちらにやってきた。
全員が玲衣の提案に賛成して訓練場外へと出る。すかさず堅持が壁際の一角を陣取ると、玲衣は壁面収納式の椅子を引っ張り出して腰を下ろした。
「それじゃあ堅持、あたしお茶ね」
「はいはい……って何でだよ!」
典型的なノリ突っ込みを見せた堅持が歯をむき出しにして抗議する。
その間に、秋弥たちは自分の座る椅子を引っ張り出しながら、二人のやりとりを見守った。
「何でって、あんた、あたしに模擬戦で負けたじゃない? まさかあのときの約束を忘れたわけじゃないわよね?」
玲衣がしてやったりの笑顔でにこやかに微笑む。堅持が模擬戦の相手に玲衣を指名したとき、たしかに彼女はそう約束させていた。
曰く、一生パシりにすると。
「チッ……わかった、わかったよ。ったく、変な約束しなけりゃ良かったぜ」
「言い訳は見苦しいわよ」
「……で、お前らは何にする?」
堅持はそれ以上取り合わず、視線を秋弥の方へと向けた。どうやら他の人の分もついでに買ってきてくれるらしい。
お願いしても良いものかと思案気な綾を促すために、堅持には悪いが「お茶を頼む」と秋弥は言った。
「あの、でしたら私はオレンジジュースでお願いします」
「オーケイ。天河さんは何にする?」
「ではわたしも牧瀬さんと同じものを。……沢村さん一人では大変ですよね。わたしもお手伝いします」
「ん、いや、すぐそこだし一人で大丈夫だよ。天河さんは優しいなぁ。どこかの玲衣とは大違いだぜ」
「……堅持、あたしやっぱりアイスショートヘーゼルナッツシロップツーパーセントバニラキャラメルエクストラホイップラテをお願いね」
「何それ!?」
不用意に余計な一言を付け加えてしまったことで、玲衣から嫌がらせのような注文を受けた堅持は眼を丸くした。
「それじゃあオレンジジュースが一つとお茶三つだな……」
「いや、だからアイスワンショットショートヘーゼルナッツシロップツーパーセントバニラキャラメルモカエクストラフォーミーラテで——」
「オレが悪かった!」
堅持がついに限界を感じて謝罪した。綾が顔を逸らして苦笑する中、堅持をからかって満足した玲衣は「鍛錬の後だし、やっぱりお茶でいいわっ」と言って堅持を送り出したのだった。
「玲衣、あまり堅持をからかってやるなよ。さすがにちょっと可哀想だ」
「えー、いいじゃない。面白いんだし」
「まあ見てる分にはな」
あんまりな秋弥の一言に再び綾がくすくすと笑い声を漏らした。彼女は意外にも笑い上戸のようだ。
堅持が戻ってくるのを待っている間、他の学年やクラスの学生たちが訓練場内で封術を行使する姿をぼうっと眺める。
情報を書き換える際に生じるエリシオンの光情報流がそこかしこで煌めく。光情報の色相パターンで、彼らが行使している術式の属性を読み取ることができる。だが、複数の原質が組み合わされた術式は色が混ざり合うため、色の数は九つの原質よりも多い。特に上級生たちが行使している術式は数種類の原質を組み合わせた封魔術式のようで、純色ではない複雑な色を放つ術式が、発動と解放を繰り返していた。
「そういえば——」
と、秋弥はこの休憩時間を利用して、星条会長から頼まれていたことを聖奈に話してみようかと思い、隣で姿勢良く座る彼女に視線を移した。
「どうかしましたか?」
訓練場内の様子を眺めていた聖奈が秋弥の視線を感じてきょとんとした表情で小首を傾げた。その仕草で、肩にかかっていた栗色の髪がはらりと落ちた。
「星条会長……学生自治会の会長から天河に伝言を頼まれてるんだ」
秋弥が学生自治会の役員であることは、聖奈が入学してきた初日に説明済みだ。それに、数時間前の対人戦闘訓練の授業中に秋弥が会長から直々に呼び出されたことも彼女は知っている。
しかし、その呼び出しの理由が自分の放った未知の術式にあるとまではさすがに思い至っていなかったようで、聖奈は——、
「学生自治会長がわたしに、ですか」
思い当たる節がまるでないとでも言うように聞き返した。
「そうだよ。話したいことがあるから、学生自治会室に来てほしいってさ」
本当は『話したいこと』の内容までわかっているのだが、悠紀から頼まれたことはあくまでも聖奈を学生自治会に連れて行くことで、その理由を説明することではない。
聞かれれば答えるが、必要以上にぺらぺらと喋るつもりは、秋弥にはなかった。
「それはもしかして、模擬戦でのことが……?」
と、二人の会話を端で聞いていた綾が静かに口を挟んだ。
「え、それって聖奈も自治会に入るってこと?」
玲衣も思わずそう言った。
綾は聖奈の放った未知の術式を連想して、玲衣は秋弥が自治会に呼び出されたときのことを連想したのだろう。二人が思い当たった理由はそれぞれ異なるものの、着地点は一緒のようだった。
「え、私が学生自治会にですか?」
驚きで開いた口を隠すように、開いた手で上品に口元を覆いながら聖奈が言った。
「……まあそういうわけなんだ。理由は星条会長の方からちゃんと説明してくれると思うんだけど、後で自治会室に一緒に行ってくれないかな?」
申し訳なさそうに秋弥が言うと、聖奈は頷いた。
「わかりました。すぐに行かなくても良いのでしょうか?」
特に時間制限は課せられていない。さらに言えば本日中とも言われていない。今は放課後なので、『課外活動』で学外に出ていない限り、自治会室にいるとは思うのだが……。
「確認してみるよ。もしすぐに来てほしいって言われても大丈夫?」
「はい」
聖奈の短い返事を聞いた秋弥は、デバイスを立ち上げて用件を書いたメールを悠紀に送信した。
すると間髪を入れずに悠紀から返信メールが届いた。それも秋弥が書いた数行のメールに対して、十数行にも及ぶ内容のメールだった。
その半分以上は世間話のような他愛のない内容だったのだが、質問の回答は先頭行に書かれていた——つまりそれ以降は全て余談だった。
「……来られるなら来てほしいけど、遅くなりそうなら明日でも良いってさ」
「でしたら、あまり自治会長をお待たせするのも申し訳ありませんので、これから向かった方が良いですよね」
「ん、秋弥と天河さんはどっか行くのか?」
と、ちょうど堅持が人数分の飲み物が入った紙コップを丸いプレートの上に載せて戻ってきたところだった。
「ああ、学生自治会に少し用事ができてな」
「そっか。飲み物買ってきたけど、今すぐ行っちまうのか?」
「いや、せっかくだから飲んでから行くよ」
秋弥は礼を言いながら、お茶の入った紙コップを堅持から受け取る。
飲み物の代金に関してはデバイスの料金振込用アプリを使って指定金額だけを堅持の端末へと移した。
「ありがとうございます、沢村さん」
聖奈と綾もそれぞれに飲み物を受け取る。全員の手に飲み物が渡ると、堅持は飲み物を買いに行っている間に秋弥が出しておいた椅子に腰を下ろしてスポーツドリンクを一気に呷った。
「で、なんで二人は学生自治会室に行くんだ?」
退席していて話を聞いていなかった堅持が、空になった紙コップを手で弄びながら尋ねた。
「星条会長が、聖奈さんを自治会室に連れてきてほしいと秋弥さんに頼んだそうですよ」
堅持の問いに答えた綾の隣では、両手で包み込むようにカップを持った聖奈がこくこくと喉を動かして冷たいお茶で喉を潤していた。
「へぇ、何でまた……はっ!? もしかして天河さんも自治会に?」
思考パターンが完全に玲衣と同じだった。
とはいえ、聖奈の治癒術式に何の疑問を抱かなかったのならば、堅持でなくてもそう思うはずだ。
「天河さんって何か特別なこととかしてたのか? あ、もしかして秋弥が模擬戦の後で会長に呼び出されたのと関係してるのか? そうか、ひょっとしてあの術式——」
声に出しながら思考をまとめた堅持は、言いかけた言葉を途中で止めた。
彼は特出して頭が良いわけでも悪いわけでもなさそうだが、非常に頭の回転が速い。
装具選定の際に顕現したクラス4thの隣神を圧倒し、高位隣神であるリコリスを呼び出した秋弥が学生自治会に招かれた理由から、聖奈がなぜ自治会に呼び出されたのか見当が付いたのだろう。彼女の行使した術式についての知識こそ持たない堅持だったが、その術式に何らかの秘密があったのではないかと思い至り、咄嗟に口をつぐんだのだ。
「大体堅持の思ったとおりだ。そういうわけだから、俺と天河は先に抜けるけど、三人はまだやっていくのか?」
「オレはそのつもりだけど、適当なところで切り上げるぜ」
「わかった。構築式の演算には無意識領域を使ってるとはいえ、あまり無理しすぎると気付かないうちに疲労が溜まってたりするからな」
そこで秋弥は片頬を軽く釣り上げて笑った。
「試験科目は実技だけじゃないんだ。そっちの勉強もちゃんとしておけよ」
言うと、一か月前から勉強を開始していた綾は余裕の表情を見せて、堅持と玲衣は苦虫を噛み潰したような表情を見せたのだった。
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もう今更、治安維持会の会長様が当たり前のように我が物顔で自治会室に入り浸っていたとしても、決して驚かない。
ソファに浅く腰掛けて足を組み、デバイスからホログラムウィンドウを立ち上げて外部サイトにアクセスしているスフィアを一瞥しながら、秋弥は慣れというのはおそろしいものだと思った。
制服に着替えてから聖奈と合流した秋弥は、彼女とともに自治会室を訪れていた。
一日に二回も自治会室に顔を出している自分も他人のことは言えないなと秋弥が思わないのは、彼の場合、基本的には意味のある来訪だからだ。
スフィアの隣に腰掛けて対面に聖奈を座らせた悠紀もまた、スフィアを自治会室の置物かマスコットであるかのように扱っているようでろくに目もくれず、聖奈を呼び出した理由について説明をしていた。
なお、いつものように何かしら飲み物を勧めてきた悠紀だったが、少し前まで特別訓練棟で中間考査の実技試験に備えた練習をし、休憩してからここに来たのだと秋弥が告げると、残念そうに自分の分の飲み物だけを用意したのだった。
「——ということなのだけれど、どうかしら」
一頻り説明を終えた悠紀がそう言って締めくくると、聖奈が何らかの回答をするまでは何も言わないことを暗に示すため、湯気が立ち上る紅茶のティーカップへと手を伸ばした。
交渉事や相談事をする際には、会話の間や区切りが必要となる場面が多々ある。来訪者と、それに相対する自分に飲み物を用意しておくことは彼女なりの小道具——演出のひとつなのではないかと、秋弥は考えた。
「……会長のおっしゃることはわかりました。ですが、そのような理由でわたしのような未熟な者を由緒ある封術学園の自治会役員に加えられることに、学園で修学する皆様や他の役員の皆様は納得されるのでしょうか?」
「納得は『する』だけじゃなくて『させる』ことだってできるのよ、聖奈さん」
とんでもないことを笑顔のままでさらりと言う悠紀だったが、それが冗談であることは彼女の軽い口調と小悪魔的な笑顔からも明らかであった。
「それに、未熟だからといって目の前の幸運を諦めたり、遠巻きに眺めているだけでは、いつまでも停滞したままになってしまうわ。謙虚な姿勢でいることが貴女の美徳で処世術なのかもしれないけれどね。時には自ら首を突っ込むくらいの気概や覚悟を持たなければ、本当に大切なものを手に入れたいときや守りたいときに、その手の伸ばし方がわからないかもしれないわよ」
悠紀は一転して、優しげな口調で聖奈を諭した。
口調とは裏腹に厳しい台詞のようにも思われたが、聖奈にとっては効果があったようで、彼女は眼を丸くして、左右で色の異なる悠紀の双眸を見返した。
「心配しなくても大丈夫よ。貴女の隣にいる秋弥君だって、正式に自治会の役員となったのは貴女が入学してきた日なんだから。秋弥君と聖奈さんの二人で、自治会役員として成長していけば良いわ」
唐突に話の引き合いに出された秋弥は、なぜ自分までこの場に呼ばれたのかを理解した。ようするに、聖奈を勧誘する口実に利用されたというわけだ。だが、その程度のことで気を悪くするような秋弥ではない。それで聖奈を自治会に迎え入れることができるのならば構わないだろうと、彼は思っていた。
聖奈の演算処理能力や術式の構築・構成力は、秋弥の目から見ても一線を画しており、一目置くものがあることは疑いようもない。
そして、聖奈が最初に見せた未知の治癒術式——。
それが聖奈の意図した結果なのか、はたまた装具による何らかの割り込み動作の結果なのか。
特別訓練棟で封魔術の練習をしていたときに聖奈が見せた表情が、ふと頭に過ぎった。
未知の治癒術式を発動させたときとは異なる、困惑気味の表情を……。
杞憂であればそれに越したことはない。装具の割り込み動作効果は珍しい事象ではあるが、こちらは過去に前例がないわけではないのだから。
だが、それが本人の意図していない結果をもたらすのならば、その意味合いは百八十度変わってしまう。
すなわち、術式の行使者が予期しない、制御できない力であるということだ。
その力を持つ危うさの意味を秋弥は知っている。
誰よりも姉の近くにいた秋弥だけが、それを知っている。
姉を助けることができなかった自分を、
ただ見ていることしかできなかった自分の無力さを、知っている。
「……会長が御気に掛けて下さること、深く心に響きました」
と、聖奈はソファから腰を上げると、丁寧すぎるほど丁寧な口調とともに深く頭を下げた。
「右も左もわからない若輩者ですが、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」
だからこれは秋弥の勝手な感傷であり、単なる自己満足でしかないのだけれど。
彼にとって、聖奈の自治会入りは、ある意味では贖罪の機会なのかもしれなかった。
スターバックスに入店して、前に並んでいたが呪文のようなオーダーをしたときには驚いたものです。なお、作中のオーダーにつきましては完全にフィクションですので、実際のオーダーとは誤りがあるかもしれません。そのときはそっと修正します。
2013/01/04 可読性向上と誤記修正対応を実施