第19話「治安維持会の仕事」
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学園内を見回りながら、校則で定められた干渉力以上の干渉を必要とする封術を行使している学生がいればそれを取り締まる。
それが、治安維持会の主な仕事である。
見回るコースは特に定められていない。
ただし特別訓練棟だけは、元々封術見習いである学生たちの封術を向上させるための訓練施設であるため、施設使用許可が下りている組織や学生であれば施設内ではどのような封術を行使しようとも、治安維持会によって咎められることはない。
もちろんこれは学生自治会によって施設の使用者が特定されているからであり、問題が発生すればすぐにわかるからなのだが、学園の他の施設ではそうもいかないため、治安維持会が見回ることでこれに対応している。
ちなみに、自治会室の隣に維持会室というものがあるのだが、ほとんど使用されておらず——会長であるスフィアが自治会室に入り浸っているせいでもあるが——維持会メンバーもスフィアへの定期連絡さえ怠らなければ、比較的自由な行動が許されている。
なお、治安維持会のメンバーは一般学生と比べて、学内での封術使用制限が緩くなっている。そのため、もし仮に彼らが問題を起こすようなことがあれば、一般学生よりも思い罰則が与えられることになるのだという。
メンバーの選出は学園組織側から最大二人、会長推薦で最大二人。つまり、維持会の構成人数は会長自身を含めた計五人ということになる。
維持会メンバーは全員、右腕に赤い腕章を巻いているのだが、秋弥はまだ学園内でスフィア以外の維持会メンバーと出会ったことがなかった。
「他のメンバーと見回るところが重なることはないんですか?」
「心配無用だよ。今日は全員非番にしてあるからね」
この学園の治安は本当に大丈夫なのかと早くも頭がクラクラしてきた秋弥であったが、今更それを嘆いていても仕方がない。
特別訓練棟は見回る必要がないので、まずは手近なところから見回っていくことにした。
とはいえ、封術教師の研究室がある多目的棟で問題を起こす兵はいないということで、二人は現在、本棟の中央通路を歩いていた。
「事件なんて、それほど頻繁に起こるものなんですか?」
「誰だって、力を得たらそれを誇示したがるものだからね。頻繁というほど起こっていたらそれはそれで問題なのだけれど、常に注意するに越したことはないんだよ」
秋弥は教室で激昂した鶴木が感情のままに封術を発動させたときのことを思い出していた。
下級生——特に装具を手にしたての学生たちの間では、封術を行使した小競り合いが多いのだと、スフィアは言った。しかし、家系的に封術を学んでいない学生同士の小競り合いならば、それほど強力な封術を行使することもできないため、学生の自治性を高めるという意味合いもあって、できる限り当人同士で解決してもらうことを由としている。
そう聞いてしまうと治安維持会が出動するケースは比較的少ないようにも思えるのだが——実はそうでもないというのが、続くスフィアの言葉だった。
学年が上がるほど自制ができるようになるため、本来であれば封術絡みの問題は減少していく傾向にあるはずなのではないかと秋弥が問うと、近年ではむしろ横這いなのだと言われてしまった。
「実際のところ、難しい問題だよね。封術人口は年々わずかながら増えていってるけれど、相対的に責任感や義務感を持った学生が減っている。ただ高い異層認識力を持っているからというだけで、ちょっと背伸びすれば封術学園に入学できてしまうようなケースだってあるからね。キミが一緒に仕事をした封術師のムカエも、実はその一人なんだよ。問題を起こすのはそういう学生が多い。在学中も、卒業後もね」
『星鳥の系譜』である封術師の名家、鶴木家の者でさえも、些細なことで簡単に封術を行使したくらいだ。
現在では、一般家庭から封術師見習いとなる者の方が増えており、その中には『星鳥』以上の力を潜在的に持った者だって、少なからずいる。だが、脈々と続く封術師の血統が、そんな彼らよりも劣っているかもしれないということを認められない者もいるのではないかと、秋弥は考えていた。
「まあ誰だって、学生生活くらいは何事もなく平穏無事に過ごしたいものさ」
それは秋弥が入学当初から思っていたことだったので、思わず苦笑してしまった。
もう平穏無事な学園生活を過ごせる未来を、彼は想像することができなかった。
「この時間だと、まだ教室に残っている学生もいるからね。下の階から順に見て回っていこう」
とは言うものの、封術の行使や装具の召還が全面的に禁止されている教室棟では、特に問題らしい問題は起こっていなかった。
余談だが、二人が一年三組——すなわち秋弥のクラスを訪ねたときには、教室にまだ残っていたクラスメイトたちがスフィアと一緒にいる秋弥の姿を見つけて羨望や嫉妬の眼差しを向けてきたり、スフィアが唐突に秋弥の座席に腰掛け、意味有り気にニヤニヤしたりしだして大変だった。
スフィアの教室を訪ねたときには、逆に彼女を困らせてやろうかと内心で企んでいた秋弥だったのだが、下級生を連れたスフィアが自身のクラス——四年一組を訪ねたときには、上級生女子の興味の対象がスフィアではなく秋弥に集まってしまい、別の意味で気苦労が絶えなかったのだった——。
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「封術絡みの事件が起こるとしたら、部室棟かグラウンドの方ですか?」
「グラウンドも時間帯によっては特別訓練棟のように封術結界による術式の制限をかけているからね。今の時間は大丈夫だけど、一応見回っておこうか」
二人は本棟の一階まで降りると、北西に位置するグラウンドに向かうために一度外へと出た。
陽はまだ落ちていない。
部活に励む学生たちの声が二人のいる場所まで届いてきていた。
「運動系の部活動といえば、十月には四校統一大会があるよね。選手候補の視察も兼ねて、様子を見ておくのも良さそうだ」
四校統一大会といえば、全国に四校ある封術学園から代表選手が集まって封術の技量を競い合う大会である。
統一大会は異層世界の脅威から将来の現層を護る有望な封術師見習いたちが出場するということもあって、毎年多大な賑わいを見せている。また、統一大会の開催期間だけは一般の人々も大会を観戦することができるので、観戦チケットはプレミア価格で取引されるといった背景もある。
学園の代表選手に選ばれるということは、封術師見習いにとっての名誉であると同時に、封術師としての将来に対するステータスにもなり得るということだ。
運動系の部活動——特に封術を用いた部活に参加する学生たちは、毎年一度行われる四校統一大会のために、己の技術を磨いていると言っても過言ではなかった。
「あれ、秋弥じゃん。こんなところで何してるんだ?」
グラウンドに入ってランブルボール(封術によって強化したラケットを用いて、一定の高さまで浮かせたボールを高速で打ち合う競技)を遠巻きに眺めていた秋弥は、背後から声を掛けられて振り返った。
声の主は、動きやすそうなTシャツ姿の堅持だった。
「すみませーん! ちょっと用事があるんで、後で合流しまーす!」
ランニングの途中だったのだろう。一定のペースで走り去っていく集団の背中に堅持が声を張り上げると、集団の中の一人が腕を上げてそれに了承した。
「拳術部はランニング中か?」
「ああ、運動前のウォームアップにな。お前こそ何してるんだ?」
「俺は——」
「おや、キミはシュウヤの友達かい?」
言いかけたところで、後ろからスフィアが割り込んできた。そのため秋弥は沈黙を余儀なくされた。
「うぉあっ……って、ひょっとしてスフィア会長ですか? 治安維持会の?」
「うん、そうだよ」
金髪灰眼に抜群のプロポーションを持つ英国風美少女が突然現れたことに驚いた堅持だったが、その容姿と右腕の腕章から、すぐに彼女が誰なのか思い至ったようだった。
「おぉ……噂以上の美人」
「はは、有り難く受け取っておくよ」
「!?」
内心で呟いたつもりが声に出していた堅持は眼を丸くした。
途端、秋弥にはスフィアの瞳の奥に、黒い光がうっすらと揺らいだように見えた。
何かよからぬ事を企んでいる瞳だ。
「もう一度聞くけど、キミはシュウヤの知り合いかい?」
繰り返しの質問のはずが、『友達』から『知り合い』へと微妙に格下げされていたのだが、気に留める者は秋弥以外にはいなかった。
「は、はいっ! 自分は秋弥のクラスメイトで、拳術部員の沢村堅持と申します!」
堅持は上級生の——それも治安維持会の長であるスフィアから話しかけられて、上ずった声で答えた。
そんな下級生の様子を見慣れていたスフィアは、普段のニヤニヤとした笑みを浮かべている。
その笑顔から何かを企んでいそうな雰囲気を感じ取った秋弥は、彼女の背後で小さく溜息を吐いた。
「そうか、サワムラは拳術部なんだね。拳術部からは毎年優秀な選手が『事象の地平面』の代表として選ばれているから、キミも代表選手の一人になれるように精進するんだよ」
しかしスフィアは、堅持を普通に激励しただけで他には何も言わなかった。
『事象の地平面』とは四校統一大会の競技種目のひとつで、透明な直方体のコートを二分してそれを互いの陣地とし、敵陣にいる相手選手にボールを当てるというスポーツである。自身の身体や競技用のボールには封術を行使しても良いため、一般には封術版ドッジボールとして認知されている。
『事象の地平面』は男子のみ出場可能な競技で、各校からは六名の学生が選ばれる。
入部したての一年生である堅持が『事象の地平面』に出場できる可能性は、その封術の技量を鑑みてもほとんど皆無と言って良いのだが……。
学園の二大巨塔、治安維持会の会長から直々にエールを送られて、単純思考な堅持は一段とやる気が出たようだった。
「はい、精一杯頑張ります!」
「うんうん、新入生は元気が良くて素直で可愛らしいね。どこかの誰かさんとは大違いだ」
まさかこのタイミングでこちらに飛び火してくるとは思っていなかった秋弥は、少々面食らった。
スフィアからジト眼を向けられて、思わず苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。
この上級生は事あるごとに他人をからかわないと気が済まないのだろうか。
「……元気がなくて素直じゃない後輩ですみませんでしたね」
「ココロが籠もってないぞ、シュウヤ。封術の力の源は『意』なのだと、最初の講義で教わらなかったのかい?」
「はあ、もう何でも良いですから。スフィア会長はちょっと静かにしていてください」
諦めモードの秋弥はおざなりな感じでスフィアをあしらうと、堅持に眼を向けた。
「……おいおい秋弥。お前、スフィア会長にそんな口を利いて大丈夫なのか?」
と、堅持は秋弥の肩に腕を回しながら、不安げな面持ちで彼にだけ聞こえるように小声で言った。
「ん、どういう意味だよ」
「スフィア会長と言えば、運動系の部じゃ知らない人はいないくらいの超有名人なんだぞ」
「それが何か問題なのか?」
「……オレも部活の先輩から聞かされた話なんだけどよ。スフィア会長は封術の過剰行使者に対して全く容赦がないらしい。……うちの部では『金髪を見かけたら全力で逃げろ』って言われてる」
どうやら先ほどの挙動不審な態度はスフィアの美貌に緊張したのではなく(それもあるかもしれないが)、先輩から聞かされていた件の人物を目前にして、萎縮したためだったようだ。
「もしかしてお前と一緒にランニングしてた人たちって、お前を贖罪の羊にして逃げたんじゃないのか……」
「言うな。否定できん……」
堅持とともにランニングをしていた拳術部のメンバーには上級生も混じっていたのだが、その中の誰かがスフィアの存在にいち早く気付いたのではないかと二人は予想した。
「お前もそろそろランニングに戻った方が良いんじゃないか? あまりここで油を売ってたら、今度は怖い上級生に眼を付けられるぞ」
「そうだな……、それじゃあそろそろ行くぜ」
「ああ、部活頑張ってな」
「あ、そうだ。結局お前、ここでスフィア会長と何してたんだ?」
「それはね——」
このパターンは、と秋弥が思ったときには、もう遅かった。
「シュウヤはワタシと、放課後デートをしているんだよ」
再びひょっこりと現れたスフィアが、例のニヤニヤ笑顔を浮かべて悪戯っぽく言う。
そのときの堅持の顔を、秋弥はしばらく忘れられなかった。
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その後、堅持を説得するために無駄な労力を消費した秋弥と、彼をからかうことができて上機嫌のスフィアは、グラウンドを離れて部室棟のある別棟へと向かっていた。
封術学園では規定人数さえ揃えば、顧問がいなくても部を設立することができる。もちろんその設立目的や活動内容が明文化されていなければ学生自治会の認可は下りないのだが、顧問がいなくても部として認められる辺りは、学生の自主性を重んじる封術学園ならではと言えるだろう。
また、部として認可されれば部室棟の一室が部室として割り当てられる。ただし部室は八畳ほどの広さなので、拳術部のように部員数が多い場合は、必要に応じて多目的棟や特別訓練棟の一部施設を貸し出すようにしている。
「基本的には七、八人で構成された少人数の部が、部室棟に部室を持っていることになるね」
「ということは、運動系よりも文科系の部が、ここには多く集まっているということですか?」
「察しが良いね。運動系の部活動の多くは封術学園の花形である四校統一大会の出場に重点を置いているけれど、文科系の部活動はどちらかと言えば封術の理論体系に主眼を置いている。善し悪しの話ではないけれど、運動系に学生が多く集まるのに対して、文科系の部に入る学生は少ない。文科系の部は運動系の部に比べて数は多いが、全体の人口を見ると、運動系には遠く及ばないんだよ」
部室棟に来るのはオリエンテーション以来二度目のことだが、あのときはまだ授業時間中であったため、どの部室も活動していなかった——していたらそれはそれで問題だ。
オリエンテーションのときには閑散としていた部室棟も、今は放課後の時間帯なので、学生の姿がそこかしこにチラホラと見受けられた。
「シュウヤはどこかの部活に入ろうとは思わなかったのかい?」
「どうしたんですか、急に?」
質問に質問で返しても答えは得られないだろうが、秋弥は咄嗟に聞き返していた。
「部活に入っていたら学生自治会には入れなかったからさ。いや、それは逆かな。学生自治会に入ったら、部活を辞めなければならなかったからさ」
しかし、スフィアはシュウヤの問いに答えてくれた。
「元々、俺は部活にも学生自治会にも入るつもりはありませんでしたからね」
「……さっきの事を根に持っているのかい、シュウヤ」
素直に答えたつもりだったのだが、言葉の端々に棘が混じってしまったのはどうしようもなかった。
「組織の掛け持ちが禁止されているのでしょう? 校則にそう書いてありましたね」
「そのとおりだよ。ここで言う組織というのは部活動だけじゃなくて、自治会や維持会も含めた学園の組織という意味だからね。学園祭や四校統一大会の準備委員のように、一時的に集められる場合は除くけどね」
すれ違う学生たちがスフィアに会釈やあいさつをする。それにひとつひとつ応えながら、二人は見回りを続けた。
「実は、治安維持会のメンバーにも欠員が出ていてね。……いや、欠員という言い方はこの場合少し間違っているかな。治安維持会長——つまりワタシの推薦枠がまだ一人分、空いているんだよ」
治安維持会の役員は会長を含めて最大で五人。会長職は現会長からの直接指名によって選ばれ、その際に新会長は役員を二人まで指名できる。
学生自治会長と治安維持会長の同意が必要な学生自治会役員にもこれまで二つの空席があったのだが、そのうちの一席は、先日秋弥が拝命したことによって埋まっていた。
「今だから本当のことを言うんだけど、空席にはキミを迎え入れようかと思っていたんだよ」
思いがけないスフィアの言葉に、秋弥が足を止める。
すると、数歩先に進んでいたスフィアが金色の髪を靡かせながら振り返って、わずかに眼を細めた。
「自治会長の任命権と維持会長の推薦枠。どちらがより優先されるかどうかという単純な話ではなくて、ワタシはただ純粋に、キミの持つその力に興味を持ったんだ」
スフィアの言う『その力』が紅の異能型装具や隣神リコリスのことだけを指しているのではないと、秋弥は思った——彼女の真意は窺い知れなかったが。
「もっとも、今はキミの力ではなく、キミ自身に興味があるけどね」
「それは……俺が九槻月姫の弟だからですか?」
「さあ、どうだろうね」
見当違いの問いだったのだろうか。適当にはぐらかされてしまう。
話を掘り返すつもりもなかった秋弥は話を進めることにした。
「……それでもスフィア会長は、星条会長に権利を譲ったんですか?」
「そうだね。だってキミは、治安維持会には絶対に入らないと思ったからさ」
首を傾げると、スフィアは普通の微笑みを浮かべた。
それはいつもの人を喰ったような笑みではなく、純粋な微笑み。
不覚にも見とれてしまうほどの、綺麗な微笑みだった。
「治安維持会は学園の中だけで閉じた組織なんだ。誰に褒められるということもないけれど、学園の内側に限って言えば立派な仕事だと、ワタシは思う。だけど、だからキミの興味を引くような活動は何もしていないとも言える。維持会長になれば自治会の『課外活動』にも参加できるようになるけれど、ワタシが会長で在り続ける限り、キミが維持会の会長になれることは決してない。だからワタシはキミを諦めた。いや……、キミが言うとおりユウキに譲ったんだ。それが、誰にとっても最良の選択だと思ったからさ」
「……スフィア会長」
くるりと背を向けたスフィアに向かって秋弥は声を掛けたのだが、何と言って良いかわからずに口をつぐんでしまった。
「ははは。少し、ワタシらしくもない話をしてしまったかな。ユウキには内緒だよ?」
普段どおりの飄々とした口調で、しかし眼を合わせず、背も向けたままのスフィア。
雑談はこれでお仕舞いとばかりに歩みを再開した彼女の後を追いかけて、秋弥は彼女のやや後ろを同じ歩調で歩く。
表情を窺うような野暮な真似はしない。
そんなことをしなくても、秋弥には先ほどよりもほんの少しだけ、スフィアという治安維持会長のことを知る事ができたと、そう思えた。
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部室棟の各階廊下を巡回しつつ南階段と北階段をジグザグに上りながら四階に差し掛かったとき、廊下で怒鳴り合う二つの声が秋弥の耳に届いてきた。
「おや、これは事件かな」
「行ってみましょう」
二人は人集りのできている中へと割って入る。
治安維持会の腕章を見た——あるいは噂に聞く恐怖の維持会長を見た——学生たちは、スフィアとともにいる見慣れない自治会役員を訝しんだが、何も言わずに二人のために道を開けた。
人集りの中央では、数人の学生が互いに一歩も引かない様子で向かい合っていた。
互いの手には、装具が握られている。
グラウンドや特別訓練棟の訓練施設のように強力な封術結界が張られていない部室棟で、秋弥は今まさに小競り合いを演じている彼らへと眼を向ける。
「君たちの言い分はいつだってそうだ。悪い方にばかり考えて、前を見ようとしない!」
現場に治安維持会長が居合わせていることに気付いていない小競り合いメンバーのうちの一人——眼鏡をかけた男子学生が言った。
それに対して、線の細い男子学生が食ってかかる。
「お前たちの方こそ、いつもいつも良いことばかり考えて、過去を振り返ろうとしないじゃないか!」
「人間の眼がどうして前に付いているか知っているかい? 前を向いて歩いて行くためさ!」
「人間がなぜ昔のことを覚えているか知っているか? 過去の出来事を思い出すためだ!」
「最悪のケースばかり考えて、明るい未来を考えない君たちに何を言われたって構うものか!」
「最高のイメージばかりに気を取られて、過ちを繰り返そうとしているお前たちに何を言われたところで怖くないね」
何に対してのやりとりなのかはわからないが、二人の議論は平行線を辿っていると、秋弥は思っていた。
「ああ、また彼らが言い争いをしているのかい」
「スフィア会長は知ってるんですか?」
「ポジティ部とネガティ部の言い争いは日常茶飯事だからね」
「は? ポジティブとネガティブ?」
「違うよシュウヤ。ポジティ部とネガティ部さ」
微妙にイントネーションの違うスフィアの言葉から、秋弥は語句を脳内変換すると、
(ただの駄洒落じゃないか……)
がくりと肩を落とした。
「ポジティ部はプラスの考え方がどれくらい封術の干渉力に影響を与えるかを追求している部で、ネガティ部はマイナスの方面から物事を捉えて事象の改変に必要とされる干渉力が最低どの程度になるかを追求している部だよ」
スフィアからの説明を受けた秋弥は、冗談みたいな部の名前に反して思いの外まともな活動内容に驚いてしまった。
「まあモノの考え方が互いに違うから、こうしていつも言い争っているんだけれどね」
「……止めなくて良いんですか?」
「過剰行使さえしなければ、それは当人たちの問題さ。彼らもそれは弁えているからね。ほら、見てごらん。メンバーの一人が周囲に封術結界を張っているだろう」
示された先を見ると、長い髪の女子学生(どちらの部員かはわからない。案外、野次馬の一人かもしれない)が床に片膝と片手を突いて、周囲に封術結界を張っていた。
校則で定められている規則内の封術でも、扱いを間違えれば火災や停電、水害などを及ぼしかねない。
学園設備を倒壊させるような封術の行使はもっての外だが、それ以外でも、状況によっては厳罰が下されることもある。
その辺りの重み付けについては現場に居合わせた自治会役員や維持会メンバーの裁量によって一任されているので、罰則の程度は報告書上でしか知れないことだ。
「彼らのことはまあ、放っておいても大丈夫だろうけど……。一応最後まで見守ってみようか」
完全に傍観者を決め込んだ様子のスフィアに倣い、秋弥も人集りの最前列で傍観することにした。
ところで、二人はいったい何の議論をしているのだろうか。
「どうして食べてもいないのに目玉焼きに醤油は有り得ないと決めつけるんだ!」
「それで失敗したらせっかくの目玉焼きが台無しになるからだ! そうなるくらいだったら俺は最初からいつもの食べ方を選ぶ!」
……実にどうでもいい内容の議論だった。
「ほらみろ、また悪い方向に考えたね! それで君たちの未来はまたひとつ閉ざされたんだよ!」
「そうやって進んだ先が閉ざされていたら、お前たちは失敗を振り返るか? 振り返らないだろう?」
「そりゃあそうだよ。また次がある。そう考えて、閉ざされた先に新しい道を作って歩くね!」
「その考え方が間違っているというんだ。次があるというその甘い考え方は『現在』を見ていない。現在を最良にするためには、常に最悪のケースを考えておくべきだ」
「それは間違っているね。より良い未来を目指すために歩みを進めることで、『現在』という結果に満足できるんだよ」
しかし、どうでもいい議論から始まったにも関わらず、二人の議論はいつしか妙な方向へと進んでいた。
ただし、平行線上に立つ二人の結論が『ひとつ』になることは決してない。
不意に細い男子学生——言動の内容から見て、ネガティ部の学生が装具を相手に向けた。
曲刀の形をした装具から、封術で組み上げられた風の球が放たれる。
眼鏡の男子学生——ポジティ部の学生がすぐさま長槍に似た装具を構えて、これを受け止める。
だが、眼鏡の男子学生が咄嗟に発動した風の盾では風の球を完全に相殺しきることができず、一部が受け流されて彼の背後で封術結界を張っていた女子学生に直撃した。
女子学生は声を上げる間もなく、人集りに向かって吹き飛ばされる。
それを見た眼鏡の男子学生は封術結界が解けてしまったにも構わず、無我夢中で火系の封術を発動させようとした。
細い男子学生もそれを防ぐために新たな封術の演算を開始する。
(マズいな)
秋弥は内心で呟いた。
細い男子学生の身体から一瞬だが生じたエリシオンの過剰光の色は緑だった。
これと前の封魔術式から連想して彼の得意属性は『風』のようだが、風系の封術は火系との相性が非常に悪い。
封術結界が解けた今の状況で火系の封術に風系の封術をぶつければ、拡散された火が周囲に飛び火してしまう可能性が高かった。
いい加減止めに入るべきではないのかと、秋弥が視線を横に移す。
しかし、そこに在るべきスフィアの姿がなかった。
視線を急いで正面へと戻す。
スフィアは一瞬にして二人の間に飛び込んでいた。
交差させた両腕の手に装具を召還すると、彼女はその引き金を同時に引いた。
発砲音は一つ。
発射された弾は二つ。
加速と緩衝という二重の制御術式ががけられた二つの銃弾が、刹那の間に二人の術者を無力化していた。
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「——というのが一連の顛末です」
自治会室に戻った二人は、悠紀に部室棟で起こった出来事を報告していた。
悠紀は執務用の机上で行っていた他の作業の手を止めて、秋弥の報告を聞いている。
スフィアはというと、ソファに腰掛けて寛いでいた。
「ありがとう、秋弥君。状況は概ね理解したわ」
二人を止めに入ったスフィアが瞬く間に術者の意識を奪ったことで、構築途中にあった術式は発動が無効化されて事無きを得るに至った。
緩衝制御の効果によって威力を抑えられた銃弾——スフィアはゴム弾だと言い張っているが、封術で創られた銃弾であるため真偽の程は定かではない——のおかげで、軽い脳震盪程度で済んだ当事者たちは、目覚めた後にスフィアの姿を認めた途端、青醒めた表情で畏まり、童子に謝罪をした。
また、人垣がクッション代わりになったことで、風球を受けた女子学生に怪我がなかったことも幸いだったと言えるだろう。
「当事者たちには反省文でも書かせましょうか。それで良いわね、スフィア?」
「その辺りの裁量はシュウヤに一任するよ。現場にいたのはワタシだけじゃないからね」
気怠そうな感じのする声で言うスフィアに、悠紀は溜息をひとつ吐いた。
「……とスフィアは言っているのだけれど、秋弥君はそれで良いかしら?」
「良いんじゃないですか。本来だったらもっと大事になっていたかもしれませんが、スフィア会長が現場にいたのは不幸中の幸いとも言えますしね」
「そうね。それじゃあ今回はその点も踏まえた反省文にしておきましょうか」
干渉力の強い封術は、それだけで強力な事象改変をもたらす。
だがしかし、封術は扱い方を誤れば、それがたとえどんな些細な術式であったとしても予期せぬ事態を招くことがあるのだと、秋弥は改めて思い知ったのだった。
2013/01/04 可読性向上と誤記修正対応を実施




