第1話「鷹津封術学園」
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時代がどんなに移ろいだとしても、入学式の様相は変わらない。それは特別な目的で設立された鷹津封術学園も例外ではなかった。
学園の敷地内、多目的棟に設けられた行事用の講堂に集まった新入生たちは、入学式の全プログラムを消化し終えると、三々五々と散っていった。
行事中は静まり返っていた講堂も、人の動きが生まれると、音が反響しやすいように造られた構造も手伝って途端に騒がしさが増した。
九槻秋弥はその様子を、講堂の最前列に立って他人事のように眺めていた。
新入生のクラス分けについては講堂前の電子スクリーンに表示されている。
式後の教室移動を考慮してクラスごとに大まかな座席指定があったのだが、秋弥は新入生総代の答辞を行うために列の最前に座るようにと、学園側から指示を受けていたのだった——ちなみに秋弥のクラスは三組であり、講堂内での座席も比較的入口側に近かった。
秋弥のクラスメイトたち(と思しき集団の群れ)は既に講堂を後にしている。式中に紹介のあった担任教師によって引率されたのではなく、不要な混乱を避けるためにクラス単位で講堂を出て行くようにアナウンスがあったからだ。
放送を聴き、秋弥は最前列にいた一組の学生たちに混じって最後に講堂を出る。
講堂前では、真新しい制服を着た学生が電子スクリーンを見上げて、これから向かうべき教室の場所を今更ながらに確認していた。黒を基調とした鷹津封術学園の制服は、有名なデザイナーが手がけたものらしい。男子制服はコートにも似た膝丈の詰襟ジャケットとズボンで、両側から見ると肩口から足首に向かって一本の白いラインが引かれている。女子制服はブラウスの裾が少しはみ出る丈の、腰を絞ったジャケットと赤チェックのプリーツスカート。ジャケットには男子制服と同様に白いラインが引かれている。
答辞の原稿を提出するため、事前に何回か学園に通っていた秋弥は、改めて自分の教室の場所を確認することもなく歩き出した。
多目的棟から教室のある本棟まではそれほど離れていない。建物同士が渡り廊下によって繋がれているため、外に出ることなく教室まで移動することができる。
集団で行動する者。一人で歩いている者。ウロウロしている者。道に迷っている者。
通路には、まだ右も左も知らない新入生たちでごった返していた。
その様子に秋弥は少々うんざりしながらも、人の波を縫うようにして進んだ。
「やっほー、シュウ君」
その途中、秋弥は背後から女子学生に呼び止められた。
呼ばれたのが名前ではなく愛称であったため人違いだと聞き流すこともできたのだが、その溌剌とした良く通る声には聞き覚えがあったので、秋弥は無視することができなかった。
「……ああ、玲衣か」
くるりと振り返ると、秋弥は女子学生——牧瀬玲衣の名を呼んだ。
反応が少し遅れたのは、一見して玲衣だとわからなかったからだ。
「そうだよ。あ、もしかして髪型変えたから気付かなかったのかなっ?」
玲衣はショートボブスタイルの髪を指先で弄んだ。
彼女とは小中学校が同じ——所謂、幼馴染だった。最後に顔を合わせたのは中学の卒業式だったのだが、そのときは肩にかかる程度のセミロングだったはずだ。
髪型ひとつで、ずいぶんとイメージチェンジしたものである。
「……いや、封術学園に入学していたんだなと思って」
本当は玲衣の指摘どおりだったのだが、秋弥には何故かそれを素直に認めることに対して躊躇いがあった。
そこで、適当な言葉で誤魔化してみることにした。
「ガーン! ひどいなっ! 確かに合格発表の日にインフルエンザで学校休んでたけど……それはあんまりだよ……」
すると、玲衣はショックを音で表現しながら、講義の声を上げた。
本当にショックを受けているようには見えなかったが、玲衣の言葉尻がわずかに萎んでいったことが気になった秋弥は、一応フォローを入れておくことにした。
「冗談だよ。ちゃんと玲衣の分も代わりに見ておいたからさ。言わなかったけど」
言ってよ、と軽いツッコミをいれた玲衣が、ムスッとした表情で秋弥を睨め付ける。
どうやら、髪型を変えたことの感想を秋弥が避けようとしていることに気付いたらしい。
「それで……ねぇねぇ、この髪型どうかな、似合うかな?」
直接尋ね直した玲衣に、秋弥はさて何と感想を言ったものかと彼女に悟られない程度に視線を宙に彷徨わせた。しかし結局、素直に思ったことを伝えた。
「ああ、似合ってるよ。一瞬、誰かわからなかったくらい……だ?」
と、視線を戻した秋弥は、彼女の背に隠れるようにして立つ女子学生の存在に気付いた。
しきりにこちらを窺っていた女子学生と、自然、眼が合う。
すると、女子学生は朱に染まっていた頬をさらに上気させて、玲衣の背後に身を隠そうとした——。
「あ、この娘? さっき知り合ったんだけどね」
——のだが、玲衣が猫のようにしなやかな動きで身体を横にずらしたことによって、女子学生の狙いは断念された。
そして、急に秋弥の正面に立たされる形となった女子学生は、端から見ても可哀想なくらいオロオロとし始めた。それは怖がっているというよりも、見ず知らずの人間に対してどう接して良いのかわからず、困惑しているようにも見えた。
「シュウ君も三組だったよね。あたしもこの娘も一緒のクラスだから、これからいろいろと宜しくっ」
人見知りという言葉を知らない玲衣は女子学生の後ろに回り込むと、彼女の両肩にそっと手を置いた。女子学生は玲衣の突然の行動に驚いて大きな黒目を丸くさせたが、両肩から伝わる玲衣の手のぬくもりが彼女を落ち着かせるためのものだとわかって、ほっと胸を撫で下ろしたようだ。
「そうなんだ。俺は九槻秋弥。これからよろしく」
玲衣の行動の意図を察した秋弥も、努めて優しい口調を心がけながら言う。
しかしその裏には、これから同じ教室で過ごすことになる同級生に対して不要な波風を立てたくないという打算も、少なからずだがあった。
プリーツスカートの裾をぎゅっと握って、恥ずかしそうに顔を俯かせていた女子学生は、やがてゆっくりと顔を上げると、
「あの……私、朱鷺戸綾と言います。こ、これからよろしくお願いします」
腰を折るようにした丁寧なお辞儀から、育ちの良さが窺える。
「えっと……、あの、九槻さんの答辞、拝見していました。とっても素晴らしかったです」
あいさつに続けて女子学生——綾から唐突な賛辞を送られて、秋弥はわずかに眼を見張った。
新入生答辞は定型的なものに若干のアレンジを加えた程度の内容であり、気の利いた台詞のひとつも言っていない。とてもじゃないが、こんな風に同級生から称賛されるような代物ではなかったはずだ。
しかし、どうやら綾は、そうは思わなかったらしい。
「新入生の答辞は入学試験で一番成績の良かった方がされるんですよね。それに、あんなにたくさんの人が見ている前で、九槻さんはとても堂々としていました」
それを聞いて、秋弥は何となく合点がいった。
封術師を目指すための高等専門学校——鷹津封術学園の入学試験で最も成績が良かった人物というのは、言い換えると同級生の中で最も封術師に近い人物だということだ。
つまり、プロの封術師を目指して入学した綾にとって、秋弥は現時点での憧れの対象として映ったのだろう。
無論、新入生総代に向けられる感情は彼女のような良いものばかりではないのだが——。
「ありがとう、朱鷺戸さん」
謙遜しても嫌味に思われるかもしれないし、知り合って間もない綾がどう思うかわからなかった秋弥は、無難に礼を返した。
「あ……、ご迷惑でなければ、私のことは綾と呼んでいただけますか?」
と、一転して気恥ずかしそうにソワソワしながら綾は言う。
最初の一歩が踏み出せたからだろうか。あるいは背後に立つ玲衣のさり気ない後押し(?)があったのだろうか。
秋弥に対する綾の態度は戸惑いから羨望へと代わり、彼女とはすぐに打ち解けることができた。話してみると決して口下手というわけではなく、単に引っ込み思案であるということのようだ。
教室までの道すがら、他愛のない話題の一つとして玲衣と知り合ったきっかけを尋ねてみた。少し早い時間に講堂に着いてしまい、手持ち無沙汰になっていたところに、玲衣が声を掛けてきたそうだ。まったく、物怖じという言葉まで知らないのか、と秋弥は玲衣の行動力に嘆息した。
「それでは、お二人は幼馴染なんですね」
そして今は、玲衣と秋弥の関係について話が移っていた。
「腐れ縁だけどね」
異口同音に告げると、クスクスと笑われてしまった。
「だけど羨ましいです。こうして高校でも一緒だなんて」
高校、と綾は言ったが、この言葉は正確な意味を指してはいない。
封術学園は高等学校ではなく、その位置付けは五年制の高等専門学校である。
高等学校が後期中等教育を身に付ける場であるのに対して、高等専門学校は高等教育を身に付ける——その名が意味するものは、より実践的で専門的な技術や能力を育成すること。
それゆえに、一般には高校ではなく高専。あるいはそのまま封術学園と呼ばれている。余談だが、高等教育機関に在籍する者は生徒ではなく学生として扱われる。
とはいえ、入学したばかりの彼らは世間的に見れば高校性と同じなのだから、わざわざ訂正する必要もないだろう。
むしろ綾の台詞で重要なのはそこではなく、羨ましいといった、本来の意味。
情報体を構成する原質を操る技術——封術を行使するための力は、一部の例外を除けば血縁によって大きく決定付けられる。
それは、望んで手に入れることができるものでもなければ、努力して得られるようになるものでもない。
その稀有な特性上、封術学園は幼馴染や親しい友人、恋人、家族、そのほか何らかの関係性を持った人と一緒に通うことの難しさが特出しているのである。
「確かにね〜。シュウ君はともかく、あたしなんかはホント、良く入れたよって感じだし。インフルエンザにかかってうーうー唸ってるときに、ママからの電話で合格のことを聞いたときには、もう病気とか吹き飛んじゃったからね」
「……実際にお前、次の日、普通に学校に来てただろ」
「ちゃんとお医者さんに許可ももらったし!」
「……医者も認めたってことか。体内の病原体を根絶やしにする封術でも使ったんじゃないのか?」
「装具もなしにそんなこと、あたしにはできないし!」
なぜ誇らしげなのかはわからないが、秋弥はとりあえず首を縦に振って玲衣に同意した。
「まあ、病は気から、とも言いますしね」
そのやり取りをどう捉えたのか、綾が微妙なフォローを入れる。
「だけど、玲衣は元々要領が良かったからな。ちゃんと勉強さえしていれば、筆記の方は問題無いだろうとは思っていたよ」
「……もしかしてそれは、褒めてくれてるのかな?」
「褒めている以外の意味に捉えたのなら、相当歪んだ人格を持っていることになるんだが」
「そ、そんなことないよ!」
「まあ玲衣の場合、問題は適正試験の方だったな」
「お二人の家系も、高い異層認識力を持っていたんですか?」
綾が不意に口にした言葉の中に、秋弥は軽い違和感を覚えた。
家系『は』、ではなく、家系『も』、と言ったか。それはつまり、彼女の家系は生来特別な力を有していたということだ。
——やはり、あの『朱鷺戸』なのか。
朱鷺戸家は封術が体系化されるよりも以前から『星詠み』の力を持つ占い師を数多く輩出していた名家である。現在では『星鳥の系譜』の十三家にも数えられているため、綾の名字を聞いたときからそうかもしれないとは思っていたのだが、これで秋弥は確信した。
「あたしは違うけど、シュウ君は確かそうだっけ?」
「……父方がそうだよ」
玲衣の持つ異層認識力は家系によるものではない。
彼女は家族の中で唯一人、高い異層認識力を持って生まれた。
逆に、秋弥は父親の持っていた力を遺伝情報として受け取って生まれた。
両者の間に違いがあるとすれば、それは才能と血縁だ。
「適正試験だけは入学試験中に結果がわかるからね。筆記試験前の篩い落としだよね、アレ」
「でも一般試験のレベルも十分高いですから、封術学園に入学するために勉強したことは無駄にはならなかったと思います」
入試の頃を思い出しているのだろうか。綾は少し遠い瞳をしていた。
「何にしても、合格してなきゃこうして出会うことはなかったんだ。ほら、もう少しで教室だ」
何気なく口にした言葉で他意はなかったのだけれど、二人の少女が微かに頬を染めたのを見た秋弥は、彼女たちに気取られないように内心で溜息を吐いた。
教室の中は比較的広々としていて、ところかしこに学生たちの輪が出来上がっていた。順当に考えれば、最後に講堂を出た秋弥たちが最後のはずだ。
担任教師から何らかの連絡事項があるかもしれないと思い、電子ボード(電子板とも呼ばれる。黒板は機械技術の発展に伴い、十数年前にその役目を終えた)に視線を移す。
電子板には座席ごとに区切られたいくつものブロックに、それぞれの名前が振られた画像が表示されていた。
どうやら電子板に表示されているのは教室の座席表のようだ。九槻秋弥、朱鷺戸綾、牧瀬玲衣の名前がバラバラの場所にあり、座席表からは席の規則性を見いだすことはできなかった。
秋弥たちは座席表を確認すると、横に書かれた注意事項に従って自分の名前のブロックに軽く触れる。すると、ブロックの色が白色から水色へと変わって、出席済み扱いとなった。
他のブロックに眼を向けると、すべて水色になっている。やはり秋弥たち三人が最後だった。
おそらくこれで、全員が出席済みになったという情報が担任教師の携帯端末に送られたはずなので、それほど遅くないうちにホームルームが開始されることだろう。
玲衣と綾の二人は、担任が来るまでの間、秋弥の席に集まって他愛のない話を続けることにしたようだ。
たまに女子グループがそばにやって来ては互いに自己紹介をしあったり、男子からやっかみの視線を送られたりと、秋弥にとっては息を吐く暇さえなかった。
ほどなくして教室のドアが開き、ビジネススーツに身を包んだ女性が入ってくる。
見覚えのあるその顔は、入学式でも紹介にあった三組の担任教師だ。
秋弥は手振りと言葉で二人に席へと戻るようにと告げる。担任教師に気付いた他の学生たちも、グループから離れて各々の席に移動した。
と、秋弥の正面に座っていた男子学生が振り返ってこちらを見ていた。逆立たせた短い髪に広い肩幅。その外見から、何らかのスポーツをしていそうな印象を受けた。
「……なんだ、俺の顔に何かついているか?」
適当な軽口を言ってみる。
「眼と鼻と口がついてるぜ。あ、それと耳な。髪の毛って答えもあるか」
すると、見た目の印象とは裏腹に、意外にも軽口を軽口で返されて、秋弥は眼を見開いた。
「……面白いことを言うヤツだな。沢村堅持」
「おっと、オレの名前を知っているのか。眼ェ付けられるようなことをした覚えはまだないんだけどな」
「電子板に名前が張り出されてるだろ」
「はは、それは眼に付くか。そういうお前は新入生総代、九槻秋弥だろ」
「……良く覚えているな」
たった二度、司会進行係の読み上げと壇上でのあいさつでしか名前を名乗っていないはずだ。それを今日初めて会った男子学生——堅持はしっかりと記憶していたようだ。
「……お前のことは皆が注目しているんだぜ」
と、彼は声のトーンを落として言った。
(わかっているさ……ここが普通の学校とは違うことくらいのことはな)
「お前はどうなんだ?」
秋弥はあえて、どうとでも解釈ができる曖昧な表現で尋ねた。
「オレか? そうだな……、後でお前と一緒にいた女の子二人のこと、紹介してくれよ」
しかし、返ってきた答えは適当にはぐらかすような言葉だった。そもそも、彼の口調や視線からは、最初から秋弥に対する嫉妬や羨望の色が感じられなかった。おそらく、ちょっとした気まぐれで後ろに座る新入生総代の顔を見てやろうとか、そういう類であったに違いない。
「オレのことは堅持で良いぜ、これからよろしくな」
「よろしくな、堅持。俺のことも名前で呼んでくれ」
「オーケイ、秋弥」
中学の頃から同姓にはあまり良く思われることのなかった秋弥だったが、堅持とはなかなか馬が合いそうな気がした。
入学初日からこうして交友関係が広がっていくのは、悪いことじゃないなと思う。
そろそろ前を向いとけよと声を掛けて、秋弥は担任教師の方へと視線を向けた。
堅持とちょっとした雑談をしているうちに、担任教師は教壇の上に立っていた。首を小さく動かして、学生全員が座席に着いたことを確認している。
確認を終えると、担当教師は教卓の上に掌をかざした。小さな駆動音とともに、教卓の上にホログラムウィンドウが表示された。
教卓自体が端末代わりとなったのは、電子板が使われるようになってからだ。
教師は基本的に、この端末を使って授業を行う。
袋環が学生側の面からは不可視に設定されたウィンドウの表示面を指先で二、三度触れた。ホームルームで使う資料を開いているのかもしれない。しばらくして視線をホロウィンドウから外すと、もう一度教室内を見回した。
「よし、二十九名全員揃っているな。入学式でも紹介にあったが、私が君たち一年三組の担任教師を務める袋環樹だ」
凛とした声。教職者として過剰にならない程度の化粧。年齢は二十代半ばくらいだろうか。目鼻立ちの整った顔の口元にはほくろが一つ。やや釣りあがった柳眉は、セミロングの黒髪とビジネススーツの色も相まってキツイ印象を与えている。
担任教師——袋環樹は端末を操作すると、電子版に座席表とは別の画像を表示した。
「これからの二年間で君たちの封術指導を務めるに当たって、初めにいくつかの注意事項を言っておかなければならない。いきなりで少々堅苦しいかもしれないだろうが、心して聴いて欲しい」
教師と呼ばれる大人は、この学園には二種類いる。
教員免許を持ち、後期中等教育相当の講義を行う一般教師と、教員免許を持たず、封術を専門に教える封術教師だ。
各学年各クラスを担任する教師は、必ず封術教師の中から選ばれる。
封術教師は専攻によって学科が分かれる三学年までの二年間を通して、担当するクラスの封術授業を一人で教える——これは、封術教師ごとに教え方が変わってしまうことを避けるための処置である。
もちろん、封術教師にも封術師としての能力格差は存在する。
どんなタイプの封術師が担任になるのかは、学生たちにとっても重要な要素の一つだった。
「——以上だ。質問のある者は挙手をしてくれ。……特になしか。もしわからないことがあったら早めに解決しておけ。聞くことが恥ずかしいことではないのが、若者の特権だからな」
冗談めかしたような袋環の口調に、静まり返った教室内の空気がわずかながら和らいだように思えた。
「では、明日以降のカリキュラムを君たちのデバイスに転送するぞ。学園内サーバーのアクセス情報はこれだ。今後も頻繁に使うことになるから、アクセスを容易にするためにウィンドウトップにショートカットを作っておくように。それと、デバイスを忘れた者はアクセス情報のメモを取って、今日のところは電子ボードを見てくれ」
空間に映像を投影するホログラフィティ技術。低コスト化により一般家庭にも普及したことで、学校の授業は黒板や紙媒体を使用するものから、電子ボードやデバイスと呼ばれる汎用型多機能携帯端末へと取って代わった。『書く』ために費やされる作業負担と時間が削減されたことで授業の密度が増したことが最も大きい変化だと言える。
秋弥は左腕のブレスレット型デバイスに意識を集中させた。手首を介して微弱な電気信号を受け取ったデバイスは机上にホログラムウィンドウを展開する。慣れればこのようにして指で触れなくてもデバイスの起動は可能となる。
一斉にウィンドウを立ち上げ始めた周囲に眼をやると、意識起動よりも接触起動の方が明らかに多かった。
秋弥のデバイスには答辞用原稿のやり取りをするために、入学前から学園サーバーのアクセス情報が設定されていた。他の学生がアクセス申請を行っている間、秋弥は一足先に袋環から送られてきたカリキュラムの資料を開いて眼を通すことにした。
「よし、全員アクセスできたようだな。大体毎年一人か二人、デバイスを忘れる者がいるんだが、私のクラスに忘れ物をした者がいなくてホッとしているぞ。さて、それでは手元のカリキュラム表を見てほしい。今日のタイムスケジュールは、このホームルームが終われば解散だ」
袋環がウィンドウ上のカリキュラム表に指で輝線(光の線)を描くと、各学生のウィンドウにも同様の輝線が描かれた。彼女と学生のデバイス間でリアルタイムに同期処理が行われているようだ。
「タイムスケジュールは一週間単位で自動的に更新される。授業の進度によっては多少の変動が有り得るため暫定的なものとなってしまうが、半年単位のカリキュラムも見ることができる。予習をする学生もいるだろうから、その辺は上手に活用してくれ」
教室全体を見渡して、ひとつ頷く。
「明日はオリエンテーションと装具選定を予定している。詳しい内容については明日のショートホームルームで伝えるが、君たちの緊張を解す意味でもこれだけは伝えておく。三組の装具選定は一学年の最後だ」
装具選定という言葉に、再び緊張の色を帯び始めた学生たちの表情を見て取った袋環は、諭すような口調で続けた。
「装具選定で君たちが手に入れる『装具』は、在学中、そして、国家封術師の資格を得て卒業した後も君たちの力となり、ともに歩み続けることになる大切なものだ。とはいえ、体調や精神の良し悪しで今更何かが変わるようなものでもないことは君たちにもわかっているはずだ。特に気負う必要もなければ、気張る必要もないぞ」
最後にそう締めくくって、初日のホームルームは解散となった。
4/14:文章校正
2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施






