第17話「三十人目のクラスメイト」
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学生自治会専用の白い制服が九槻家に配送されてきたのは、拝命してから二日後の午後だった。
予め用意しておいたのではないかと疑いたくなるくらいの手際の良さであったが、あの自治会長ならば然もありなんと、姉の月姫と二人で納得した。
そして翌日——。
秋弥はランニングを終えてシャワーで汗を流した後、真新しい白の制服に袖を通してからダイニングへと向かった。
「とても良く似合っていますよ」
朝食の準備を済ませてキッチンから戻ってきた姉が、秋弥の姿を見て微笑む。
その率直な感想に対して、秋弥は頬を緩ませて照れ笑いを浮かべた。
一般学生用の黒を基調とした制服よりも、役員専用の白を基調とした制服の方が自分には合っていると、秋弥はそう自己評価をしていた。専用制服は色が異なる以外に、右袖の裏生地に本人認証タグが編み込まれている。学園内のほとんどの非接触式認証端末で使用できるよう、既に設定が為されていると、今朝方、学生自治会長である星条悠紀から送られてきたメールには書かれていた。
「普通の制服も似合っていましたが、自治会の制服の方が秋弥には合っていますね」
陽だまりのようなニコニコ笑顔で月姫が言う。
実は俺も同じ事を考えていたんだと秋弥が告げると、「まあ!」という風に口元を両手で覆った。
「そういえば二人から聞いたんだけど、星条会長とスフィア会長って、姉さんと同じクラスだったんだっけ?」
「ええ。でもその頃は、まだ二人とも会長ではなかったけれどね」
「そうか。会長選挙って学年末だったか」
月姫は四校統一大会の事故以来、封術学園を休学している。統一大会の時期は十月なので、会長選挙を経て悠紀とスフィアがぞれぞれの委員会のトップに立ったことを彼女が知ったのは、つい最近のことだった。
今となっては学園のツートップとなった二人に囲まれた学園生活を送りながら、月姫は部活動や委員会には属さず、一般学生で在り続けた。
しかし、悠紀の言葉を借りるならば「自治会長は私よりも月姫の方がずっと適任」であり、スフィアの言葉を借りるならば「カグヤは学園の誰よりも強い力を持っていた」ということなのだが……。このように二人から一目置かれていた月姫の心境は、本人にしかわからないことだ。
「二人とも少し個性が強いから、秋弥が振り回されないか心配ですね」
少しどころかかなり個性的なのだが、それは友人のことを姉なりにオブラートで包み込んだ表現だったのだろう。秋弥の心情を敏感に読み取った月姫が苦笑する。
「私から二人に何か言っておいた方が良いかしらね?」
「心配してくれるのは嬉しいけど、大丈夫だよ。うまいことやっていくさ」
姉の提案に、秋弥は首を横に振って答える。
月姫にそんなことをされたら、会長たちからどんな風にイジられることになるかわかったものじゃない。
というのが秋弥の本音なのだが、そんなつまらないことで、わざわざ姉の手を煩わせることもないだろうという思いもあった。もっと言えば、月姫から二人の弱みについて聞き出せないものかと考えたこともあったが、尋ねたらあっさりと教えてくれそうな気もしたので、今は聞かずにおいた。
「悠紀のときも最初はそうだったのだけれど、クラスで一人だけ制服の色が違うのだから、あまり悪目立ちしないようにね」
「しないよ。すると思う?」
「どうかしら」
指の背を唇に当ててクスクスと笑う姉に、秋弥は軽く肩を竦めた。
「だけど、リコリスが顕現して問題になったのでしょう? そういうことが今後もないとは限りませんよ」
「……会長の話だと、四月の月例会議じゃ結論は先送りになったみたいだしな」
「……それも秋弥にとって、、悪い方向に話が転がらないと良いのですけどね」
一転して不安そうに眼を細める月姫に、秋弥は返す言葉が見つからずに押し黙った。
リコリス——クラス1stにカテゴライズされる高位の隣神である彼女は、本人が望むと望まざるとに関わらず、人間にとっての脅威として見なされてしまう。
袋環が月例会議でどのような報告と提言を行っているのかは知らされていないが、それは簡単に結論が出るようなことではないと、秋弥も重々承知していた。
ゆえに、今はただ良い結論が出ることを願って、大人しく待つだけなのである。
「秋弥様……ごめんなさい」
秋弥の心情を察知したリコリスがエリシオンの光を纏って顕現した。彼の隣にちょこんと腰掛けると、わずかに潤んだ真紅の瞳が彼を見上げた。
「謝らなくていいよ。何も、お前が悪いわけじゃないんだから」
「甘やかしちゃダメですよ、秋弥。間違ったことをしたのなら、きちんと叱ってあげないと」
慰める秋弥と諫める月姫。
板挟みとなったリコリスは暫く二人の間で視線を行き来させたが、最終的には意思決定を秋弥へと委ねた。
姉に言われたら敵わない秋弥は、頭を掻いてから口を開いた。
「まあ、なんだその……、リコリスも十分反省してるみたいだし、本当にお前の助けがほしいときにはちゃんと呼ぶから。だから、俺が学園にいる間は、我慢しててな」
秋弥が姉に弱いことを知っているリコリスはてっきり叱られると思って身構えていたのだが、彼の台詞を最後まで聞き終えると、途端に顔を綻ばせた。
「秋弥様ぁ」
感極まって抱きついてきたリコリスを受け止めて、その頭を優しく撫でる。
「もぅ……」
正面では「仕方がないですね」とでも言いたげに眉尻を下げた月姫が、二人の様子を暖かな視線で見守っていた。
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着る制服が変わっただけで周囲から好奇な視線を浴びるようになった。特にそれが顕著だったのは一年三組の教室へと向かう道すがらだった。自治会役員の白い制服が一学年の集まった階層にいることが物珍しかったのだろう。逆の立場を思うとその気持ちはわからないでもないが、一挙手一投足が常に監視されているような気がして、居心地が悪かった。
いつもよりも少しだけ長く感じられた教室までの道を歩く。
秋弥が自治会入りしたことは三組のクラスメイト全員の知るところとなっているので、今更それほどの騒ぎにはならないだろう。
努めて普段どおりに三組の教室に入った秋弥は、その思いゆえに中の様子がいつもより騒がしかったことに気付くことができなかった。
ドアを開けたところで秋弥の白い制服に気付いたクラスメイト数人の視線が動いたが、少しの間興味深げな視線を向けられただけで、すぐに元の雑談へと戻っていった。
もう少しだけ好奇な視線を向けられるかと思っていた秋弥はその様子を怪訝に思いながら、自然に耳に入ってくる雑談の話題をBGMにして自席へと向かう。
彼の席の周囲では玲衣、堅持、綾、奈緒のいつものメンバーが集まって、雑談に興じていた。
いつもならば時間ギリギリにやって来る堅持がもういることにやや面食らったが、たまにはそういう日があっても良いだろうと、秋弥は思い直した。
「おはよう」
「お、秋弥。おはようさん」
「おはよっ」
「おはようございます、秋弥さん」
「おはよー」
それぞれに朝のあいさつを交わす。秋弥の席に我が物顔で座っていた玲衣が席を空けようとして立ち上がろうとしたので、秋弥はそれを手で制する。
高性能多機能携帯端末が学習道具の代わりとなるようになってから、紙媒体による教材はほとんど使われなくなった。先進的な技術を独自の教育理念によって積極的に取り入れている封術学園では、一般教科の授業も含めて、すべての授業がデバイスを用いて行われる。そのため、デバイスさえ持っていれば、それ以外の学習道具は必要とされていない。
今日日、学生鞄を持ち歩いている学生は少なく、学園組織の一員に属することを表す制服を着用して、学生証とデバイスさえ持ち歩いていれば、手ぶらで通っても特に注意を受けることはない。
ブレスレット型のデバイスを使用している秋弥も、毎日手ぶらで学校に通っている。そのまま手近な机の椅子を引いて腰掛けると、誰かに聞こうと思っていた教室内の騒ぎの元について、早速堅持が話題を振ってきた。
「おい秋弥、お前知ってたか?」
「なんだ、藪から棒に」
「その反応は知らないってことだな」
「いや、誰だってそう尋ねられたらそんな反応になるだろう。……この騒ぎと何か関係のあることか?」
周りを見回しながら問う秋弥に、堅持は頷きを返した。
「今日、うちのクラスに転校生が来るってんで、噂になってんだよ」
「転校生? こんな時期に?」
秋弥たちが入学してからまだ一か月と少ししか経っていないこんな時期に転校生とは、また珍しい話だった。それに、家庭の事情などで転出していくのならばともかくとして——それ以前に寮のある封術学園において、そのような事情で転出していく学生などほとんどいないのだが——封術学園に転入制度なんてあっただろうか?
「違うよ、沢村君。新入生だよ」
しかし、秋弥の疑問は奈緒の訂正によってわずかにだが氷解した。
「ほら、うちのクラスって最初から、全員合わせても二十九人しかいなかったけど、元々後から一人入ってくる予定だったんだよ」
「なるほど、そっか。言われてみれば確かにそうだよなぁ」
「普通、欠員とかって後ろの組とかにまわされるよね。だけど他のクラスは三十人いるし、今まで不思議に思わなかったことが不思議なくらいだよねっ!」
うんうん、と頷く玲衣。
奈緒が言うように、三十人目が最初から入学する予定だったのであれば、それは転入生ではなく、新入生と呼んで正しいようにも思える。
「それに、噂によるとどうやら、その新入生は女子だって話だぜ!」
「はいはい、お約束お約束」
「いやこれマジな話なんだって! 同じ部活のヤツが職員室で新入生の姿を見たってよ。……後ろ姿だけだけど」
堅持が入部した拳術部——封術によって肉体能力を高めて戦う武術を扱う部活——は部員数も比較的多く、四校統一大会にも代表選手を輩出している過去を持っている部だ。
「どうせ何かの見間違いとかでしょ。別のクラスの女の子だったとか、女の子かと思ったら実は夜空君とかねっ」
「おい、最後なんかおかしいぞ! いや、有り得ないことじゃないけども!」
「あ、でも女の子という話は本当だと思うよ。お姉ちゃんがそんな風なことを言ってたから」
「星条会長がそういうなら、本当かもね」
「俺と星条さんの扱いが違いすぎるっ!」
「それはいつもどおりの気がしますが……」
さらりと酷いことを言った綾の言葉に、しかし堅持以外の全員が頷いた。
「九槻君はお姉ちゃんから何も聞いてないの?」
「ん、ああ、初耳だよ。それに俺は、最初から二十九人しかいないと思ってたしな」
「ふぅん、少し意外」
「そうか? 入学してから辞めることになる人もいれば、入学前でもやむを得ず辞める人だっているだろう」
持って回ったような言い方だったが、全員が秋弥の言葉に息を呑んだ。
封術を行使するための干渉機構『装具』は人の『意』から生まれる。事象に干渉できるという強力無比な性質を持つが、その反面、その心は脆く、そして壊れやすい。
学生でいる間は封術師見習いという身分になるが、命の危険がまるでないというわけでもない。隣神の脅威が迫れば封術師見習いでも戦線に投入されることだってあるし、違法に封術を行使する違法封術師と戦わなければならないこともある。
そのとき、必ずしも学生が無事で済むという保証はない。致命的な怪我を負うこともあれば、相手の持つ力に圧倒されて、文字通り、心が折られてしまう可能性もゼロではない。
昨年の卒業生は百十余名。入学当初は最大百五十人いたはずだが、その一割近くは何らかの事情で辞めていった者たちなのである。
入学前に辞めてしまう理由もほとんど同様で、封術師の家系に生まれた者ならば、封術学園に入学する前から封術師のそばに付いて、隣神との戦いに身を置くこともある。強い異層認識力を持っていることで隣神から命を狙われてしまう場合だってある。
総一郎に付いて封術の仕事を手伝っていた秋弥だからこそ、三組の定員が三十人ではなかったことにも疑問を持っていなかったのだが、そうではない四人は気まずそうに瞳を揺らした。
「まあ、何にしてもこの盛り上がりはそのせいってわけだな。会長も知ってたなら教えてくれれば良かったのに」
「……お姉ちゃんのことだから、九槻君を吃驚させたかったのかも知れないよ」
十分にあり得る話だったので笑うに笑えなく——笑おうとすればどうしても苦笑になってしまう——そうかもしれないな、とだけ答えておいた。
「んん? もしかしてシュウ君も、新入生の女の子に興味があるのかなっ?」
「そ、そうなんですか、秋弥さん」
「秋弥だって人の子だぜ。そりゃあ当然、興味あるだろ」
「人並みにはな……、五月に新入生ってのも気にはなるし」
「あー……その話なんだけどよ。オレも気になっていろいろ調べてみたんだけど、たぶんその新入生が通ってた学校って——」
そこまで言ったところで、教室のドアが開いて袋環が入ってきた。話に夢中で気付かなかったが、いつの間にか本鈴が鳴っていたらしい。
入口に立って教室内を見渡す袋環。教室中が転入生の噂話で持ちきりであったことは、彼らの落ち着かない様子から察したらしい。話を打ち切って各自の席へと戻っていく彼らの視線は、常に袋環のいる方向へと向いていた。堅持たちも解散して各自の席へと戻る。全員が席に着いたことを確認した袋環は背後を振り返って、噂の新入生に付いてくるよう告げた。
教壇へと歩いて行く袋環の背中に付き従うように、新入生がしとやかな所作で教室に入ってくると、教室中の視線が彼女に釘付けとなった。
日本人離れした白磁のような肌。完璧なまでに洗練された大きさの瞳に愛らしい桜色の唇。顔立ちは精巧に作られた人形のように整っている。ゆっくりと正面を振り向いたときに、一本一本が透き通るように細く美しい栗色の髪が揺れる。制服を押し上げる胸元に優しく手を当てて、新入生は優雅な仕草で一礼した。
「聖條女学院中等部から来ました、天河聖奈です。女学院の事情により入学が遅くなりましたが、どうかよろしくお願いします」
そして、ニコリと微笑んだ聖奈の笑顔に、男子のみならず女子までもが一瞬で心を奪われたのだった。
第2章「新入生編」の連載を開始します。連載ペースは週一で、一話は文庫換算で約二十ページを予定していますが、いろいろと事情により前後することがあると思います。
九槻秋弥と遅れてきた新入生、天河聖奈が(たぶん)活躍する第2章も、引き続きよろしくお願いいたします。
12/18:誤記修正。一部のセリフ回しを修正
2013/01/04 可読性向上と誤記修正対応を実施