第16話「エピローグ〜新しい始まり〜」
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ある程度予想はしていたものの、連休中に浅間総一郎が九槻家を訪ねて来たことで、秋弥の予想は確信へと変わった。
総一郎をリビングに通すと、彼は秋弥にすべてを告白した。
まず、違法封術師——向江仁のこと。
総一郎と向江の間に少なからず親交があったことは事実だった。
ただしそれは表向きの話。向江が封術を悪用していることを学園側から知らされていた総一郎は、封術の不正利用を行う向江を断罪するために、ある計画を立てた。
それが今回の一件だ。
調律師である向江が違法に封術を扱う現場を押さえるため、総一郎は身近でもっとも腕の立つ封魔使い(総一郎談)である秋弥を利用した。
しかし、総一郎はただ彼を利用したわけではなかった。
そこには別の——あるいは真の、と言い換えるべきかもしれない本当の理由が隠されていた。
それは——。
「学生自治会の『課外活動』ですね?」
「気付いていたのかい? いや、悠紀君の話したことがヒントになったのかな」
驚いたというよりも、むしろ感心したように、総一郎は眼を見開いた。
あの場に悠紀とスフィアが居合わせたのは、偶然ではなかった。
学園側に『課外活動』の一環として今回の事件の解決を依頼した人物こそ、浅間総一郎その人なのである。
蓋を開けてみれば大した話ではない。
浅間家は封術の黎明期に『始まりの封術師たち』によって集められた神職者の家系の一つだ。
そして封術学園を創立した『始まりの封術師たち』は、そのときに作られた封術使いたちの情報網を利用して、将来を担う封術師見習いたちを効率良く育てるために封術絡みの仕事を斡旋する方法を見出した。
それが、現在の『課外活動』の前身である。
「秋弥君には、封術学園が行っている『課外活動』の実態を見知ってもらいたかったんだよ。この活動は秋弥君にとっても、有益なことだろうと思ってね」
「……えぇ。浅間さんの自作自演は、これ以上ないくらい効果的でしたよ」
人が悪いな、と秋弥は内心で嘆息した。
総一郎は秋弥が学生自治会からスカウトを受けているという事実を知っているのだろうか。
いや、知っていても知らなくても、結局は同じ事だった。
まんまと総一郎の思いどおりになっている感が否めなかったが、これも天恵なのかもしれないと、秋弥はそう思った。
このとき秋弥は、ある決心を固めたのだった。
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五月の大型連休が明けた翌日の放課後。
ロングホームルームを終えると、秋弥は友人へのあいさつもそこそこに、教室を出た。
向かう先は一階の学生自治会室。
今朝、学内ネットワークを通じてアポイントメントの申請をした際に先方から指定された時間は、放課後の今の時間だった。
申請を行ってから一分も経たないうちに受諾の知らせが届いたことには正直驚いたが、放課後という時間帯を指定してきたということは、学生自治会も暇ではないということだろう。
時間を割いてもらっている身としては、早く用事を済ませるに越したことはない。
気持ち、足早で廊下を歩く。学生自治会室のドアの前でデバイスを立ち上げ、入室者予定リストに一件だけ登録されている自分の名前を選択しようとしたところで、先回りするように施錠の解除音が鳴った。
どこかから廊下の様子でも監視しているのだろうかと訝しみながら、秋弥が自治会室の扉を開く。
相変わらずの装飾華美で絢爛豪華な自治会室内には、六人の学生の姿があった。
正面——執務用の重厚な机の上に肘を突いて指を組み、にこやかな笑みでこちらを見詰めるのは星条悠紀だ。
その隣には、朝倉瞬が背筋を伸ばして立っている。
治安維持会長であるスフィア・智美・アンダルシアは、そこが彼女の定位置なのか、執務机の上に腰掛けて足を組み、どこか得意げな微笑を浮かべていた。
三人掛けで二脚あるソファには、鵜上亜子が落ち着きがなさそうに、そわそわとしながら座っていた。彼女の正面には男子学生と女子学生が一人ずつ座っている。扉の開閉音に気付いて振り向いたらしい二人は、秋弥を興味深げに眺めていた。
学生自治会室には、自治会役員全員と治安維持会の長が一堂に会していた。
おそらく秋弥の来訪に合わせて、悠紀が全員に召集をかけたのだろう。
全ての視線が秋弥へと集まる中で、彼は臆することなく、堂々と部屋の中央まで歩いた。
「いらっしゃい、九槻君」
「よく来たね、クツキ」
秋弥は表情を和らげた。
見目麗しい二人の会長から人好きのする笑顔を向けられて、表情を崩さない男子は少数だろう。
「用件は既に伺っているから、改めて言わなくても良いわ」
「そうですか。手間が省けて助かります」
「ふふ……、それでも一応、形式だからね」
コロコロと笑った後で、悠紀は言った。
「——九槻秋弥君。貴方を学生自治会の役員に任命します」
彼女の宣言に、隣に立つ朝倉の眉がピクリと動いたが、ここで口を挟むような無粋な真似はしなかった。
皆が秋弥の言葉を静かに見守っている。
まるで時間が止まってしまったかのような錯覚すら覚えてしまう静寂の中で、秋弥はゆっくりと息を吸うと、
「一年三組九槻秋弥、不肖未熟ながらも喜んで拝命いたします」
姿勢を正して、直立不動で応えた。
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自治会役員を拝命した瞬間、拍手の音が生まれた。
拍手はすぐに二つになり、三つ、四つと音が重なる。
しばらくして音が止むと、執務机から降りたスフィアが、秋弥のそばまでやってきて彼の肩に手を置いた。
「これからよろしくね、シュウヤ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。スフィア会長」
互いに砕けた口調でやりとりを交わす。
秋弥自身を除くと、自治会室の中で唯一人だけ一般学生用の黒い制服に身を包んでいるスフィアだったが、彼女の存在感はその中にいても群を抜いているなと、秋弥は改めて思う。
それに、役員を拝命した途端、呼び方が名字から名前に変わっていたが、彼女の飄々とした態度も相まって、あまり馴れ馴れしさは感じられなかった。
「あっ! ずるいわよ、スフィア。私ともよろしくね、秋弥君」
それにちゃっかりと便乗する悠紀。彼女は何かと戦っているのだろうか。
「約束どおり、自治会のことを手取り足取り、教えてあげるからね」
『何を』を省きながら、妙に艶っぽい声音で小悪魔的な微笑みを浮かべる悠紀。その隣に立っていた朝倉が目を見開いて固まっていた。
「星条会長。なんだかその発言はとてもえっちぃですよ」
くねくねと身をよじらせながら言ったのは、亜子の正面に座る女子学生だった。入学式のときに紹介があった、学生自治会の書記だ。
「俺のときは手取り足取り教えてくれなかったのに。嫉妬しちゃいますよ、もう」
さらに、女子学生の隣に座っていた男子学生が面白くなさそうな表情で言った。こちらは確か、もう一人の副会長だ。
「わかってないわね、美空。……誘ってるのよ」
「はっ!? もしかして、誘い受けってやつですか」
「さあ、どうかしらね」
「誘い受けでも誘い攻めでも、会長に誘われるなら俺はどちらだって構わないです!」
「み、みーちゃんもたっくんも、テンション上げすぎですよぅ」
亜子が赤面しながら二人を止めに入るが、気弱そうな亜子には荷が重い役目だった。誰も助けに入ろうとしないところを見ると、どうやらこんなやりとりは日常茶飯事らしい。
「あ、そうだ」
一頻り盛り上がると、悠紀が唐突にポンと手を叩いた。
「秋弥君の役職は書記補佐になるんだけど。まだちゃんとほかの役員の紹介をしていなかったわね。せっかく全員集まっているんだから、一人ずつ自己紹介してもらおうかな」
一応入学式の場で自治会役員の紹介があったのだが、秋弥は正直あまり覚えていなかったので、悠紀からのアイコンタクトに頷きで答えた。
悠紀も頷き返すと、視線をそのままスライドさせてスフィアに眼を向ける。だが、役員でもなければ今更な感もある彼女は、首を横に振る仕草で自己紹介を断った。
「……それじゃあまず、私から」
小さく吐息を漏らして仕切り直した悠紀は、席を立って優雅な仕草でお辞儀をした。
「学生自治会会長の星条悠紀です。学年は四年よ。改めて言うことではないけれど、今年入学した妹の奈緒のことを助けてくれて、ありがとう。もう既に仲良くしてもらっているそうだけれど、これからは姉妹共々、仲良くしてね」
入学式の舞台で新入生男子一同を魅了した蠱惑的な笑顔を悠紀から向けられた秋弥は、直視し続けることに耐えきれず、視線をわずかに逸らした。
その様子に満足したのか、悠紀は笑みを称えたまま、満足そうに座り直した。
「次は僕の番かな。……学生自治会副会長で四年の朝倉瞬だ。役員となった以上、僕はもう君を一般学生と同じようには扱わないから、そのつもりでいてくれよ。……それと、あまり星条会長に迷惑を掛けるなよ」
朝倉に睨め付けられて困ったように悠紀を見ると、彼女もまた、秋弥と同じような表情で苦笑していた。初めて会ったときにも思ったことだが、身内には厳しく、一般学生に対しては面倒見の良い先輩なのかもしれない。そしてオマケのように付け加えられた台詞ではあったが、どうやら彼は悠紀に好意を抱いているようだ。
「役職の順から行けば次は俺の番になるのかな。朝倉副会長と同じく学生自治会副会長で三年の時任達彦だよ。よろしく、九槻書記補佐」
時任はソファから身を起こして身体ごとこちらを向くと、軽く会釈をした。
アッシュカラーに染めたセミロングの髪が揺れる。耳に付けられたピアスが照明の光を浴びて輝く。それに負けないくらいの輝きを放つ白い歯が唇の隙間からうっすらと覗き、整った顔立ちに甘い表情を貼り付けて笑んだ。
モデル体型の身体に、着崩した制服姿——そんな時任からは、女子学生に人気のありそうな印象を受けた。
「それと、星条会長は俺にこそ相応しい人だから、間違っても変な気を起こさないようにな」
「何バカなこと言っているのよ、時任君。……ごめんね、秋弥君。彼、ちょっと頭がおかしいの」
朝倉とは違った方向で秋弥に警告する時任だったが、容赦のない悠紀の一言によって、あっさりと一蹴されてしまった——のだが、
「星条会長に罵られるなら本望ですよ」
いろいろな意味で残念な時任に形式的な会釈を返すと、彼は着席した。
「じゃあ次は亜子の番ね」
「は、はひっ」
悠紀に促されると、たった二文字の返事を噛みながら、亜子が糸で吊されたパペットのようにぎこちない動きでカクカクと立ち上がった。
「えっと、学生自治会会計で三年の鵜上亜子です。よ、よろしくお願いします、九槻さん」
はにかみながら自己紹介をする。どんなに控えめな表現をしても——スタイルを除いてしまえば——とてもじゃないが高校三年には見えない。中学一年と言われても納得してしまうかもしれない。
自治会役員全員から愛玩動物を眺めるような生暖かい視線を向けられて恐縮した様子の亜子は、糸が切れたようにぺたんと座り込んだ。
「最後はあたしだね。学生自治会書記で三年生の西園寺美空よ」
席を立ち、|右側で結ったストレート《サイドポニー》の黒髪を揺らして秋弥の前まで進み出てくると、美空は右手を伸ばして秋弥に握手を求めた。
秋弥はその手を握ってあいさつを返したのだが、なぜか手が離れなくなった。美空が握って離さなかったからだ。
「九槻君には一応、あたしの補佐をしてもらうことになっているんだけど、細かいことは会長たちが優しく教えてくれると思うから、無理せず頑張ってね」
「おいおいミソラ、会長たちってなんだい?」
「そんな、皆まで言わなくても分かってるじゃないですか。九槻君にラブコールを送ったのは、会長たち二人なんですからね」
美空は瞳を輝かせて、握ったままの秋弥の手に左手も重ね合わせた。
「入学早々二人のお姉様に迫られる新入生。シチュエーションとしては、萌えます!」
「おやおや」
「二人のお姉様に振り回されて最初は嫌々付き合っていた新入生でしたが次第に二人に心を許し始めるんですよ。その陰で、恋の炎に身を焦がすお姉様方。新入生に対するスキンシップは競うように過激になり、二人はプライベートでもそれぞれに密会をするようになっていくんです。そして——」
「美空、そろそろ戻ってきなさい。秋弥君が呆れているわよ」
「——はっ!? すみません、いつもの癖でトリップしていました」
慌てて両手を離すと、美空はニコリと微笑んで元の場所へと戻っていった。
その背を見送り、この自治会に入って本当に大丈夫なんだろうかと秋弥は内心で溜息を吐いた。
「……以上が学生自治会のフルメンバーよ。美空も言ったけれど、秋弥君には彼女の補佐役となってもらうわね」
「はい、承知しました」
「諸々の手続きは私の方でしておくわ。後で役員専用の常駐アプリケーションを添付データで送るから、インストールしたら連絡先だけは登録しておいてね」
水晶を連想させるようなヘテロクロミアの蒼い瞳を閉じて、悠紀がおどけた調子でウィンクをする。
「あ、それと一番大切なことを忘れていたわ。秋弥君用の役員制服なのだけれど、寸法データは入学案内のときに測ったときのもので良いかしら? 見た感じ、今着ている服が窮屈そうには見えないけれど、もし測り直すなら——」
と、悠紀はどこかから取り出したメジャーから目盛の振られた帯を引っ張り出した。
「いえ、遠慮しておきます」
悪い予感がして即座に断る。すると、悠紀は不服そうな顔でメジャーを仕舞い直した。
「残念……。それではすぐに制服を手配するわね。数日で届くと思うから、以後はその制服を着用するようにしてね」
「はい」
「以上で話は終わりよ。制服が届くまでは正式な役員としては登録されないから、それまでは特に用もなく呼び出したりはしないけれど、いつでも遊びに来てね」
役員になったら用もなく呼び出されることもあるのか、と先行きが思いやられる彼女の台詞にげんなりしながら、秋弥はとりあえず首を縦に振った。
「ははっ、シュウヤは中々手強い相手のようだね、ユウキ。アサクラ副会長のようにはいかないか」
「なっ!? スフィア会長、突然何を言い出すんだ!」
「照れなくても良いよ、アサクラ副会長」
「照れてなんかいない!」
「……四角関係か。グッとくるシチュだわ」
「おい西園寺! お前の変な妄想に僕まで巻き込まないでくれ!」
「あらぁ、あたしにそんなことを言って良いんですか朝倉先輩。ここではない別の世界の朝倉先輩が、私の想像どおりになっちゃいますよ」
「うぐ……」
「星条会長と俺の甘酸っぱいラブストーリーならばどんどん妄想してくれて構わないぞ、西園寺書記」
「時任君は主人公の友人Aだから、そんな超展開にはならないわ」
「それじゃあスピンオフで」
「相変わらずいつも元気が良いね、トキトウ」
「スフィア会長も、いつだってお美しいですよ」
「ははは、それじゃあ美しいワタシのために、先日発売したニューデバイスをプレゼントしてくれるかい?」
「あれ、何だか急に部屋の温度が上がったような気がするかな。ちょっと外に涼みに行ってきます」
「……たっくん、逃げた」
「ほら、あこちもいつまでも縮こまってないで、思い切って九槻君に抱きついてみなさいよ!」
「え、えぇーっ! 何なんですかその流れは!?」
「亜子のおっきなおっぱいなら九槻君もメロメロよ! レッツ五角関係!」
「ふぇぇー……」
美空のセクハラまがいの発言に、亜子は身体を抱きしめて蹲った。
「こら、美空。あんまり亜子をイジメないの」
「はーい」
「そういうユウキがアコのことを一番イジってる気がするけれどね」
「だって、可愛いんだもの。秋弥君もそう思うでしょ?」
「えぇまあ、そうですね」
秋弥は適当な返事を返しながら、自然な笑みを浮かべた。
封術学園に入学して、もうじき一か月が経とうとしていた。
これにて一章「封術師編」は終了となります。一章は世界観の説明と導入部という位置付けとなっていましたが、誤字脱字稚拙な文章の中、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次回「新入生編」は九月中旬頃から投稿する予定です。もう一人の主人公が登場しますので、今後もお付き合いいただけたらと思います。
2013/01/02 可読性向上と誤記修正対応を実施