表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
封術学園  作者: 遊馬瀬りど
第4章「可能性の魔女」
102/111

第94話「隠された歴史」

★☆★☆★





 鷹津封術学園の学園長――鷹津宰治。

 彼は"封術"という新たな技術を初めて体現した『始まりの封術師』の一人である。

 しかし封術師となる以前の彼は、一介の考古学者に過ぎなかった。大学で教鞭を執る傍ら、『星』の歴史を紐解き、この世界の成り立ちを調べる学者であった。

 鷹津宰治には助手がひとりいた。助教の鷺宮フラウ――後に鷺宮封術学園の学園長となる女史である。

 鷹津宰治と鷺宮フラウは日本を襲った三度の大震災――その後に震源地近くで発見された地下の大空洞を調査する責任者も務めていた。地下大空洞を調べることで、未だ明らかにされていない日本の歴史や起源を知る手がかりを掴めると考えていた。

 鷹津宰治をリーダーとする地下大空洞の調査チームには、彼の古くからの友人であり、彼と同じく関西の大学で教鞭を執っていた烏丸幸夫(ゆきお)准教授も加わっていた。さらに烏丸幸夫の助手を務めていたのは、鶺鴒弥彦助教だった。

 そしてこの四人こそが四度目の歴史的な大災害――関東大震災の後にこの世界で最初の封術師となり、『星鳥の系譜』と呼ばれる十三家の序列に名を連ね、『マナスの門』が鎮座する各地の地下大空洞の上に封術学園を築くことになるのだが、これから鷹津宰治が語ろうとしている話は、その封術史の真実だった。

 

「天河聖奈さんが『抑止力』というのは、どういう意味なのですか?」


 『星鳥の系譜』の一員にして序列第一位の星条家を継ぐ最有力候補と目されている星条悠紀でさえ、その言葉は初めて聞くものだった。


「その質問に答えることは容易いことだが、その前に星条君。一般的に『抑止力』とはどんな事象を指す言葉か答えられるかね?」


 まるで教え子に講義をしているかのように、鷹津宰治は教師然として尋ねた。


「物事を抑え止める力、のことでしょうか」


「そのとおり。何かしらの物事や事象に対して、それを抑えるための力のことを『抑止力』という。翻って、『抑止力』とはその対象となる物事や事象よりも強い力を持ち、制することのできる力の総称のことなのだよ」


 それならばよりイメージがつきやすい。『抑止力』が力の作用する対象よりも弱くては、抑止する力としての意味を為さないからだ。

 『抑止力』という言葉の定義を理解したところで、スフィアが「あれ?」と声を出した。


「セイナはいったい、何の『抑止力』なのかな?」


 ふと頭にひらめいたその疑問を口にすると、学園長は満足げに頷いて見せた。


「そうだね。まずはその話から始めよう」


 『抑止力』と呼ばれる以上、その対象がはっきりしていなければ話にならない。悠紀の質問はその前提を無視したものだった。だから学園長は話の順序性を正すためにそのような質問を返したのである。


「きみたちも知ってのとおり、封術が誕生したのは二○一九年十月。関東地域一帯を襲った未曾有の大災害――関東大震災から三日後のことだ。私たちが『始まりの封術師』と呼ばれる存在となり、関東大震災の原因となった大規模な次元振動によって生じた異層領域の調律と、異層世界から顕現した隣神を討滅したことが、封術という新たな歴史の始まりだった」


 封術史の導入部分として教科書以外にも多くの書物で語られるその出来事を知らぬ者はいないだろう。

 当時、考古学者であった鷹津宰治をリーダーとする調査隊のメンバーは、現鷹津封術学園の地下に広がる大空洞の調査中に、関東大震災に巻き込まれた。崩落の影響で調査隊のメンバーは鷹津宰治たち四人を残して全滅し、彼らも決して軽くはない怪我を負っていた。持ち込んでいた荷物も崩落の影響でほとんど失ってしまい、死の淵にいた鷹津宰治たちは、それでも残る命を燃料にして、崩落した地下大空洞をさらに奥へと進んでいった。一点の光すら届かない深淵の中を手探りで少しずつ進み続けた彼らは、やがて仄かな光を見つけた。

 その光の正体こそが、『星の記憶』へと至る『マナスの門』であったという。光の向こう側――心象世界で、鷹津宰治たちは『星』の代弁者たる『星の思念体』と邂逅を果たしたのだ。


「さて、私たちが『マナスの門』の向こう側――心象世界で『星の思念体』と邂逅を果たしたとき、私たちは未来で確実に起こり得る出来事を予言という形で知ることになったのだが、封術史ではどのように書かれているか覚えているかね?」


「はい、もちろんです」


 悠紀がすぐさま頷き、少し遅れて朝倉も「は、はい」と緊張した面持ちで頷いた。一名の返事がなかったのは気にしない。


「よろしい。答えてみなさい」


「はい。『星の思念体』が『始まりの封術師』たちに語った予言は、異層世界から迫りくる脅威に対する警告でした。関東大震災を含めた四度の記録的な大震災――その原因となった大規模な次元振動により、重層する世界の固有振動パターンを構成するエリシオン光波長に無視できない揺らぎが生じた。そしてその結果、重層する他の世界からの脅威が、この世界へと迫りつつあるのだという警告です」


「へぇ……よく覚えているね」


 と、スフィアが感心したように言った。


「……あなたね。きょうび、封術史としての素養を持たない一般学生でも知っている常識よ」


「歴史の授業ってさ、眠たくて最後までちゃんと聞いてた覚えがないんだよ」


 学園長たちを前にして何てことを口にしているのだ、と悠紀はスフィアを咎めようと思ったが、話が脱線しそうだったので開き掛けた口を閉じることにした。


「それで、予言というのは以上かい?」


「えぇ、そうよ」


 ちらりと鷹津宰治たちの方に眼を向けながら、悠紀は肯定した。

 『星』という巨大なシステムが作り出した世界の形。

 重層世界。

 これまで互いに交わることのほとんどなかった世界の均衡が次元振動によって崩れ、互いに影響を及ぼしやすい状態へと変化した。

 互いの世界が共鳴し、共振しやすくなった。

 異層世界の存在が顕現するための条件が成立した。

 異層世界の驚異――隣神の顕現。

 『星の思念体』は『星の記憶』から予測した未来の可能性を鷹津宰治たちに伝えた。


「まさに星条君が言ったとおりだよ。私たちは未来を知り、絶望に打ちのめされた。異層世界から迫る脅威に対して、私たち人類はあまりにも脆弱で、無力だと悟ったからだ。

 そんな私たちに『星』は抗うための力を与えた。それこそが事象干渉機構――装具。あらゆる情報体の根源たる九の原質に干渉して事象そのものを書き換える技術――封術の誕生だ」


 現層世界(このせかい)は重層する世界の中でも特に科学技術が進化した世界だと『星』は語ったという。そして自己の『(いし)』を具象化して事象に干渉する装具は、人類がこれまで築き上げてきた科学技術がもたらす理論体系の極限とも呼べるものだった。現層世界(このせかい)の絶対法則――物理法則を基盤としてあらゆる情報体の構成情報を書き換え、別の事象へと作り替える装具を手にしたまさに瞬間、『始まりの封術師』が誕生した。


「しかし、私たちが『星』から与えられたのは、予言と、抗うための力だけではなかった」


 そしてここからが、封術史では語られてない真実だった。


「えっ」


「どういう意味だい?」


 思わずそんな声を上げたのは悠紀とスフィアだ。封術史に記されているのは、予言を授かったことと新たな力を得たということだけだ。それ以外にもまだ何かがあったと聞いて、二人は耳を疑ったのである。


「『星』はもうひとつ、私たちに与えたものがあったということだよ」


 学園長はそれでも穏やかに、日常会話のように自然に告げた。


「『星の思念体』は私たちの意識――無意識下領域に干渉し、脅威に対抗する力とその使い方を直接投影して見せた。きみたちには記憶の追想と言った方がわかりやすいかもしれない。まさしく九槻秋弥君とリコリス君が使った手段と似たような方法だった。

 追想によって私たちは刹那の間に可能性未来の一端を垣間見た。『星の記憶』を通じて異層世界から迫る脅威の存在を知り、脅威に対抗する方法と力を身につけた。そしてもうひとつ、私たちはこれから為すべき事を――使命を知った」


「これから先に、為すべき事」


「使命……」


 異層世界の脅威に対抗するだけではない何かが追想――記憶の改変には含まれていたということか。

 ならばそれは何なのか。まさか封術を体系化させるための封術協会を作り、封術学園を建てて封術を扱える者を増やすことではあるまい。


「封術協会を作ったり、封術学園を建てたりすることではないよね?」


 悠紀が内心で留めていた疑問をスフィアが問うた。


「もちろんそれらも多少は関連している。異層世界からの脅威に長期的に立ち向かうためには組織というものは絶対不可欠であり、技術を学び伝えるためには教育施設も必要だ。しかしそれらはあくまでも付加的なものにすぎない」


 スフィアの問いに答えたのは烏丸学園長だった。予想外の方向から来た言葉に、スフィアは片眉を持ち上げて反応した。


「それなら、ガクエンチョウたちが『星の思念体』から与えられたという使命は、なんだって言うんだい?」


 さっさと教えてくれ、という態度が言動に滲み出ているが、内心では悠紀も同じ気持ちだった。いくら考えを巡らせても、これまでに『始まりの封術師』たちが取り組んできた事以上の何かを想像することができなかった。


「あっ……」


 そのとき、悠紀の脳裡にある考えが過ぎった。これまでの話の流れを踏まえて考えてみれば、学園長たちがこれまでひた隠し続けてきた"それ"に、一つだけ思い当たった。

 悠紀の表情の変化を確認した鷹津宰治はゆっくりと首を縦に振った。


「私たちの為すべき事というのは、この先の世界……収束する可能性世界の未来に現われるという"大いなる革新"に対抗する力――『抑止力』の捜索だった」


 鷹津宰治が告げた歴史の真実に、『始まりの封術師』たちが視線で同意を示した。


「スフィア君の最初の質問に戻ろう。『抑止力』の対象というのは、『星』が"大いなる革新"と呼ぶものなのだよ」


 "大いなる革新"。

 その言葉は口に出さずとも、頭の中で反芻するだけで無意識のうちに身体が震えた。得体の知れないものを前にしたような、不安さや不快さを感じた。


「その……"大いなる革新"とは何なのですか?」


 悠紀は絞り出すようにその名を告げる。掌にじっとりと滲んだ汗を、握り拳を作ることで紛らわした。


「それは……残念ながら私たちにもわからない」


 だが、鷹津宰治は答えられなかった。彼だけでなく、『始まりの封術師』たちは誰もその質問の答えを持ってはいなかった。


「"大いなる革新"がどのようなものなのか……事物なのか事象なのか、有機情報体なのか無機情報体なのか、それは『星』にもわからないらしい」


「『星』にも、ですか……?」


「『星』は"大いなる革新"を、収束する可能性世界の未来を破壊する存在――歴史の特異点なのだと語っていた。『星』が持つ膨大な歴史の記録――『星の記憶』から導き出される因果律からは外れた存在なのだと。

 ただはっきりとしているのは、"大いなる革新"と呼ばれる存在が、この『(せかい)』がもたらす秩序を害する何かであることは間違いないということだけだ」


「そして、その"大いなる革新"に対抗するために『星』が生み出した概念こそが、『抑止力』なのさ」


 今まで黙っていた鶺鴒弥彦学園長が、高齢の老人とは思えないほど陽気な声で言った。


「"大いなる革新"と同じく因果律から解放された『抑止力』は、その絶大な力によって"大いなる革新"を退けることのできる唯一の概念のことよ。

 だけど、単なる概念でしかない『抑止力』だけではその力を奮うことはできないわ。だから『星』は自我意識を持つ情報体――有機情報体に『抑止力』の概念を与えることで、"概念"を"存在"へと昇華させた」


 と、鷺宮フラウ学園長が続く。


「しかし、概念存在となった『抑止力』もまた『星の因果律』から外れた特別な存在だ。『星の因果律』から解き放つことで絶大な力を得た代償に、『抑止力』は『星』の庇護下から完全に離れた存在となってしまう。それ故に、『抑止力』を創造する『星』ですら、有機情報体としての器を得た『抑止力』の足跡を追うことができなくなるようだ」


 今度は烏丸幸夫学園長が応える。


「だからこそ私たち『始まりの封術師』は……否、私たち『星の使徒』は、『星』に代わって『抑止力』の器をずっと探し続けていた」


 ふぅ、と鷹津宰治学園長は長いため息を吐いた。その仕草は心労が重なって疲れ果てているように見えた。

 しかし、"大いなる革新"に対抗する『抑止力』天河聖奈は既に見つかっているのではないか。

 そんな悠紀たちの無言の問いに答えたのは、烏丸幸夫だった。


「『星』がこの世界に創造した『抑止力』は全部で三つあった。過去、現在、未来を司る三つの『抑止力』だ。記憶の改変により『星の使徒』となった我々は、三十五年もの歳月をかけて、そのうちの一つだけしか、未だに見つけていないのだ」


 三つ……つまり『抑止力』の器となった有機情報体も三つあるということだ。

 天河聖奈はそのうちの一人に過ぎないのだと、烏丸学園長は言った。


「あぁ、だから封術協会を作って、封術を学べる学校を作ったんだね? 『抑止力』を宿した者を見つけやすくするために」


 合点がいったように呟いたのはスフィアだ。確かに、異層世界からの脅威に対するために組織された封術協会や、封術師を目指す学校を作った事実の裏には、そういう側面もあったのだろう。実際にはその効果はほとんど見られなかったわけだが。

 それにしても三十五年。

 そのうちの半分程度の人生しか過ごしていない悠紀たちにとって、三十五年という歳月はあまりにも長く、途方もないものだった。


「ところでガクエンチョウ。根本的なことを聞くのだけれど、その三つの『抑止力』は全てこの世界に存在するのかい?」


 スフィアが至極真っ当な質問をした。確かに、重層する数多の世界の中で、この世界に『抑止力』がいなければ、どれだけ探しても見つかりはしないだろう。


「もちろんだ。『星』は『抑止力』を創造する世界にこの世界を選んだ。だからこそ私たち『星の使徒』に、自らが創造した『抑止力』の捜索を命じたのだよ」


「世界はたくさんあるというのに、『星』がわざわざこの世界を選んだ理由が良くわからないのだけれど」


 それは悠紀も疑問に思ったことだが、学園長たちも全ての疑問に答えを持っているわけではないだろう。

 疑問に感じたことはすぐに尋ねるあたり、スフィアらしいとも言えたが、この質問に対して、鷹津宰治は少し考えるように目を伏せた。しばらくして目を開けると、わずかに言葉に迷うような仕草を見せた。


「……これがスフィア君の満足のいく回答になるかはわからないが、『この世界が最も言霊の親和性が高い』と『星』は語っていた。この世界に異層世界からの脅威が迫りやすい理由とも関連しているようだが、これ以上のことは私たちにもわからない」


「ふぅん……。言霊の親和性、ね」


 言葉の意味はわからないが、どうにも引っかかるものがあった。何処か覚えのあるような、懐かしい響きだった。

 だがそれよりも、もっと引っかかることがある。

 異層世界の脅威に対抗するために与えられた新たな力――封術。それは実のところ、"大いなる革新"を打ち破る『抑止力』を、来るその日まで護るために与えられたのではないだろうか、と。


「『試練の刻』……」


「ん?」


「お爺さま――前星条家当主が言っていたことがあるの。『いつか来る(きたる)「試練の刻」に、私たちは何が出来るのだろうか』って。そのときは意味がわからなくて、尋ねても何も教えてくれなかったのだけれど……。『試練の刻』というのは、"大いなる革新"と立ち向かうとき、という意味なのですね?」


 確信はあった。前星条家当主と『始まりの封術師』たちはほぼ同世代だ。当時から封術の前身となる力を研究していた前星条家当主がそのことを知らないはずがない。


「『試練の刻』は封術協会の上層部で使われる隠語だ。いま我々がお前たちに語って聞かせているこの真実は、封術に関わる者たちでも限られた者しか知らないことなのだ」


 烏丸学園長が苦々しげに言う。その様子は単なる封術見習いでしかない悠紀たちに真実を伝えたことを悔いているようにも見えた。


「ん……どうしてみんなで『抑止力』を探そうとはしなかったんだい? 手分けして探せばすぐに見つかったかもしれないのにさ」


「……我々も最初の頃はそう考えていた。だが当時は封術の素養を持つ者が今以上に少なく、いつ現われるかもわからない"大いなる革新"に備えるよりも、常に迫り来る異層世界からの脅威に備えるための地力を高めることを優先したのだ」


「この世界が異層世界の存在に蹂躙されてしまったら元も子もないからね。だけど理由はそれだけじゃないよ。有機情報体の器に顕現する『抑止力』は、外見こそ普通の人間と同じだからね。探すとなれば砂漠の中から米粒を探すようなものなのさ。だけども『抑止力』は米粒と違って自ら思考して行動するから、難易度はいっそう高い。自衛のために身を隠されても事だから、『星の使徒』である僕たちだけで彼女たち(・・・・)を探すことが最善だったのさ。

 もっとも、一番の理由は"大いなる革新"の存在を明らかにすることで生じるはずの混乱と未来への不安を抑えたかったからだけどね。そうすると必然、"大いなる革新"に対抗する『抑止力』の存在も伏せざるを得なかったというわけさ」


「故に"大いなる革新"と『抑止力』の存在を知っている者は少ないが、いずれときが来れば誰の目にも明らかな形で"大いなる革新"は現われるだろう。"大いなる革新"が現われれば対を為す『抑止力』たちも現われるだろうが、その前に彼女たち(・・・・)を発見し、『星』の監視下においておくことができれば、それに越したことはない」


 『始まりの封術師』たちが言うこともわかるが、『抑止力』はそこまで探すことが難しい存在なのだろうか。話を聞いている限りでは、『抑止力』は因果律から解放されていることで常人では計り知れない力を得ているようだが。

 『抑止力』自身が見つかることを拒んでいるのか。無自覚だということも考えられるか。


「……先ほどから"彼女たち"と仰っていますが、『抑止力』は女性に宿るのですか?」


「ご明察のとおりよ、星条さん。三つの『抑止力』は女性の有機情報体を器としているわ。過去、現在、未来を司る三つの『抑止力』が持つ概念存在としての名は、"不可逆の聖女"、"可能性の魔女"、そして"因果崩壊の巫女"……。だけど、私たちにわかるのはそれくらいのことよ」


 過去を司る"不可逆の聖女"

 現在を司る"可能性の魔女"

 未来を司る"因果崩壊の巫女"。


 女性と知って、一瞬頭に浮かんだ、九槻秋弥が『抑止力』なのではないかという懸念は綺麗になくなった。


「ちなみに天河聖奈は"可能性の魔女"だよ」


 と、鶺鴒学園長が言った。


「"可能性の魔女"ね……。ガクエンチョウたちはどうやって『抑止力』の一つであるらしいセイナを見つけたんだい?」


 ともかく、他の『抑止力』よりも、今は天河聖奈のことが気に掛かる。

 彼女のルーツに迫るスフィアの問いかけに答えたのは、やはり鷹津宰治だった。


「そうだね、ここからは天河聖奈君の話をしよう。私たちが聖奈君を見つけたのは、今から十一年前のことだ」


 十一年前と言えば、自分たちがまだ八歳の頃だ。小学校に上がったときには既に装具を手にしていたが、自分が生まれた家の事情もまだよく理解していない年頃だったと思う。


「封術学園の開校から一年が経ち、学園内の雑事の多くを封術教師たちに任せた私たちは、日本のみならず世界各地から収集した不可思議な逸話がある土地へと足を運んだ。もちろんそのほとんどが眉唾物であったり、事実を誇張した内容であったが、それでもそういった話の背景に特別な事情を抱えた存在がいるという可能性を信じて、『抑止力』の捜索をしていた。

 そして瞬く間に一年が終わろうとしていたとき、日本に戻っていた私たちの耳にとある噂話が飛び込んできた。その話の中には、外界との接点を閉ざした閉鎖的な村と、異形の存在によって育てられたという少女が登場した」


 異形の存在というのは、十中八九隣神で間違いないだろう。ではその隣神によって育てられたという少女が天河聖奈だということだろうか。


「人間ではない存在に育てられた人間……そういった話は世界各地にもあった。そのどれもが空振りに終わったのだが、だからといって実際に確認もせずに判断するわけにもいかない。私たちはその少女が住むという村を探すことにした。

 その村はすぐに見つかった。もっとも、すぐに見つけることができたのは私たちが一般人ではなく、並大抵の封術師でもなかったからなのだが。ともかく、人の出入りが全くない秘境とも呼べる樹海の奥地に、その村は確かにあった。しかし、私たちが辿り着いたときには、もうそこは村とは呼べない状態になっていた。田畑は荒れていて、家屋は倒壊していたのだ」

 

「村があったのは昔のことだった、ということですか?」


「私たちも最初はそう考えたが、それは間違いだった。荒れた田畑を良く見ると、時間と共に荒れ果てたのではなく、何者かによって荒らされたと見られる跡がいくつも残っていた。さらに倒壊した家屋も、何者かによって故意に破壊されたとみられる痕跡がそこかしこに見られた。そして何より私たちがそう確信したのは、まだ日の浅い村人の亡骸を発見したからだった」


 悠紀はハッとして口元を抑えた。朝倉とスフィアからも動揺した気配が伝わってくる。


「私たちは急いで周囲を捜索した。しかし、見つかるのは村人の亡骸ばかりだった。ここで何が起こったのか。状況を掴みかねていた私たちは、社と見られる場所でついにその理由を見つけた。

 そこには明らかに村人ではない者たちの亡骸があった。私たちは彼らによって村が蹂躙され、全滅したのだと予想した。だが何故彼らもまた物言わぬ亡骸となっているのか。亡骸を調べた私たちは、彼らが違法封術師として名を残している者たちであることを知った」


 違法封術師――封術協会の定める規則に反して私利私欲のために封術を用いる者たちのことだ。

 嫌な予感が悠紀の胸中を過ぎり、それはすぐに事実となった。


「違法封術師が何故このような場所を訪れたのか。考えられることは一つしかない。彼らもまた、私たちと同じく噂の少女を探していたのだろう。先ほどは異形の存在によって育てられたと言ったが、別の噂では、その少女は異形の存在と人間との間に産まれたとも言われていた」


「それは……隣神と人間とのハーフということでしょうか」


「そんなことが、ありえるのかい?」


 噂話を真に受けるならばそういうことになるが、果たして可能なのか。


「真偽はともかく、違法封術師の中には超常的な力を操る異層世界の存在を深く信仰する者も多くいる。そういった主義者たちが噂を聞きつけて集まり、私たちより先にその村を訪れたのだろう。そして暴力的な手段によって少女を捜索したのだと私たちは推測した。だが、何者かの手によって違法封術師たちは返り討ちにあった。では誰が違法封術師たちを殺したというのか」


 悠紀は不意に寒気を覚えて自らの身体を抱いた。


「天河……聖奈……」


 朝倉が呟く。ぴりりとした緊張感で空気が張り詰めた。


「……私たちが村に辿り着いたときには、全てが終わった後だったということだ。私たちは社の最奥で、人間と見られる男性の亡骸と、死してなお絶世の美しさを遺した隣神の亡骸に寄り添っていた少女を発見した。

 齢五歳の少女は私たちを『星の使徒』であると認めると、自ら"可能性の魔女"であると明かした。そして私たちに村人たちの供養を願うと、自らの記憶に封印を施した。

 この世界に産まれてから今までの記憶を全て封印し、『抑止力』であることも忘却した少女が眼を覚ます頃には、私たちは村人全員の供養を終えて、村から戻ってきていた。元々の名前を知らなかった私たちは少女に天河聖奈という新しい名前を与え、私が少女の保護者となった。鷺宮フラウ君が理事を務める聖條女学院であれば、情報が外部に漏れることは最小限に抑えられ、封術学園に入学できる歳になるまでの安全を確保できると考えて、少女を聖條女学院の初等部へ編入させた。そこから中等部を卒業するまではほとんど顔を合わせることなく、書面でのやりとりに留めていたが、心身ともに健康に育ってくれたと思っている」


 まるで我が子の成長を喜ぶように――事実、我が子のように育ててきた学園長たちは微かに表情を綻ばせたように見えた。


「さて、これでようやく話は現在に追いついたことになる。封術学園に入学し、封術師見習いとして封術を学び始めた聖奈君のことは、私たちよりも君たちの方が詳しいだろう。聖奈君が無意識的に発現させてきた強力な封術や、他の干渉を許さないほど強固な障壁は、つまるところ、聖奈君の裡に眠っていた『抑止力』が関係していたということだ」


 九槻秋弥と鶴木真の模擬試験で見せた、本来あり得ないはずの完全治癒術式。

 担当試験教官も思わず息を呑み、我が目を疑ったという淡紫色の火球。

 亜子の最適化領域への干渉を拒むほど超強固な干渉力を備えた最適化領域。

 高位隣神"原罪の獄炎(シンフレア)"が顕現させたクラス3rd級隣神の胴体をいとも容易く貫いてみせた封魔術。

 これらはすべて、天河聖奈が"大いなる革新"に対抗する『抑止力』だからこそだということか。


「そして今し方聞いた鵜上君の報告と、現在封術学園で起こっている未曾有の事態は、聖奈君が"可能性の魔女"としての記憶を取り戻したことが原因と見て間違いないだろう」


 それは、すなわち――。


「"大いなる革新"が現われる日も近い、ということかな?」


「おそらくは。だが目下の問題は、"可能性の魔女"として覚醒した聖奈君の目的は何かということだ」


「目的? "大いなる革新"とやらを倒す以外に目的があるのかい?」


 きょとんとした顔で尋ねるスフィアに、悠紀は表情を曇らせた。


「鷹津学園長は、いまこのタイミングで覚醒した聖奈さんの目的は何かと仰っているのよ。封術師たちが介入できないこの状況を聖奈さん……"可能性の魔女"が意図的に作り出した理由を……」


 言いながら悠紀は考える。卒業研究の発表会で学園の四、五年生と封術教師全員、そして学園長が不在のときを狙って"可能性の魔女"が記憶の封印を解いたとして、ならばその目的は何なのか。

 封術師に邪魔をされたくない、その理由は……。


「やはり……『マナスの門』が狙いなのでしょうか」


 封術学園だけが持つ特殊性を鑑みれば、その可能性が極めて高いだろう。魔女の目的は不明だが、封術師見習いの上級生や学園外部も含めた封術師たちの介入を拒む理由としては十分だ。


「私たちの介入を拒んだ以上、そう考えるのが自然だろう。"可能性の魔女"が『マナスの門』に害を与えることはないと思うが、『マナスの門』を利用して何をしようとしているのか、それは誰にも……創造主である『星』でさえもわからないことだ」


「学園のみんなは……?」


 学園長はゆっくりと頭を振った。


「"可能性の魔女"が暮らしていた村を襲った違法封術師たちのように、こちらから余計な手出しをしなければ自ら手を下すことはないと考えたいが……。これ以上のことは何を言っても気休めにしかならないだろう」


 "可能性の魔女"にとって、学園に残っている封術師見習いたちは取るに足らない存在のはずだ。

 悠紀は唇を噛みしめた。亜子たちに指示を出してしまったことが今となっては悔やまれる。異層領域の調律は二次災害を防ぐという意味でも大切なことだが、それ以上に皆が無事であることの方が大切だった。


「ん、ちょっと待ってよ。セイナが『抑止力』として目覚めたのはわかったけれど、ワタシたちの知っているセイナはどうなっちゃったのかな?」


「それは……」


 学園長は言葉に詰まり、口を噤んだ。

 "可能性の魔女"と天河聖奈は元々一つの『意』を持つ存在だった。概念存在『抑止力』のひとつとしてこの世界に生を受けた少女は自らの記憶に封印を施して、天河聖奈としての人生を歩み始めた。その彼女が再び本来の記憶を取り戻したということは、今学園にいる天河聖奈はいったいどちら(・・・・・・・)なのか。


「……"可能性の魔女"の目的は、それなのかもしれない」


 烏丸学園長の言葉に、全員の視線が向いた。


「彼女は……"可能性の魔女"は、天河聖奈というもう一人の自分(そんざい)と対話をするために、『マナスの門』を目指しているのではないか?」


「何のために?」


「そこまではわからないが……『マナスの門』は己の『(こころ)』――心象世界に接続するための端末だ。ならば自らが施した記憶の封印によって生まれた別の自分と話したいことがあったのかもしれない」


 その考えは突飛すぎるようにも思えるが、自らの意思で記憶を封じた"可能性の魔女"が別の意思の誕生を予想していなかったとすれば、その可能性もありえるか。


「まぁ、セイナが無事なら良いんだけどね。それに、シュウヤもね」


「……秋弥君」


 スフィアの言葉に釣られて小声で悠紀が呟いたのは、聖奈の後を追えと伝えた少年の名前だった。彼は間違いなく、現状で最も危険な場所にいるだろう。


「九槻秋弥君か……」


 秋弥との通信を聴いていた鷹津宰治もまた、その名を口に出した。


「これはあくまでも私個人の予想だが、彼の存在は"可能性の魔女"にとってのイレギュラーとなり得るかもしれない」


「イレギュラーですか? 秋弥君が?」


「そうだ。九槻秋弥君もまた、常人では計り知れない特別な事情を裡に抱えている。その彼と"可能性の魔女"が向き合ったとき、見えてくる答えがあるとすれば――」


 それ以上は言葉が続かなかった。

 どうあっても、いまこの場にいる自分たちにできることは何もない。

 もどかしい思いばかりが募る。

 時間の流れが途端に遅くなったように感じられた。


「学園に戻る手配はしておいたが、私たちが学園に到着した頃には全てが終わっている事だろう。だからいまはただ、学園に残った皆の無事を願おう」


 その願いは果たして彼らに届くのだろうか。






最後の説明回でした。そして彼らの出番ももう……。魔女に省られてしまったので仕方がないですね。

次話は4/18(土)の8:00予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ