五.ゴム紐の原理
(注:シモネタ内容を含みます)
最近、真也がヤバイ。
私がユニフォームのパンツにゴム紐を取り付けてから、紅白戦や練習試合のたびに運動量のデータが出てきているけど、アイツだけ一割くらいカウント数が少ない。
このままじゃ、今度の試合のレギュラー落ちは確実だ。一年前にやっと掴んだレギュラーだというのに。
真也の努力は私が一番よく知っている。だって家が隣だから。
今まで夕食の後にランニングをしていたけど、最近は朝も始めたみたい。それだけアイツもあせってるってことだ。
そうだ、おじいちゃんにブリブアシステムの仕組みを聞いてみよう。ちょっとズルっちいけど、原理が分かれば真也にアドバイスできることがあるかもしれないし……。
紅白戦を翌日にひかえた金曜の夜。
私は寝る前のおじいちゃんの部屋に行き、思い切ってブリブアシステムの原理について聞いてみることにした。
「ねえ、おじいちゃん。聞きたいことがあるんだけど……」
ノックをしてから、そっと部屋の引き戸を開ける。
おじいちゃんは寝るために布団を敷いているところだった。仏壇には火のついた線香が二本。写真の中では、五年前に亡くなったおばあちゃんが微笑んでいる。
「寝る前で悪いんだけど、あのゴム紐ってどんな仕組みになってるの?」
するとおじいちゃんは布団を敷く手を止めた。
「ほお、菜月があのゴム紐の原理に興味を持ってくれるとはの。嬉しいことじゃ」
早く入れと手招きするおじいちゃんに誘われ、私は部屋に入る。ゆっくりと畳に座るおじいちゃんと向い合うようにして私も座った。
「あのゴム紐の原理はの……」
おっと、いきなりの発表!?
はたして自分に理解できるのか、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「ファラデーマクスウェルの式じゃ」
ファ、ファラデー?
マクス何?
なに? それ……?
「数式にすると、『rotE=-dB/dt』じゃよ」
へっ?
う、宇宙語……?
なんだかチンプンカンプンで、おじいちゃんが日本語をしゃべっているとは思えない。
私は完全に固まった。ぷうんと線香の香りが漂ってくる。
「おい。おーい、菜月。聞いとるか?」
オジイチャンガ、ナニカ、イッテイル……
「菜月、菜月。しっかりするんじゃ!」
私は肩を揺すられて、はっと我に返った。
「お、おじいちゃん……」
「ごめん、菜月。お前はこういうのが苦手じゃったの。さて、何から話したらええか……」
おじいちゃんは少し涙目だ。
どうやら原理を理解するのは私には無理みたい。
ゴメン、真也。あんたを助けることはできそうにないよ。
それならば、せめて、疑問に思っていることだけ聞いてみよう。
「じゃあ、おじいちゃん」
「なんじゃ、菜月」
おじいちゃんも気を遣って相槌を打ってくれた。
「一つだけ教えて」
私はゆっくりと切り出す。
「なんでゴム?」
――サッカーパンツにゴム紐。
これはかなり不評だった。
だって、憧れの高志先輩にしかめっ面されちゃったんだから。
それに、二十人分のゴム紐の取り付けって本当に大変だった。
もしゴムである必要が感じられなかったら、ひとこと文句を言ってやろう。
そんな決意で前を向くと、おじいちゃんは少し考えた後、言葉を選ぶように説明を始めた。
「あのゴム紐にはな、金属が織り込んであったんじゃ。ほら、銀色に光っとったじゃろ?」
確かに銀色だった。あれは金属だったんだ……。
「その金属で輪を作ることが目的だったんじゃよ。まあ、電線を輪にするのと同じじゃな。だから、必ずしもゴムじゃなきゃいけないってことは無かったんじゃ」
なんだって!?
ゴムじゃなくても良かった? それってどういうことよ。
聞き捨てならない言葉に、私は口を尖らした。
「だったら、ただの紐でもよかったじゃん」
そうよ。ユニフォームのパンツの紐を取り替えるだけなら、高志先輩の不評を買ったりしなかったのに。
「それじゃダメなんじゃよ」
「なんで?」
「紐の結び方次第で、金属が繋がったり繋がらなかったりするからの。ゴムなら確実に輪になる」
確実に輪になるって、私がゴム紐を糸で結びつけてあげたからそうなったんじゃん。
いやあ、あれは疲れたよ。
説明書に『ゴム紐の端同士を密着しろ』って書いてなかったら、絶対やってなかったよね。
「金属を輪にすると、何かいいことがあるわけ?」
「発電機と同じようなことがゴム紐の中で起こるんじゃ。ところで発電機の原理は……知らんよな」
その通り。知ってたら理系に行ってますって。
「発電機はな、輪にした電線の中で磁石をグルグル回しとるんじゃよ。すると電線に電気が流れる」
へえ、発電機ってそんな仕組みだったんだ。
「それと同じ事があのゴム紐の中でも起きているってこと?」
「その通りじゃ」
いつの間にか、私はおじいちゃんの話に夢中になっていた。
後で考えるとそれがそもそもの間違いだった。ゴム紐の原理なんて、知らない方が良かったのだ。
しかしその時の私は、体の中にある磁石について真剣に考え始めていた。
「でもおじいちゃん、体の中には磁石は無いじゃん」
体の中に磁石なんて、普通は無いよね?
もし体の中に磁石がある人間がいたら、金属の壁なんか楽に登れて便利かも。スパイダーマンも真っ青じゃない。
「磁石は無いが、磁石を動かしたような状況を作ることはできるんじゃよ」
えー、磁石を動かしたような状況って、全然想像できないんだけど。
私が目をパチクリさせていると、おじいちゃんは思い出したように例を挙げる。
「そうじゃ菜月。肩こりに効く磁石って、聞いたことはないか?」
肩こり? 磁石?
ああ、あれか。ピップなんとかって、ばあちゃんが生きていた頃、よく肩に貼ってたやつ?
「あれはな、磁石の力で血液の流れを良くしとるんじゃ。つまり、磁石の力が血液の流れに影響する」
へー、あれってそういう原理だったんだ。
「ということは、その逆もありうるんじゃよ。血液の流れが磁石の力を生む、ということじゃ」
血液の流れが磁石の力を生む?
うーん、なんだかまた話が難しくなってきたぞ。
えっと、それで磁石の力が生まれるとどうなるんだったっけ……?
私の目は再び白黒し始めた。
「はっはっは。なんだ、またダメか、菜月?」
おじいちゃんは一息ついて、話を続ける。
「簡単に言うとな、まず血液の流れで磁石の力が生じるんじゃ。そしてその近くに輪になっているあの金属があると、電流が流れる。だからゴム紐なんじゃよ。確実に輪になっとるからな」
なんだか分かったような、分からないような……。
「つまりゴム紐に電流を流すには、ゴム紐の傍で血液が流れる何かが揺れているのがちょうどいいんじゃ」
何かが揺れているって……?
そっか、そういう原理か。
「振り子!」
私は声を上げた。
歩数計だって、振り子が揺れる数を計測してるって聞いたことがある。
それに、部室で見たブリブアシステムの地震計のようなグラフ。振り子が揺れているのであれば、あんなグラフになるような気がした。
「おっほっほっほ。ビンゴじゃよ、菜月」
おじいちゃんもやっと嬉しそうな顔をしてくれた。
「ゴム紐に近くで振り子が揺れると、ゴム紐に電流が流れて電波が発生する。それを記録しとるんじゃ。つまり、振り子の揺れた数を測定してるってことなんじゃよ」
そうか、振り子がブリブアシステムの原理だったのね。
そうならそうって早く言ってくれればいいのに。おじいちゃんも回りくどいんだから。
それにしても、パンツのゴム紐の近くで血液が流れる振り子ってなんだろう――って、えっ? もしかしてそれって……。
私はある物に思い当たり、言葉を詰まらせた。
そ、そ、そ、その、ふ、ふ、振り子って――ま、ま、まさか、男の人にしかないアレ?
私は思わず、サッカーパンツの中で何かがブラブラと揺れているところを想像してしまった。
お、おじいちゃん、何てものを発明してくれたのよ。
私の顔はみるみる紅潮していく。
そんな姿をおじいちゃんに見られたくない。
「じゃ、じゃあね。お、おじいちゃん、ありがとう」
私は顔を見られないように、下を向いたまま体を反転させた。
「説明はもういいのか? まだ続きがあるんじゃが……」
「おやすみっ」
私は口早に就寝の挨拶をすると、おじいちゃんの部屋を飛び出し、後ろ手で引き戸を閉めて自分の部屋まで走った。
――原理は分かった。
でもそれを誰にも話すことはできない。
だって、まさか男の人のアレの揺れを測定しているなんて……。
これじゃブリブアじゃなくて、ブラブラセンサーじゃん。って私、何を言ってるのかしら。
明日は部員のみんなの顔をちゃんと見れるかな。
ダメだ、忘れろ、忘れるのよ、菜月。今日おじいちゃんから聞いたことは……。
その日私は、なかなか寝つけなかった。