二.おじいちゃんの新発明
それは、先週の土曜日のことだった。
私はいつものように朝から部活に行こうと玄関を出ると、庭に居たおじいちゃんに呼び止められた。
「おーい、菜月ィ!」
「なーに、おじいちゃん。今、部活に出かけるところなんだけど……」
「そこを引き止めて悪いが、一つ頼みがあるんじゃよ」
「頼みごとって……?」
おじいちゃんは、「ちょっと待っててくれ」と言いながら、庭から自分の部屋へ入っていった。黄色く咲いたキンモクセイから、甘い香りが漂ってくる。
しばらくして戻って来たおじいちゃんが手にしていたのは、銀色に光るゴム紐の束。
「お前の部活でこれを試してくれんかね」
「なに、これ?」
ゴム紐は色こそ銀色だったが、触ってみると弾力といい伸び具合といい普通のゴム紐だった。
「これをな、サッカー部員のユニフォームのパンツに付けてほしいんじゃよ」
興味深そうにゴム紐を触る私を見ながら、おじいちゃんはニヤニヤと笑っている。
「また珍発明?」
これは絶対、怪しいものに違いない。
「珍とはなんじゃ、珍とは。今度はすごい発明じゃよ」
――また『すごい発明』かよ……。
おじいちゃんは何かを発明するといつも『今度はすごい』と言うが、一度だってすごかった試しはない。実験台になっていた真也はいつもすごい目にあってたけど。
例えば、日差しを遮るけど日焼けする帽子とか、ポケットの中で手が拭ける半ズボンとか。極めつけは、脱がなくても用をたせるウンチパンツというものもあった。
「はいはい、すごいのはわかったから。でもおじいちゃん、そんなもので私の手を煩わせないでよ。ゴム紐をサッカーパンツに付けるなんて、どれだけ手間がかかると思ってんの?」
このゴム紐をみんなのサッカーパンツに取り付けるなんて、そんな姿を想像するだけでぞっとする。
「手間をかけるだけの効果があるんじゃよ。このゴム紐には」
「一応聞いてあげるけど、なに、その効果って?」
どうせ聞いても、なーんだってことだと思うけど。
「聞いて驚くな。このゴム紐を使うとな、部員の運動量が測れるんじゃよ」
「ふーん、そう。じゃあね、おじいちゃん」
ほら、やっぱりたいしたことない。
「コラ、待て! 菜月ィ!!」
おじいちゃんは慌てて私を呼びとめる。
「お前はサッカー部のマネージャーのくせに、サッカーにおける運動量の重要性を軽視するんか?」
そんでもって、ちょっとご立腹。
「そりゃ、サッカーに運動量が必要だってことは分かるわよ、私にだって」
「いいや、お前は少しも分かっとらん。先のワールドカップで活躍した日本代表の選手で、特に運動量の豊富な選手がいたのを覚えとるか?」
ああ、そういえばそんな選手がいたね。今はイタリアのリーグに行ってるんだっけ?
「その選手が今、どんなチームに所属しているか知っとるか?」
「さあ……」
「なんだ、菜月。お前は本当にサッカー部のマネージャーなのか?」
「だって、日本代表がどんなチームに所属してるかなんて、私達の部活に関係ないじゃない」
負けじと私も言い返す。
「マネージャーがそんなこと言ってるから、お前のとこの部はダメなんじゃよ」
余計なお世話よ。
「世界でもトップクラスのクラブじゃ、その選手がスカウトされたのは。クラブチームのワールドカップでも優勝したことのあるチームじゃよ。ここまで言えば、どんなにすごいことか分かるじゃろ」
クラブチームのワールドカップで優勝!? それって世界一ってこと?
へえ、日本人がそんなチームにスカウトされていたとはね。それは凄いことかもしれないわ。
「ほら、運動量がいかに大切なのかが分かったじゃろ」
私が納得したような表情をしたもんだから、おじいちゃんは得意顔。くやしいったらありゃしない。
「でも運動量を測るなら、歩数計を付ければいいだけじゃないの?」
するとおじいちゃんは目を白黒させた。
「お前は本当にサッカーを知らんのじゃの。マネージャーだったら、サッカー競技規則くらい読んどかなきゃダメじゃろ」
そう言いながらおじいちゃんは、懐から競技規則の冊子を取り出す。
「第四条、『競技者の用具』のところにちゃんと書かれとる。競技者はの、シャツとパンツとストッキングと靴とすね当て以外は、何も身につけてはいけんのじゃ。歩数計なんてもってのほかじゃよ」
そ、そんなこと私だって知ってるわよ。ただ思い出せなかっただけで。
「だったらおじいちゃん、日本代表やプロチームはどうやって運動量を測定してんのよ」
運動量、運動量って言われても、測定の仕方が分からなきゃどうしようもない。
「それはな、試合を撮影したビデオを分析して走った距離を測定しとるんじゃ。クラブ専属のスタッフがおっての。特殊なプログラムを使う場合もある」
へえ、そんなことやってるの……。
「さすがにお前んとこの部活では、そこまではやっとらんじゃろ」
そりゃそうよ。もしうちの部活でやるとしたら、私がやるってことじゃないの。そんな面倒臭いことお断りよ。
「なんだ菜月。そんなことやりたくないって顔しとるぞ。そうじゃろ、そうじゃろ。だったらわしの発明を使えばええ。ほら、これを持って行け」
私は思わずゴム紐に手を伸ばす。
「わかったわ。って、今、持って行きそうになったじゃないの」
「はははは。菜月、もっと素直になれ」
おじいちゃんは、いつもの優しい表情で笑った。
うーん、せっかくおじいちゃんが力説しているんだから、一度くらいは試してみてもいいのかな……。
「でも本当にこんなゴム紐で運動量が測れんの?」
私は目を細めて、確かめるように聞いた。
「菜月、お前はわしの技術を疑っておるのか?」
その時おじいちゃんの目がキラリと光る。
マズイ。
この目は技術者魂が呼び起こされて長々と説明を始める時の――と思う間もなく、おじいちゃんの解説が炸裂する。
「このゴム紐には特殊な金属が織り込まれておってな、それに電流が流れると特殊な電波を発するようになっとるんじゃよ。しかもこの金属をループ状にした時の誘電効率は非常に高く、微弱な磁場の変化にも反応し、生じた電流がループを流れることによって電波が……」
「わわわ、わかった、わかった、おじいちゃん。ちゃんとこのゴム付けるから。じゃあ、部活に行くよ」
私はおじいちゃんの手からゴム紐と説明書を掴むと、慌てて踵を返す。
「おい、待て。菜月ィ、説明はちゃんと最後まで聞け!」
悪いけどおじいちゃん、急がないと部活が始まっちゃうから。
住宅街を走り出した私の背後から、おじいちゃんが大声で叫ぶ。
「ちゃんと説明書を見てしっかりとゴムを付けるんじゃよ~」
こら、あほジジイ。そんな危ないフレーズを叫ぶんじゃない。
まるで私が初めてゴムを付けるみたいじゃない。そりゃ初体験に違いないけどさ、サッカーパンツにゴム紐付けるのって。
私は近所の様子をキョロキョロドキドキと気にしながら、学校に向かうスピードを上げた。