エピローグ
(注:シモネタ内容を含みます)
菜月のじいちゃんの葬式から一週間が経った。
今日は秋の公式戦の初日だ。
俺は朝食を食べて自分の部屋で着替える。窓の外は清々しい秋晴れだ。
すると、ピンポーンと玄関の呼び鈴が鳴った。
「おーい、真也。まだぁ~?」
窓の外では菜月の声がする。
さあ行くか。今日は学校に集合してバスに乗り、県総合グラウンドに向かう予定になっている。
「お早う、菜月」
玄関を出て俺は菜月に挨拶をする。あれから一週間が経って、普段の菜月に戻りつつあるように見えた。
「ほら、急ぐよ」
そう言ってスカートを揺らしながら踵を返す菜月。肩の辺りで揺れるショートヘアから、いい香りが漂ってきた。
「おじいちゃんのトリックを見破ってレギュラーになれたんだから、今日はひといち倍動いてよね」
こんな風に憎まれ口を叩かなければ、いい女なんだけどな……。
それにしても、この『ひといち倍』ってどっちだ? 一・一倍? それとも人一倍?
まあ、どっちにしても今日は試合なんだから精一杯やるだけだ。
「それだったら今から走らせるなよ」
俺は今、小走りで菜月の後を追いかけている。
「私はマネージャーなんだから遅刻しちゃダメなの。あんたはゆっくり来なさい。他の部員が試合に出れて、喜ばれるわよ」
振り向かずに言葉だけを俺に浴びせる菜月。
なんだよ、こっちくらい向いてしゃべれよ。
お前がその気なら、俺にも覚悟があるぞ。
俺はポケットの中からスマートフォンを取り出した。
そして、おじいちゃんの顔のアイコンを押そうとして――
『もうその人は居ないんだぞ』
一週間前の平田の言葉を思い出した。
――まだ俺は、じいちゃんを頼ろうとしているのか?
もう一人の自分が、どこかで俺のことを見ているような気がした。
これからはじいちゃんに頼らずに、頑張っていかなくちゃいけないのに。
――よし!
俺はスマートフォンをポケットに戻す。そして走るスピードを上げた。
――見ててよ、じいちゃん。もう俺はじいちゃんには頼らないから。
猫型ロボットに頼らずにガキ大将に戦いを挑むような、そんなメガネっ子の気持ちで菜月の前に出る。そして、すばやく手を伸ばし――
「キャッ!」
豪快に菜月のスカートをめくった。
パンツセンサーなんかに頼らずに最初からこうしてれば良かったんだよ。子供の頃は毎日のようにやってたんだから。
俺の意識の中で、スカートがスローモーションのようにめくれていく。
菜月のきれいな太腿が露わになって、そして……。
――でもどうせスパッツをはいてるんだろ。
しかし俺の予想は見事に外れた。スカートの中からはスパッツの黒ではなく、白地に赤い模様が散りばめられた布が姿を現し始めたのだ。
――な、なぬ!? こ、この模様は……、イ、イチゴパンツ!?
「何すんのよ、このバカ!」
「さ、先行ってるぜ」
俺はさらにスピードを上げて走り出す。
子供の頃のウンチパンツの思い出が瞬時に脳裏に蘇り、嘔吐を伴うような寒気が俺を襲ってきたからだ。
――ダメだ、あのパンツだけは。
見てはいけないものを見てしまった。
スマートフォンにインストールしたパンツ図鑑アプリの写真を見ただけでもヤバかったのに、実物を見てしまうなんて最悪だ。
じいちゃんが死んで意を新たにしても、俺には克服できないものがあった。
でも、もともとの原因を作ったのは、そのじいちゃんなんだけど。
じいちゃんと暮らしたこの十七年は、すでに俺の人生にがっちり組み込まれていることを痛感しながら学校への道のりを走り続けた。
● ● ●
なによ、真也のやつ!
ギリギリのところでレギュラーを掴んだというから、せっかく家まで迎えに行ってやったのに……。
それなのにいきなりスカートめくりは無いんじゃない?
小学生じゃないんだから。
も、もしかして、み、見られちゃったかな? 今日は生パンで、しかもイチゴパンツだったのを。
うわっ、恥ずかしい。
告別式の前に、おじいちゃんが夢の中に出てきて『真也のためにイチゴパンツをはけ』って言うからそうしたのに。本当は重ねばきしたかったんだけど、スパッツはダメだっておじいちゃんが言うからさ。
真也は、今日のレギュラーは確定だから別にズルする必要はないんだけど、次の試合のこともあるからね。カウント数を上げておくことに越したことはないし、それに――
遺言だから。
バカよね、おじいちゃんも。そんな心残りがあったなんて。
月曜日に学校に行って、平田先生に真相を聞いたわ。なんでも、ブリブアシステムのカウント数の計算式が真也ところだけ細工してあったというじゃない。
おじいちゃん、自分でそんなことをやっておきながら私の夢に出てきて『最後の心残り』なんて言ってるんだから、全く立つ鳥跡を濁すじゃないの。
だったら最初からそんなことするなっつーの。
まあ、おじいちゃんにとっては真也も孫みたいなものなんだろうね。
私達、ずっと一緒に育ってきたから。
スカートめくりも久しぶりだったなぁ。なんか、小学生の頃を思い出しちゃった。
あの頃は、恥ずかしさよりもやられた憎らしさの方が大きかったけど、今日のは恥ずかしさの方が大きかったかな。
――幼馴染として、また私のことを見てくれたのかな?
でもアイツのことだから、女の子のパンツに興味があるだけじゃないの? でも、それでも、ちょっぴり気になったりして。
やだ、私何を考えてるのかしら。なんだか赤くなってきちゃった。
ダメだ、ダメだ。試合に集中。今日の相手は強豪の針葉高校なんだから。
私は顔のほてりを冷まそうと、真也の後を追いかけるスピードを上げた。
◇ ◇ ◇
さすがに針葉高校は強かった。個人の技術は完全に相手の方が上だ。
なんとか前半を0対0で折り返した俺達は、後半も一方的に攻められている。
しかし俺達も練習をサボっていたわけではない。ブリブアシステムを使った部員全体の運動量の底上げは、確実に戦力アップに繋がっていた。相手が先にへばってくれれば俺達にもチャンスはある。
それに、中盤でパスを出す俺にとって、ブリブアシステムのカウント数は意外なところで役に立っていた。スペースに走りこむ選手のカウント数を把握しておけば、パスの強弱を正確に判断できるからだ。そう、サイドを駆け上がる選手が部内トップのカウント数を誇る亮であれば、少々きつめのパスでも必ず追いついてくれる。
今日もその判断が的中した。普通ならデイフェンダーの手前側に出すパスを、その裏にあるスペースに出した。ターゲットが亮なら追いついてくれると判断したからだ。案の定、亮はそれに追いつき、相手のサイドを深くえぐった。そしてゴールライン付近でセンタリングを上げる。
きれいに弧を描くボール。
背の高い高志先輩がポストになってヘッドで落とし、ボールは俺の前に転がってきた。
――よし、貰った!
ちらりとキーパーの位置を確認して、俺は右足を振り抜く。
しっかりと腿を上げ、押さえを効かせた地を這うようなシュート。後半になってもこれだけのシュートが打てるのは、ブリブアによって脚力が鍛えられた成果と言えるだろう。
スローモーションのようにボールはゴールに向かって飛んでいく。キーパーはなんとか弾こうとダイビングするが、その手をかすめてボールはゴールに吸い込まれていった。
――やった!!
後半三十分、一点先制。
――じいちゃん、やったよ。このゴールはじいちゃんのお陰だ。
そして俺達はサブのメンバーとハイタッチを交わすためにベンチに駆け寄った。
――菜月よ、今のシュート、見ててくれたよな。
菜月の姿を探すと、ベンチの前に出て飛び上がって喜んでくれている。
――お前に言われた通りやったぞ、俺。
だからありがとう、菜月。ずっと俺のことを見ていてくれて。
俺は菜月に熱い眼差しを返そうと、彼女の方を向いたその時――
一迅の風が吹いた。
「キャッ!」
グラウンド全体に可愛らしい悲鳴が響く。
見ると、強い風にあおられて、菜月のスカートがスローモーションのようにめくれ上がっていくところだった。
菜月のきれいな太腿が露わになり、そして……。
――ヤバい、今日の菜月はイチゴパンツだ。
部員全員が菜月の方を振り向く中、俺は一人目を閉じた。
● ● ●
「キャッ!」
強い風にあおられて、私のスカートが豪快にめくれ上がってしまった。
しかも最悪なことに、得点直後で選手達がみんなベンチの方に集まっていたタイミングで。
も、もしかして、み、見られちゃった?
イチゴパンツを……。
あー、こんなことだったらスパッツをはいてくれば良かった。よく考えたら、新しいの買ってはけば問題なかったじゃん。
それに、真也がシュートを決めたもんだから、喜んで立ち上がって飛び跳ねたのがいけなかったんだわ。
私が深く後悔していると、相手チームのキックオフで試合が再開する。
ヤバい、早くブリブアシステムのところに戻らなくちゃ。
私がシステムのところに戻りパソコンの画面を見ると――
えっ!? 何これ?
不測の事態が起きていた。
ほとんどの部員のグラフが、横一直線になっていたのだ。
――やだぁ、壊れちゃったとか?
横一直線。それは何もカウントしていないことを示している。
十番の高志先輩も、十七番の亮くんも。十一番の真也は……えっ? コイツだけ普通にカウントしてる……。
実に不思議なことに、真也のグラフだけがギザギザの揺れを刻んでいたのだ。
これって一体どういうこと!?
なんで真也だけ正常なの?
困った私は、パソコンのカーソルを動かしてみる。カーソルは正常に画面上を行き来した。
――パソコンだってちゃんと動作しているのに……。
しかし、真也以外の部員グラフは、いつまで経っても一直線のままだった。
――何が起こってんのよ!?
その時、予想もしない変化が起きた。
動かしたカーソルが高志先輩の一直線のグラフと重なると、パソコンから聞きなれた声が流れてきたのだ。
「♪ブラブラブーラがもっこりもっこり~」
それはおじいちゃんの歌だった。
えっ、もっこりって何?
カーソルがグラフから離れると歌は止まる。が、再びカーソルがグラフと重なるとまた歌が流れてきた。亮くんのグラフでも同じだった。
えっ、えっ、えーっ!?
この一直線って……もっこりってこと?
それって、ま、まさか、カウントしている振り子って――やっぱり男の人のアレだったってこと!?
この歌の内容からは、そうとしか考えられない。
グラウンドを見ると、ほとんどの選手はなんだか前かがみで動きが鈍い。さらに敵チームの選手達も、ご丁寧にそれにお付き合いしている。しかし、真也だけは一人生き生きとプレイしていた。
その姿を見ていた私は、だんだんと腹が立ってきた。
私がこんなに恥ずかしい目に遭ったというのに、何で真也だけ平然としていられるのだろう。
――なによ、私ってそんなに魅力がないってこと?
でもそんなはずはない。なぜなら他の選手達はみんな反応しているんだから。
その時、私の脳裏におじいちゃんの言葉が蘇る。
『真ちゃんにとってお前は特別な存在だと思わんか?』
――幼馴染という特別な存在。
でもこんな特別は嫌だ。私だって本当は、一人の女の子として真也に見てほしいんだから。
そんな行き場のないもどかしさは私の怒りを加速させる。
――許さない。絶対アイツを許さない!
私は思わずベンチを飛び出し、グラウンドに向かって力の限り叫ぶ。
「もう一点取らないと承知しないからねっ! この、バカ真也ァァァァッ!!」
秋の空は高く、心地よくどこまでも澄み渡っていた。
おわり