十四.夢のお告げ
『菜月、菜月……』
どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。
『菜月、聞こえるか?』
おじいちゃんの声だ。
「なあに? おじいちゃん」
『菜月だけにいい事を教えてやる。よく聞いておくんじゃよ』
「いい事って何?」
『最近悩んでいることがあったじゃろ。真ちゃんのことで』
真也のことで悩んでいることって……、ああ、あれか。
アレが他の部員よりも長いかもしれないってことだったっけ?
『違う、その前じゃよ』
えっ、おじいちゃん、私の考えていることが分かるの?
でもどこに居るんだろう、おじいちゃん。声しか聞こえないけど。
もしかしたらこれは夢? それなら心の中が筒抜けなのも納得だけど……。
『そうじゃよ、夢の中じゃ』
そうよね、おじいちゃん死んじゃったんだもんね。
でも、その前って何だろう?
まあ落ち着いて、順を追って思い出してみよう。
アレの長さが長いかもしれないと思ったのは、高志先輩に振り子のことを聞いたからで、なぜ振り子のことが話題になったかというと、私が振り子についてノートにメモしていたからだったんだ。
でもそれは関係なくなっちゃったんだよね。だって、ブリブアシステムは腕の振りをカウントしているってわかったから。
そうだ、思い出した。真也のブリブアシステムのカウント数が伸びなくて、レギュラー落ち寸前なんだった。
『やっと思い出しよったの。高志先輩なぞにうつつを抜かすからいけないんじゃ』
あはははは。そうね。
ちょっとこの数日は高志先輩にのぼせてしまったみたい。
それもこれも先輩がいけないのよ。部室で二人きりで会いたいなんて私を誘うから。
でも高志先輩があんな人だとは思わなかった。なにが『僕はそんな両親が大嫌いだったんだ』よ。先輩の行動は教師そのものじゃない。
「それでおじいちゃん、真也のカウント数を伸ばす秘訣でもあるの?」
『それがあるんじゃよ』
自信満々のおじいちゃんの声に、私はゴクリと唾を飲んだ。
『菜月、パンツを使え』
えっ?
おじいちゃん、今なんて言った?
何かエコーのような音響がかかっていて、よく聞こえなかったわ。
『だからパンツじゃよ。イチゴのパンツじゃ』
どうしてそこでイチゴのパンツが出てくるのよ。
そして、それをどうやって使えと言うのさ。
『実はな、お前のパンツには、あのゴム紐が仕組まれている』
えっ?
言ってることがよくわかんないんだけど……。
ゴム紐を付けたのは、部員たちのサッカーパンツだよね。
『だから、ワシがお前のパンツに同じゴム紐を取り付けたんじゃよ』
な、な、な、な、何だって?
誰の許可を得てそんなことやってんのよ、このジジイ。
『まあまあ、お前が怒るのもよくわかる。無断でやって本当に悪かった。でもこれは仕方がなかったんじゃ。昨今の研究費不足を解消するためには、これしか方法がなかったんじゃよ』
研究費不足の解消って、どうやって解消するつもりだったのよ。
『それで本題に戻るがの』
おい、勝手に戻るな。
私の考えていることが分かるなら、ちゃんと説明せい。
『あのゴム紐の元になった金属は、二十種類あったと陽介から聞いているじゃろ』
全く聞く耳持ってないよ。全くしょうがないジジイだ。
ちなみに陽介っていうのは私のお父さんの名前。
「ああ、それで?」
呆れ果てた私は、しかたなくおじいちゃんの話を聞くことにした。
『わしは、陽介から二十種類の金属をもらった。お前は、サッカー部のユニフォームに二十種類のゴム紐を取り付けた。わしは同じゴム紐を使って、お前のパンツとスパッツに二十種類のゴム紐を取り付けた。これでどういうことだか分かるじゃろ?』
いや、ぜんぜん分からない……。
『なんだ、鈍いやつじゃ。サッカーパンツのゴム紐とお前のパンツのゴム紐は、対になっているということじゃ』
まあ、それはわかるけど……。
『同じ成分の金属が織り込まれたゴム紐は、同じ周波数の電波を発信する。つまり、真ちゃんのパンツと同じ周波数を発信するパンツが、お前のパンツの中にも一つあるということじゃ』
えっ、真也のサッカーパンツと同じ電波を出すパンツ? そんなものが、私のコレクションの中にもあるの!?
もしや、それはあの――
『そうじゃ、イチゴパンツじゃよ』
よりによって、真也のサッカーパンツと私のイチゴパンツに同じゴム紐が取り付けられているとは。
ジジイ、謀ったな。
『もう真ちゃんを助ける方法はわかったじゃろ? イチゴパンツをお前がはいて、測定中にパソコンの前で腕を振ればいい。そうすれば真ちゃんのカウント数は倍増じゃよ。今後のレギュラーも間違いなし』
そっか、そんな素晴らしい手が! って、結局ズルじゃない。
そんなことやって真也が喜ぶとは思えないんだけど。
というか、おじいちゃん、言ってることとやってることが全然違っちゃってない?
『でもそれしか方法はないんじゃ、菜月』
まあ、百歩譲ってその言葉通りにやるとしても、イチゴパンツの上からスパッツを重ねばきすればいいんだわ。そうすれば私がイチゴパンツをはいていることなんて誰にも分からないしね。
『スパッツはダメじゃよ、スパッツは』
「なんでよ」
『さっきも言ったじゃろ。お前のスパッツにもゴム紐を取り付けたって。ということは、スパッツと同じ周波数の部員もいて、そいつのカウント数も一緒に増えてしまうぞ。もしそいつがベンチにいたりしたら、座っているのにカウント数が増えてしまってズルしていることがバレバレじゃ』
なによ、おじいちゃんもズルだって認識してるんじゃない。
『それよりも菜月、そろそろ起きる時間じゃよ。今日はわしの告別式じゃが、真ちゃんにとっては試合前最後の紅白戦じゃ。今日のカウント数が悪かったら本当にレギュラー落ちじゃよ。早く真ちゃんを起こして、お前も一緒に行って助けてやれ』
えっ、お通夜は夜通しでおじいちゃんのことを語り明かそうと思っていたのに、いつの間に私達寝ちゃったの?
「何言ってんのよ。おじいちゃんの告別式に出ないわけにはいかないじゃない」
『そうか、それは嬉しいのう。でも真ちゃんにはちょっと悪いことをしてしまっての、それが最後の心残りなんじゃよ』
「いいのよ、アイツのことなんて。レギュラー落ちして頭を冷やせばいいのよ。それに、真也がおじいちゃんの発明でひどい目に遭うなんてお決まりじゃない」
『お前もひどいことを言うの。でも、本心はどうなんじゃ?』
えっ?
本心……?
『お前は本当に、真ちゃんがレギュラー落ちしてもいいと思っとるんかの』
「そうよ、アイツなんて一度レギュラー落ちすればいいんだわ」
私達の学年で最初にレギュラーに上がったアイツは、ちょっとした注目の的になった。そしてクラスの女子達にチヤホヤされるようになった。
あの時は寂しかったな。だって、いつも一緒だった真也がいきなり遠い存在になってしまったような気がしたから。
――アイツなんてレギュラー落ちしちゃえばいい。
当時は何度そう思ったことか。
でもね、本当はアイツに頑張ってほしい。頑張るアイツの姿が好きだから。小学校の頃から、そんな姿を見てきたから。
今回も、アイツが朝のランニングを始めた時はすごく嬉しかった。昔のアイツが戻って来たような気がしたの。
チヤホヤされて頑張りを忘れた真也は、私の好きなアイツじゃない。今回だってレギュラーに残れば、また元に戻っちゃうような気がする。それならば、いっそのことレギュラーのことなんか忘れてもう一度最初からやり直してほしい。そうすればまた、昔と同じような幼馴染に戻れるような気がする……。
『菜月よ、それがお前の本心じゃ。本当はお前は真ちゃんに振り向いて欲しいだけなんじゃよ』
ウソ? ウソよ。
おじいちゃん私はね、高志先輩のことが、先輩のことが……。
『もう無理せんでもええ。真ちゃんを助けることはお前にしかできないんじゃ。それだけでも真ちゃんにとってお前は特別な存在だと思わんか?』
「特別な存在?」
『そうじゃよ。だからわしのことはいいから、今日は練習試合に行って幼馴染を助けてやれ。お前とは今ここで最後のお別れをするから』
おじいちゃんの声が、段々と遠ざかっていくような気がする。
「待って、おじいちゃん。行かないで。私達の傍にずっと居てくれるよね」
『ごめんよ、菜月。お前の傍にずっと居てやりたいのは山々なんじゃが、おばあちゃんが呼んでおっての。わしはそっちの方がええんじゃ。お前もわしのことには構わず、真ちゃんの面倒を見てやってくれ。頼んだぞ』
「ねえ、おじいちゃん! おじいちゃん……」
無情にも、おじいちゃんの声は遠くに消え去っていった。
私ははっと目を覚ます。
辺りを見渡すと、お父さんと真也はリビングの絨毯の上でごろ寝状態だった。私も一緒に寝てしまっていたみたい。
カーテンの隙間からはまぶしい朝の光が差し込んで、おじいちゃんの棺を照らしていた。
まるで天使となったおばあちゃんが、おじいちゃんを迎えに来たような光景。
「おじいちゃん、ありがとう。そしてさようなら……」
私は静かに手を合わせる。
神々しい光の中で、私は初めておじいちゃんの死を受け入ることができたような気がした。
はっと時計を見る。もう朝の七時だ。
今日は土曜日で、サッカー部の紅白戦は確か十時からだ。ちなみにおじいちゃんの告別式は十一時から。
「真也、真也、起きなさいよ。お父さんも起きて!」
「う、ううう、うん……」
「い、今、何時だ……?」
私は真也とお父さんを起こすと、お母さんを起こしに寝室に向かった。