十一.突入
「お疲れ様。お先に~」
部活が終わり、部室を出てしばらく行くと、俺は校舎の脇に見慣れた姿を見つけた。
「あれ? 菜月じゃねえか。先に帰ったんじゃなかったのかよ」
確か菜月は、部活が終わってすぐに帰ったはずだ。
「わ、忘れ物したのよ。じゃあね」
忘れ物って、なんだか怪しいな。
そうだ、さっきまで部活に夢中になっててすっかり忘れていたが、菜月は高志先輩に声を掛けられていたんじゃねえか。
「なんだよ、お前も人のこと言えねえな」
「余計なお世話よ」
もしかしたら、この後で高志先輩と何か約束してんじゃねえだろうな。それで皆が帰るまで待ってるとか?
ちょっと揺さぶりをかけてみるか。
「待っててやろうか? 家も隣だし」
「い、いいわよ。帰りに寄りたい店があるから」
あくまでも俺とは一緒に帰れねえってか?
「付き合ってやるぜ。本屋か?」
「服とかそんなものよ」
頑なに拒否するとは、やっぱり何かあるんだな。ますます気になるぜ。
「じゃあパスだ。女の服には興味はねえ。じゃあな」
「バイバイ」
俺は一旦引き下がると、校門を過ぎるまで帰るフリをしてこっそりと部室が見える場所まで戻った。
すると菜月が部室の中をうかがっている。
――やっぱりな。
俺は校舎の陰に隠れて、ソワソワする菜月の様子を観察した。
どうやら菜月は、部室の中に入るタイミングを測っているようだ。
――ヤバい、こっちもドキドキしてきた。
菜月は一つ深呼吸をすると、意を決したように部室の中に入って行った。
俺はそのまま校舎の影に隠れながら、サッカー部室の入口を監視し続けていた。
菜月が部室に入ってずいぶん経ったような気がする。
――中には誰が居るんだろう? やっぱり高志先輩だよな。
もしそうだとすると、二人は一体何しているんだろう?
まさかヤバいことしてるんじゃねえだろうな。
忘れ物をしたフリをして、部室に戻ってみようか……。
いや、それはマズイ。
菜月の邪魔をするのは構わないが、高志先輩の邪魔になるのは先輩に申し訳ない。
だったら帰ればいいじゃねえか? いつまでもこんなとこに隠れてたって時間の無駄だ。元々俺には関係ないんだから。
いや待てよ、もう暗いから菜月を家まで送って行かなきゃまずいだろ?
でも、もし高志先輩と菜月がいい関係になってるんだったら、先輩が菜月を送って行くだろう、普通。
しかし、いい関係になってなかったらどうするんだ。それなら俺が送って行かなきゃならねえしな。
いや、いい関係になってるって。
いやいや、なってないかもよ――
いつの間にか俺の頭の中には二人の自分が登場して、ぐちゃぐちゃと言い争いを始めていた。
もし仮に先輩が菜月に告白したとしても、ダメってこともあるだろ?
高志先輩はサッカー部のキャプテンだぜ。普通OKでしょ。
もし菜月がOKでも、先輩は菜月を送っていかないような人かもよ。
それなら先輩を殴ってやる。
じゃあ、ここで隠れてそれを見守らなきゃダメじゃんかよ。
そうだな、そうだよ。
だから俺はここに隠れてるんだよ。
そうだ、俺はここで菜月のことを見守らなきゃダメなんだ。
やっとのことで、二人の自分が同じ結論を導き出したその時――事態が動いた。
突然、菜月が部室を飛び出し、猛スピードで駆けて行ったのだ。
菜月は俺に気付きもせず、校門を抜けてあっと言う間に見えなくなってしまった。
しかもチラリと見えたのは、今にも泣き出しそうな横顔。
――あの野郎、菜月に変なことしやがったな!
俺の中に怒りが込み上げてくる。
先輩だからって容赦はしねえ。
俺は拳に力を込めながら、部室に突進した。
「先輩! 菜月に何をしたんですかっ!?」
部室の中では、高志先輩がひとり茫然と立ち尽くしていた。やはり部室は、菜月と高志先輩の二人っきりだったのだ。
俺は先輩をにらみつける。
「お、おう、真也か……」
心ここに在らずという感じで、先輩がゆっくりとこちらを向いた。
「だから先輩、菜月に何をしたのかって聞いてるんです」
魂の抜けたような声で先輩が答える。
「何もしてない」
「何もしてないって、今飛び出して行ったでしょ、菜月は!」
何もなければ菜月は飛び出すわけがない。しかもあんなに悲しそうな顔の菜月は、今まで見たことがなかった。
「なんだ、見てたのか。君達は本当に付き合っていないのか?」
俺と菜月が付き合ってるって?
誰がそんなこと言ってんだ。
「俺と菜月ですか? ただの幼馴染ですよ。菜月がそんな風に言ったんですか?」
「いや、ただの幼馴染だって言ってた。でも自分にはそうは思えないんだが……」
先輩の様子も何だか変だ。しかし、菜月に暴行をしようとした直後とも思えない。
少し落ち着いてきた俺は、再度先輩に問いただす。
「それよりも、何で菜月は飛び出ていったんです?」
「ああ、彼女の家から電話があってね。なんでもおじいちゃんが倒れたそうだ」
えっ、菜月のじいちゃんが倒れたって!?
だから菜月は血相を変えて飛び出して行ったのか。
そんな一大事、なんでもっと早く教えてくれない。
「失礼します」
立ち尽くしたままの高志先輩に一礼すると、俺はきびすを返し菜月の家に向かって一目散に駆け出した。
菜月の家は、救急車の赤色灯に照らされていた。近所の人達が、心配そうに窓から顔を出している。
俺が門を入ろうとすると、救急隊員がストレッチャーを押して出てくるところだった。
「おじいちゃん! しっかり!」
「お義父さん!」
ストレッチャーに乗せられたじいちゃんに付き添い、菜月と菜月のお母さんが必死に声を掛けている。
「じいちゃん!」
俺も近づいてじいちゃんに声を掛ける。
じいちゃんは仰向けに寝たまま目を瞑っていた。全く動かないところをみると、どうやら意識は無さそうだ。
ストレッチャーは手際よく救急車に吸い込まれていく。
「ご家族の方、お一人だけ乗車して下さい」
消防隊員の呼びかけに、菜月のお母さんが手を上げた。
「私が行きます」
そして俺の方を向く。
「真ちゃん、菜月をお願い。菜月、病院に着いたら電話するから家で待っているのよ。そしてお父さんが帰ってきたら一緒に病院に来なさい」
「わかった、お母さん」
菜月の声は、涙のため鼻声になっていた。
バタンとドアが閉まると、救急車はサイレンを鳴らしながら出発する。そして角を曲がり、その赤色灯が見えなくなると菜月が静かに俺の胸に顔を埋めてきた。
「おじいちゃん、心臓発作だって。救急隊の人が蘇生措置をしてくれたんだけど、一度心臓が止まっちゃったから、もうダメかもしれないって……」
俺の胸板を通して、菜月の声が伝わってくる。
俺はそっと菜月の後ろに手を回し、小学校の頃から変わらない肩くらいまでの髪をなでてあげた。
――菜月、お前のことはちゃんと守ってやるから。
さっきだって、俺は高志先輩に立ち向かうことができた。
だから菜月がピンチの時は、俺はどんなところにだって飛び込むことができるような気がした。
胸の中で泣きじゃくる菜月の髪をなでながら、じいちゃんがこの先どんなことになろうとも菜月の力になってあげようと俺は心に誓った。