『 私と風 』
* 竜の娘視点
そろそろここに幽閉されてから、998年経った。
約束の1000年まで後2年。自分が犯した罪とはいえ
独りぼっちの1000年は、想像していたよりも辛かったし怖かった。
施された結界の中で、私の魔力は極限にまで削られ
その為に300年前に視力まで失ってしまった。
誰に逢うこともなく、何処かに行けるわけでもない。
もともと暗闇の中でほとんど何も見えない。
ただここで生きているだけなのだから、目が見えなくたって別にかまわない。
この魔方陣の中では、時自体が止まっているのだから
年もとらなければ、食事をする必要もない。
そう……ただ生きているだけ。
この場所で。
1000年と同時にこの結界は消滅するらしい。
しかし、一族を追放され名前を剥奪された私には帰る場所などない。
竜の名前は、生まれたときに竜王がつけてくださる特別なもの。
一族の証であり、誇り、そして魔力の源への干渉。
竜の魔力はとても大きいもので、それを子供のうちに制御する為に
様々なことを親から学ぶ。その間、竜王が与えた名前で本来の魔力を
抑えてもらえるのだ、魔力の暴走から自分の身を守る為に。
そして制御を覚えたら、成人とみなされ干渉をといてもらえる。
名前を剥奪されたということは、竜の一族ではないということ。
誇りを奪われたということ。
そして、成人していない私には
魔力を制御する術がなくなったということ……。
1000年の幽閉、1000年の時がたてば私の罪は許される。
表面上は、一族に顔を見せなければ何処ででも好きなように
生きればいいということにはなっている……。
でも私は、成人前に名前を奪われ幽閉された。
それは実質、死罪と変わらない。魔力を制御できずに
暴走で死ぬ確率の方が高いのだから。
魔力の暴走を抑える方法は、竜王から頂く名前のほかにもう一つある。
だけど、その方法は私には絶望的と言ってもいいほど難しいことだった。
この場所から出してほしいわけでも、助けてほしいわけでもない。
だけど、死ぬのは怖かった。一人ぽっちで死ぬのは嫌だった。
生きていたいという気持ちは、ずっと心の中にあったから。
生きていたら……また、父や母そして兄とあえるかもしれない。
家族がとても恋しかった。会いたかった……。
そんな気持ちを毎日抱きながら、孤独と恐怖と寂しさにただただ耐えていた。
そして、今日も何時もと変わらない毎日のはずだった。
朝も昼も夜もわからない暗闇の中で、私はただ静かに座っているだけ。
1日経つごとに、千年時計が時を告げる。
それが、微かに光を感じた。
この900年一度もなかったことだ。
私は光を感じた方へ歩き出す。
900年以上過ごしたところだから、目が見えなくても歩くことができる。
だんだん光は強くなるが、視力がないのではっきりとはわからない。
何かの気配がする。何だろうと思いながら
この結界の中には誰も入れないので、自分から見に行く事にした。
目が見えないので、姿が確認できないのが少し怖いけれど。
もしかしたら、竜が私を殺しにきたのだろうか?
魔力の暴走を防ぐ為に殺しに来たのかもしれない……。
どうせ死ぬことに変わりないのなら、今日死んだ方が楽だろうか?
そんなことを思いながら、ゆっくりと明かりのほうに近づき
結界の壁と思われるものに触れる。
「……誰かいるの?」
思い切って声をかけてみる。
だけど返事がこない。
ここまで近づけば、魔力の反応がわかる。
風を纏っている様子が感じられる。
人間? 竜の気配ではない。
その事に少し安堵する。人間にこの結界は破れない。
私を害することも出来ないはずだ。
返事がくるまで、とても長く感じたけれど
実際はそんなに長いときじゃなかったのかもしれない。
「驚かせてしまって申し訳ありません、崖から落ちてしまって
ここで休憩をとっています」
第一声は男の人のもの、私にとっては久しぶりの誰かの声。
私の言葉に、返事をしてくれたことに喜びを覚える。
それと同時に、何ともいえない感情も心に広がる。
人間が憎いという気持ち。
だけど、それと同じぐらい人恋しい気持ちが自分の中にあった。
様々な感情が、自分の中でせめぎあっている。
人間が憎いという感情を持ちながらも
私は、自分の孤独に負けてしまう。
多分、この人だから私は話したいと思ったのかもしれない。
乱暴な言葉ではなく、私を見ても結界に近づいてくるわけでもなかった。
一番最初に、私を驚かせたことへの謝罪。
そして、自分の状況を語った。それは、私を気遣ってくれているという事だから。
それに……彼の声は、警戒心を解いてしまうほど優しかったから。
穏やかで静かな声音。張りつめた糸をほぐしてしまうような音。
その声と、とてもあっている優しく静かな話し方に
心が少しざわついた……。もう少し話してみたいと感じた。
彼がなぜここにいるのかといういきさつを聞き
最初はただ心配し驚く。
そして彼が私のほうを見ていると感じると
とても恥ずかしく隠れたい気持ちになった。
長いことお風呂に入ってないし、着替えていない……。
彼の目には自分がどう映っているのだろう?
ここに来る前に、身だしなみぐらい整えてくればよかった。
見えないのに……。
色々なことが一気に頭をよぎり
その全てに解決策がないことに項垂れてしまう。
そんな私に彼はとても優しかった。
その答えが、嘘か真実かはわからないけれど
だけど、彼のまとう風が結界の中まで届いて
その柔らかく優しい魔力に、私は少し緊張を解く。
けれど、会話が余り続かない……。
何を話していいのかわからない。そんな私に彼は自己紹介をしようと告げる。
自己紹介という事は……。私の名前も告げないといけないということ。
彼の名前は知りたいけれど。
私は……。暗い気持ちを心に抱えながら私は彼の名前を耳にする。
【セツナ】
彼の名前は、セツナというらしい。
不思議な響きのする名前。名前を呼んでみたい。
誰かの名前を口にするのは、相手がいると実感するのは久しぶりだから。
呼んでみてもいいだろうか?
いきなり名前を呼ばれたら嫌だろうか?
名前を呼んだら、返事をしてくれるだろうか?
そんなことを考えながら
彼の自己紹介を聞いているうちに
だんだんと恐怖が足元を這い上がってきた。
背中に冷たい汗が流れる。
この人は、人間じゃない。
そう思った。900年幽閉されているとはいえ人間の魔力が
そこまであがるわけがない。
ましてや崖の上から、ここまで落ちて無傷などありえない。
やはり竜なんだろうか、私を殺しに来たんだろうか。
そんな私の心を読んだように、セツナが私に声をかける。
的確に正確に私の恐怖を戸惑いを暴いていく。
私が何者なのか、この結界や魔方陣がどういうものなのか。
『魔法の内容は読み取れます』この言葉にありえないと
口からこぼれそうになるのを必死で留めた。
魔法の内容を読み取れる人間なんていない。
竜ですら、そんなことはできない……。
体の震えが止まらない。だけど聞かずにはいられない。
怖いのに、セツナと離れたくないと思うのだ。
体は逃げようとするのに、心がそれを拒絶する。
何故心と体が相反する行動をするのか
混乱していた私には、その理由に気がつかない。
そしてこの時感じた感情を、私はすぐに忘れてしまう。
頭と心が真逆のことを考えて処理能力が格段に落ち
ゆっくりと紡ぎ出せた言葉は、あとから思えばとても失礼な言葉だった。
「貴方は……何……?」
その問いに、セツナは意図も簡単にさも真実を告げるように私に告げる。
「人間ですね、残念なことに」
残念?
言葉の意味が良くわからなかった。
セツナは人間に生まれたくなかったんだろうか?
彼の言葉が本当なのか、嘘なのかはわからない……けど。
竜ではない……。本能が、彼は竜ではないと告げている。
だけど、人間にしては何もかもがおかしい。
とりあえず、セツナが竜ではないというのだから
竜ではないのだろうと思う事にした。
セツナが私の名前を聞いてくる。
一番聞かれたくなかったこと。
聞かれても答えられない現実と
私と認識してもらえるものがないという哀しみ。
名前を伝えることが出来なくて心が軋む。
私の名前は、何処にもない。
彼の名前を呼びたいと思う。
彼に私の名前を呼んでほしいと思う。
この感情を何というんだろうか?
もしかしたらと思う事はある。
だけど、それが本当に正しいのかわからない。
少し話しただけで、そんな感情が生まれるものだろうか?
ただ、人が恋しいだけかもしれない……。
その理由のほうが、正しいように思えた。
それに、彼は……人間だと言った。
私が人間にそんな感情を持つとは思いたくなかった。
彼にどう告げていいのかわからず
どう言葉にしていいのかわからず、数回口を開いては閉じを繰り返す。
結局、ないものはない。私に名前はない。
だから、そのままの言葉で彼に告げた。
一瞬彼が息を飲む音が聞こえ。
私は、繰り返し彼に告げる。私の名前はないのだと。
私は一族を追放された竜なのだと……。
『理由を聞いても?』
セツナの私を労わるような声音に、全てを話してしまいたい衝動に駆られる。
でも、私の犯した罪は竜の一族の禁忌だから。
セツナは知らないほうがいいと思いつつも……。
心の中にたまっていた不安は、堰を切ったように
あふれだした。助けてほしいわけではなく……。
ただ、話を聞いてほしかった。
独り言をつぶやくのではなく。
私の話を聞いて、返事をしてほしかった。
それがどんな言葉でも、私は誰かと話したかった……から。
誰かがいると感じたかった。
読んでいただきありがとうございます。