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第六楽章

荒かった寝息が治まり、歪んでいた顔も普段の寝顔に戻った。額に伝った汗を拭いてやると少しだけ表情が緩んだ様に見えた。薬が聞いてきたようで良かった。

俐桜、良く頑張ったな……


担当医が家に飛び込んできた時は流石に驚いたが、彼の腕の中の俐桜を見た瞬間に体が動いていた。


俐桜の頭を少し撫で、電気を消して扉を静かに閉める。



****



「だから、痛いってば!」


俐桜君は目に薄く涙を溜めながら叫び、腕を引っ込めてしまった。

全くここら辺はまだ子供だなぁ~


「じゃぁ、暴れないで。ほら、包帯がぐちゃぐちゃになっちゃったじゃないか……」


今日は発疹を掻き毟った傷痕に薬を塗り、包帯を巻き直す。

この作業が結構痛いらしく、俐桜君は何度も手を引っ込めてしまう。何度も引っ込めるうちに包帯がぐちゃぐちゃになり外れてしまった。


「だってぇ……これ、痛いんだぜ。」


小さく呟きながら腕をさすっている。

包帯や布が傷痕に触れると繊維が刺さり痛いらしい。発疹の傷痕は飛び火しやすいので、早く治療したいんだけどなぁ……


「わかった。じゃぁ、飴をあげよう!」


「先生はそんなんで俺が喜ぶと思ってんの?」


やっぱり、ダメかぁ~小さい子だったらこれでいけるんだけどなぁ~さすがに中2の俐桜君には効かないか……


「やっぱ駄目か? じゃぁ大人しく治療を受けなさい。」


ボロボロになった包帯を俐桜の腕から回収し、巻き取りながら睨みつける。

ベッドの上でゴロゴロしていた俐桜君はベッドの上に胡座をかき、嫌そうな顔をしながらも静かに腕を差し出した。流石に子供じゃないんだ、聞き分けはいいね。


「良い子だね。」


さすったせいでとれてしまった薬を腕に塗り直し、包帯を巻いていく。

巻いていくと俐桜君の頬がピクピクし始める。これは俐桜君が痛いときにする癖だ。

でも、逆の腕でズボンを握り締めながら必死に痛みに耐えている。

偉い偉い。


「はい、お終い。よく頑張りました。」


包帯の端をテープで止め、薬のついた指をタオルで拭く。

俐桜君は終わったと同時にベッドに倒れ込み大きなため息をついた。投げ出した足がベッドからはみ出した。


「終わったぁ~なぁ先生、俺頑張ったからさぁ~外に……」


「駄目。何度言えば分かるの? 君はまだ外に出れる体じゃない。」


捨てられた子犬の様な目をして頼んできたが、キッパリ言い返す。

俐桜君は外に出て倒れたというのに、まだ外に出たがっている。俐桜君は外に出られる程病気は治っていない。

いや、むしろ様態は悪い方向に進んでいる。薬に抗体が出来始め、今までの薬ではどうにもできない。少し強い薬を使ったが、彼には強すぎた。今も病魔は彼の身体を蝕んでいる。


「俺、元気だぜ! 頭痛もしないし、吐き気もしない! 今日は気分も良いんだ。ねぇ、一時間だけ、いや30分、10分だけでも良いから! お願い!」


俐桜君はそう言って両の手の平を顔の前で合わせて頼んだ。

でも、今彼を外に出すことは出来ない。今彼の中にいる病魔は確実に進行を進めている。


「駄目なものは駄目。最近風が冷たくなってきてるし、君の体に障る。」


カバンに器具をしまいながら言うと俐桜君はムスッとして顔を枕に押し付けた。

すぐへそ曲げるのもまだまだ子供だな……


ふと机の上の写真立てが目に入った。

綺麗な川が流れており、木々が生い茂りとても風流な写真が飾られていた。

そういえば、いつもこの写真立ては伏せてあったのに、今日は伏せてない。


「この写真、綺麗だね。どこで撮ったの?」


写真立てを手にとって聞いてみる。

今まで枕に顔を埋めていた俐桜君は写真立てを持った俺の姿を見ると、ベッドから飛び降りすぐさまにその写真立てを取り上げた。


「なっ、ななな何やってんだよ!? 勝手に見るな!?」


取り上げた写真立てを引き出しに仕舞った。

顔を少し赤らめながら静かにベッドに戻る。

別に恥ずかしい写真ではないと思うんだけど、なにが嫌だったんだろう?

俐桜君は枕で顔を半分隠しながら、俺の方を向いて小さな声で呟いた。


「…………言わないでよ。」


「ん? 何が?」


「母さんに……その写真のこと……言わないでよ……」


……はい? お母さん? なんで川の写真がお母さんに繋がるんだ? そこまで聞いたら、気になるじゃないか。

俺はちょっと悪い考えが頭に思い浮かんだ。


「わかった。言わないであげる。」


そう言うと、俐桜君は安堵の息をもらして枕に顔を埋めた。


「でも、一つ条件ね。この写真におけるエピソードを話しなさい。」


人差し指を突き立てて俐桜君に向かって微笑みかける。

俺の発言に驚いた俐桜君は“ハァ!?”と大きな声ど叫んだ。ちょっとずるいかもしれないけど、気になるもんは気になる。知りたいから知る。人間の性だな。


「なっ、なんでだよ! だっ、だだだ駄目に決まってんじゃん!」


俐桜君は今までに無いほどのどもり様。これは何かあるなぁ~ここまできて引き下がれない。よし、今日は聞き出すまで帰らないぞ~


「じゃぁ、この写真のことお母さんにバラすよ~ほれ、話しちゃいな。」


俺はこれでもかという作り笑顔をして俐桜君の横に座る。内心自分の良心は卑怯だと言っているがそんな良心は今はさようなら。

ベッドが少し軋み、俐桜君は枕に顔を埋めて考えていた。そんなに知られたくないものなのだろうか……


「……わかったよ。話すよ……」


俐桜君は物凄く渋々了承した。にっこり微笑みかけ、俐桜君が話すのを待つ。

俐桜君はベッドから立ち上がり机の引き出しからさっきの写真を取りベッドに戻ってきた。


「この写真は、小さい頃……まだ病気になる前に唯一家族で行った場所なんだ……」


俐桜君は写真立てを見て柔らかい笑顔をして話し出した。そんな顔出来るんだ……

唯一家族で行った場所……か。俐桜君の父親は大手企業の社長。仕事で滅多に家に帰ってこない。だから、俐桜君は父親を嫌いだし、父親も自分を嫌っていると言い張っている。

俺はそんなことないと思うけど……


「この写真の場所に、小学校三年生の時に両親と叔父さんと行ったんだ。」


小学校三年生と言うことは、病気になった年。病気になる直前の写真か……

その時はまだ俐桜君も父親のことを嫌っていない時なのだろう。


「父さんが久々に休みが取れたから、みんなで山の中枢まで車で行って川っぺりで遊んだんだ。その時は叔父さんもまだいて、本当に楽しかった。」


先程から言っている叔父さんとは俐桜君の叔父さんであり、俐桜君のお父さんの弟だ。彼は三年前に不幸にも交通事故で亡くなってしまった。

亡くなる前は時々俐桜君のお見舞いにも顔を出し、お土産を持ってきたり病院内で遊んだりしていた。父親より父親らしい人で、入院中俐桜君を唯一笑顔にさせることが出来る人だった。

その時に撮った写真なんだ。



俐桜君は写真を眺めな、手の平の中で転がしながら遊びながら俺の顔を見た。


「本当に言わないでよ。」


わぉ、念を押してきた。そんなに言われたくないのだろうか……

思春期の青年はよくわからない。


「わかってるよ。言わない言わない。」


「言ったら俺、先生の悪口病院中にばらまくからね。」


そっ、そこまでするか!? これは一切他言出来ないな……したら俺の評判がた落ちだ。


「わかった。俺の名誉にかけて絶対に他言しない。だから、詳しい話しを聞きたいなぁ~」


頬杖をし、そう頼んでみると、俐桜君は小さくため息をついて下を向いた。


「正直、この日を境に俺の人生狂い始めたんだ。」



****



太陽の光が反射し、水がキラキラと光っていた。

森がざわめき、耳には風と鳥の囀りしか聞こえない。

空気は澄んで吸い込むだけでリフレッシュ出来た。

都会の五月蝿い車の音も、臭い排気ガスの匂いもしない。

ズボンの裾を捲り上げ、靴と靴下を岩の上に丁寧に並べて置いておく。石ころばかりの道を痛いながらも裸足で歩き川へ近づく。

澄んだ水に静かに足を浸けると足からひんやりとした冷たさが体中に広がった。冷たさわ味わいながら膝まで浸かり川の中を覗く。


「父さん! 見てみて! 魚がいっぱいいるよ!」


叔父さんとバーベキューの用意をしている父さんに大きく手を振る。父さんは小さく手を振り返してくれた。


「俐桜~あまり深く行っちゃ駄目よ!」


お母さんの声に元気に返事をして、魚を捕まえようと試みた。しかし、小さい手には魚は掴めず逃げてしまう。

なかなか上手くいかず、何度もやっているうち、捲り上げたズボンが下がり裾が濡れた事に気が付いた。

もう一度岸に上がりしゃがみ込み、濡れた裾を捲り上げる。今度は膝上まで上げる。しかし、何度やっても立ち上がると同時に下がってきてしまう。


「どないしたんや、俐桜。裾あげたいんか?」


イライラしながら裾を上げていると叔父さんが聞いてきた。

静かに頷くと叔父さんは黒く汚れた軍手を取り、俺の裾を捲り上げ持っていた紐で括ってくれた。


「これでずり落ちんやろ。ほれ、遊んでき。」


叔父さんは俺の背中を軽く押して優しい笑顔で送り出した。

叔父さんはオオサカという場所に住んでいるらしく、変な言葉を使う。

初めは何を言っているか分からなかったけど、最近ちょっとずつわかってきた。

川の中に入って石ころを拾い上げ、深い場所に投げてみる。

ポチャンという音、綺麗に広がる波紋。


「俐桜、ご飯だぞ。上がってこい。」


父さんの声を聞いて急いで上がって父さんに飛びつく。

お母さんとお父さんが作ってくれたバーベキューを美味しく食べる。


「ほら、俐桜。口のとこタレ付いちゃってるわよ。」


お母さんは俺の口をハンカチで拭いてくれた。叔父さんはビールを飲みながら笑っていた。

お父さんもビールを飲みたいらしいが車なので飲めないとぼやいていた。俺はお父さんの膝の上でジュースを口にした。


ご飯も食べ終わり、お母さんたちがお皿などを片付け終わるのをひたすら待った。


「よし、俐桜。遊ぶかぁ~」


少し酔っぱらった叔父さんは俺を抱き上げて川に入っていった。背の高い叔父さんの上から川を見ると面白いほど景色が変わった。俺ももっと背が高くなりたいな……


「おい、遊馬ゆうま。酔っ払って俐桜を落とすなよ……」


「大丈夫やって~俺そんな飲んでへんから。なぁ、俐桜~」


お父さんが叔父さんに注意をするが、叔父さんは笑顔で俺を抱いて川へ入っていく。

俺も楽しくて、素直に頷いた。お母さんとお父さんはため息をつきながらも俺を叔父さんに任せた。


「俐桜、あまり奥行ったら駄目だぞ。遊馬、本当に気をつけろよ。」


お父さんは何度も叔父さんに注意を促す。


「分かっとるって~ほんま兄さんは心配性やな……ちょい待っとき、今網持ってきたるわ。それで魚でも捕まえよか。」


叔父さんは俺を一度岸に置いてから、車へ向かって行った。

待ったけて言われたけど、待ちきれず川へ入って行くことにした。ズボンが少し濡れたけど気にせず入っていく。足場の岩に苔が張り巡らされており、ヌルヌルしていた。


「あっ、俐桜! 待っとけ言うたのに……今行くから…」


「ねぇ遊馬さん。ちょっとこれ片付けるの手伝ってくれません?」


「あっ、はいよ~今行くわ~」


叔父さんは網を持って俺の所に来ようとしたが、お母さんに呼ばれて網を川辺に置いてお母さんの所に戻っていった。


俺はその間に少しずつ川の奥へと進んでいく。

綺麗な川の水に見とれながらゆっくり進んでいく。

なんだろう、水の中にキラキラするものがあった。もうちょっと近づいたら見えるかな?

少し足をずらし、覗き込む形になった。


「あっ!」


そんな時、踏み込んだ石の苔が滑り深い部分に落ちた。

視界が回り、空が目の前に見えた。空がこんなにも近いよ。


「俐桜!?」


最後に聞こえたのはお父さんの叫び声と水しぶきが川の水面に弾ける音だけだった。

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