第十六楽章
前回は違う作品を十六楽章として投稿してしまいごめんなさい……
これが本当の十六楽章です。
木枯らしが吹く秋。
落ち葉が風で舞い上がり、視界が黄色く染まる。
イチョウの絨毯の上を3つの自転車が走っている。
「寒い……」
俺はマフラーに顔を埋めながら呟いた。
イチョウ並木の風景を、ユラユラと揺れる自転車から眺めていた。
被った帽子の端から見える景色は今まで見た景色とは全くの違って、何度も揺れて不安定で楽しかった。
「そりゃ、座ってるだけのお前は寒いだろうな。俺は暑いぐらいだよ……」
俺を後ろに乗せた鶯は立ち漕ぎで坂道を登りながら笑った。
朝人、崇、鶯と釣りに行く約束の日の朝。
約束の時間より二時間も早く目が覚めてしまった。
なんやかんやで俺も楽しみなんだな……
約束の時間にみんなが俺の家まで迎えに来てくれた。
そして、今は鶯の自転車の後ろに座り、到着を待つ状態。
「っで、まだかかるの? そろそろケツが痛くなってきたんだけど。」
俺が鶯の肩に掴まりながらぼやく。
ずっと固い自転車の椅子に座っているので、ケツが痛くなってきた。
鶯は地味な坂道を立ち漕ぎで必死に漕いでいる中、俺はマフラーに顔を埋める。
「お前なぁ~俺が必死に漕いでるのに、そういうこと言うな。安心しろ、もうすぐ着くって。」
鶯はそう言って、静かにサドルに座った。
鶯は肩で息をしながら少し後ろを振り返って俺を見た。
帽子を深く被り直し、マフラーを鼻のところまで上げる。
少しすると今まで狭く狭まっていた視界が広く開けた。
鶯の体からずらして前を見ると山の頂から川が流れている、大自然の風景が目に入った。
「すげぇ……」
今まで見たことのない大自然の風景に思わず声に出してしまった。
自転車の風がとても気持ちよかった。
「すげぇだろ。ここ隠れスポットなんだぜ。魚も結構釣れるし。」
鶯は坂道を下りながら俺の顔を見た。釣りなんて初めてかもしれない……
少し走って、自転車を止め、川岸まで歩く。少し肌寒いが、空気が綺麗で肺が綺麗になっていく感じがした。
川の近くに行き、岩場から川の流れを眺める。透き通った川に小魚がスイスイ泳いでいた。
鶯は釣り道具を取り出して俺に手渡した。
「ほい、お前の釣り竿。やり方分かるだろ?」
鶯は当たり前のように俺に釣り竿を渡した。
「そんなん、知らねぇよ。それに、俺はやらねぇ。木陰から見てるよ。」
俺は鶯に釣り竿を返して、岩場から降りた。
俺は木陰に移動しようと川の周りの森の中に入る。
すると、崇が俺の腕を掴んだ。
「た~ち~ば~な。そんな遠くからじゃぁ、俺らのつり裁きが見れねぇよ。俺たちの隣で見てればいいよ。それに、そんな木陰にいたら寒いだろぉ~」
崇は凄い力で俺を引っ張って行った。
「えっ、ちょっと……いいよ、俺はこっちでって、うわっぁ!?」
俺は崇の腕から離れようとすると、岩場で足を滑らせて転びそうになった。
しかし、すぐに朝人が俺の胴体を掴んでくれたので未遂に終わった。
「朝人、ありがとう。」
「いえいえ。確かに、こっち側にいた方が良いかもよ。今みたいにすぐに助けられないし。まぁ、橘が良かったらだけどな。」
朝人はそう言いながら、俺を安定した場所に置いてくれた。
まぁ、確かにそうだけど……
ってか、俺は助けられる前提なんだ……
「そうそう。だからほら、釣りなんか、入れて待つだけだからそんなに体使わねぇし。俐桜も一回だけやってみろよ。」
鶯は俺に釣り竿を突き出して、クシャクシャとした笑顔で俺に笑いかけた。
「……分かった……一回だけやってみる。」
俺は鶯から釣り竿を受け取り、崇と鶯の間に座った。
釣り糸を川に垂らし4人並んで、魚がかかるのを待つ。
待つ間、崇が鼻歌を歌いながら足で水を弾いていた。
俺は釣り竿を持ったまま、目を閉じて鼻歌を聞く。
一輪の高音域の鼻歌ではなく、低音域の鼻歌。
今まで一輪の歌ばかりを聴いてきたからか、低い歌を聴いているとなんだか新鮮だ。
「おっ、かかった。鶯、バケツ取って。」
朝人は釣り上げた魚を掴みながら鶯に声をかける。
鶯はバケツに水を入れて朝人に手渡す。
「よっしゃ! 釣れたぁ! 見たか橘! 俺の釣り捌き!」
崇は釣れた魚を持ち上げながら俺に笑いかけた。
俺は小さく拍手をしながら崇を見上げる。
その時、俺の釣り竿を強く引いた。
「うぉ!? きっ、来た!」
俺は慌てて釣り竿を強く握って、引っ張った。
しかし、獲物が大きいのか、俺の力ではなかなか釣り上げられない。
「待ってろ俐桜。せーので引っ張るぞ。せーの!?」
鶯が俺の釣り竿を握り、声に合わせて一緒に引っ張った。
その瞬間、少し大きめの魚が宙に舞い上がった。
俺は勢いのままに尻餅をついてしまった。自分の目の前に魚が落ちてきて、逃げようとする魚を急いで捕まえた。
「……釣れた。」
俺はピチピチの魚を捕まえて、呆然とした。
今まで自分で釣ったこともないし、生き物に触ることもあまりなかった。
「おぉ~釣れたじゃねぇか!? 一番大物じゃん!」
崇は俺の前にバケツを突き出して笑っていた。
俺はバケツに魚を入れて、バケツを覗き込んだ。
バケツの中には3匹の魚が窮屈そうに泳いでいた。
「すげぇ……魚だ……」
俺の率直な感想に崇と鶯が笑った。
「そりゃ、魚だよ。俐桜大丈夫かよぉ~感動し過ぎて何も言えないってか?」
鶯は俺の頭をポンポンと叩きながら笑っていた。
俺はなんだか嬉しくて、バケツの中を覗き込んでいると魚の尾鰭が水を弾いて俺の顔に水がかかった。
「うわっ!」
俺はびっくりして仰け反った。魚に攻撃された……
そんな俺の姿を見てか、3人が爆笑しだした。
俺は少し恥ずかしい思いをしたが、今日釣りに来て良かったと思った。
****
帰り道の田んぼ道。
平和に学校が終わり、一輪と帰る。
一輪はゆっくりの俺の歩調に合わせてゆっくり帰ってくれる。
そして時々一緒に少しだけ寄り道をして一輪の歌を聴いて、一緒にお喋りをして、2人は自宅に帰る。
そんな何もない毎日がとてつもなく幸せだった。
「俐桜君。最近顔色良いね。あんまり休まなくなったし、だいぶ良くなったの?」
小川のほとりで座って寄り道をした時、一輪が聞いてきた。
確かに、最近は体調を崩すことも少なくなった。崩したとしてもすぐに治るようになった。
学校に出てから体力がついたのか、少し元気になった。
「そうかもな。泣くほどしんどいってことも最近ないし。だいぶ楽だよ。」
「そうなんだ。良かった~これなら宿泊学習の時も楽しめそうだね。」
一輪は俺に微笑みながら言った。
そう、一週間後に控えた宿泊学習の話で学校は持ちきりだ。
宿舎で何をするか、部屋は誰とか、ご飯はどうなのだろうかとか、みんな思い思いのことを話している。
俺も楽しみだ。でも、不安もある。
本当に俺は宿泊学習に行って大丈夫なのだろうか。自分の身体だ、最近調子が良いのは分かっている。
でも、宿泊学習は北海道の雪山だ。
気候の変化に弱い俺は耐えられるだろうか。少し不安だ。
「一日目のレクリエーション、一緒に遊ぼうね。なんか季節外れの怖い話するんだって。」
一輪は俺に笑顔を振りまきながら楽しそうに宿泊学習のことを話す。
でも、一輪が楽しめるなら……一輪が楽しいのなら、良いか。
****
「ふわぁ~雪だ雪! 早くスキーしたいなぁ~鶯、そんなん聞いてない見てみろよ!」
崇が飛行機の上から窓の外を眺めて叫ぶ。
もう少しで北海道に到着する。
俺は飛行機の座席に付属されているヘットホンでラジオを聞いていると、崇が俺の頭を叩いた。
このテンションの高い馬鹿は無視。
「うるさいな崇……もうすぐ着陸だからちゃんと座りなよ。」
崇の隣の朝人が崇の首の根元を掴んで、椅子に座らせた。
いきなり引っぱられた崇はバランスを崩して、椅子に座った時に崇の腕が寝ていた俐桜の頭に当たった。
「痛っ……」
寝ていた俐桜は頭を抑えながら、ぶつぶつ文句を言い出した。
まぁ、俐桜には悪いが起こすタイミングが分からなかったから、ちょうど良かった。
「おぉ、悪い~でも、俐桜もこの景色は見といた方が良いって!」
崇は俐桜の肩を叩きながら窓を覗いた。
俐桜は崇に言われるまま、窓を覗くと“おぉ~”という歓声を上げながら窓にかじりついた。
「ここが北海道か……寒そう……」
「そりゃ、寒いだろ。でも、ペンションの中は暖かいから安心しろよ。」
朝人の言葉を聞いて、俐桜はカーディガンを羽織りながら安心したように胸をなで下ろした。
俐桜の身体は気温の差に弱く、すぐに弱ってしまう。
なので、ペンションから出ないと言う条件でこの宿泊合宿に参加して良いという許可が出た。
「すごいな~山に雪がかかってる……」
そう言って俐桜はカメラのシャッターを切った。
飛行機に乗るのが初めての俐桜は最初の頃はテンションが上がっており、キョロキョロしていたが少し経つと疲れたのか、座席で寝てしまった。
結局、飛行機の中はほとんど睡眠で終わった俐桜だった。
空港からバスで30分。
俺達が宿泊するペンションに到着した。
スキー場の周りは雪で覆われ、山がそびえていた。
「よーし、みんな揃ってるな~じゃぁ、これから各自の部屋に行ってスキーウェアに着替えて30分後にここに集合。」
担任の先生はそう言って、部屋の班長に鍵を手渡す。
俺の部屋の班長は朝人だ。朝人は部屋の鍵をもらい部屋へと向かう。
俐桜の荷物は俺が運ぶことになっている。
無駄な体力を荷物運びで使うなら元気で皆と遊ぶことに専念して欲しかったから俺が申し出た。
「おぉ~!? 見ろ見ろ部屋のまでから雪山一望出来るぞ! 俺窓側のベッドもらい!?」
崇はそう言って荷物を床に放り出してベッドへとダイビングした。
俺ももう一個のベッドに飛び込む。ベッドはふわふわしていて疲れた身体に優しかった。
「勝手に決めるなよ。ここは公平にジャンケンするべきだ。まぁ、それは今はどうでもいいんだ……ほら、スキーウェアに着替えろよ。」
朝人はそう言って俺と崇にスキーウェアの入っているカバンを投げた。
俐桜は重そうに荷物を床に置いて、ベッドに倒れ込んだ。大きなため息をついて靴を脱いでごろんとベッドに転がった。
「俐桜大丈夫か? 疲れたか?」
ベッドで飛び跳ねる崇を無視し、俺は俐桜を覗き込みながら聞くと俐桜は少し微笑んだ。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだし、俺はスキーしないからその間に休んどくよ。そんなことよりあれほっといていいの?」
俐桜は身体を起こして、窓の方を指さした。
俺は俐桜の指差した方を見ると、崇は窓を全開にして上半身を乗り出していた。
「馬鹿やろう!? なにやってんだよ! 寒いし危ないだろ、閉めろ! さっさと着替えろ!」
俺は崇の襟を引っぱって窓を閉めた。
崇はへへへと笑いながらさっさとスキーウェアに着替え始めた。
着替え終わった俺達は一緒に部屋を出て集合場所へと向かう。
俐桜も一緒に集合場所へまでいって、その後は孔野先生とペンションで暇を潰すらしい。
気温差に弱い俐桜はあまり寒暖差の大きい外と内を行き来しすぎると、体調を崩してしまう。
「んじゃ、まぁ行ってくるわぁ~」
「ん。いってらっしゃい~俺は読書でもしてるからさ。遭難しないようにな。」
皆でスキー場に移動するとき、俐桜は一人で孔野先生と俺達を見送った。
その瞳は少し寂しそうだった。
俺達は俐桜をペンションに残してスキー場に向かった。
元々スキーが出来る俺と崇は山の上の方まで行き、楽しく滑る。
初心者の朝人は指導者のレクチャーを受けていた。でも、不器用な朝人は面白いぐらい止まることが出来なかった。
「もうスキーなんてしない……」
ペンションの部屋に帰った朝人の第一声はこれだった。
部屋で読書していた俐桜は落ち込んでいる朝人を見て俺に“どうしたの?”と聞いてきた。
「いや~朝人、スキーで止まれなくて雪の壁に激突したんだよ。」
結局激突してから、朝人はいじけて1回も滑らなかった。
俐桜は“あぁ~”と何も言えなかった。朝人のかもし出すオーラが怖かったから……
「ほら、朝人。さっさと風呂入りに行こうぜ~俺指先冷たすぎてやばいかもぉ~」
崇はそう言って朝人に激突した。
こういう時に崇は役に立つ。この空気の読めない性格がこういうときにはありがたい。
「そうそう、いつまでも落ち込んでないで風呂入ってさっさと飯食いに行こうぜ。俐桜も待ってるし。」
俺は風呂の用意を持って朝人の頭を叩く。
朝人はため息をついて、鞄の中から風呂の用意を出して、無言で部屋から出て行った。
まったく、待ってやったんだからなんか言えっての~
落ち込んだ朝人とにこにこ笑っている崇と少しおろおろしている俐桜と風呂場に向かう。
俺達3人がスキーをしている間に俐桜は2冊の文庫本を読み終わってしまったらしい。
1日で2冊のペース、10冊ぐらい持ってきたが足りるだろうか……と少し心配していた。1日に2冊ってすごいな……本をまったく読まない俺には考えられない。
長い廊下を歩いて、男子風呂の脱衣所に到着。
他のクラスメイトより少し早めに着いたからか、風呂場には誰もいなかった。
「ひょっほー! ここの風呂めちゃくちゃ広いじゃん! 露天風呂もあるしすげぇ~早く入ろうぜ!」
崇はさっさと服を脱いで風呂に入ってしまった。
俺もため息をつきながら風呂場に行く。俐桜も騒いでいる崇を見て苦笑いをしながら風呂に入る。
かけ湯をして広い風呂に入る。ちょうど良い温度で冷え切った身体に気持ちが良い。
「ふわぁ~暖かい……」
俐桜も少し長めの髪をしっぽみたいに後ろでくくってお湯につかる。
首までお湯につかってのんびりしている。
ふと、お湯につかっている俐桜を見る。
目を閉じてのんびりつかっている俐桜の腕には、点滴と注射の痕が生々しく残っていた。
腰にも恐らく手術の痕だと思われる傷跡が残っていた。
肌は陶器のように白く、いつも血色が悪い。
そして、信じられないぐらい細い。腕は折れてしまいそうなほど細く、血管が浮き出ている。
少しまじまじと見ていると俐桜と目が合った。
「何だよ……見るなよ……」
俐桜はそう言って俺にお湯をぶっかけた。顔に思いっきりかかた水が目に入る。
確かに見ていたのは悪かったが、不意打ちで水をかけるのは止めろよ……
「俐桜細すぎぃ~もっと食わないと、腕とか細すぎ! 俺、これなら折れる気がする!」
崇はそう言って、俐桜の腕を持ってブンブン振る。
俺と思っていたことと崇も思っていたようだ。
「五月蠅いなぁ~元々小食なんだよ。それに、食っても太らない体質なんだよ。俺より、崇どうにかしたら? このプニプニのお腹どうにかしろよ……」
俐桜はじゃれてくる崇のお腹をプニプニと摘まんだ。
確かに、人一倍よく食う崇のお腹はちょっとだけプニプニしている。
「朝人もそう変わらないじゃん! 俺は冬になったら少し太る体質なの!」
「野生動物みたいな体質だな……部活しているお前とまったく動いてない俺が一緒だったら俺どんなけだよ……そんなことより、お前らさっさと洗って飯行こうぜ。腹減った。」
朝人はそう言ってシャワーで髪を濡らした。
俺も朝人の隣で頭を洗い始める。
崇はバスケットボール部だ。人一倍忙しい部活だ。しかし、部員が少ないのでなかなか大変そうだ。
俺達の学校はわりかし自由な校風なので、崇はいつも制服の下にジャージを着ている。
理由は“なんか格好いいじゃん! 暖かいし”だそうだ……
朝人と俐桜は帰宅部。朝人は家の修行や掃除や手伝いが忙しいから部活は入ってない。
寺の息子の朝人は朝も夕方も修行で大変らしい。
朝人は制服の下はいつも黄色のパーカーだ……理由は“黄色が好きだから”だそうです……
さっさと洗い終わって俺達は脱衣場に行って、服を着る。
ジャージ姿をしてタオルで髪をガシガシと拭く俐桜。
本当に細いな……
「よし、今日の晩ご飯バイキングだってよ! めちゃくちゃ食いまくるぞ!」
髪が濡れたままの崇が俐桜の腕を引っぱって行った。
うわぁ~俐桜の嫌そうな顔がハンパない……
不憫だが、悪い俐桜……お前を生け贄にして俺達は髪をきっちり拭いていくことにした。
朝人と俺は崇が散らかした物を片付けて、自室に帰る。
俐桜は楽しそうに笑っていた。
でも、俺の内心はどこかで無理しているんじゃないかと心配だった。
心配しすぎると俐桜も気を使うだろうから、あまり言わないようしているがやっぱり心配だ。
今夜もあまりはしゃぎすぎないように、俺は見ておくことにした。
部屋に戻る頃には、ちょうど夕食の時間になったので、食堂に移動いた。
食堂に行くともうクラスのほとんどの奴が到着していた。
「うぉ~カニだぁ! これ全部食い放題かよ! 超豪華だ!」
崇は食堂に並ぶ豪華な夕食を見て叫ぶ。
カニなどの北海道ならではの食材や、食い切れるか不安になるほどたくさんの種類のご飯が用意されていた。
「皆席に着いたな? よし、じゃぁいただきます。」
「いただきます!」
先生の号令で一斉に皆移動し料理の前に列を作る。
崇と朝人はさっさと列に並びに行った。俺も椅子から立ち上がると隣の俐桜は立ち上がる様子もなく、窓の外を眺めていた。
「行かないのか? なんなら俺がとってきてやろうか?」
「ん? 良いよ。後で行くから。人混み嫌いだし、皆がいなくなった頃に自分で行くから。」
確かにあの人混みの中に俐桜が紛れたら俐桜がつぶれてしまいそうだ。
すると、孔野先生が近づいてきた。
「俐桜君。一応ここに出てる料理は食べても大丈夫だよ。バイキングだからって好きなものばかり食べちゃ駄目だよ。ちゃんとバランス考えて食べること。あと、食後に診察するから食べ終わったら声掛けること。」
孔野先生は俐桜に言い聞かすように言う。何度も“野菜も食べるんだよ”と言い聞かす。
俐桜はその度大丈夫と先生に返すが、先生は何度も言う所から俐桜は野菜が嫌いのようだ……
ある程度注意をして孔野先生は自分の席へと帰って行った。その後ろ姿に俐桜は舌を出して睨み付けた。
「じゃぁ、俺も並んでくるわ。一人で大丈夫か?」
「あのな、餓鬼じゃないんだから……それに、崇たち帰ってきたぽいし。」
俐桜が呆れながら指を指す方を見ると、両手に二皿ずつ持った崇と綺麗に盛りつけられた一皿を持った朝人が帰ってきた。
「見てみて~めちゃくちゃでかいカニゲットしてきたんだ! あれ? 俐桜も鶯もまだ行ってないのか? 早くしないとでかいカニなくなっちゃうぞ~」
崇は机に皿を置いてカニのはさみで遊んでいる。
「橘、そろそろ人少なくなったから行っても大丈夫じゃないか?」
朝人は静かに座って、合唱をしてから小さく“いただきます”と呟いて箸を割った。
料理の方を見ると確かにさっきよりは人混みは解消されたようだ。
「じゃぁ、俐桜一緒に行くか。」
俺がそう言うと、俐桜が頷いて立ち上がった。
俺もカニカニ~と浮かれ気分の俐桜の後を着いて行く。
俐桜は野菜は嫌いだが、魚介類とフルーツが好きらしく、皿には魚介類で覆い尽くされた。
「鶯、サラダ二皿も食べるのか? もしかしてベジタリアン?」
俺が小さな皿にサラダを盛りつけていると、魚介類でルンルンの俐桜が覗いてきた。
「一皿はお前の。野菜も食え。」
「ちょっ! いらないって……あぁ! そんなにブロッコリー入れないで!」
俺の腕を持って掴んでいるブロッコリーを阻止しようとするが、力で俺に勝てる訳もなくあっさりブロッコリーは皿に投入された。
「さっき先生も言ってたろ~野菜も食うんだよ。弟たちみたいな駄々こねるな~」
サラダを手渡すと俐桜は少し拗ねたような顔をしてからため息をついて“分かったよ”と渋々受け取った。
そんなに野菜が嫌いか……
席に戻り、誰が一番カニを綺麗に剥けるか競争したり、ブロッコリーに苦戦する俐桜を笑ったり、朝人のブラックコーヒーに大量の砂糖を投入したりして楽しんだ。
「俺、飲み物とってくるけど誰かいる?」
「あっ、俺お茶欲しい。」
「ほほぉ~い」
崇は俐桜のリクエストを手を挙げて答えて、ドリンクバーへ向かった。
「この後ってなんだっけ?」
「クラスでレクレーション。なんかみんなでゲームするらしい。」
俺が聞くと朝人が紅茶を飲みながら答えた。
そういえば、レク係がなんか考えていたなぁ~
「何やるんだろうな? ほら、麦茶。」
帰ってきた崇は俐桜にお茶を渡しながら座った。
俐桜は“ありがとう”と言ってお茶を口にした。
崇はグレープフルーツジュースを一気に飲み干して立ち上がった。
「さぁな。そろそろ戻ろうぜ。レクの時間までのんびりしようぜ。」
俺は大きく伸びをして立ち上がる。
レクレーションの時間までまだ時間がある。
それまで部屋でゆっくりしよう。
この後の惨事の前の静けさだった……