第十五楽章
秋が終わり、冬が始まる。
木の葉が落ち葉になり、木々が枝木になる。
冬になっていく。
朝、目が覚めて部屋の窓を開くと、息が白くなる。
寒さが身体の芯まで染み、手を丸め白い息を吹きかける。
Yシャツに腕を通し、学ランを羽織りエナメルを持って部屋を出る。
階段を下りて一階へ下りると母さんが台所で朝食を作っていた。
「母さん、おはよう。」
俺はエナメルをソファーにほっぽり投げ、食卓に着き学ランのボタンを止める。
「おはよう、俐桜。待ってね、今ご飯出来るから。」
母さんは俺を見て微笑み、茶碗に白米をよそった。
俺の食事は基本栄養のバランスを医者が考えた献立になっている。病院では美味しくないご飯だった……
両手を合わせて合掌。いただきます。
「お~い! 俐桜~迎えに来たぞ~」
玄関の方から五月蝿い声がする。
まったく、そんな叫ばなくても聞こえるって……
「あら、鶯君来たみたいね。は~い、ちょっと待ってね~」
母さんが玄関に向かう。
俺は味噌汁で白米を流し込み、おかずを口に放り込む。
急いで食べていると母さんと鶯がリビングに入ってきた。
「よっ、おはようさん。うん、今日も食欲はあるなぁ~」
鶯は俺の頭をポンポンと叩きながら笑った。
おかずを飲み込み、箸を置いて合掌。ごちそうさま。
「何でお前に監視されなきゃならないんだよ……」
俺は食器を流し台に置いて鶯を睨みつける。
学校に通い始めてから鶯が毎日家まで迎えにくる。
そして、今みたいになんやかんや監視している。
「そりゃ、俺は孔野先生に頼まれたからな。それに、俺はお前の兄貴だからな~」
鶯は俺ニカニカ笑いながら俺の頭を撫でた。
何が兄貴だ。赤の他人なのに……
「ほら、二人共~遅刻しちゃうわよ。はい、お弁当。ちゃんと食べるのよ。」
母さんが俺に弁当を渡して背中を軽く押した。
俺はエナメルに弁当を突っ込みチャックに閉め肩に背負う。
鶯と玄関に向かい靴を履いて、扉に手をかける。
「じゃぁ、行ってきます。」
母さんにそう言って、俺は鶯と家を出る。
「俐桜~学校慣れてきたか?」
マフラーに顔を埋めながら歩いていると鶯は俺の顔を覗き込みながら言ってきた。
田園風景を眺めながらボーと考えていた。
「ん~まぁ、50分間座るのは苦痛じゃなくなったかな。」
初日は50分×6時間が苦痛だった。
こんなに長く椅子に座り続けたことなかったから、初めは腰が痛くなってしまっていた。
「ははは、そうかよ。そうだ、お前明日の昼から空いてるか?」
鶯はエナメルを担ぎ直しながら俺に聞いてきた。
明日?
「まぁ、空いてるけど……なにかあるのか?」
通学路には数人の中学生が歩き、行き違いに小学生が走っている。
「いやぁ~明日クラスの奴らと、季節ばずれの釣りに行くんだ。チャリですぐのところなんだけど。行くか?」
鶯は俺の顔を覗き込みながら聞いてきた。
釣りか……確かに冬に行くものではないよな……
「いや、俺は遠慮しとくよ。」
俺はマフラーがに顔を埋めて答える。
「えっ! なんでだよ、楽しいぜ! 釣竿だって俺たちが貸すし。そんなに遠くないしさ……」
鶯は釣りの楽しさを必死に訴える。
釣りが楽しいかどうかの問題じゃなくてだな……
「いや、行きたいのは山々だけど……俺、自転車乗れないから……」
そう、俺は自転車に乗れないのだ。
小学生の時に練習していたが、病気になってからは練習をしていない。
恥ずかしい話、未だに一度もまともに自転車に乗れたことがないのだ。
「あぁ~そうか……じゃぁ、俺の後ろに乗れよ。お前ぐらい運んでってやるよ。だから、行こうぜ!」
鶯は腕をパンッと叩いて笑う。
後ろに乗るって、二人乗りってことか? 法律違反では……
俺が考えてると、後ろから軽く押された。
「おはよぉ~なんだ、鶯が俐桜をナンパしてんのか?」
「モテなさすぎてとうとうそっちに走ったか……俐桜も気をつけろ。」
俺の背中を押したのはクラスメイトの二人だった。
明るく気さくで、スペイン人とのハーフの山本崇。
冷静で頭が良く、寺の息子である山本朝人。
この二人は名字が同じことから仲良くなったらしい。
崇が鶯と友達でそれから朝人とも仲良くなったらしい。
俺をいち早く受け入れてくれたことから、俺も仲良くしてもらってる。
「バカヤロー。俺は今度の釣りに俐桜を誘ってるだけだ。まぁ、ある意味ナンパだけど。ってか、朝人、そっちってなんだよ! そっちって! 」
二人は鶯と俺の横に並び歩きはじめる。
鶯は朝人を睨みつけながら叫ぶ。
朝人は“ご想像にお任せします”と言いながら白い息を吐き出す。
「まぁ、変態鶯はほっといてぇ~俐桜も来るよな! 釣り。」
崇が鶯を押しのけて俺の顔をじっと見てくる。
崇はとても人懐っこく、茶髪の少しくせっ毛を短く切り揃えている。
少し緑色のかかったハーフ独特のクリッとした瞳をしている。
「いや、悪いけど。今回俺は遠慮しとくよ。」
俺がそういうと、崇は“えぇ~なんで!”と外人独特のオーバーリアクションをして叫ぶ。
「俐桜自転車乗れないんだってよ。でも、そんなに遠くないし、俺の後ろに乗って行きゃ良いって言ってんだけどさぁ~ってか、変態ってなんだ、おい。」
鶯は少しため息をついてから崇の首を絞め、俺を見る。
そんなに遠くないのか……
「まぁ、これは橘の体調が大丈夫ならの話だがな。自転車で15分もかからないところの川だ。気分転換にはいいだろう。橘はこの二人みたいに冬の川に入るような馬鹿なことはしないだろ。」
朝人は崇と鶯を睨みつけながら俺に言った。
朝人は物静かで落ち着いた雰囲気で、馬鹿をする鶯や崇を辛辣な言葉で咎める。
頭がとても良く、ポンポン難しい言葉が飛び交うので二人も何も言えなくなる。
寺の跡取りだが黒髪を少し長めに伸ばしている。
「あのなぁ~俺たちも好きで入った訳じゃねぇよ。って、そんなことより。なぁ、俐桜。行こうぜ! おばさんには俺からも説得するから。なぁ。」
学校に入り下駄箱で上履きに履き変えながら鶯は俺に言った。
俺は何も言わず考えながら上履きを履く。
「俐桜も行こうよ。きっと楽しいぜ!」
ラテン系のお気楽モードで崇が俺を誘う。
まぁ、行くだけなら……
見てるだけなら、大丈夫かな……
「分かった。一緒に言ってもいいか?」
俺が決心して三人に伝えると三人は、
「もちろん。」
と笑ってくれた。
崇と鶯はハイテンションになりハイタッチをしている。
仲間に入れてくれる友達がいて、俺は幸せ者だな。
帰路を一輪と帰りながら、釣りに行くことを話した。
すると、一輪は俺の話しを聞いてふぅ~んと言って少し下を向いてしまった。
「どうしたんだよ。」
俺が下を向いた一輪の顔を覗き込みながら聞くと、一輪は少し拗ねた顔をして話し出した。
「いや……俐桜君が元気になるのも、皆と遊べるようになったのも嬉しいんだよ。でも、俐桜君が少し遠くに行っちゃったみたいで……」
一輪は地面に転がってる石を蹴飛ばして苦笑いした。
「ごめんね。今のは私の勝手なわがまま。なかったことにして。釣り、楽しんできてね。落っこちちゃ駄目だよぉ~」
一輪はスクールバックを肩にかけ直しながら笑った。
その笑顔は何だか少し淋しげだった。
俺は一輪の手を掴んで、ギュッと力を入れた。
一輪は手を掴まれて少しびっくりして、足を止めた。
「俺に笑顔をくれたのは一輪だから……どんなに友達が増えようが、この環境に慣れようが……俺が一番大切なのは一輪だから……」
俺は一輪に向き合ってそう伝える。
どんなことがあっても、誰と出会っても俺に笑顔を戻してくれたのは一輪だけだ。
そう言ってから、少し恥ずかしくなった。
なんか、これ告白してるみたいじゃないか……?
俺は急いで一輪の手を離し、慌てて言葉を探す。
「いや、その……俺の初めての友達は一輪だし……一緒にいて楽しいのも一輪だから……それに、言ったじゃん。俺は一輪が必要なんだって……」
少し誤魔化すように言うと、一輪は俺の手をとって握り、にこやかな笑顔で笑った。
「えへへ、ありがとう。私も俐桜君といるのが一番楽しいよ。さぁ~て、帰ろうか!」
一輪は指を絡めギュッと握り、歩きだす。
俺は一輪に引っ張られるように歩き出し、一輪の横に並び歩く。
夕陽の浴びた田園風景を眺めながら、二人で歩いた。
中途半端な時間だからか、周りにはあまり下校する生徒はおらず、俺たちだけだった。
一輪は機嫌がいいのか、鼻歌を歌いながら一緒に歩く。
「ねぇ、俐桜君。」
鼻歌と途中で一輪がなにか思い立ったかのように俺に話しかけた。
「今度、宿泊学習あるじゃない? あれ、俐桜君は来れるの?」
一輪は俺の顔を覗き込みながら聞いてきた。
しまった……忘れてた……
来週、学校の宿泊学習があるんだった……
先生に聞かなきゃいけないんだった。
「まだ分からない……先生に聞いてみないと……」
「そうか……一緒に行けたらいいね。スキーするみたいだよ!」
それもホームルームで聞いている。
バスで雪山のスキーロッジに行ってスキーをするらしい。
「そうだな、俺も行きたいな。俺、そういうの初めてだから……」
小学校の林間学習も修学旅行も行ってないので、皆でお泊まりっていうのは今回が初めてだ。
だから、今回は行ってみたい。
「もし行けたら、トランプしよう! 大富豪、大富豪!」
一輪は俺と繋いでる手を大きく振ってスキップした。
そうだ、今回の宿泊学習でたくさん思い出を作りたい。
一輪と、鶯たちとたくさん遊んで、いっぱい笑いたいな。
帰り道、宿泊学習の話をして帰った。
話しているだけで、ワクワクしてきた。
****
「駄目だ。」
俐桜君の診断をしながら、俺はきっぱり言い切った。
俺の言葉を聞いて、俐桜君はびっくりして、すぐにがっかりした。
「どうしても、駄目なの?」
「駄目だよ。雪山に三日間もいたら気圧の変化でまず熱を出すよ。はい、横向いて。」
俐桜君の体を横向きにして、聴診器を背中に当てる。
何の話をしているのかと言うと、俐桜君は来週の宿泊学習に行きたいと言ってきたのだ。
もちろん、駄目だ。
きちんとした医者がついているのならまだしも、保健医だけの状況で雪山になんて行かせられない。
「そんなの、大丈夫だよ。熱なんてしょっちゅう出てるんだし……スキーもしないし、ずっとロッジにいるからさ……」
「あのね~熱は体の警報でもあるんだよ? それを無視しちゃ駄目だ。ちゃんとした医者もいないのに、そんな遠出なんてさせられないよ……」
俺はカルテに書き込みながらため息をつくと、俐桜君がこっちを睨み付けてきた。
おっと、ちょっと拗ねてる顔だ……
「じゃぁ、先生もついてきてよ。そうしたらいいんでしょ?」
俐桜君は少し拗ねたように言って、俺を睨み付けた。
そうきたか……まぁ、確かにそうなのだが……
うぅ~んと、唸って考える。
「まぁ、そうだけど……でも、確かに宿泊学習は良い思い出になるしなぁ……まぁ、学校と相談してみるよ。」
この五年、他人と接することがなかった俐桜君。
だから、こういうイベントにはなるべく出させてあげたい。
しょうがない……ちょっと動いてみるか……
その後、俐桜君のお母さんや学校の担任団と連絡を取り、宿泊学習の対策を立てることにした。
とりあえず、学校の許可を取り俺が引率することで宿泊学習に行くことが出来ることになった。
学校のイベントに引率するのは初めてだけど、まぁなんとかなるか……
「っということで……僕が引率するっていう条件でOKになりました。良かったね。」
今日、俺は俐桜君の学校に来ている。
久しぶりにちゃんとスーツを着て、学校の会議室のソファーに座っている。
俺の前には俐桜君の担任、学年主任、そして、俐桜君本人。
「はぁ……しかし、本当に最善の注意をはらっていただきたいです。」
「はい、私たちも気をつけます。ありがとうございます。俐桜君、良かったね。」
担任の先生は俐桜君に笑いかける。
うん、人の良さそうな担任で良かった。
人見知りの俐桜君も、少しだが打ち解けてるみたいだし。
「先生。」
俐桜君が俺を呼んだ。
俺が“なんだい?”と聞くと、俐桜君は少し笑った。
「許可してくれてありがとう。なるべく、無茶しないようにするよ。」
俐桜君は俺に笑いかけて、そう言った。
はぁ、まったくそんな気ないくせに……
「そうしてくれ……では、僕は仕事がありますのでお暇します。」
俺はソファーから立ち、カバンを持って一礼する。
先生たちは深く礼をし、俐桜君はいつも通り手を振っている。
学校を出て車に乗り込み、シートに体重をかける。
久しぶりのスーツで肩がこった……やっぱり白衣の方が楽だな……
ネクタイを緩め、車のエンジンをかけてアクセルを踏む。
さて、俺もいろいろと用意をしようかな……