第十四楽章
登校初日。
私は三時過ぎになると、少しそわそわしていた。
俐桜はちゃんとクラスに馴染めたかな? 苛められたりしないかな?
そんな不安だけが膨らんでいった。
鶯君がいるから、大丈夫だとは思うけど、やっぱり心配だ。
リビングでお茶を飲みながら、俐桜の帰りを待っている。
そう言えば、この数年、家で一人になるのなんて俐桜が入院した時以外なかった。
気が付くと、ちょっと広くて静かだった。
少しすると、玄関の扉が開く音が鳴った。
私はすぐさま玄関に行くと、玄関には学ラン姿の俐桜が靴を脱いでいた。
「ただいま。」
家に上がった俐桜は、私を見て笑顔で言った。
「おかえりなさい。」
このやりとりは、本当に久しぶりだ。
小学校の時は毎日してたことのに、なんだか感動してしまった。
「あぁ~疲れたぁ~」
俐桜はエナメルを持って、二階に上がっていく。
普段、病院に行く以外外に出ない俐桜に取ったら、半日外にいたんだもの疲れるわよね。
「学校どうだった?」
二階に一緒に上がり、俐桜の自習の外から俐桜を見る。
俐桜はエナメルを床に放って、ベッドに倒れ込む。
「ん~人が多い……人に酔いそうだったよ。でも、楽しかったよ。久しぶりにたくさん喋っ……た。」
言葉の最後の方はあやふやで、よく見るとぐっすり寝ていた。
よっぽど疲れたのね。
私は俐桜をちゃんとベッドに入れて、首までちゃんと布団をかける。
昔は抱き上げることも出来たのに、今は引っ張るのが精一杯。
こんなに大きくなったんだね。
明日から、また学校が楽しみだね。
俐桜の部屋の電気を消して、私は家を出た。
****
あぁ~
肩が痛い……
テニスをやってると、肩が痛くなるわぁ~
「なぁ、鶯。お前って、橘と仲良かったのか?」
部活からの帰り道、同じテニス部のやつが聞いてきた。
「あぁ、最近までは全然関わり無かったんだけど、この前たまたま会ってさ。それからは、ちょこちょこ会ってたから。」
以前、学校の前に俐桜が立っていたときはびっくりした。
見覚えのある奴が立ってれてと思ったら、全く変わらない俐桜が立っていたんだからな。
「へぇ~あいつ、なんかちっちゃくて女みたいだよな。」
まぁ、身長は小さい方だし、女顔だからな。
でも、それ本人に言ったらものすごい睨まれるんだよなぁ~
「病気で学校来れなかったって、そんな重い病気なのか?」
「さぁ。」
俺はそう答えることしか出来なかった。
「さぁって……お前橘の病気知らないのか!?」
「知るかよ。わざわざ聞くことでもないし、聞くに聞けないだろうが。あいつも言わないし。俺たちはお互いあまり干渉しあわないんだよ。」
俺も何度か聞こうと思った。でも、なんか聞ける雰囲気じゃなかったし……
俺も俐桜もお互いの事にあまり深く踏み込まない。
特に俺は土足で踏み込んで良いのか分からないから、聞かない。
「お前らって、変だな。」
友人は不思議そうにそう言った。
そうかな?
「じゃぁ、俺こっちだからぁ~じゃあな~」
T字路で友人と分かれ、友人は手をポケットに突っ込んで歩いていった。
俺も寒いのでポケットに手を突っ込み、黙々と歩く。
最近、風が寒くなってきた。
田んぼだらけの道を歩いていると、田んぼの向こう側の道に見覚えのある姿が目に入った。
「ん? あれは城崎? あいつの家って、こっちじゃねぇはずだが……何やってんだあいつ……」
田んぼの向こう側の道をポツリと一人で歩く城崎の姿があった。
あいつの家は確か俐桜の家の方向だったはず。
俺の家とは真逆の方向だ。
なんでこんなところにいるんだ?
「んん……許せ!」
俺は少し早足で城崎の後を追った。
後を付けるのは良くないのは分かってるが、俐桜の想い人を放っておくわけにはいかない。
という言い訳を自分にして、好奇心で付いていく。
少し歩いて、城崎は天狗山の麓付近にある階段を登り始めた。
「ここって……」
この天狗山は俺もガキの頃からよく遊んでるから、よく知ってる。
この階段の上には小さな神社しかないはずだが……
俺はバレないように、少し距離を取ってから階段を上がった。
階段を上がりきらないぐらいで少し身を屈めて、神社を見てみる。
端から見たら俺は完全なる変人だ……
すると、城崎は神社の階段に座って空を見上げていた。
「あいつ、何やってんだ?」
それから数分その状態のまま動かなかった。
もう日が暮れる。あれからずっと空を見上げボーとしてるだけだ。
そう言えば、城崎は俐桜と一緒に帰ったんだから、部活をやってる俺なんかよりもっと早く帰ってるはず……
俺のバカな頭では分からなくなった……もう直接聞こう……
俺は階段から立ち、城崎の座ってる神社に足を進める。
城崎は俺が歩いてきてるのに、気が付いてないのか、微動だにしなかった。
「おい、こんなところで何やってんだ。」
ボキャブラリーの少ない俺はこんな言葉しか出てかなかった……
やはり城崎は俺の存在に気付いていなかったらしく、俺の声を聞いてビクッとして俺を見上げた。
「鶯君!? 何やってるのこんなところで!?」
「その言葉そっくりそのまま返すぜ。何やってんだよ。」
俺はポケットに手を突っ込んで、ため息をつく。
まさかこいつに、何やってるのと聞かれるとは思わなかったよ。
城崎は俺の言葉を聞いて、少し笑い、また空を見上げた。
「ん~別に~少し時間潰してるだけだよ。」
時間を潰してるだけって……
「なんの時間だよ。家に帰れよ。ここらは夜になると野犬が出るぞ。」
俺の家からよく野犬の吠える声が聞こえる。
ここらへんは子供が野犬に襲われる件数が多い地域だ。
「うぅ~ん……そうする。ありがとう。でも、大丈夫だから、鶯君は気にしないで帰っていいよ。」
いや、帰って良いて言われても……今更帰るに帰れないだろ……
そう言えば、こいつの家って確かお祖母ちゃんのところに居候してるってクラスの女子が言ってたような気がする。
「お前、家で上手くいってないのか?」
思ったことをそのまま聞いてみたら、城崎の動きが止まった。
やっぱりな。居候ってどうも肩身が狭いっていうしな……こいつもいつもは明るく振る舞ってるけど、家では大変なのかもしれないな……
だから、俐桜の心を開くことが出来たのかもしれない。
「やっぱり、だから家に帰れないんだろ。」
俺がそう言ってため息をつくと、城崎は俺の鞄を引っ張って俺を見つめた。
「お願い……俐桜君には言わないで! 俐桜君優しいから、無駄に心配すると、せっかく学校に来れたのに……私のことで心配事を増やしたくないの……お願い!」
城崎は少し瞳に涙を溜めながら、俺に頼んだ。
全く……俐桜も城崎もお互いのことの心配してないで、自分のこと心配をしなさい……
俺はこの二人が心配です……
「分かった、言わないでいる。でも、お前いつもここで時間潰してるのか? いつまでここにいるんだ?」
とりあえず、知ってしまったんだから、気にしてやるしかないだろ……
兄貴性分ってのは結構損な役割だ……
「ありがとう。えぇ~と、いつもは七時ぐらいまではここにいる……かな?」
七時って……もうこの時期だったらもう辺りは真っ暗だろうが……
「あのなぁ~もうだんだん日が短くなるんだぞ? 危ねぇから、帰れよ。俐桜が聞いたら心配するぞ。」
「だから、俐桜に言わないでって言ってるじゃない。分かった、帰るわ。わざわざ心配してくれてありがとう。」
城崎は鞄を持って立ち上がり、スカートの埃を払った。
そして、そのまま“バイバイ”と言って階段へ向かった。
俺はそんな後ろ姿を見て、閃いた。
「おい、城崎!」
階段を降りようとする城崎は俺の声を聞いて、少し振り返って“何?”と聞いてきた。
「お前に頼みたいことがあるんだ。ちょっと聞いてくれるか?」
俺の言葉に首を傾げながら城崎は俺の方に向いて頷いた。
よし、俺の最高のプランを成功させてやる。
****
学校に復活して3日経った。
やっと学校に慣れてきたが、やっぱり学校から帰ると爆睡してしまう毎日である。
「本当に、ご飯食べる量も増えたわね。はい、おかわり。」
母さんから茶碗を受け取って白米を口に含む。
母さんに言われたとおり、最近食事の量も増えている。
学校に行く前は一日一食でも問題なかった。
でも、最近はきっちり一日三食食べないと駄目になった。
どんどん、普通の中学生のようになれたようでちょっと嬉しかった。
今まで、病室から眺める風景に憧れていた。
みんなで楽しく登下校して、毎日学校に行って遊んで勉強して……
羨ましくて仕方がなかった。
窓から見えるこの風景も、何度もこの目で見てるし、諦めていた夢だった。
それが今は俺にも出来る。
「ごちそうさま。」
手を合わせて食器を流し台に置きに行く。
「はい。あっ、明日病院行くこと忘れないでよ。」
母さんはお茶を飲みながら俺に言ってきた。
「分かってるよ。風呂入ってこよ~」
リビングを出て階段を上がる。
学校に通っても、病院には通う日々。
今までは病院に行く時しか外に出られなかったから、気分転換には良かったが、今は検査の結果を聞くのが嫌でちょっと憂鬱だ。
風呂に浸かって窓の外の景色を眺める。
沈む夕日と夜空の間の空。今から長い夜になる。
口まで湯に浸かり、自分の腕を見つめる。
注射と点滴の痕がたくさん残ってる。
学校に復帰したのが、冬で良かった。
夏だったら暑い中長袖で過ごさなきゃならなかった。
濡れた髪から水滴が垂れ、大きなため息をつく。
「この暮らしがいつまで出来るのかなぁ~」
つい、呟いてしまった。
“病気が治ったらこれが当たり前になるさ”鶯がよく言う言葉だ。
病気が治ったら、か……
もしかしたら、俺はその答えが分かってるのかもしれない。
いつまでも続かないことも分かってる。
いつか、終わりが来ることが。俺にはこの生活が普通ではないことが、分かってるんだ。
でも、それを確信したくなくて、無視して生きている。
自分の身体のことだ。自分が一番分かってる。
そんなことを思ってると、風呂場の外で何やら音がした。
玄関の扉が閉まった音だ。そして、その後になにやら足音。
母さんがゴミでも捨てに行ったのかな?
普段ならもうちょっと入っているところだが、気になったので上がることにした。
さっさと寝間着に着替えて、髪をタオルで拭きながらリビングに戻る。
「おぉ、俐桜! お前上がるの速ぇよ!」
リビングにいたのは、鶯とクラスメイトが数人だった。
鶯を合わせて男子6人がなにやら用意をしていた。
鶯はジュースやお菓子の入ったビニール袋を片手に俺の前まで来て何やら隠そうとしている。
なんだ? なにしてんだ?
「なんか音がするから出てきたんだよ……普段の俺の家の静けさをなめるな。」
俺はタオルから手を離し、ため息をつく。
鶯の後ろを見るとさっさと作業する男子が俺を見てニコッと笑った。
「おぉ、橘。邪魔してるぞ。」
「お邪魔してます~悪いな、お風呂上がりに……」
みんなが俺に一言ずつ挨拶していく。確かに、邪魔してるな……俺は風呂から上がってさっさと寝たかったのだが……
それにしても……
「っで、人の家で何やってんだよ。」
俺が後ろの奴らを睨み付けながら言うと、鶯は少し慌てながら後ろを隠した。
「いやぁ~あれだ。お前のお帰り会をしようと思ってさ。っで、クラスの数人誘って今日来たんだ。あっ、大丈夫だ。おばさんにはちゃんと許可取ったから。」
鶯は俺の肩を叩きながら笑った。
俺は初め鶯が何を言ってるか分からなかった。
……俺のお帰り会?
なんだ……それ……?
「あれ? 俐桜が固まった。まぁ、いいや。ほら、さっさとここに座ってだな。」
キョトンとしている俺を鶯は無理矢理ソファーに座らせた。
俺の目の前の机には、大量のお菓子とジュース。
「ちょっと待ってろよ。もうすぐメインが来るからな!」
俺は訳が分からないまま、周りで動くみんなを見てキョロキョロしていた。
なにがどうなってんだ?
「いや、あの……これは、どういうことだ? なにがどうなってんの?」
紙コップにジュースを注ぐ鶯に聞いてみる。
なんの会なんだ? これは……
「だから、お前のお帰り会だって。お前が帰ってきたから、それのお祝いだ。」
俺のお帰り会? この会は俺の為?
俺が驚いていると、玄関のチャイムが鳴った。
それに鶯が“はぁ~い”と言いながら玄関に向かう。
いや、ちょっと待て。なんでお前が出るんだよ。この家は俺の家だぞ!
「ほれ、俐桜! メインが来たぞ!」
鶯がリビングに戻ってきて、俺は扉の方を見る。
鶯の後について入ってきたのは女子が5人。
その中に、一輪の姿があった。って、一輪!?
「ジャン! 城崎に頼んで女子も呼んで貰いました。ついでにケーキまで焼いてきて貰いました!」
女子がゾロゾロとリビングに入ってきて、机に箱を置いた。
「橘君、お邪魔します。はい、私たち5人で作ったケーキだよ!」
「ってか、鶯。橘がさっきから固まったまんまなんだけど……大丈夫か?」
一人の男子が俺の顔の前で手を振りながら鶯に聞いた。
俺は頭がパニックで今の状況が全く分かってなかった。
「あぁ? 本当だ……おい、俐桜大丈夫か? ビックリしたか?」
鶯は俺の顔を覗き込みながら笑った。
「えっ、あぁ……大丈夫。えっ? これ、何? どういうこと?」
俺は頭で収拾がつかなくなり、周りをキョロキョロしながら鶯に聞いてみた。
鶯は小さくため息をつきながら、俺の頭をガシガシと撫でた。
「私と鶯君で俐桜君がクラスとみんなともっと仲良くなれるように、みんなで遊ぼうって話しになってね。どこかに遊びに行くのは俐桜君の身体に悪いから、家でパーティーをしようって話になったの。ごめんね、黙って。でも、ビックリさせたかったの。ビックリしたでしょ?」
一輪は俺の前に来て、ニコッと笑った。
俺は一輪の言葉を聞いて、一度大きく頷いた。
ビックリどころじゃないぐらいビックリした。今までこんなの、初めてだ。
「みんな、今日はありがとうね。机これじゃぁ狭いでしょ? こっちの机も使ってちょうだい。」
隣の部屋から母さんが和室の机を持ってリビングに入ってきた。
「母さん! 危ないから、一人で持たないでくれ!」
母さんは大きめの机を一人で持って、というより引きずってきたので、俺はすぐに母さんのところに行く。
「おっと、俐桜も危ないのは一緒だろ? こういう力仕事は俺達に任せとけって。おばさんありがとうございます。」
俺が机を受け取ろうとすると、鶯と他の男子が机を軽々と持ってしまった。
俺は小さなため息をつきながら母さんの横に立った。
「あら、みんな力持ちね~そんなことより、俐桜あんたそんな格好じゃ風邪引いちゃうでしょ。ほら、カーディガン着なきゃ。頭もまだ乾いてないし……あと、みんなにお礼言うのよ。」
母さんは椅子にかけてあったカーディガンを俺の肩にかけて、肩にかけていたタオルで俺の頭を拭く。
「ちょっ、母さん。自分で出来るから……」
母さんの手からタオルを取って、自分で髪を拭く。流石にそこまで子どもじゃない。
「そうね。じゃぁ、お母さんは向こうの部屋にいるから、何かあったらいつでも呼びなさい。みんな、今日は本当にありがとうね。うちにこんなにお友達が来るのなんて、初めてで。楽しんで行ってちょうだいね。」
そう言って母さんはリビングを出て行った。
まったく、母さんはおっとりしてて、ちょっと天然入ってるから、何するか分かったもんじゃない……
「よし、じゃぁみんな集合したことだし。パーティー始めるか! ほれ、俐桜真ん中に座れ。」
鶯に引っ張られて、ソファーの真ん中に座る。
俺の目の前には女子が焼いてくれたケーキにたくさんのお菓子、ジュース。
そして、たくさんの友達。
「じゃぁ、せーの! 俐桜、お帰り!」
「橘君、お帰り!」
鶯のかけ声でみんなが一斉に言ってくれた。
そして、どこから出してきたのかクラッカーが鳴った。それに俺は少しビックリした。
「あっ、ありがとう……」
俺が小さな声でお礼を言うと、みんなは満足そうに笑った。
「俐桜君、帰り。って言っても、私は転校してきたから、お帰りって言っていいのか分からないけど。おめでとう。これで一つ約束叶ったね。」
一輪が俺の隣で笑いかけてくれた。
俺はそんな一輪の笑顔がみれて嬉しくて、少し下を向いて小さく頷く。
「よっしゃぁ! 今日は騒ごうぜ! 橘との親睦会だ!」
それから、クラス男子が騒ぎ出し、鶯が一発芸をしたり、みんなと話したり、一輪と笑ったり。
今日は楽しかった。
久しぶりにこんなに笑った。
馬鹿みたいに騒いで、笑って、話して……
こんな風な生活が続く。
俺はそう信じ続けたい。
それでも、俺の身体は何かに蝕まれ続けていることは、俺は分かっていた。
続くことのない幸せを夢見続けた……