第十三楽章
秋から冬に季節が移り変わるこの季節。
いつも通りに起きて飯を食い、用意をして学校へ向かう。
学ランの襟に首を竦めながら、ゆっくりと通学路を歩いていく。
落ち葉で埋め尽くされた道にはたくさんの学生が学校に向かって歩いている。
ただ黙々と歩き、学校に到着する。下駄箱で靴を履き替え、三階の教室へと向かう。
扉を開き教室に入ると何人ものクラスメイトが俺に挨拶をかけてくれる。それに答えて席へと着き、大きく欠伸をする。
寝たいけど、今日は寝る事は出来ないな。
今日は特別な日だからな……
こんなにチャイムが鳴るのが楽しみなのは初めてかもしれない。
そして、やっと待ちに待ったチャイムが鳴った。そして、チャイムが鳴ったと同時に担任の先生が入ってきた。
「はい、おはようございます。みんな席に座って。えぇ~と、欠席の人はいないね。」
担任先生が出席簿になにやら確認しながら、ペンで書き込んだ。そんなことどうでもいいから、早くしてくれ。
「はい、皆さん静かに~今日はみんなに紹介したい子がいるのよ。入ってきてくれる?」
よっしゃぁ~来た来た。
先生の言葉にクラスの奴らは騒がしくなった。
そして、先生の声を聞いてから教室に入ってきたのは、俺が想像した通りの人物だった。
普通の中学生より少し小さめで、ひょろひょろとして色白の男子中学生が入ってきた。
「みんな、今日からクラスに復帰する事になった、橘俐桜くんです。」
そう、俐桜がやっと学校に来れるようになった。
これは俺もつい最近知った。
家に行ったらいきなり“今週から学校行ける”と言われ、びっくりした。
っで、常識知らずの俐桜にいろいろと教えてやった。
始め、俐桜は制服の着方も分からないような、常識知らずだった。
教室に入ってきた俐桜は少しブカブカの学ランに俺のお下がりのエナメルを肩から下げて、黒板の前に立っていた。
「橘俐桜です。皆さんには、いろいろとご迷惑かけるかもしれませんが、よろしくお願いします。」
俐桜はきちんとお辞儀をした。
なんだか周りの女子がちょっと騒がしい様な気がするけど、気にしない気にしない……
それにしても、改めて見ると俐桜……ちいせぇな……
「俐桜君は小さい頃から病気で、長い間学校に来れなかったんだそうです。でも、最近先生の許可が出たので少しずつ学校に来られるようになったんですって。みんな、仲良くしてあげてね。」
みんなは先生の言葉聞いて元気にはーいと答える。特に女子……
まぁ、俺は分かり切っていた事だが、恐らく俐桜は小学校の時以上にモテるであろう。
「じゃぁ、俐桜君の席は……」
「はいはぁ~い! 先生、俐桜の席は俺の隣でいいと思います!」
俺は大きく手を挙げて先生にアピールすると、みんなの視線が妙に痛い……でも今は気にしない事にしよう。それ以上に俐桜の嫌そうな顔が俺は気になる……そんなに俺の横はイヤか!
「そうね、一ノ谷君は昔から俐桜君の友達だし、何かと都合が良いかもしれないかもね。じゃぁ、俐桜君は一ノ谷君の隣に座ってね。」
俐桜は一回コクンと頷き、先生に言われた通り俺の隣に座った。
「よっ、良く似合ってるじゃん。学ラン姿。」
座ってすぐにそう言ってやる。エナメルを肩から下ろし、俺の方を見た。
「うるせぇ。まぁ、助かったよ。それにしても、クラスってこんなにたくさんで授業するんだな……」
俐桜は周りをキョロキョロしながら俺に言った。
俐桜の授業の記憶は小学校三年で止まってる。
俺達の小学校は一クラスで20人ぐらいだった。
しかし、中学は三つの小学校が集まってるため四クラスある。一クラスには40人近くいる。俐桜にとっては驚きだろう。
「まぁな。他にも、教科によって先生が変わったり、給食じゃなくて弁当だったり。いろいろ変わったぞ。」
俺の言葉に俐桜は感嘆していた。
この様子だと、こいつにはいろいろ教えなきゃな……
こいつの常識知らずはどこまで進行してんだ?
「はい、では朝礼は終了です。皆さん橘君と仲良くね。橘君も、分からないことや困ったことがあったらすぐに言いに来てね。」
担任はそう言って教室から出て行った。
ふぅ~やっと終わった。一時間目まで10分弱時間がある。
「ねぇ、橘君。病気だったの? 大丈夫? なにか困ったことあったら、一ノ谷なんかじゃなくて私たちに言ってね。」
一瞬目を離したうちに俐桜が女子に囲まれていた。
ってか、一ノ谷なんかじゃなくてって、なんだよ!
「今まで学校来てなかったんだよね? 勉強とか大丈夫?」
「ずっと机だけあるから、どんな子なんだろうって思ってたんだけど、橘君だったんだね。」
女子の怒濤の質問責めに俐桜が襲われていた。
たくさん降ってくる質問に俐桜は半分パニックになっていた。
ただでさえ他人と喋ることが苦手な俐桜にとって、一大事だろうな。
俺はパニックになってる俐桜を見てると、俐桜と目があった。
うわっ、めちゃくちゃ助け求めてる……
このまま見てるのも面白いけど、流石にいきなりこれは駄目だな。
「ほれほれ、俐桜が怖がってるだろ。散れ散れ~」
俺が女子の塊をかき分けて間に入ると女子からのブーイングが飛び交った。うるせぇ……
とりあえず、女子の大群はブーイングをしながらも自分の席に戻って行ったからいいか……
そういえば、さっきの集団の中に城崎の姿が見えなかったな……
「ったく……俐桜、大丈夫か? お前は昔からモテたからなぁ~おっ、そうだ俺のダチ紹介してやろう。」
ちょっと疲れた俐桜は俺を見ながら頷いた。
この頷きはモテる方かダチの紹介の方か微妙なラインだ……
俺はいつもクラスで一緒にいる仲間を紹介した。
前に学校の帰りに俐桜に会ったときに一緒に居た奴らだから、俐桜のことも知っていた。
俐桜もすんなりではないが、ちょっとずつ慣れていくだろう。
「やっと昼休みだぁ~腹減った! 俐桜飯食おうぜ~」
四時間目終了のチャイムが鳴り響き、大きく伸びをして隣の席を見る。
横を見ると俐桜は少し疲れたような顔をして頷いた。まぁ、45分授業をこんなに受けるのは久しぶりだろうしな。
「あぁ、俺もお腹減ったよ。あっ、でもちょっと待ってて。その……一輪とまだちゃんと話してないから……」
俺にしか聞こえないぐらいの小さな声でそう言った。あぁ、なるほど……
でも、おかしいな。城崎なら俐桜がクラスに来てすぐに話しかけて来ると思ったのに……
話すどころか近づいても来ない。恥ずかしいのかな?
「わかった。じゃぁ俺たちは先食ってるぞ。ちゃんと話してこいよ。」
俺は俐桜の背中を軽く叩いて励ましてやった。
このままうじうじしてちゃ城崎に逃げられちゃうぞ。
****
鶯に背中を押され、とりあえず一輪のいる女子グループに近づきたい……
でも、なんだか話しかけにくいな……
よく考えてみれば、今まで一輪以外の女子とちゃんと話したことないな……
なんて声かければいいんだ? と、とりあえず……
「一輪、ちょっといい?」
なんとか女子のグループに近づき、一輪に声をかける。俺の中ではこれだけで拍手喝采だ。
声をかけたら一輪の周りの女子がちょっと騒がしくなった。なんだろう、俺何かしたかな?
「えっと……ごめん、私ジュース買いに行きたかったの! ごめんね……」
一輪はそう言って俺と目も合わせずに教室から出て行ってしまった。
本当に俺、何かしてしまったか?
一輪が出て行った扉を見て唖然としていたら、周りの女子が寄ってきた。
「橘君、いっちゃんと知り合いなの!?」
「一輪って呼んでるの? なんでなんで!?」
「どこで会ったの!?」
女子が寄って集って俺に質問攻め。俺はどうもこの質問攻めに弱いようだ、こうなると膠着してしまう。女子の勢いに負けてる……
「えっと……いっちゃん?」
一輪、いっちゃんって呼ばれてるんだ……
って、そんなことより、一輪だ!
机の上を見てみると一輪のだと思われる弁当と財布が置いてあった。ジュースを買いに行くのに財布を持たずに行くのはおかしい……
俺、避けられてる?
「なぁ、一輪、俺のこと何か言ってた?」
女子の一人に聞いてみた。
俺、一輪に避けられるようなこと……した……かも……
入院中に会わなかったこと、何も言わずに学校に復活したこと……
「えぇ~と、いっちゃんね、橘君見た時、凄い喜んでたんだよ。でも、話に行かなかったんだよね。」
喜んでくれたんだ……
だったら、俺の方が悪いよな。ちゃんと謝らなきゃ……
「ねぇ、ジュースってどこに行けば買えるの?」
「ジュースは一回の購買で買えるよ。」
俺はありがとうと早口で伝えて教室から出て行った。
始めは歩いてたけど、だんだん焦れたくなって小走りになった。階段を降りた後は半分走っている状態だった。思った以上に息が上がった。
一階の購買に着いて、周りを見渡す。
荒い息を整えながらキョロキョロと周りを見ていたが、一輪の姿はなかった。
それもそうだ、一輪は財布を持って行ってないんだから……
じゃぁ、どこに行ったんだ?
俺はまだこの学校をよくわかってない。
どこになにがあるのか分からない。
とりあえず、探し回ってみた。っというより、半分迷子になっていた。
廊下を歩き回り、ふと外を見ると、体育館裏のベンチに一輪の姿があった。
俺は上履きのまま、体育館裏まで急いだ。
走って体育館裏に着くと、一輪は呆然と空を見上げていた。
「一輪……」
息が整わないまま、一輪を呼ぶ。
すると、一輪は驚いた顔で俺を見て、静止した。そして、汗だくの俺を見て青ざめたのが分かった。
「俐桜君! 走ったの? 走っちゃダメなのに……」
俺を心配して、駆け寄ってきてくれた一輪の言葉を遮って、一輪の腕を掴んだ。
「一輪、ごめん……な。」
まだ整わない息で、途切れ途切れになりながらも伝えた。
急に腕を捕まれて驚いたのか、俺の言葉に驚いたのかは分からないが、一輪はとても驚いた顔をして首を傾げた。
「俐桜君……何? 何で謝るの?」
へっ?
一輪は訳の分からないような顔をして俺を見ている。
「だって……一輪。俺が学校来ること黙ってたの……怒ってたんだろ?」
やっと整った息で伝える。
俺の言葉を聞いた一輪は少し考えて、少し頬を膨らませた。
「俐桜君、私がそんな事で怒るような心の狭い人だと思ってたの?」
プクゥと頬を膨らませて、そっぽを向いた。
えっ? 違うのか?
じゃぁ、なんで俺を避けたんだ?
頭にクエスチョンを飛ばしてると、一輪がため息をついた。
「確かにちょっと嫌だったけど、それ以上に私、嬉しかったんだよ。やっと俐桜君の夢が一つ叶ったんだもん。これで一歩約束に近づいたでしょ?」
一輪はベンチに座り直り、俺に微笑みかけた。
俺は一輪の隣に座って、一輪の話に耳を傾けた。
「嬉しかったから、一番におめでとう言いに行きたかったんだけど。でも俐桜君……」
一輪は言葉の最後の方を濁らせた。
下を向いてスカートの裾を弄ってモゴモゴてしてる。
俺が一輪の顔を覗くようにすると、一輪はちょっと顔を赤らめながら、
「俐桜君、女の子に人気だったから……なんか……悔しかったんだもん……」
そう言った。
はぁ? 俺が女子に人気?
まずそこに疑問。あれは俺の存在が珍しいからだろう……
それに悔しいって……
「だから……なんか話に行けなくて……そう思ってる自分が恥ずかしくて……」
下を向いたまま、ごめんねと一輪は謝った。
これは、一輪が俺にヤキモチを妬いてくれてるのかな?
「俺、そんなに人気ないと思うけど? 単に、俺みたいな奴、そんなにいないから珍しいだけだよ。ってか俺、ああいう感じの女子のノリついてけないし……」
俺は後ろに手を着いて、ちょっと空を見上げる。
少し雲がかかっているが、雲から覗いた青空が綺麗だ。
「それに……俺は一輪を一番頼りにしてるんだよ。鶯でも、クラスの奴らでもなく、一輪を頼りにしてるんだ。」
俺は一輪に笑いかけながらそう言う。
俺が一輪以外の奴なんか見るわけない。
だって、一輪は俺を変えてくれた唯一の人だから。俺をあの閉じ込めていた部屋から出してくれた人だから。
「だからさ、俺にいろいろ教えてくれねぇ? ほら、俺常識知らずのとこあるからさ。」
苦笑いで頬を掻いて一輪を見てると、一輪はゆっくり俺を見て笑った。
そうだ、この笑顔が見たかったんだ。大好きなこの笑顔を見たかったんだ……
「うん。頼って頼って! 知らないこと、なんでも聞いて。あぁ、お腹減っちゃったぁ~教室戻って、お昼ご飯食べよう。」
一輪は立ち上がって大きく伸びをして俺に笑いかけた。
全く、気まぐれな奴。
「そうだな。俺もお腹減った。鶯たちも待ってるし。帰ろうか。」
俺もポケットに手を突っ込んで立ち上がった。
一輪はルンルン気分で俺の前を歩いていく。俺も一輪の後を追ってゆっくりと歩いていく。
****
1日の授業が終わった。
部活に行く人、友達と出かける人、真っ直ぐ家に帰る人。
皆それぞれ、バラバラになっていく。
「終わったぁ……」
俺は机に頬を着けて倒れる。1日が長かった……
授業ってこんなに疲れるんだ……
机に突っ伏している俺を鶯は笑って見ていた。
「疲れたかぁ? 初日だもんなぁ~まぁ、すぐ慣れるって。この後、俺は部活行かなきゃいけないんだけど、お前ちゃんと帰れるか?」
鶯は俺の顔を覗きながら聞いてきた。
そこまでガキじゃねぇよ……
頭を上げて首に手をかける。
「大丈夫よ。俐桜君、一緒に帰ろぉ~」
鶯に返事をしようとした時、横から声がした。
ふと横を見上げると、机の前に一輪が立っていた。
「一輪。俺は良いけど、一輪は他の友達と帰るんじゃないのか?」
前に窓から見た時は一輪は他のクラスの女子と帰っていた。
「大丈夫。みんなには言ってあるから。だって、折角俐桜が復帰したのに、一緒に帰れないのはもったいないよ。」
ね、と首を傾げながら聞いてきた。
いいのか? と思いながらも、内心はめちゃくちゃ嬉しかった。
「まぁ、城崎が一緒なら安心だな。城崎、頼んだぞ。じゃぁ、俐桜。また明日な。」
鶯はエナメルを肩に担いで手を振って教室を出て行った。
またあした……
たったの五文字なのに、嬉しいな。
明日もみんなに、鶯に、一輪にここで会える。それが嬉しかった。
「俐桜君。」
鶯が出て行った扉をボーっと見ていたらしく、一輪の声で我に帰り、前を見ると一輪が俺の顔を覗いていた。
「わっ! なっ、なにどうしたの……」
一輪の顔が目の前にあったことに驚いた。
「なにって、私達も帰ろう。早く帰んないと、お母さん心配するよ。」
一輪は鞄を持って、俺の手を引っ張った。
俺も慌ててエナメルを肩に掛けて椅子から立ち上がる。
一輪は俺の手をしっかり握って歩いていく。
冷たくて、細長くて綺麗な手をしていた。
俺はその手をしっかり握り返した。
念願の学校。
クラスのみんなで受ける授業。
昼休みにみんなで食べる昼食。
一輪との下校。
本の少し前までは夢だと思っていたことが、今現実に出来ている。
俺、学校に来れてる……
「俐桜君! ほらぁ~紅葉が綺麗だよ!」
紅葉の舞う帰り道。
一輪が紅葉の風の中を上を見上げながら、ゆっくりと歩いていく。
そんな一輪の姿が綺麗だった。
一度は離した手だが、いつの間にか、また繋ぎ直していた。
「俐桜君。ほら、向こうの山も全部オレンジ色だよ!」
山の向こうを指差しながらはしゃいでいる一輪を見て、俺は少し笑ってしまった。
「ん? ちょっと、今笑ったでしょ~」
そんな俺を見た一輪は俺を少し見上げて、口を尖らせた。
「ごめんごめん。ほら、一輪頭に葉っぱがついてる。」
俺は一輪の頭についている、赤と黄色の混ざった紅葉を取って一輪に見せた。
一輪は少し笑って、俺の手をギュッと握った。
「ねぇ、俐桜君。」
一輪は俺の方を見上げる。
俺が何? と聞き返すと、一輪はニッコリとキラキラの笑顔をして、
「学校復活、おめでとう。これから、毎日同じ高さでお話が出来るね。もう、帰る時間も気にしないで、ずっと……ずっと一緒にいれるね!」
一輪はちょっと頬を赤くして、俺にそう伝えた。
ずっと、一緒にいれる。
その言葉は俺には重くて、そして、嬉しかった。
そう思った時、俺は繋いでる一輪の手を自分の方へ引っ張って、一輪の体を抱き締めた。
「あぁ、ずっと、ずっと……一緒だ。まだ、たくさん話したいことがあるんだ。」
抱き止めた一輪の体は初めは強張っていたが、時期にゆっくり俺に体を預けるようになった。
俺たちは少しの間、そのままの格好でいて、また少ししたら手を繋いで帰った。
まだまだ、時間はある。
たくさんお話をしよう。