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第十二楽章

病室に戻ると、俐桜は横を向いていた。倒れたかと思ったが、単に寝ているだけだった。焦った……


俺は少し安心して、規則的な寝息を立てる俐桜に、ちゃんと布団をかける。

それから椅子に座り、ゆっくり体を椅子に預ける。


さっき先生に言われた、お兄さんみたいだね、の言葉。

俺が俐桜の本当の兄貴だったら、同じようなことをしてたのかなぁ……

俐桜の家は金持ち。父親が大手企業の会長。会社の相続とかめんどくさそうだ。そんな家庭じゃぁ、兄弟の仲も分からないな。


ため息をつきながら、ふと棚の上の紙に目をやる。楽譜?

手に取って見ると、手書きの五線譜に手書きの音符が並んでいる。俺は音楽とか楽器とか全く分からないから、何の曲かも分からない。でも、凄く丁寧に書かれたその曲を聴いてみたくなった。


(何の曲だ? ってか、何のためにこんな事を……)


楽譜を手に、寝ている俐桜を見つめる。俐桜は静かに寝息をたてている。

楽譜を棚に戻し、また椅子に座り直る。薬って、だいだいどれくらいで効き始めるんだ? 俺にそこらの知識は無いぞ……

考えていると、ふと布団から出ている俐桜の手が目に入った。


(うわっ、細っ! クラスの女子より確実に細い……)


手首なんか俺が掴んだら折れるんじゃないか、ってぐらい細い。指も細長く、無駄な肉は一切ついてない。点滴の刺さる腕は血管が浮かび上がる程色は白く、骨と皮しかないみたいだった。


(こんな腕で……こんな身体で病気と、薬と闘ってんのか……)


俐桜の腕を見た後、俺は自分の腕を見た。

テニス部の俺の腕は日焼けで小麦色に焼け、程良く筋肉がついている。


真逆の俺と俐桜。

真逆だからこそ、引き寄せたのかもしれない。


「ん……」


ボーっと考えていると、俐桜が顔をしかめた。俺は背もたれから体を離し、俐桜の顔を見つめた。


「俐桜? どした?」


顔をしかめたまま、戻らないので不安になり、話しかけてみた。起こした方がいいのか? それとも、そっとしとくべきか?


「ん…………ぅん……」


話しかけて少しすると俐桜は薄く目を覚ました。長いまつげからグレーの瞳が覗く。

俺は起きて少し安心した。しかし、俐桜は無反応のまま俺を見ていた。


「俐桜、大丈夫か? なんかボーっとしてるぞ……」


俐桜は目を薄く開いたまま、天井を見つめていた。俺は俐桜の顔の前で軽く手を振るが、全く反応がなかった。

これも薬の副作用なのか?


「俐桜……大丈夫か? 起きてるか? 反応しろよ……」


俐桜の肩を少し揺さぶると、ゆっくりとした動きで顔を俺の方に向けた。


「あぁ……だい……じょうぶ……」


俐桜は少し息を切らしながら返答した。よく見ると、俐桜の瞳は潤っていた。

手を俐桜の額に置くとじんわり熱かった。熱でボーっとしてるのか……


「大丈夫じゃないだろ。気持ち悪くないか? 頭は痛くないか?」


俺は俐桜の額から手を離し聞くと、俐桜は首を横に振った。

これはやばいかも……ナースコールを押そうと、ベッドの向こう側にあるナースコールに手を伸ばすと俺の腕を俐桜の白く冷たい手が掴んだ。


「まだ……大丈夫だ……から……」


俐桜は苦しそうに俺に言った。

まだって、お前の基準なんか知らねぇよ。


「なにが、まだ大丈夫だ! 苦しいんだろ!?」


俺は俐桜の手を払って、無理に腕を伸ばしてナースコールを掴もうとすると、俐桜が先にナースコールを取ってしまった。


「あっ! おいっ、俐桜!」


「大丈夫……これ……拒絶反応じゃ……ない……」


話すのもギリギリの奴が……なに意地張ってんだよ。俐桜は俺に背中を向けてナースコールを握りしめる。

この頑固者め……


「分かった。もうちょっと様子を見る。でも、これ以上悪くなるんだったら、俺が直接先生を呼びに行くからな。」


俺は椅子に座り直し、腕を組む。こいつは頑固だが、なにか条件を出してやると、律儀に守る。

俐桜は頷いてナースコールを離して仰向けに戻った。

戻ったところで、俐桜の様子が良くなる訳がなく。

俐桜の目が閉じかけては開いてを繰り返すのを見続けた。

どのタイミングで先生を呼ぶかよく分からない。でも、やばくなったら俐桜も止められないだろう。




そのうち、俐桜の目を閉じている時間が長くなった。目を開くのに時間がかかっているようで、俺はこのまま開かないのではという恐怖にかられた。

限界だ。もう見てられない。


「俐桜。駄目だ。先生呼ぶぞ。つらいんだろ? おい……」


俐桜は俺の言葉に何の反応も示さない。変に思い、椅子から立ち上がり、目を閉じている俐桜の肩を揺らす。


「おい、俐桜! 反応しろ! 俐桜! くそぉ……」


俺は何度揺らしても反応のない俐桜の横にあるナースコールを押す。

病室に電子音が鳴り響く。その音が長く、不安を増幅させた。

速くしないと、俐桜が死んでしまう。

少しして、看護婦さんと先生が急いで病室に入ってきた。


「一ノ谷君、どうしたの?」


先生は病室に入るなり、俺に俐桜の様態を聞いてきた。


「なんか反応しないんです……熱が出てて……俺、ナースコール押すの……遅かったすか?」


看護婦さんが慌ただしく部屋を行き来するのを見て、俺の頭はパニックになった。俺、遅かったかな……俺がもっと早く押せば良かったかな……


「大丈夫だよ。俐桜君、いつもギリギリだからそれよりはだいぶましだよ。ありがとう。」


先生はパニックな俺の頭を撫でて、俐桜のもとに戻った。そのまま、俺は突っ立てることしか出来なかった。



****



暗闇の中で目を覚ました。

俺……あの後どうなったんだっけ……?

確か鶯が出て行って、その後頭がクラクラし出して……意識が朦朧としてそのまま寝ちゃったんだ……

その後……どうなったっけ?

でも、いつもみたいに苦しくない。気分も悪くないし、目眩もしない。これも薬の効果なのかな?

そんなことを考えていると病室の扉が開いた。


「あっ、俐桜君気が付いたんだね。」


扉からは先生が顔を出した。先生はにっこりと笑いながらベッドの横に座った。


「よかったね、とりあえずこの薬は使えるみたいだ。この薬が慣れたら、外出も出来るようになるかもしれないよ。」


外出? もしかして……一輪に会えるの?

ゆっくりと体を起こして先生の方を見る。重たい体を無理矢理起こし、先生の手を取る。


「本当に? 本当に外に出れるの?」


「このまま慣れたら、ね。」


このまま、慣れたら……一輪に会える……

その時、頬に冷たい感触が触れた。俺は涙が流れていた。なんの涙だ? 嬉しかったのか? 安堵したのか?

自分でも何で泣いてるのか分からなくて、驚いてると先生が少し笑った。


「本当に俐桜君は変わったね。」


俺は涙を拭きながら先生の言葉の意味を考えた。俺が変わった?

前にも言われたけど、本当にそうなのかな?

俺は“どこが?”と聞くと先生はもう一度にこやかに笑った。


「だって、出会ったばっかりの頃は、他人に全く感情を見せない子だったじゃない? でも、今は一輪ちゃんに出会ってから、泣いたり笑ったりそういう表情を見せるようになったじゃないか。」


そう……なのかもしれない……

一輪といると一輪の表情が、感情が俺にも伝染するんだ。

一輪の気持ちが、俺に流れ込んで来るみたいに……


「だって……一輪は笑ったり、起こったり、悲しんだり、拗ねたり……コロコロと感情が変わって忙しいくらいなんだ。でも、俺はそんな一輪が大好きなんだ……」


ダイスキ……

自分で言ってびっくりした。どうして俺はそんな言葉が出てきたんだろう……

俺は一輪の事が好きなのか……?

俺が慌てて弁解しようとすると先生が声を上げて笑った。


「良かった。昔のままの君だったら、きっと駄目になっていたよ……本当に一輪ちゃんは凄いね。」


先生はそう言って俺の頭を撫でてくれた。

一輪は凄い……そうだな。俺をこんなに変えてくれるんだから……


「さぁ、夜遅いからもう寝なさい。明日検査があるから、そのつもりでね。」


先生はぐしゃぐしゃになった前髪を直して少し笑った。

俺は一回大きく頷き、ベッドに寝て、病室を出て行く先生を見送った。

静まり返った病室の天井を見上げ、少し考えてみる。

俺が鶯や一輪と一緒に学校に行ったり、みんなで遊んだり……そんなことが出来るかもしれない……って、それは流石に無理かな……

俺は小さく苦笑いした。


この薬で治る傾向に向かえる。そんな想像ばかりが膨らみ、全然眠れなかった。



体を横にして、暗い窓の外を見つめる。この狭い病室から、出られなかった自分の部屋から出ることが出来るんだ。俺の身体……このまま、悪くならないでくれよ……



****



今回の入院をしてから俐桜の体調は徐々にだが、良好に向かっていった。

完全に良くなっている訳ではないが、いつものように急に悪くなることは少なくなった。食事も普段より進むようになったし、嘔吐することも少なくなった。

これは私にとって、とても嬉しいことだ。

でも、これは一時的の回復なのか、それともこのまま回復に向かうのか分からなかった。

それでも、日々元気になっていく俐桜を見るのは嬉しかった。

いつも、入院中は2、3日に1回はベッドから動けない日があったのに、最近はしんどい日があっても動けない日はなくなった。


それに、週に何回か鶯君もお見舞いに来てくれているため、俐桜も退屈してないみたい。


そして、最近またヴァイオリンをやり始めたみたいで、楽譜を眺めている事が多い。

病気になってから楽器なんか触りもしなかったのに……どうしたのかしら?

まぁ、なにより俐桜に趣味が出来たことが私には嬉しいことだ。




そして、今日は入院中の最後の健康検査。

今日の検査で異常がなければ、退院出来るらしい。今まで何度が検査はしているが、とりあえず悪化している様子はなかった。

今日も俐桜の機嫌は良い。でも、心配は心配……



検査をしに俐桜だけが部屋に入り、私は廊下のベンチで一人待っている。

何回、何百回と待ち続けてきたけど、今日はいつも以上に緊張する。私じゃなくて、俐桜のことなのに。


少しすると、検査が終わった俐桜が部屋から出てきた。検査結果が出るまで少し時間がかかるから病室に戻って結果が出るのを待つことにした。


病室でも俐桜は機嫌が良かった。窓の外を眺めながら鼻歌を歌っていた。やっぱり退院が嬉しいのだろう……



しばらく待っていると、病室にノックの音が響いた。私が“どうぞ”と答えると先生が検査結果の紙を持って入ってきた。先生が俐桜の横の椅子に座ってにこやかに笑った。


「どうも、お待たせしました。結果ですが、大丈夫です。薬による異常はみられませんでした。病気の進行も今は止まっていますし、退院しても大丈夫でしょう。」


先生は結果を言って俐桜の頭を撫でた。

私も胸をなで下ろして安堵の息を漏らす。

良かった……このままこの薬で病気が回復に向かってくれたら嬉しいな……

俐桜も先生に撫でられて嬉しそうに笑っていた。こんな嬉しそうな笑顔久しぶりにみた。本当に良かった。


「で、ですね。これはあくまで相談なんですが……退院して少し様子をみて大丈夫そうであったら、俐桜君を学校に行かせてみてはどうですか?」


先生は私と俐桜の顔を交互に見ながらそう言った。

えっ? 学校? 俐桜が……学校に行けるの?


「えっ!? っせ、先生! 俺学校行って良いの!?」


俐桜は先生の白衣の裾を掴んで問い質す。今まで行きたくても行くことが出来なかった学校に行ける。俐桜にとってこれほど嬉しいことはないであろう。


「うん、退院して大丈夫そうだったらね。そろそろ行っておかないと、俐桜君の将来が心配ですからね。ちょっとずつ、行っておいた方が良いかもしれません。幸いここは田舎ですから、中学校もすんなり受け入れてくれるでしょう。もし、行きたいのでしたら学校には僕の方から連絡して確認とっておきます。どうします?」


そうよね。今年で俐桜も中学二年生。通信教育をしてはいるけど、今後の将来のことを考えると、心配だけど行かせておいた方が良いのかもしれない……

俐桜は聞くまでもなく“行きたい”と顔に書いてあるし。


「はい、ではお願いします。よかったわね、俐桜。でも、無茶は駄目だからね。」


「わかってる。自分の限界ぐらい分かってるよ。」


俐桜はそう言ってにやにや笑っていた。

本当に嬉しそう。学校か……これからいろいろ用意しなくっちゃね。


「では、2、3日したらもう一度家で診察して、その結果が良かったら学校と連絡とってみます。あっ、でも俐桜君。何個か約束を作るから、それはちゃんと守ってよ。」


カルテになにやら書き込みながら先生は立ち上がった。

俐桜は先生が出て行った後、大きくガッツポーズをした。



俐桜の新しい生活が決まった。

これから、普通の生活をする事が出来るね。

念願の学校生活。

俐桜にとって、楽しい生活が送れるように、私はただただ願うだけだった。

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