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肉じゃが

 たとえどんなに文明が進化しても、どんなに強くとも自然には勝てない。


 昨日は兄弟と次の休みに映画にでも行こうと話していた。

 明日は新しい服を買おうと母と約束した。

 何の因果関係もない。平穏な日常が一瞬で終わってしまった。


 最後の記憶は、畑の収穫作業の時。土砂崩れが起き、そこに呆気なく巻き込まれた。

 そして、私は次の人生を自然と共に生きていきたい。たとえどんな姿でも……


「すごいなロゼは。生まれつきこんな目をしているなんて」


「きっと精霊様の祝福なのよ」


 前世の意識が残っていたのはお前とこの瞬間だけだった。

 この日私はロゼになった。


 ……


 広大な大陸の最北方に位置し、大自然の厳しさと雄大さをそのまま体現したかのような国家、それが「ロシウス」である。

 一年を通じて冷涼、あるいは酷寒の気候にさらされながらも、人々は自然をねじ伏せるのではなく、それと調和し、時にその猛威を受け入れながら独自の文化を築き上げてきた。

 ここには、高度な魔導技術や無機質な錬金術の硝子瓶ではなく、生き物の鼓動、大地の匂い、そして厳冬を生き抜くための熱い知恵が息づいている。


「飯行こうよ」


  凍てつく夜の寒さなどどこ吹く風、といった様子で飄々と笑ったのは、テイマー部隊のチギラ・シービーだ。

  癖のある長い茶髪を揺らす彼女は、猫のような愛嬌を持った長身の馬の獣人であり、軍服を少し着崩していてもなお人目を惹く美人だった。

  厳しい軍律のなかで彼女の自由奔放な振る舞いが許されているのは、ひとえにテイマーとしての圧倒的な有能さゆえである。

  チギラは自分の相棒である巨体の白熊(ホワイトベアー)を、手慣れた様子で一足早く獣房へと預け、こちらを振り返った。


「良いところあるのか? 前みたいにハズレ店に付き合わせるなよ」


  そう返すのは、同じくテイマー部隊のカーリ・エース。

  ポニーテールに結った黒髪に流星のようなメッシュ、そして青い瞳をしたボーイッシュな馬の獣人だ。

  軍服姿のよく似合う中性的な麗人であり、異性同性を問わず無自覚に人を惹きつける美貌の持ち主でもある。その人柄の良さも相まって、隊内では誰からも好かれる「天然タラシ」として有名だった。

  カーリは腕に乗せた雪鷲(スノーイーグル)――雪に同化する空飛ぶハンターの鋭い嘴を優しく撫で、チギラの後に続いた。


 なんだかんだ言いながらも、付き合いの長いチギラに連れられるカーリは、獣房に相棒を預け、仕事を終えた後の食事に向かった。

 彼女たちはこの旧帝都ツングースカのテイマー部隊の一員である。

 テイマーとは、自然と共に生きるこの国特有の軍事体制だ。

 相棒となる魔獣を使役して共に戦ったり、斥候や支援を任されたりし、時には警備や害獣の討伐へと赴く職業である。


「大丈夫だよ、前に見つけた美味しい食堂さ」


「食堂? ここは工業セクターだぞ」


 チギラが連れてきた場所は、客を寄せるために華やかな通りとなっている商業セクターではなく、職人たちが黙々と仕事をしている工業セクターの道だった。

 極寒の内陸地であるツングースカの、春を待つ冬のこの時期は日が落ちるのが早い。

 この時間ともなれば、人々はさっさと暖かい暖炉のある家へと帰ってしまい、通りにはすでに人影がなくなっていた。


「本当に、こんな場所に美味しい食堂があるのか?」


 この国は明確な「四季」自体は存在するものの、その大半は厳しい冬に支配されている。

 春と秋は瞬く間に過ぎ去り、夏であっても風はどこか冷ややかである。


「寒い……」


「ってか痛い……」


 春を待つ冬のこの時期は、肌に鋭い痛みを感じるほどの風が吹く。

 冬越えの備えも少なくなっていき、贅沢ができるのは「春迎えの祭り」までだ。

 今は、硬くなったパンを度数の高いアルコールで流し込むか、激辛か激甘の調味料が、あれば良い方である。


 それだというのに、やけに上機嫌なチギラを見て、逆に不安を覚えるカーリであった。


「大丈夫、大丈夫。ほら、あそこ」


 チギラが指さした場所は、工業セクターの端にある、赤いレンガで出来た素朴な店構えの食堂だった。

 実際、ここに食堂があると聞かされていなければ、このまま素通りしてしまうような外観だったが、店の前はちゃんと掃除されており、汚れや枯葉一つ落ちていなかった。


「小狐屋?」


「中に入ればわかるよ」


 そう言ってドアを開けると、チリンとなるベルの音と温かい暖炉の熱が二人を迎えてくれた。

 内装はレンガ調の壁紙で統一されており、まるで暖炉の中にすっぽりと入り込んでしまったかのような心地よい温もりに包まれる。

 カウンターの向こうには、小柄な少女らしき料理人がいた。

 顔のよく見えない深いフードをかぶっており、頭の上のあたりが不自然に盛り上がっている。

 自分たちと同じ獣人なのだろうか――そう考えていると、なぜかカウンターの上には、小さくて白い狐がちょこんと座っていた。


「狐か?」


 尻尾が太いのだろうか。それとも、複数あるように見えるのは気のせいだろうか。

 それ以外はただの白い狐にしか見えないが、おそらくペットなのだろう。

 この店の名前が「小狐屋」なのもこれが理由かと考えながら、カーリがそっと手を伸ばすと、狐は嫌がる風でもなく大人しく触れさせてくれた。


「ふわふわだな」


「ふわふわだよね~。ちなみにワンタッチで一口取られるよ」


「取られるのか!?」


「そんなことよりロゼちゃん。ウォッカ二つ頂戴」


 最近、ツングースカでは若者を中心におしゃれなクラフトビールを飲むのが流行っているが、雪山で魔物を追いかけていたこの二人にとっては、命の燃料となるウォッカがとりあえず欲しい気分だった。

 自然の冷気を生かした冷蔵庫でキンキンに冷やされたウォッカが、ショートグラスに注がれてカウンター越しに二人に手渡された。


「では、ザー・ドルゼーィ!」


「ザー・ドルゼーィ!」


 乾杯(トースト)をしてすぐに、二人はウォッカをグイッと飲み干した。

 この国では、一度手にしたグラスは一気に飲み干すのが流儀なのだ。


「うはー! 生きてる!」


「マジでそんな感じ。ロゼちゃん、次はも辛いカクテルを二つちがうのちょうだい。それと、何か温かい煮込み料理でもあると嬉しいんだけど」


「はい、わかりました」


 勤勉に働くロゼという少女を見ると、複数のボトルを取り出し、グラスの中に入れマドラーで混ぜた。

 その動きには一切の無駄がなく、二人は思わず目を奪われてしまった。

 チギラの注文したカクテルは、すぐに出来上がった。


「お待たせしました。モスコー・ミュールとブラッディ・メアリーです」


 差し出されたグラスを受け取る際、カーリはフードの奥の暗がりに、一瞬だけ奇妙な輝きを見た気がした。

 不思議な色彩の瞳。

 だが、ロゼはすぐに気まずそうに目を逸らし、フードを深くかぶり直してしまった。


「どれどれ」


 チギラがモスコー・ミュール、カーリがブラッディ・メアリーを口に含むと、一気に体が熱くなるような感覚が体中に巡った。

 暖炉の熱気が効いた室内では、汗をかくほど自分たちの体が熱くなっていることに気づく。

 少し行儀は悪いが、二人は上着を一枚脱いで椅子の背もたれに掛けた。


「モスコー・ミュールはウォッカとライム、ジンジャーを使ったシロップを混ぜました。ブラッディ・メアリーはウォッカにトマトジュース、あと香辛料と塩の実を入れてみました」


 果実や生姜のシロップはこの国の常備食として一般的なものだ。

 そして塩の実というのは、内陸であるこの場所にとって重要な塩の代用品だった。

 塩気のある不思議な木の実で、野生動物がミネラルを補給するためにかじっている姿をよく見かける。


 使っているベース自体は、いつも飲んでいるウォッカやありふれた素材ばかりなのに、これらを使ってここまで美味いカクテルを作れることに、二人はただただ驚くばかりだった。


「あと、こちらが注文の煮込み料理、肉じゃがです」


 深みのある小さめの皿に出されたものは、自分たちが見慣れた料理に近かった。

 じゃがいもと肉、根菜を加えて煮込む、この国の鍋料理ハルコーエに似ている。

 だが、ハルコーエとは違い、薄切りの肉が使われており、何か透明な麺が入っていた。

 全体的に茶色っぽく、素材は似ていても、味付けや使っている調味料が違うのだろう。


「サワークリームはないのか?」


「これはサワークリームなしで召し上がってみてください」


「そうか」


 カーリが一口食べようとしたところに、さっきの白い狐がこちらを欲しそうに見つめてきた。


「駄目だよ、グア」


「フォー」


 ロゼが宥めるも、グアと呼ばれた狐は、さっき触らせてやった代金だと言わんばかりにカーリを見つめる。

 カーリがそのまま最初の一口をグアに分けてやると、グアは実に美味しそうにじゃがいもを頬張った。


「美味そうだな」


  カーリも一口、肉じゃがを口に運ぶと、そのハルコーエとの違いに驚いた。

 塩、こしょう、にんにく、ローリエの味付けとは違い、どこか甘い味付けとなっているのだ。

 おやつのような甘さではなく、優しい自然な甘みがじゃがいもの芯まで染み込んでいる。

 今まで自分が味わったこともないような、深い味だった。


「そういえば、この麺は?」


「こん……謎芋を加工したものですよ」


「これが謎芋!?」


 生のままかじってしまうと、口の中が針で刺されたように激しく痛み、腫れ上がってしまう毒物として扱われていた植物だ。どこかの変わり者の錬金術師が無毒化に成功し、食べられるようにはなったが、味もなくブヨブヨで不気味なものとして、これまでは誰も食べる者がいなかったはずだ。


「まさかあの謎芋が、こんなに美味くなるなんて……」


「ね、面白い店でしょ」


 湯気の出ている小さな器を抱え、一気に頬張りたいという衝動を抑えながら、肉じゃがを一つずつ大切に味わう。

  過酷な気候ゆえに、これまでは味が濃く、調味料をたくさんかけたものこそが美味いと思い込んでいた。

 だが、そんな固定観念を優しく覆すような、素材の旨味を活かした繊細な味付けをしっかりと舌に記憶させていく。


  まだ、この店に来たばかりだ。それだというのに、もうこの場所の虜になりつつある自分に気づく。

 

「ロゼちゃん、今度はウォッカをボトルで頂戴! あと肉じゃおかわり!」


  チギラに誘われて入った、不思議な料理を食べられる店にカーリはすっかりハマってしまい、二人はこのまま懐が寂しくなるまで、温かな食事と至福の時間を堪能し続けるのだった。


「ありがとうございました。またのお越しを」


 店の外に出ると再び冷たい風が吹いたが、温かい料理と強い酒を堪能した二人には、火照った顔を冷やすのにちょうどよかった。


「また行こうね」


「ああ、そうだな」


 雪解け水がきれいになる「春迎えの祭り」まで、ここに来れば満足のいく食事にありつける。

 今度はもっと懐を厚くしてから、心ゆくまで堪能しよう――。

 カーリはそう胸に秘め、静かに帰路についた。





 

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