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タイトル未定2026/02/13 19:45

日本語訳


孔子は言った、「人の顔色を顧みずに話すことを、目明かしとは言わない」。また言った、「信頼されていないのに(忠告すれば)、自己弁護していると見なされる」。孫子(孫臏)は言った、「時に適って話すのは知恵であり、黙すべき時を知るのは分別である」。「尸子」という古い書物には、「聞く者が心を開かず、深く考えなければ、良い助言も届かない」とある。これは、言葉を発するには、まず相手の心を洞察すべきだという、古くからの原則を示している。


韓非子は言った、「説得の難しさは、相手の心を理解し、それに合わせて話を進めることに尽きる。もし利益で誘惑しようとすれば、下劣だと思われ軽蔑される(たとえ相手が密かにその策を用いても、提案者を軽蔑する態度を示すことがある。これを知らねばならない)。もし名声で説得しようとすれば、不誠実で現実離れしていると見なされ、提案は受け入れられない(たとえ相手が聞くふりをしても、心は離れている。これを知らねばならない)。秘密裏に進めた仕事も、言葉の漏洩で台無しになる。直接広めたわけではなくとも、うっかり相手の隠したいことに触れれば、災いを招く(まだ十分に信頼されていないのに、知恵を示し過ぎると、提案が失敗すれば疑われ、成功すれば手柄を忘れられる)。権力者が過ちを犯した時、提案者がその誤りを正面から指摘すれば、災いを招く。権力者が計画を成功させ、面目を保ちたいと思っている時に、提案者がその事情を知っていれば、災いを招く。相手が望まないことを無理強いしたり、止められないことを制止したりすれば、災いを招く」。また彼は言った、「相手にとって大切な人物の話をすれば、私事に干渉していると見なされる。取るに足らない人物の話をすれば、権力を笠に着ていると見なされる。相手が愛する人の話をすれば、その権威を借りていると見なされる。相手が嫌う人の話をすれば、操られていると見なされる。控えめに意見を述べれば、臆病で十分に意見を言わないと非難される。率直に意見を述べれば、無礼で身の程を知らないと非難される(これを知らねばならない)。相手が計画に自信を持っている時には、その誤りを指摘して面目を失わせてはならない。相手が決定に誇りを持っている時には、挑発して怒らせてはならない(説得には時間がかかる。信頼を醸成し、疑われることなく深い計画を提案でき、非難されることなく議論できるようになって初めて、利害を明らかにして目的を達成し、正誤を示して行動を正すことができる。これが成功への道である)」。


荀悦(漢代の学者)は言った、「なぜ臣下は言葉を濁すのか?言葉が口を出れば、災いが後に及ぶからだ」。ゆえに言う:


· 過ちを指摘し悪事を暴けば、不快にさせると非難される。

· 諫め教え導けば、主君の上に立つふりをしていると非難される。

· 正しいことを言えば、自分が凌駕されたと恥じる者がいる。

· 間違ったことを言えば、愚かだと侮る者がいる。

· 他人より先に同意すれば、手柄を奪うと妬まれる。

· 後に同意すれば、追従者だと見なされる。

· 身分の低い者に逆らい身分の高い者に従えば、お世辞を言っていると非難される。

· 身分の高い者に逆らい身分の低い者に従えば、模倣していると非難される。

· 大勢と一緒に話せば、遠慮していると見なされる。

· 大勢に反対して一人で話せば、目立とうとしていると非難される。

· 浅い話をすれば、軽んじられ侮られる。

· 深遠で壮大な話をすれば、理解されずに反対される。

· 特別な見解や独自の知恵を示せば、自分が霞むと嫌われ、正しくても称賛されない。

· 大勢と同じ知恵を示せば、仲間内だと見なされ、正しくても自分の手柄とはみなされない。

· 謙虚で争わなければ、存在感がないと見なされる。

· 心の内を全て話さなければ、隠し事があると非難される。

· 積極的に意見を述べれば、身の程知らずだと非難される。

· 話しても効果がなければ、間違いだと責められる。

· 話して成果を上げれば、当然のことだと見なされる。

· 得られる利益は主君を損ねることがあり、左側が得をすれば右側が損をすることがあり、前面では一致しても背後では矛盾することがある。これが、真実が常に歪められてしまう理由である。


この苦しみゆえに、孔子は「私はもう話すまい」と言った。これもまた、話すことの難しさのためである。何がそれが難しいことを証明しているのか?


かつて宋の国に、裕福な者がいた。雨で家の壁が崩れた。

息子が注意した、「早く修理しなければ、きっと泥棒が来るだろう」。

隣の老人も同じように注意した。

その夜、案の定、財産が盗まれた。

しかし、裕福な者は「自分の息子は賢い」と褒め、隣の老人を疑った。


鄭の国の武公は、胡の国を攻めようと考えた。

まず娘を胡の君主に嫁がせた。

それから群臣に問うた、「我、兵を用いんと欲す。いずれの国を伐つべきか?」

関其思が答えた、「胡を伐つべきです」。

武公は怒って関其思を殺した。

そして言った、「胡は兄弟の国である。お前はなぜ我に胡を伐てと言うのか?」

胡の君主はこれを聞いて、鄭が自分を親しく思っていると信じ込み、防備を怠った。

鄭は奇襲をかけ、ついに胡を滅ぼした。


この二つの警告は、どちらも正しかった。

しかし、一人は殺され、もう一人は疑われた。

これは、「知恵があること自体が難しい」という意味ではない。

「知恵の使い方を誤ると、かえって難しいことになる」という意味だ。


衛の国で婚礼があった。

花嫁が輿に乗ると、すぐに御者に尋ねた、「この馬は誰の馬ですか?」

御者が答えた、「借りてきた馬です」。

花嫁はすぐに従者に命じた、「馬を大切に扱い、酷使してはいけません」。

輿が門に着くと、彼女は灯籠掛けを指さして言った、「ここを片付けなさい。火事になりますよ」。

奥の間に入ると、臼が通路に置いてあるのを見て言った、「これを窓の下に移しなさい。通行の邪魔です」。

この三つの忠告は、どれも貴重なものだったが、客人たちは皆、彼女を嘲笑った。

これは、言葉が間違っていたからではない。

「時と場所が適切でなかった」からだ。

これこそが、「意見を述べることの難しさ」の核心である。


意見を述べる側の賢者は、この難しさを認識しているからこそ、

「言葉という釣り針」を用いて、

聞き手の「心情」を釣り上げるのである。

なぜそう言えるのか?


かつて、斉の王が后を亡くした。

新しい后を立てたいと思ったが、決めかねていた。

そこで群臣に意見を求めた。

薛公(田嬰)は王の心中を探ろうと、

十組の耳飾りを献上したが、そのうちの一組だけが特に美しかった。

翌日、彼は王に尋ねた、「あの見事な耳飾りの組は、どこへ?」。

そして、それが王が特に寵愛する側室に与えられたと知ると、

すぐに王に進言した、「あの方こそ后にふさわしい」と。

王は大いに喜び、

薛公を深く寵愛するようになった。

これが、「物で心を釣る」術である。


申不害が韓の国に仕えた時、

まだ王の心を掴みかねていた。

言葉が王の意に沿わないのを恐れた。

ある日、王が彼に尋ねた、「我々はどちらの国に従うべきだろうか?」

申不害は巧みに答えた、

「これは国家の安危に関わる重大な問題です。

十分に熟考する時間を賜りたい」。

退出後、彼は密かに趙卓と韓晁という、王に重用されている辯士を呼び寄せ、

巧みに言った、

「お二人は当代きっての辯士です。

臣として必ずしも全ての意見を王と一致させる必要はありません。

忠誠を尽くせばそれで良いのです」。

二人がそれぞれ別々に王に意見を述べるのを、

申不害は密かに王の表情を窺い、

機嫌の良い意見を選んで、それを王に進言した。

王は大いに喜んだ。

これが、「言葉で心を釣る」術である。


呉が越を攻めた時、

勾践は会稽山に敗走した。

嘆息して言った、「我が命もここまでか?」

文種(忠臣)は進言した、

「湯王は夏台に幽閉され、文王は羑里に囚われ、

晋の重耳は狄に逃れ、斉の小白は莒に奔ったが、

後に皆、天下の霸主となりました。

この苦難も、またとない好機に変えられましょう」。

勾践が危機を脱し、

呉への復讐を固く誓った時、

文種はまた進言した、

「臣は呉王が驕り始めているのを見ました。

試しに食料を貸して欲しいと申し出て、その心を測りましょう」。

越が食料を借りると、

呉子胥(忠臣)は諫めたが、

呉王は聞き入れず、食料を貸した。

呉子胥は言った、「三年と経たずに、呉は廃墟となるだろう!」

太宰嚭(佞臣)はこの機に乗じて讒言した、

「伍子胥は忠臣のふりをしていますが、内心は残忍です!」

呉王はついに伍子胥を殺した。

これが、「事で心を釣る」術である。


淳于髡(盲目の賢者)が梁の恵王に謁見した時、

王は左右を下がらせて、二人きりで二度も面会した。

しかし、淳于髡は一言も発しなかった。

恵王は怒り、彼を連れて来た者を叱った。

その者が淳于髡に尋ねると、

彼は深遠に答えた、

「初めてお目にかかった時、王様は狩猟に心を奪われていました。

二度目にお目にかかった時、王様は音楽に思いを馳せておられました。

ですから、私は何も申し上げるべき時ではないと判断しました」。

その者が全てを王に伝えると、

恵王は驚嘆して言った、

「淳于髡先生はまことに聖人である!

昨日、名馬が献上されたが、まだ試す間もなく先生が来られた。

今日、名高い楽人が来たが、まだ聴く間もなく先生がまた来られた。

確かに私は左右を下がらせたが、心はあのことに囚われていた」。

これが、「志で心を釣る」術である。


智伯が韓・魏と共に趙を攻めた時、

韓・魏は趙の張孟談の計略に従い、

密かに智伯を裏切る計画を立てた。

張孟談が偽って智伯に会いに行くと、

たまたま軍門で智果(予言者)に出会った。

智果はすぐに智伯に進言した、

「韓・魏は必ずや反逆します!

張孟談の歩く姿が意気揚々とし、傲慢な様子でした。

また、韓・魏の君主の顔色が変わり、異変の兆しです!」。

しかし、智伯は聞き入れなかった。

智果はすぐに姓を変えて逃げた。

一方、張孟談は趙の襄子に報告した、

「臣は軍門で智果に出会いました。

彼は臣を怪しむ目で見ました。

そして智伯に会った後、姓を変えました。

もし今夜中に攻めなければ、

機を逸します!」。

襄子は一言、「よし!」と答え、

韓・魏と共に手を組み、

「堤防を切り崩し、智伯の軍を水攻めにした」。

これが、「視線で心を釣る」術である。


殷浩(殷渊源)は晋の高官で、

その名声は天下に轟いていた。

当時の人々は、彼の出処進退を見て、

東晋の行く末を占ったという。

これが、「賢者の動静で天下の行方を釣る」術である。


(『呂氏春秋』の注釈には、

「国が滅びんとする時、徳ある賢者は先に去る」とある。)


『銭経』(古書)にはこうある、

「喜ぶ者は色が輝き、怒る者は色が険しく強情で、

欲する者は色が熱っぽく潤み、恐れる者は色が萎れ縮み、

憂える者は色が沈み静まる」。

これが、「顔色で心を釣る」術である。


(『易経』はこれを補う、

「謀反を企む者は言葉がたどたどしく、

心に疑いある者は言葉が曲がりくねり、

吉祥の者は言葉少なく確かで、

怒りに駆られる者は言葉が多すぎ、

人を陥れようとする者は言葉が空ろで、

道理を失った者は言葉が屈服する」と。)


(『周礼』には五聴の法がある、


1. 辞聴:真実でなければ言葉は乱れる。

2. 色聴:真実でなければ顔色は赤らむ。

3. 気聴:真実でなければ呼吸は乱れる。

4. 耳聴:偽りを言われれば、聞き手は混乱する。

5. 目聴:真心がなければ、目は曇る。)

これらを総合すると、

「人の心は、必ず何らかの物事に現れる」という真理に行き着く。

(例えば、昔、晋の献公が美色を好んだため、

驪姫は色仕掛けで王を操った。

呉王夫差が領土拡大を欲したため、

太宰嚭は侵略をそそのかした。

桓公が美味を好んだため、

易牙は自らの子を蒸して献上した。)

これらの計略は、

「目に見えず、跡形もない。実に恐ろしい!」

だからこそ肝に銘じねばならない。

「君主の好悪の情は、外に漏らしてはならない。

もし漏らせば、

臣下はその欲に乗じて、

君主を操るだろう」と。

諺は結論する、

「君主が心を露わにすれば、

それは臣下に釣り針を垂れるようなものだ」。

この哲理を悟る者こそ、

「主君に諫言して成功させることができる」のである。

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