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アルカロイド

 その遅効性の毒は音もなく忍び寄り、気付けば全身を蝕んでいるのだ


 都内某所に存在する、各務(かがみ)病理学研究所にその手紙が舞い込んできたのは、師走も中旬に差し掛かった日のことだった。

「先生。この手紙、消印もないし怪しすぎなんですけどぉ」

 事務を兼務する所員、塚原(つかはら)はそう言って黒い封筒をおずおずと机の上に置く。この病理学研究所では、誤診された可能性のある患者の生検査や病理解剖の際の医師の派遣をしている。故に今まで患者や遺族から感謝されることはあれど、直接的な憎しみや悪意を向けられることはないに等しかった。

 それ故の反応だろうか。彼の若さとも言える純粋さに笑みを溢すと、机の引き出しからマスクとゴーグルを取り出す。それを装着すると、塚原は心得たように棚からゴム製の手袋とトレイを出してきた。トレイの上に封筒を乗せ、そこで開封すると中からは四つ折りの白い便箋が出てくる。


『親愛なる帝都大学のブラックジャック殿

 貴方様が大学を去ってから、実に8年が経ちました。聡明な貴方様は、あの事件により大学を去った後も病理学の分野で目覚ましい成果を上げていると聞き及んでおります。今回は、そんな貴方様に折り入って頼みたいことがあり、筆を取りました。

 もう既にご承知のことかも知れませんが、来る12月31日から1月2日の3日間、横浜港発のクルーズ船上で手外科学会が開催されます。貴方様の出席はこちらで手配いたしますので、仔細はそこで聞いていただければと思います。それではよろしくお願いします。                   敬具』


「へぇ、先生は帝都大学にいたんですね」

「まぁ」

 適当に言葉を濁すと、塚原はちらりとこちらを見る。

「しかし、手外科ですか。しかもブラックジャック」

 言わんとしていることは分かったので、曖昧に肩を竦めておく。隣県の県立医大出身で、実家が都内だという彼は、自分が整形外科の準教授だったことも、それを辞め病理に転向したきっかけの事件も知らないらしく意外そうな目をこちらに向けてきた。それも仕方のないことかもしれないが。

「で、行くんですか?」

「あぁ。どうしようかな」

 年末年始はこの研究所も閉める予定だ。特段の用事もない。ただ、差出人の名もないその手紙に仄めかされた過去が頭を過る度に右腕が痛む。それだけだ。

「あ。俺は年末年始は実家に帰るので、ご同行はできませんので」

 しばらく考えを巡らせていれば、そんな塚原の声が耳を突く。それに片手を挙げ了解の意を示した後も、答えは出なかった。



「先生!年末年始、豪華客船クルーズで船旅って 本当ですか?」

 昼過ぎ、他院での病理解剖を終えた医師 水無月(みなづき)がやって来て叫ぶ。その話を耳に入れた塚原に内心毒づくが、彼は我関せずとばかりに食後の茶を啜っていた。

「どうして言ってくれないんですか?先生」

 その顔には『そんな美味しい話があるなら喜んで付いて行くのに』と書いてある。この水無月は母親の死をきっかけに病理医となったという元外科医だが、調子に乗りやすいのが玉に瑕だった。やれやれ、だ。

「そうは言ってもね。水無月君。君、お正月に家に帰りたくないだけでしょう」

「そ、そんなことは」

 しどろもどろに返事をされる上に、目は泳いでいる。病気になった母親に面会すらしなかった父親と折り合いが悪い、という情報は塚原から聞いていたので鎌をかけてみれば、案の定だった。

「そんな君の私情に付き合っていられません。よって私は一人で行きます」

「はぁい」

 そう結論を下すと、あからさまにがっかりした様子で水無月は項垂れる。彼女のそんな様子を呆れた目で見ながら、決定事項となってしまった船旅に、小さく溜め息を吐いた。


──────


 その船旅は、訳あって船に乗れないという教授の代理として参加したものだった。学会という名の船旅が始まってからはいくつかの講演に参加し、そこそこの満足感を得ることもできている。そんな鷲津(わしづ)が船内で迷ったと気付いたのは、午後2つ目の講演を聞き終え、トイレに立ち寄った帰りだった。

慌てて駆け込んだため、どの角から曲がって来たのか分からなくなってしまったのだ。

 見覚えのある角を3つ曲がり、つきあたった先の部屋が覚えのないものだったことに絶望する。この先に人がいたらその人に次の会場までの道を聞こうと、そんな他力本願な考えと共にドアノブに手をかける。部屋の奥から悲鳴が聞こえたのは、それとほぼ同時だった。



「どうしましたっ?!」

 慌てて室内に入ると、苦し気に顔を歪めている太った男、そして悲鳴の主たる青ざめた顔の少女がいた。そしてその横にはワイングラスと溢れたワインが床のカーペットを濡らしている。少女は鷲津の姿を目に入れると、震える声を唇から漏らした。

「わ、分かりません。ワインを飲んだらいきなり…」

「分かりました!人を呼んで来て下さい。それから、船内にあるはずのAEDを持ってきて!」

 そう声をかけるが、少女は足が竦んでいるのか震えるばかりで動かない。彼女に構う余裕などないので、鷲津はそのまま倒れている男の心肺蘇生法を開始した。


 あれから少女は震えているだけだったが、最初に彼女が上げた悲鳴を聞いたスタッフがやって来たので彼にAED を頼み、事態は事なき事を得た。

 応急措置を終えた男は医務室で様子を見ているらしいが、意識はまだ残ってはいないという。やれやれ、と壁に背を凭れて鷲津は煙草を口に咥え火を着けた。

「やぁ。お手柄だったね」

 一服していると、どこからともなくそんな声が聞こえる。顔を挙げると、そこではかつて師と仰いだ相手が楽しそうな顔で手を叩いていた。

「各務先生。どうして」

 他に相応しい言葉があるのは知っているし浮かんでもくるが、疑問が再会の言葉を凌駕する。かつての恩師は門戸をくぐった際と同じように隙のない笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「どうしても何も、こんな招待状が届いてしまったらね」

 彼はそう言いながら、黒い封筒を掲げて見せる。あからさまに怪しげなソレに、鷲津も眉をひそめた。各務はそんな鷲津の様子をものともせず、隣に並ぶと封筒を渡す。思わず手にしてしまった封筒の中を確認していると、隣から煙草の火を着ける音がした。

「よく、こんな招待状一つでこんな魑魅魍魎の巣に来ようと思いましたね」

 差出人のない怪しげな招待状。かつての恩師が大学を去ることになった事件については鷲津も仔細は知らないが、この人のよい師は同期夫妻の忘れ形見である少女を助けるため片腕を犠牲にし、大学を去ったという。酷かったのはその去り方だ。同期夫妻と共同でしていたという研究のデータが、事務にいた内通者によって他大学の教授に奪われたのだ。気付けば全てが後の祭りだったその事件で、準教授だった恩師は全ての責任を被り大学を去って行った。そんな過去などものともせず、各務は隣で煙を吐き出す。

「もう、過ぎたことだよ。今更恨んだところで、戻って来るものは何もないことだし」

 その言葉から推し量れる真偽はない。その無味乾燥な声色からは、興味の欠片すら伝わって来なかった。だとしたら、彼は何故ここにいるのか。そんな疑いと共に彼を見ると、各務はようやく鷲津の記憶の中にある穏やかな笑みをこちらへ向ける。

「ここには、自分のしたことの顛末を見届けに来たんだ」

「というと?」

 彼の言葉の意図がどうにも分からない。もしや、自分が助けた男は恩師と確執のある相手なのだろうか。呑気に煙草を吸っている気分になれず携帯灰皿でその火を消すと、彼もそれに倣った。

「君が心肺蘇生させた相手が養女として迎えた少女。彼女は8年前に亡くなった私の同期の忘れ形見だ」

「え。あの時悲鳴を上げていたあの子ですか」

 どうにも曰くありげな話だ。しかも、ただの養女をこんな場所に連れて来るはずはない。

「なんだか、キナ臭いんですけど」

「まぁ、それ以上は君の知る必要のない話だけどね」

 そう話を締めくくると、各務は灰皿を懐にしまう。鷲津もそれに倣い、慌てて医務室の扉に手を伸ばす彼の背に続いた。

「失礼」

「失礼します。先程は大丈夫でしたか?っと」

 扉を開けて室内に入る。

「ちょっ、先…」

 突然立ち止まった各務にぶつかり鼻をぶつけた鷲津は文句を言おうとしたが、開いた窓と吹き込んで来る潮風に言葉を奪われた。

「えっ?被害者とあの少女は…」

 まさか、海の底に?嫌な予感と共に部屋の中に入ろうとすると、各務の手がそれを制す。

「落ち着きなさい。中に誰もいないのは、却って不自然だ」

 その言葉に従い、首を伸ばして室内を伺うとどこからか水音が聞こえた。


────────



 彼に再会したのは、正直誤算もいいところだった。あれから8年も経っているというのに、彼はまるで昨日まで会っていたかのように気さくに声をかけて来る。

 止めてほしい。せっかくの決心が鈍るから。彼とにこやかに談笑しながら、ポケットの中にある刃を縋るように握りしめることしかできなかった。



─────────


 水音を辿り甲板へ向かうと、そこには人だかりができていた。人のざわめきと、半狂乱になり暴れている少女が目に映る。

「先生、あれ」

 隣にいる各務に思わず声をかけるも、返事は返ってこない。ちらりと横目で彼を伺うとそれ以上声をかけることを躊躇うような、そんな厳しい表情を浮かべていた。

「止めて!来ないでっ!誰も触らないで!」

 そう言って暴れ回る彼女の手で鈍く光るもの。あれはナイフではない。手術用のメスだ。そして、彼女の横で腰を抜かしている男。彼が船医だろうか。誰もが微動だにし動けない。その状況を破ったのは、隣にいる各務だった。

彌生(やよい)ちゃん」

 その声に、一瞬彼女の動きが止まる。その隙を見て飛び出そうとした瞬間、各務の腕がそれを阻んだ。目の前に伸ばされたそれは義手で簡単に振り切れるはずなのに、躊躇いが鷲津を支配する。そんな鷲津に目もくれず、各務は彼女の元へ駆け出した。

「おじさま、私…」

 呆然とした彼女の手から解放された、メスが床に落ちる音が響く。各務は何も言わぬまま、彼女の肩に自分の上着を掛けた。


 あの後、少女は縋るようにして大泣きした後、緊張の糸が切れたかのように眠ってしまった。各務は少女を、鷲津は腰の抜けた船医を連れて、とりあえずは医務室に戻る。

「すみません。こんな状態でお茶も出せず」

 椅子に座ったままの船医は申し訳なさそうに言うが、誰もそんなことは気にしないだろう。各務も気にした様子などなく、笑って彼を見ている。

「いいえ。大丈夫ですよ。それより兵衛(ひょうえ)さん、頼みたいこととは何ですか?」

 そう言って各務は黒い封筒を掲げて見せる。兵衛と呼ばれた船医は、こちらが見て分かる程真っ青な顔になった。

「いつから…」

 辛うじて音になって聞こえた言葉はそれだけだ。各務は楽しそうに目を細める。

「船に乗る前からですね。あいにく、うちの研究所には人の身辺を探るにはもってこいのツテを持っている人物がいるので。貴方が、私の研究データを盗んで三笠(みかさ)に渡した人物と婚姻歴があることを考えれば、辿り着くのは容易でした」

 語られた内容にドキリとする。三笠とは先程心肺蘇生をした相手であり、研究データを盗んで大学を去ったと噂される事務の女性は鷲津も顔見知り程度の間柄ではあったからだ。

「貴方の腰が抜けたのは、100キロ以上はあった三笠を運んで、海に落としたからですか?」

 彼は、項垂れたまま頷く。なら、あの少女があそこまで錯乱したのは何故だろう。あのワイングラスには毒が入れられていたということだろうか。

「あの男が悪いんだ」

 その疑念を払うように、兵衛は口を開く。

「俺の忙しさが原因で別れた後、(みなみ)は当然のように娘を引き取って行った。養育費だって払っていたさ。何不自由ない生活のはずだったのに、南は娘を附属中学校に裏口入学させてやる、という三笠の甘言にひっかかって研究データを盗んだ」

 それが、8年前の事件の真相か。あの後その母娘がどうなったのかは知らないが、データを盗まれた本人の前で自己憐憫に浸らない辺り、最低限の礼は弁えているらしい。

「そうですか。どんな事情があるにせよ、盗まれたデータの持ち主である私は何の同情もできませんけどね」

 尤もな答えだ。

「ワイングラスに毒を入れたのも?」

「そんなことはしていない!本当だ」

 慌てて彼は首をふる。事実、彼ではないだろう。蘇生したこちらから言わせてもらえば、あれはただの心筋梗塞の発作だ。口元からは何か毒物を含んだ様子も、ワインの香すらしなかった。つまり、彼はワインに口を着ける前に発作を起こしたのだと言える。が、各務に納得した様子はない。

「そうですか。本業の関係で携帯していた薬で調べたところアルカロイド系の薬物が検出されたのですが。貴方ではないとすると、犯人は一人しかいませんね」

 突然の告白に、その場の人間全員が医務室のベッドで眠っている少女を見た。各務は顔色一つ変えず、話を続ける。

「先程、気を失った彼女に鎮静剤を打つ際、彼女の腕に注射痕があるのを見つけました。彼女は過去、全身性エリテマトーデスの罹患歴がありますが、今は完治している筈です。こんなに真新しい痕が多数あるのはおかしい」

「そうだ。この子はさっき医務室で、鎮静剤を打とうとしたらパニックを起こしたんだ」

 記憶を反芻させるように、兵衛は呟く。一体どういうことなのか。静かに眠る少女は、何も答えてくれない。

「おそらく、三笠に血を抜かれていたのでしょうね」

 寝息を立てる少女の代わりに各務がそう結論を下す。

「全身性エリテマトーデスという難病を患った少女に、私の同期でもあった彼女の両親は免疫療法を続けていました。そのおかげで、彼女の血中にある免疫細胞の数値は通常よりも高い」

 心筋梗塞の予防や治療には、免疫も大きく作用する。確か、盗まれた各務の研究データも、免疫に関するものだった筈だ。全ての出来事が点で繋がり、弾き出された結論に鷲津は戦慄する。

「まさか、彼女の両親が亡くなったのは」

「あの悪魔が!」

 兵衛も同じ結論に至ったのか、苦々し気に吐き捨てた。各務は感情を削ぎ落としたかのような顔で彼女を見ていた。


─────────


 金曜日、週末の夜。夕食が終わると、私はいつも血を抜かれる。私は昔難病と呼ばれる病気にかかっていたらしいけど、それは完治している。『念のため』そう言って毎週行われる採血は、私にとって義務のようなものだ。

 だけど、私はある日聞いてしまったのだ。養父と思っていた男が、私の両親を殺す依頼をしていたこと。私の血を使って、薬を作っていること。そしてそれが完成したら、私は両親を殺した相手に嫁がなければいけないことを。

 だから私はワインに毒を入れた。あの男が口を着ける前に発作を起こしたのは誤算だけれど、これで私はあの男に囚われずに済む。

 注射器を見た瞬間、血を抜かれるのを恐怖して、暴れたのも結婚を破談にするためのいい口実になるだろう。

 最後に私の名前を呼んだ人は、両親の友人で両親と一緒に殺されそうになった私を助けてくれた人。血だらけの腕で、それでも雪の中私を抱えて逃げてくれた人。

 もう大丈夫かな 

 そんな安堵にも似た感情と共に、私は意識を手放した。

















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