聖なる夜のサプライズ
「父さん、あのねあのね!」
帰ってくるなり、幼い息子が興奮した様子で玄関まで走ってお出迎えに来た。
「ただいま。どうしたんだ?」
「あのねあのね、ボク、今日サンタさん見たよ!」
「へえ」
その言葉に内心ギクリとする。今日はクリスマスイブ。息子のために用意したプレゼントが見つかったのだろうか? けれど息子はそんな私の杞憂にお構いなく、話したくてしょうがないと言うふうに目を輝かせている。リビングに向かう間もまとわり付く様にして追いかけてくると、ソファに座るように手で合図する。私が座ると傍にちょこんと座って私を上目遣いで見ながら話し出した。うーん。我が子ながらなんとも可愛い。ハグしてやろうか。おっとそうだ。息子の話をちゃんと聞かなきゃな。
「それで、なんだって?」
「あのね、今日ね、お母さんとキラキラ見に行ったの」
キラキラ? ああ、駅前のクリスマスイルミネーションか。
「そしたらね。みーんなみーんな、お遊戯さんしてたの」
うん? お遊戯?
「すっごーく、みんな楽しそうだったの」
なんかイベントでもあったのかな?
「そしたらね、ババーンてなって、カランカランてなって、ワーてなって…」
? なんだかよくわからんが息子が喜んでるから、まあいいか。
「あのね、それでね、お雪が降ってきて、ボク、サンタさん見たんだよ!」
「へえ、そうか。よかったな、サンタさんに会えて」
多分、そう言うイベントか、もしかしたらケーキ屋の販促だったりしたのかもしれないな。
「違うよ。会ったんじゃないよ」
うん?
「だって、サンタさん、お空、いたから」
ーーーえ?
◯
本条アキラは張り切っていた。久々のちゃんとした仕事だったからだ。
彼は小さなイベント会社の社長である。元々はとある芸能事務所でバックダンサー的な仕事をしていたが、一念発起しイベント会社を立ち上げた。ダンサー時代の伝手を生かして歌謡ショーやダンスショーなどのイベントを行い、それなりの興行成績を上げて、さあ、これからと言うときに例のパンデミックが起こった。たちまちイベントの需要は減り業績は悪化。抱えていたダンサーや芸人の契約も切るしかなく、会社は開店休業状態。いつ潰れてもおかしくない苦境に陥った。なんとかしようと見よう見まねでYouTubeやTikTokにダンス動画を配信してみたが、知名度がない悲しさで閲覧数はなかなか伸びず、それでも昔馴染みのファンに助けられてどうにか細々と収益を上げてパンデミックを乗り越えてきた。ようやく終息が見えてきた先日、SNSにあるイベント依頼のDMが届いたのだ。早速、メールでやり取りすることになったその依頼の内容は…
もうすぐ時間は午後6時になろうとしていた。クリスマスイブのこの時間、とっくに日は暮れているのだが、駅前から伸びるプロムナードはクリスマスのイルミネーションで煌びやかに輝いていた。その先、中央広場には大きなクリスマスツリーが据えられ、いっそう華やかな光を放っている。広場には結構多くの人がいてスマホ片手にツリーの写真を撮ったり、何人かではしゃいだりしていた。
アキラは広場の入り口でそんな人々を見渡しながら少し焦っていた。依頼主を探すのに手間取っていたのだ。SNSで受けた依頼はいわゆる告白イベントだった。よく外国のミュージカル映画やYouTube動画で見る、街ゆく人が突然踊り出し、それに合わせて男性が女性に告白するという感じのイベントだ。けれど依頼主の男性とは事前に一度も顔合わせはできなかった。なんでも海外にいてクリスマスイブの日に帰国、そのまま彼女に告白したいという。仕方が無いので、とりあえずイベントの詳細はメールでやり取りし顔写真も送ってもらったのだが、流石に夜の広場、人も多く依頼主をなかなか見つけられなかった。当日の目印は白のマフラーだったが暗がりでは色もなかなか見分けにくい。約束の時間である午後6時が近づいてくる。もうあまり時間がない。アキラは連絡を取ろうとスマホを取り出した。その時、目の端にちらっと白いマフラーの男性が映った。傍に清楚なオフホワイトのコート姿の女性を連れている。ああ、良かった。この男性だ。送ってもらった写真の風貌と一致しているのを確認し、アキラはほっと息をついた。時計を確認する。時間だ! さあ、始めよう。イベントの時間だ!
スマホで再生した音楽が広場に密かに設置したBluetoothスピーカーから流れ出す。それが合図だ。広場にいた人々は突然流れ出した音楽にキョロキョロと周りを気にしだす。そこでアキラは両腕を空に突き出し大きくステップを踏んだ。一気に周りの注目を自分に向ける。近くにいた人が驚いて場を開ける。そこに広場のあちこちから、同じように音楽に乗って踊りながら人が集まってくる。もちろん今回のイベントのために雇ったダンサーたちだ。広場のみんなの注目が集まる。スマホを向けて写真や動画を撮っている人もいる。いいぞ。この調子だ。注目が集まればそれだけ告白の成功の可能性も上がる。
アキラは踊りながら依頼主の男性に近づいていく。人垣が割れてカップルの前におあつらえ向きの舞台空間が用意される。計画では依頼主の男性もこの踊りに加わることになっていた。そのためのレクチャー動画も送ったので練習してきているはずだ。アキラは男性に合図した。さあ、ここですよ。けれど、なぜか男性は反応しない。いきなり人前で踊る事に恥ずかしがっているんだろうか? 男性に視線を送ると、ひどく戸惑った表情をしているのが分かった。一方、女性の方は何が始まったんだろうと興味津々な笑顔を見せている。さあ、早く、あなたも一緒に! アキラは男性の腕を取り、強引に引っ張って参加させようとした。その瞬間、胸ポケットに押し込んでいたスマホが宙を飛んでいた。
あっ。耳障りな音を立ててスマホの明かりが消える。同時に音楽も消え失せてしまった。まずい! アキラは慌ててスマホを拾い上げる。反応なし。周りのダンサーも途中で踊るのをやめてしまう。男性と目を合わせる。男性はやっぱり困惑した視線を向けてくる。このトラブルに戸惑っているのだろう。どうする? このままじゃ依頼を完遂できない。音楽抜きでダンスパフォーマンスだけでなんとか乗り切るか? 乗り切れるだろうか? 考えている間に、音楽が切れたことでイベントが終わったのだと思った周りの人々の関心が急速に薄れていく。人々がバラけだす。だめだ。これじゃ、告白イベントなんかうまくいくわけない。じゃあ、どうすればーーー
その時、大音量のサウンドが広場に響き渡った。
え? 広場にいた誰もが音の方向を振り向く。そこにストリートミュージシャンだろうか、エレキギター担いだ一人の青年が立っていた。彼がギターを爪弾きだす。この曲! アンプで拡張され広場に響くフレーズはさっきまでアキラたちが流していた曲を正確にトレースしていた。耳コピだと!? …だが、ありがたい。アキラはちらっとミュージシャンの青年に頭を下げると再びダンスを再開した。
依頼主の男性は今度は戸惑いながらも音楽に合わせて体を動かしてくれた。そうそう、それでいいですよ。女性が男性のその姿を見て楽しげに笑っている。よし、いい感じだ。周りの注目も再び集まってくる。さあ、クライマックスですよ。依頼主の男性の背を押して女性の前に押し出す。周りのダンサーたちも男性を囲むようにしゃがみ込むと男性に向かって腕を掲げる。ミュージシャンの奏でる音楽が高鳴りの頂点で一気に静寂する。広場の皆が固唾を飲んで見守る。皆、何が始まるのか薄々気づいているのだ。アキラは男性に小声で声援を送る。さあ、頑張って。告白の時ですよ。
そして男性はーーー
◯
「ねえ、見て見て、巧。すっごくきれい!」
駅前のプロムナードを彩るクリスマスイルミネーションを見ながらまゆりがはしゃいだ声をあげた。僕はそっとため息を漏らす。胸につかえたものを無理やり吐き出すように。清楚な白いコート姿のまゆりは大きな伊達メガネと口元まで覆うように巻かれたピンクのマフラーで顔を隠していた。もちろん周りの人から彼女が雛形まゆりであることを隠すためだ。
雛形まゆりは今人気上昇中の若手女優だ。いくつものドラマでキャスティングされてその確かな演技が話題になり、近頃はテレビCMにも起用されて一般に広く存在が知れ渡ってきていた。そんな彼女は僕の高校時代の部活仲間で……元カノ? だったりするのだけど。
「ねえねえ、早く早く」
彼女がプロムナードの先にある大きなクリスマスツリーを指差して、今にも駆け出しそうな仕草で僕を急かす。僕はそのツリーを眺めながら、そういえば、もう10年経つんだなとぼんやりと思った。
僕とまゆりは高校の写真部に所属していた。ほとんど潰れかけみたいな弱小部で僕らの代は僕と彼女しか部員がいなかった。僕はカメラ好きな父親の影響で中学の頃から写真が趣味だった。一方まゆりは初心者だったけれどSNSで映える写真を取りたいといういかにも陽キャな女子高生らしい動機で写真部にやってきた。写真オタクな陰キャとしては最初どう接していいのか分からず戦々恐々としていたのだけど。
「ねえ、早良…巧くん? わたしに写真の撮り方、教えてよ」
「え?」
僕はその申し出を断ることもできず、彼女に恐る恐る写真の撮り方を伝授することになった。
「わー、この写真すごいね! 巧くんって何者?」
驚いたことに僕らはすぐに仲良くなっていった。まゆりに写真を褒められると心地よかったし、彼女の写真の腕前が僕のアドバイスで目に見えて上達していくのも嬉しかった。何よりどんどん近づいていく彼女との距離に胸がドキドキと高鳴った。夏に二人で行った撮影スポット巡りを経て、秋の文化祭に展示する写真集を二人で力を合わせて完成させた頃には僕は完全に彼女を好きになっていた。二学期終業式の後、クリスマスイルミネーションを撮影しようと言う建前で彼女と出かけたのがこの駅前広場だった。ちょうど10年前のあの日、あの夜。僕はこのクリスマスツリーを背景に彼女の写真を撮りながら、彼女に告白した。
「君のことが好きだ。僕と付き合ってください」
まゆりは大きく目を見開いて、それから、フニャッと微笑むと。
「わたしも! 巧くんが好き」
僕らは晴れて彼氏彼女になった。
けれど、その関係は長くは続かなかった。別に喧嘩別れしたわけじゃない。別れたのかどうかも微妙なのだけど…。彼女が芸能人になってしまったからだ。
よく芸能人がデビュー話として街を歩いていてスカウトされましたとか話すけれど、まゆりの場合は彼女がSNSにあげていた自撮り写真を見た芸能事務所からDMが来たのだ。そんなこと本当にあるんだとその時の僕は思った。まゆりは、そう言う世界に興味はあったらしく、まずは読者モデルの仕事からやってみませんか? と言う話を受け、芸能活動を始めることになった。それと並行して放課後レッスンに通うようになり写真部の活動は続けられなくなった。それでも僕らはスマホで恋人っぽい会話をし、会える日にはデートらしきものをした。けれど高校卒業を待たず、まゆりは上京し僕らは会うこともできなくなった。次第に二人の間の連絡は遠ざかり、やがて僕の受験の忙しさにお互い連絡を取り合うこともなくなり、二人の関係は自然消滅したかに思えた。
けれど大学に合格してしばらくした頃、数ヶ月ぶりにLINEに連絡があった。久しぶり。元気? どうしてる? 僕らは取り留めないやり取りを交わした。まるで普通の友人のように。そして…それだけだった。それからも数ヶ月おきに、ひょっこりとまゆりから連絡が来た。そうしてお互いの近況だったり愚痴だったりを伝え合う。でも僕はそれ以上のこと、例えば、会いたいとか、好きだとか、そんな恋人らしいことを言い出すことができなかった。なぜなら、彼女はどんどん活躍の場を広げていってテレビで見ることも多くなり、画面の中の彼女の笑顔に、それが、もはや僕の手の届くところにはないと言う事実を思い知らされたのだ。それなのに時々繋がるLINEのやり取りが僕の未練を押し留めた。こんなことしてちゃダメだ。もう僕らは恋人でもなんでもないんだ。早く彼女のことを忘れてしまうんだ。
ーーーなのに。
今日、不意に彼女から来た「会いたい」と言う連絡に心がかき乱される。その申し出を僕は、どうしても断れなかった。
「ねえ、巧くん、覚えてる?」
まゆりが首を傾げながら僕を見つめる。
「このクリスマスツリー」
「えっと…なんだろう?」
僕は答えることができなかった。
「そうかあ」
彼女が少し残念そうに俯く。それから持っていたブランドロゴの入った紙バックをごぞごそと探ると
「うわっぷ」
急に顔に何かを被せられた。
「な、なに?」
慌てて顔を出すと
「はい。プレゼント」
「あっ」
僕の首に白いマフラーが巻かれていた。
「お揃いだよ」
まゆりは自分のマフラーを指差す。色違いの同じデザインなのだろう。
「ああぁ、ごめん。僕、なにも用意してないや」
「いいの。急に呼び出したのは私だから」
それから視線を彷徨わせると小さな声で
「それに、後でもらえるかも知れないから」
「え? なに?」
よく聞こえなかったので聞き返そうとした時、急に広場に音楽が流れ出した。明るい曲調の、でもあまりクリスマスとは関係なさそうな曲だ。ざわざわと人の騒ぐ声が聞こえた。振り返ってみてびっくりした。なんだか知らないけれど踊っている人がいる。10人ぐらいいるだろうか? 人の間をすり抜け踊りながらどんどん集まってくる。驚いたことに僕らの真正面にダンサーたちが勢揃いした。え? なんだ? 彼らは音楽に合わせて軽快にダンスを踊っている。これ、なんのイベントだ? まゆりを振り返ると彼女は楽しそうに眺めていた。
その時、一番手前にいたダンサーが僕を手招きする。え? 僕に踊れってか? まゆりならともかく僕にそんなことできるわけないだろう? まゆりも苦笑しているようだった。けれどその男が僕の腕を掴んだ。引っ張られる。嘘だろ?! その時、急に音楽が消えた。
ダンサーたちがバラバラと踊るのをやめる。まあ、そうだよな。なんのイベントか知らないけど、悪ふざけもここまでだ。けれど次の瞬間、
高らかにギターの音が響き渡った。
そして再び曲が始まった。困惑する僕にまゆりが小声で言う。
「ねえ、巧くんも踊ってよ」
その表情がなぜか不安そうで、僕は彼女を悲しませたくないと思った。周りのダンサー達には及ぶべくもないけれど、ぎこちなく体を動かす。まゆりが真剣な表情を僕を見つめている。そして音楽の高鳴りと共に僕は悟る。これは、このイベントは…。
クライマックスでいきなり静寂が訪れて耳元で男が告げる。さあ頑張って。告白の時ですよ。まゆりを見た。痛いほど緊張した表情で僕を見つめている。僕は…この10年のいろんな想いが走馬灯のように脳裏に去来し、どうしても忘れられない、捨てられない想いが、口をついて出た。
「ずっと…ずっと変わらず…今でも…好きなんだ。まゆり」
そして、まゆりは…
「今更、それだけなの?」
ーーーえ?
◯
芸能界はシビアな世界だ。毎年、毎月、毎日、芸能界に憧れる新人がデビューして人気者になろうとしのぎを削っている。成功するにはもちろん実力が必要だけど、それだけでは不十分で、運も必要、と言うか、運も実力のうちだと言われるそんな世界だ。わたしはなんとか運に恵まれたようで、最近はいろんな現場に呼ばれることが多くなってきた。この世界に入ってもうすぐ10年。辛いことも苦しんだことも泣いたこともあったけど、ようやく少しは自信がついてきた。だからこそ、ずっと気になっていることがある。早良巧。巧くんのことだ。
高校で出会った彼。写真部の同期で仲間で、わたしの無茶な頼みを聞いて親切にカメラのことを教えてくれた。褒めるとはにかんだように笑う笑顔がかわいくて、でもカメラを構えた真剣な眼差しが格好良くて、そして、はじめてわたしに面と向かって好きだと伝えてくれた男の子。わたしの彼氏…のはずなのに。わたしがこの世界に飛び込んでからは、どんどん遠くなってしまって、いつの間にか、別れたようになってしまった。もちろん、わたしの所為だ。わたしが自分の夢を追いかけたから。その所為で彼との時間をまったく取れなくなった。取る余裕すらなかった。だから悪いのはわたし。それでも…わたしは彼のことを忘れた事なんて無かった。
数ヶ月経って漸く生活に余裕が出来た頃、久しぶりに彼に連絡を取った。ずっと連絡できなかったことを怒られるかもしれないと言う怖さと久しぶりに彼と会話できる嬉しさで心高鳴っていたわたしは、けれど、思いがけずありきたりなやり取りしかできなかったことに落胆した。まるで他人行儀な、ただただ昔の知り合いとの会話のようなそんなやり取り。ああ、この人はもうわたしのことなんか好きじゃないのかな? と悲しくなった。もう連絡するのも迷惑なんだろうか? もしかしたら新しい彼女がいるのかも? そう思い当たると膝から崩れそうになった。それでも、やっぱり忘れることなんか出来なかった。心が弱っている時、どうしても彼の声が聞きたい時、ぽつりぽつりと彼と連絡を取った。そうやってどうにかわたしはこの世界で戦って来れたのだ。それでもずっと気になっていた。わたしとのやりとりは彼にとって迷惑だろうか? いつまでもこんな関係を続けているのはダメだろうか? もうわたしはひとりでも戦っていけるだろうか?
だから、かれに告白されてからちょうど十年目の今年、わたしは一つの決断をした。もう一度だけ、彼の気持ちを知りたい。チャンスが欲しい。だから…
「ねえ、巧くん、覚えてる? このクリスマスツリー」
わたしは懐かしのクリスマスツリーを見上げる。このツリーの前で10年前のあの日、彼はわたしに好きだと言ってくれた。
「えっと…なんだろう?」
ああ、忘れちゃったのだろうか。途端に悲しみが湧き上がる。それでもわたしは持ってきていた彼へのプレゼントを取り出すと素早く彼の首に巻き付けた。勢い余って顔まで覆ってしまったけれど。
「な、なに?」
驚いたように顔を出した彼に
「はい、プレゼント」
精一杯の笑顔で告げる。
「お揃いだよ」
自分のと彼のマフラーを指さす。
「ああぁ、ごめん。僕、なにも用意してないや」
彼が慌てたように言った。
「いいの。急に呼び出したのは私だから」
それにそのマフラーは大切な目印だから。わたしはこの後のことを考えて胸が苦しくなる。
「それに、後でもらえるかも知れないから」
小さく呟いた瞬間。音楽が広場に流れ出した。
来た! と思った。
この日のためにわたしが用意したとっておきの、そして最後のサプライズ。彼の本音を聞くための、逃げずに真っ直ぐ応えてもらうための、告白イベント。前にお仕事関係で少しお世話になった企画会社がそんなイベントもやっていることを知って正体を隠して依頼したのだ。踊りながら集まってくるダンサーたちを見ながらドクドクと心臓が高鳴っていく。彼は突然のことに驚いた表情をしている。彼はこのイベントに乗ってくれるだろうか? それとも怒ってしまうだろうか? ずるいやり方だと言う事は分かっている。それでも、わたしは…彼の本音が聞きたかった。
その時、急に音楽が途切れた。熱気が急速に冷めていく。あ、だめ、もう少し。胸が締め付けられる。希望が萎んでいく。その時、
高らかなギターの音が響き渡った。
そして音楽が再会する。巧くんは困惑した表情でわたしを見つめている。
「ねえ、巧くんも踊ってよ」
言葉は思わず零れでていた。お願い、巧くん。踊って。聞かせて。あなたの気持ちを。高まり行く音楽の頂点で、静寂が訪れる。巧くんがぎこちなくわたしの前に歩み寄る。胸の高鳴りが痛いくらい。彼が口を開く。
「ずっと…ずっと変わらず…今でも…好きなんだ。まゆり」
ああぁ。良かった。破裂しそうだった不安が急速に萎んでいく。けれどそれとは逆に膨らんできた想いがあった。……それなら、なぜ、ずっとつれない態度だったの? なぜ、今までそう言ってくれなかったの?
「今更…それだけなの?」
思わず彼を非難する言葉が口から漏れる。彼が困惑の表情を浮かべた。あ、いけない。こんな事言っちゃダメ。それでも止まらなかった。
「なんでずっと言ってくれなかったの。ずっとずっと不安だったんだから。巧くんがもうわたしのことなんか嫌になったんじゃないかって、ずっと不安だったんだから。わたしたち彼氏彼女だったはずだよね? お別れなんかしてなかったよね? 遅すぎるよ巧くん。10年経ったんだよ。10年…待ったんだよ。わたし…」
彼が目を見開いている。こんな繰り言、言いたくなかった。それなのにどうしても止められなかった。見つめる巧くんの瞳がふっと微笑む。彼が片膝をついて手を差し出す。え? え?
「まゆり」
彼が優しくわたしの名を呼ぶ。
「僕と結婚してくれますか?」
カーと頭に血が昇るのを感じた。心臓の音がうるさい。わたしは怖ず怖ずと彼の手に自分の手を重ねる。出した声は少し震えていた。
「はい」
その瞬間。周りからものすごい歓声が沸き上がった。
え? え?
忘れていた。ここは広場のクリスマスツリーの前。公衆の面前。しかも告白イベントで広場中の人がわたしたちに注目していたのだ。けれどその時、どこからか高らかな鐘の音が響き渡った。リンゴン、リンゴーンとなるその鐘の音はまるで教会の祝福の鐘のようで、皆が辺りをキョロキョロと見渡す。
「あ、雪!」
誰かが夜空を見上げて声を上げた。人々が空を見上げる。もちろんわたしも。鳴り響く鐘の音の中、白い雪の結晶がひらひらと舞い降りてくる。わあー! なんて言うタイミングなんだろう。ステキ! けれどどこかから声が上がった。
「ねえ、あれ、雛形まゆりじゃない?」
「え? 誰?」
「ほら、女優の」
「うそ!」
あ、まずい! 見つかっちゃった。
「まゆり、こっち」
巧くんが繋いだままのわたしの手を引く。彼は人々からわたしを隠すように身体を寄せる。わたしたちは群衆から逃げるように走り出した。イルミネーションの明かりが届く範囲を抜けて暗がりに走り込む。良かった、誰もわたしたちを追いかけてきたりしてない。
「あ、待って、巧くん」
漸く走りやめてほーと安堵の息を吐く。それでもまだ心臓がドキドキと高鳴っていた。わたしたちはお互いを見つめ合った。なんだか少し照れくさい。言いたいことを言い合ったからだろうか? その照れくささを隠すようにどちらからともなく互いの身体に腕を回す。そして…10年ぶりにキスをした。
◯
駅前の広場にはイルミネーションで耀く大きなクリスマスツリーが設置されていた。俺はその光を頼りに広場の片隅で愛用のボロボロのエレキギターをアンプに繋いでチューニング合わせをしていた。広場にはツリー目当ての見物客がけっこうたくさんいて、今宵の観客としてはまあ十分だろう。
俺がストリートで弾き始めて約半年。大学で音楽サークルに嵌ってバンドを組み、ライブハウスで人気を博したことで中退して本格的に活動を開始した。そこまでは良かったんだが、例のパンデミック騒ぎでライブは自粛のあらし、順調な時は上手くいっていたバンド仲間とも悶着が起こってあっけなく解散。俺は人間不信になり、一人こうやってストリートで弾いている現在だ。まあ、ろくななもんじゃねえな。分かってる。けど音楽好きはうそじゃねえ。出来ればこいつを一生の仕事にしたいんだが。まあ現実はいつも厳しい。SNSでストリートライブの告知をやっちゃいるが客の集まりは渋いもんだ。こんだけ人がいるのも珍しい。まあ俺の客じゃないが。そこは俺のライブでここにいる連中、全員掴んでやろう。
俺は準備を終えて、さて今日はなんの曲からやるか、まずは人の耳を惹き付けるために世間に知られたカバー曲にするか、それとも俺渾身のオリジナル曲にするかと悩んでいる時、広場に俺のものじゃない曲が流れ始めた。あん? なにやら急に踊り出している奴らがいる。結構な人数だ。おいおい、なんだこりゃ? なんのイベントだ? そいつらは曲に合わせ、シンクロした動きを見せている。ただの遊びの集団ではなさそうだ。そのうち集まってきたダンサーたちはひと組のカップルらしき男女の前に勢揃いして踊り出した。ははあ。こりゃ、なんかのサプライズイベントっていうやつだな。話にゃ聞いたことあるが、ほんとにやるやついるんだ。俺はちょっと呆気にとられてその光景を眺めていた。同時に、やばいなとも考えていた。こう言うサプライズの後でライブをしてもなかなかこっちに注意を向けるのは難しい。くそったれ! 営業妨害だ。そんな感情が芽生えた直後。急に音楽が鳴り止んだ。踊っていた奴らの動きがぎこちなく止まる。なんだ? もう終わりか? それなら、こっちも始めさせてもらおうか。
その時、イベントを見守っていた群衆の中から一人の少女が走り出してきた。真っ直ぐ俺の所までやってくる。
「あ、あの、ギターのお兄さん!」
焦った口調で話しかけてきたそいつは高校の制服の上にコートを羽織ったミニスカ生足の女子高生だった。ったく、寒くないのかね?
「あー、なんだ?」
「お兄さん、さっきの曲、ギターで弾けます?」
「はあ?」
さっきの曲って言うのは、踊ってる奴らが掛けてた曲か? そりゃまあ耳コピぐらい簡単に
「できるが」
「え? 出来るんですか?」
「だったらなんだ?」
「いっしょう〜のお願いです。それ弾いてくれませんか?」
「えー」
正直面倒だと思った。
「お願いです。わたしの命が掛かってるんです!」
「はあ?」
正直大仰な台詞だと思った。けれど女子高生の瞳にはいやに真剣な光が宿っている。マジかよ? なんだか知らないが女子高生にとって重大な事情があるんだろう。そう思うとふっと気分が和らいだ。こんな俺でも音楽で人助けが出来るんかもしれねえ。でもそのまま返事をするのは少し照れくさかったので
「そうだなあ。このCD買ってくれたらやってやるよ」
俺は自主制作CDを少女に差し出す。彼女はそれを手に取り、一瞥すると不自然に固まった。
「え? ヤナギコウタ…さん? あの、大御所の?」
「なんだ?」
少女はCDのジャケットと俺の顔を交互に見比べる。
「なんだ、買えねえのか? それなら、この話は、無…」
「い、いえ、買います。買います。一枚と言わず、10枚でも20枚でも」
「お? おお…」
目の前の少女はCDを胸に抱きながら
「あのヤナギコウタのストリート時代の自主制作CD…お宝過ぎる!」
ぶつぶつと何か呟いている。
「なに言ってるんだ。おい、始めるぞ」
「は、はい。お願いします!」
女子高生が勢いよく頭を下げる。俺はギターに指をかける。よーし。いっちょ、派手に始めるか!そして、
高らかにギターの弦を弾いた!
◯
時間は夜6時5分前。駅前のプロムナードに降り立ったわたしは急いで駅前広場に向かって駆け出す。イルミネーションに照らされたクリスマスツリーがキラキラと耀いている。
良かった。間に合った。まだ始まってない。
広場にはたくさんのクリスマスイルミネーションを楽しむ人がいた。えっと、どこだろう? おばあちゃんとおじいちゃん、どこにいるんだろう? キョロキョロと広場を見渡しても良く分からない。その時、音楽が流れ出した。あ、始まった! それと同時に、広場のあちこちから群衆の間を縫ってダンサーが踊りながら移動し始めた。わあ。ほんとに聞いてたとおりだ! わたしは嬉しくなって、ダンサーたちが向かう先に自分も移動していく。そして…見つけた! 白いマフラーを巻いた長身の男性と、その人に寄り添うように立つオフホワイトのかわいいコートを羽織って大きなメガネを掛けた女性。わあ、若い! おじいちゃんとおばあちゃんだ!
わたしの名前は早良ミサ。今、クリスマスツリーの前でダンスを眺めている二人の……孫だ。そう、わたしは未来から来た。わたしのいる未来ではタイムマシンが実用化されている。
タイムマシンができてからたちまち時間旅行が人気を博したのは言うまでもない。もちろんタイムトラベルの注意点、例えばタイムパラドックスの恐ろしさや過去を変えてはいけない事については授業でもちゃんと教わる。実際にタイムトラベルの課外授業もあるぐらいだ。
そんな環境でわたしが行ってみたいと思ったのがこの時代だ。だっておばあちゃんの話す、おじいちゃんとの結婚エピソードがあまりにロマンチックすぎた。本当に嬉しそうに瞳を輝かせて話すおばあちゃんはまるで少女のようで、わたしもキュンとなってしまう。幼い頃から何度もせがんで話してもらったその光景を自分の目で見たくなった。もう、これは行くしかないでしょ! そう思った瞬間、いても立ってもいられなくなってタイムマシンに乗っていた。そして、今ーーー目の前に何度も聞いたその光景が広がっている。
おばあちゃんは顔を隠していても芸能人オーラがすごくて、一方、おじいちゃんはなんだかオドオドしているように見えた。頑張って、おじいちゃん! 心の中でエールを送る。と、その時、急に音楽が途切れた。踊っていた人たちがぎこちなく踊りを止める。え? なに? どうしたの? しばらく待っても音楽は再開しない。えっと、これ、まずいんじゃ? どうしよう、このままだとおじいちゃんの告白が無くなるかもしれない? そうしたら……わたし生まれてこないかも?! 気づいた瞬間、サーと血の気が引いていく。どうにかしなきゃ。どうにかしなきゃ。
慌てて広場を見渡すとギターを担いだ男性が目に止まった。わたしは駆け出す。
「あ、あの、ギターのお兄さん!」
「なんだ?」
その男性がギロリとした目を向けてくる。ちょっと怖い。けどそんなこと言ってられない。
「お兄さん、さっきの曲、ギターで弾けます?」
男性はちょっと首を傾げている。ああ、ダメなのかも。どうしよう? このままじゃ…
「できるが」
「え? 出来るんですか?」
一気に希望の光が射した。
「だったらなんだ?」
「いっしょう〜のお願いです。それ弾いてくれませんか?」
「えー」
男性が露骨に嫌そうな顔をする。でもここで諦めるわけにはいかない。
「お願いです。わたしの命が掛かってるんです!」
その言葉に男性は驚いたようにわたしを見つめていたけれど、不意に口元に笑みを浮かべた。
「そうだな。このCD買ってくれたらやってやるよ」
彼がCDを差し出す。わたしはそれを手にとって固まった。
「え? ヤナギコウタ…さん? あの、大御所の?」
ヤナギコウタはわたしの時代では知らない人がいないポップミュージック界の大御所だ。驚いて男性の顔を三度見したところで
「なんだ、買えねえのか? それなら、この話は、無…」
「い、いえ、買います。買います。一枚と言わず、10枚でも20枚でも」
「お? おお…」
わたしはそのCDを抱きしめた。これでおじいちゃんとおばあちゃんは上手くいくはず! それと同時に
「あのヤナギコウタのストリート時代の自主制作CD…お宝過ぎる!」
思わず呟いてしまった。
そして約束通り、彼のギターが高らかに鳴り響いた!
若きヤナギコウタのギター演奏のおかげで無事、おばあちゃんとおじいちゃんは結婚することを誓い合った。わたしはうっとりとその光景を眺めた。少し涙が出たかもしれない。ようし、帰っておばあちゃんに報告しなくちゃ。これで、おばあちゃんと一緒におじいちゃんをからかうことも出来るぞ。
わたしは帰りのタイムマシンを起動した。
◯
大きなクリスマスツリーのある公園を通りかかった時、急に軽快なメロディが聞こえてきた。
「おい、ルドルフ。ちょっと止まってくれ」
わしは連れに声をかける。
「どうされたのですか?」
「いやなに、楽しげな雰囲気なのでな」
広場を見下ろすと、メロディに合わせてなにやら踊りが始まっていて、いかにもクリスマスの陽気な雰囲気が漂ってくる。そのうち踊り手達がひと組の若い男女を囲むように踊りの輪を狭めた。
「ほうほう、これはこれは…」
わしは今から始まる出来事に当たりがついて目を細める。
「さて、あの若者、幸せを掴むことができるかどうか?」
「どう言うことです?」
ルドルフが長い首を傾げる。相変わらず気が回らぬやつじゃな。
「まあ、見ていなさい」
ルドルフと一緒に眺めていると、若者がお嬢さんに結婚の申し出を行い、見事、その心を射止めたようじゃった。
「おお、天晴れな若者じゃ。よいものを見た。これは祝福せんとな」
「ああ、こう言う事だったんですね」
「ルドルフ、お前の鐘を鳴らすのじゃ。祝福の鐘をな」
「わかりました!」
ルドルフが首をブルルと振ると首にかけた鐘がみるみる大きくなった。そして夜空に鐘の音が響き渡る。祝福を届けるトナカイの鐘の音だ。
「わしからもプレゼントを贈ろうかの」
世間の者はわしがプレゼントを贈るのは子供だけと思っとるようじゃが、そんな事はない。わしは両手を広げて息を吹きかける。たちまち雪の結晶が空に舞った。
「そら、祝福を乗せた冬の贈り物じゃ」
広場の者たちがその雪を見て歓声をあげる。うむ。よいクリスマスを過ごすのじゃぞ。
「さてと、行くか」
「はい、マスター」
まだまだプレゼントを配らなけりゃならないとこが残っとる。わしの合図にルドルフがソリを発進させた。広場にはまだ楽しげな歓声が響いていた。
◯
その後の話
本条アキラのイベント会社には次々と依頼が舞い込んでいた。アキラはあまりの事に夢でも見てるのかと思った。
あのクリスマスイブのイベントは広場にいたたくさんの人がSNSに動画をあげていて、その相乗効果でとんでもなくバズった。お陰で真っ正面で踊っていたアキラの検索数が鰻登りになった結果、彼の会社のことも一躍世間に知れ渡る事になった。これは後から知った事だが、あのカップルの女性が売り出し中の新人女優だった事もあって、世間的にも大いに話題になり、そのイベントを企画した会社として注目される事になった。その結果、次々に仕事の依頼が舞い込んできたのだ。うれしい悲鳴とはこの事だった。アキラはようやくどん底を抜けて新しい運が向いてきたことを感じていた。
SNSに投稿された動画にはもちろん雛形まゆりが映っていた。
彼女が男性に告白され結婚を承諾したという驚きの映像。今売り出し中の女優としてはちょっとしたスキャンダルだ。けれど彼女はその事でマスコミから逃げ隠れするようなことはせず緊急の記者会見を行った。その場で、隠すことなく堂々と、自分には高校時代からお付き合いさせていただいている一般の方がいて、その方と結婚を前提に交際していることを公表した。その後のマスコミのいろいろな質問に、例えば、彼との出会いや、好きになったきっかけ、告白された時の気持ち、結婚しても仕事は続けるつもりだなど、真摯に自分の言葉で語る彼女の姿は、多くの人に好意的に受け入れられた。記者会見は最後には祝福ムードで終わったのである。
この事で彼女の知名度、好感度はさらに高くなり、この後、いっそう女優として活躍していく事になる。
ストリートを埋め尽くす観客がヤナギコウタを取り囲んでいた。
熱気が街路に溢れている。一曲弾き終わったヤナギコウタがギターを高く持ち上げる。群衆からコウタ! コウタ! の大合唱が起こった。
あのクリスマスイベントの拡散された動画で流れた彼の奏でるギターの音色は鮮烈で誰もが惹き込まれずにはおれない迫力を持っていた。だからあの後、彼のギターを聴きたくて多くの人々が彼のストリートライブに足を運んだ。聴衆はたちまち溢れかえり、より大きな広場、より大きな会場で、彼のライブは行われるようになった。そんな彼を音楽レーベルが放っておくはずもなく、まもなくプロのミュージシャンとしてデビューすることが決まっていた。だから今日が最後のストリートライブなのだ。
「みんな、楽しんでくれてるかー」
うおーと歓声が湧き上がる。
「俺も楽しいぜー!」
うおー
「ストリートは今日で最後だけどー」
ああー
「最後まで盛り上がろうぜー」
おー! おー!
そしてヤナギコウタがギターをかき鳴らす。それは未来の巨匠への第一歩だった。




