Op.7 束の間のフェルマータ
帰宅後、夏希はシャワーで汗を流したあと自室のベッドに寝転がると、扇風機の風を受けながら天井をぼーっと見つめ、放課後に聞いた葵の話を思い返していた。
「あたしが去年出た管楽器のソロコンクールでさ。高校生の部がすぐ隣のホールでやってたから、あたしも自分の演奏が終わってから客席で聴いてたんだけど――」
放課後、レッスン室のグランドピアノにもたれながら、葵は記憶を辿るように話し出した。
「ソロコンってさ、○○協奏曲〜とか○○ソナタとか、その楽器の為に作曲された曲を吹く人が多いんだけどね。その人はサックスで『亡き王女のためのパヴァーヌ』を吹いてて……すっごい上手だったから印象には残ってたけど、まさかこのタイミングで思い出すなんて〜」
「葵…それ、冗談じゃ、ないよね?」
「もう、この話はホントだって!……てか夏希さん、夢の中でご本人様に聞いてみては?祐人くんってぇ、実在するの~?って」
葵は猫なで声でそう言うと、上目遣いをしながら夏希の腕にしがみついた。
「な、なにそれ!?そんなストレートに聞けるわけないじゃん!?」
夏希は頭から煙が出そうなほど顔を真っ赤にして葵の提案を即却下すると、顔の熱を冷まそうと手を団扇のようにパタパタさせながら、大きな深呼吸をして心を落ち着け、話題を戻す。
「と、とにかく!まずは、葵が去年ソロコンで見た人が祐人くんなのかどうか確かめるくらいは……したいなっていうか……」
夏希のその呟くような言葉を聞いた瞬間、葵の目がこれまでになく輝きだした。
「おうおうっ、当っったり前ようっ!この遠野葵、夏休みに母校に赴き、当時のパンフレット、探し出して参りやすっ!!!!」
――夢の中で出会った彼が、実在するかもしれない。
「葵が言ってた人が、本当に祐人くんだったらいいのに」
夏希はぼーっと天井を見つめながら、ぽつり、と呟く。するといきなり聞こえてきた自分の声にハッとして、完全に無意識下で呟いていた事に驚く。
一度夢の中で会っただけの人にここまで心を奪われている――夏希には、これが恋というものなのか、それともただ純粋な興味なのかはまだ分からなかった。
「まぁ、でも……どっちにしろ運命では、あるか...」
さきほどから、やわらかな風をつくり出すおやすみモードの扇風機に夢の世界へと誘われていた夏希は、ついさっきまで真剣に考えていたはずの疑問に意識半分でてきとうに結論を付けると、扇風機のやさしい眠気に身を委ねながらゆっくりと目を閉じた。