Op.3 パヴァーヌに誘われて
重たいドアを押し開け外に出ると、つい先ほどまで空を覆っていた分厚い雲が嘘のように晴れ渡っていた。
大きな満月が夏希の視界を明るく照らし出し、夜空には数え切れないほどの星が瞬いている。
そして、そこには先程から聞こえる音の主――美しいサックスの音色で『亡き王女のためのパヴァーヌ』を演奏する青年がいた。
ラヴェルの代表曲のひとつである、ノスタルジックなメロディーが美しいこの曲を演奏する青年の姿が目に入った瞬間、夏希は胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
心地よいそよ風に揺れるさらさらの黒い髪。
水色のシャツの袖口から覗く、透き通るように白い腕…その手元で演奏されるアルトサックスは満点の星空の光を受けて金色に輝き、その光景はまるで絵画のように美しい。
温かいサックスの音色の中にどこか切なさも感じる青年の音色を聴いた夏希は、思わずつぶやいた。
「こんなふうに、私も弾けたら……」
自分の心を掴んで離さないこの演奏に込められたものが、自分に足りない『感情をこめる』ということなのかもしれない――そう思うと、夏希は思わず手をグッと握りしめた。
夜空に流れゆく星達のように、その音色を1音でも聴き逃したくない……そんな感覚にさせる青年の演奏。
今、目の前で起こっているそのすべてが自分の一瞬のまばたきによって消えてしまいそうな儚さを感じて、夏希は少しも動けずにいた。
すると、演奏を終えた青年が夏希に気づき、声をかけてきた。
「……こんばんは。はじめまして、だよね?」
先程までよく見えなかった青年の顔は、夏希の方を向くと穏やかな表情で優しく微笑む。
アーモンド形の瞳、繊細な長いまつげ。
薄いくちびる、すらっとした体躯……
中性的な見た目の印象とは対照に少し低めで優しげな声。
夢の中とはいえ、こんな神様が作り出したイケメンパーツ全部乗せみたいな人、存在するんだ……
夕方に調べて見たイケメン芸能人よりかっこいいし、なにより綺麗なひと――
夏希の脳内ではそんな言葉がぐるぐると駆け巡っていた。
そのせいで青年の声に反応するのが遅れ、咄嗟に裏返りそうな声で返事をした。
「……あ……っ、はいっ!はじめまして!あの、サックス……すっごく素敵でした!」