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Op.1 まだ、きみを知らない私は


「うえ〜、暑ぅ……」


「あち〜……ねぇ夏希、やっぱサーティワンにしない?」


放課後、教室を出た夏希と葵が話しながら昇降口へ向かって歩いていくと、夕方になっても下がらない気温のせいで、校舎の出入口に近づくにつれて2人を守っていた空調という名の"バリア"が解かれていくかのように暑くなっていく。

全身にはじわじわと汗が滲んできて、正門を通り学校の敷地外に出た頃にはすでに、夏希の前髪は汗で濡れて小さな束を作っていた。

10分程歩き、湿度を孕んだ暑さに心底うんざりしながらも、駅前にある"うちらのオアシス"なるイオンに辿り着いた。


2階のフードコートの隅で、葵に奢ってもらったアイスクリームを食べていると、スプーンを片手に夏希がふと呟く。


「私さ。中学の時、自分結構ピアノ上手いじゃんって思ってた」


「なに夏希、いきなり」


「いや……勘違いだったなーって思って。今日も先生に言われたの。もっと感情をこめろ、って。でも、わかんないの」


「感情をこめること?」


「うん。あの曲……『夢』の中にどんな感情をこめたらいいわけ?って、さっぱりわかんなくなっちゃった」


「うーん、あたしもまだ、上手くできないけど……。あたしの先生はよく、『色々な感情を知りなさい』って言うかな。悲しい気持ちとか、苦しい気持ちとか……あとは、恋する気持ち。そーいうのは絶対に音に乗るから、出来るだけたくさんのことを経験しなさいって」


「うへぇ、女子高の生徒に恋愛しなさいとか、無理ゲーじゃん……でも確かに、そういう事なのかなぁ。私は、経験不足なのかも」


「でもそれじゃあ夏希さんは、二学期もお褒めのお言葉、おあずけですねぇ?」


彼氏でも作ったらー?と、葵はカップを覗き、スプーンで溶けたアイスをかき集めながらニヤニヤして言うと、顔を真っ赤にした夏希が応戦する。


「もう!あなただって彼氏いないでしょーが!……でも、あのままひとりで練習続けてたらきっと、もっと迷走してたと思う。……ありがとね、葵」


「もう何〜、同じ音楽科の仲間じゃん!困った時はお互い様だし、それにあたしは夏希のピアノ好きだよ!一緒にいい音楽奏でていきましょ〜」


葵はそう言うと席を立って、食べ終わった2人分のアイスカップをゴミ箱に捨てた。

銀だこは二学期が終わる頃にしようと約束をして、店を出てすぐの駅の改札前で葵と別れる。


「じゃ、またね夏希。あんまり悩むなよ、あたしの相棒!」


そう言うと葵はニコッと笑って、改札を通ると両手を大きく振りながらホームへと歩いていった。


「ふふ、相棒って……うん、また月曜日!」


葵の姿にクスッと笑いながら、夏希も改札に背を向けて自宅へ向かって歩き出した。


夏希が自宅に着くと、パートが少し長引いているのか、母はまだ帰って来ていない様子だった。

リビングの床にドン、とスクールバックを置き、冷蔵庫の麦茶をコップに入れてソファーにどかっと座る。


"オアシス"でのフードコートの水を最後に水分補給をしていなかった夏希の喉にゴク、ゴク、と冷たい麦茶が通っていく。


「はー、生き返った……」


チク、タク、チク、タク……

誰もいない家の中は、壁掛け時計の音がよく聞こえる。夏希はソファに横になり、しばらくぼーっとしたあと、先程の葵の言葉を思い返した。


「色んな感情の体験……恋する気持ち、かぁ」


幼稚園の頃にピアノを始めてからというもの、プロのピアニストになりたいという夢を真っ直ぐに追いかけてきた夏希にとって、恋する気持ち、というのはまだ未知の世界で、それがどんなものだか全く想像がつかなかった。


夏希がふと、スマートフォンで「恋 どんなかんじ」と検索してみると、「ときめき」やら「どきどき」という曖昧な言葉が並ぶ。手っ取り早くときめきを求めて「イケメン 芸能人」と検索してみるが、端正な顔立ちの彼らを素敵だとは思いつつも、恋する気持ちとは何処か違うような気がしてそっとブラウザを閉じた。


「よし、練習再開」


そう言うと夏希は、自分にときめきを提供できなかったスマートフォンを乱雑にソファ下のカーペットに置き、むくっと起き上がった。階段を上がって2階の自室に向かい、アップライトピアノの蓋を開けると、未だ掴めていない『夢』の最初から練習を始めた。


数時間後。

いつの間にか帰ってきていた母が夕飯を知らせるために部屋に入ると、疲れたのか夏希はピアノに突っ伏して寝てしまっていた。


「夏希、そんな所で寝ないの。ご飯食べないの?……もう、寝るならちゃんとベッドで寝なさい」


「……ん、お母さんおかえり。アイス食べたから、いらなぁい」


母に揺すり起こされて寝ぼけ眼の夏希はそう言うと、フラフラしながらベッドに倒れ込み、眠りについた。



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