005
影郎君が守衛室へ飛び込んだ瞬間、更に大きな物音が聞こえた。
私が追い付くと、壁際にヘタレ込む柊さん、警棒を構える守衛。そして、それと対峙する、影郎君より更に長身の、ショートヘアをツーブロックに刈り上げた金髪の男子生徒が目に入った。話したことがないから名前は知らないけれど、彼は一年生の不良。それも筋金入りの不良だ。
影郎君は178センチくらいだから、恐らくは190センチほどあるだろう。かなりの長身だ。
体つきはしなやかで筋肉質、如何にも喧嘩慣れしていそうな凶暴な顔をしている。釣り上がった眉毛は、あれって自前なのだろうか。もしそうでないのなら、人相を人に悪く見られたいという特殊な性癖があるとしか思えない。
服装は、暗い色のTシャツに下は学ランを改造したテーパードのかかった細く股下の浅いパンツ。アクセサリーは、左耳のピアスにシンプルなネックレスとブレスレット。まるで、不良漫画の中から出てきたかのようなイカつくて洒脱な風体である。町中で出逢ったら、私は間違いなく道を開けてしまうだろう。
暴力を体現しているかのような、そんな風体であった。
「動かないでください、生徒会執行部です。とある指令を受けて参りました。生徒会本部への報告義務があります。速やかに、僕へ状況を説明してください」
どうやら、影郎君は注目を引くために、室の最も手前に置いてあったスタンドライトを倒して割ったようだ。そのお陰もあり、三人は突然の出来事に意識を取られ、守衛は喜びの、柊さんは戸惑いの、金髪の男子は訝しむ表情を浮かべた。
因みに、執行部などという係は存在しない。そもそも、私たちは支援委員であるし、ここへ来た経緯すら読者諸君も知っての通りで、何者かからの指令など以ての外である。
すべて、彼のハッタリだ。
相変わらず、機転の利く男だと密かに感心していると、月乃さんもグイと部屋へ押し入り、「手伝ってあげる」と言わんばかりに堂々たる姿で、間髪入れず影郎君の隣に並び立った。
その腕には、いつの間にかまだ文字の書かれていない空の腕章。支援委員へ配属される際に配られたのであろう、生徒会所属を証明する代物。ハッタリは更に強度を増す。
きっと、知らぬ者がこの二人を見れば、誰でも正義のために遣わされた使者であると勘違いするに違いないと感じる振る舞いだ。
そんな中で、私は、二人の背後でスマホを取り出し、とりあえずそれっぽい仕事をするため現場の写真を二、三枚撮影して影郎君の出方を伺う。
影郎君は柊さんに目配せをした。恐らく、『黙っているように』と意思を込めたのだろう。更に一歩踏み出して、徐ろに口を開いた。
「それで、どういうことですか? 守衛さん」
「あ、あぁ。それがだね、キミ。そこの不良は、わたしが女子生徒をここへ連れ込んだのだと言いがかりをつけ、入ってくるなり突然殴りかかってきたのだ。
わたしは、見回り中にバス停でバスを待つ彼女を偶然見かけたから、今朝拾った落とし物を守衛室へ取りに来て欲しいと提案しただけなんだけれどね。
おまけに、勘違いを真実だと思い込んでの大立ち回り。見てくれ、彼女はヘタレ込む程に驚いてしまっている。そりゃ、何発かは殴ったよ。しかし、正当防衛だ。やらなければわたしがやられていた。そんなことは火を見るより明らかだろう?
だから、幾らここが釣鐘高校でも、わたしが制裁を与えなければならないと思ったんだ。この警棒を抜いた理由はそれだ。信じてくれ!」
下手をすれば、団藤先生と同じくらいの巨躯に、四角い顔と武道に精通した者特有の立ち姿。私は、釣鐘高校で初めて先生以外の大人を認識したのだと思う。
ひょっとすると、こういう大人が敷地の門を守ってくれるからこそ、釣鐘高校は高校生の国なぞをやっていられるのかもしれないとすら感じそうだ。
ただ、なぜだろう。
この守衛を疑う理由は、影郎君の推理一つなのだけれど。それだけで、私の直感は、どうしてもこの男が柊さんのストーカーだと疑ってしまうのだった。
「……はて、なんのことでしょう。どうも、僕の要求は正しく認識されていないようですね」
「何を言う!? キミ! 今のわたしの話を聞いていなかったのか!?」
「聞いていました。しかし、僕が受けた指令は、『幾つかの監視カメラが誤作動を起こしている件についての調査』でした。今、あなたと彼が大立ち回りをしていることは、僕が馳せ参じた理由と全く無関係ですよ、守衛さん。
つまり、僕の知りたい状況とは、そこにある監視カメラのコンソールの現状なのです。あなたが学食で料理をしないように、僕も仕事と関係ないことを仰られても対処しかねます」
……化け物。
思わず呟いた言葉が、月乃さんと重なった。
「な、なにを言っているんだ!? そんなことが、わたしと鈴音ちゃんが襲われていることより大切だと言うのか!?」
守衛は錯乱し、心の中の声と実際の声を判別出来ていない。その呼び方は、生徒と守衛の間柄というには、あまりに常軌を逸している。
想定したことと全く違う話をされれば、どんな人間でも困惑するに決まっている。まして、こんな非常事態なのだから、思考能力が急激に低下してボロを出すのも当然だった。
「えぇ、大切です。中庭の監視カメラがいつもと違う位置を撮影し続けていたせいで、教員もボヤ騒ぎを見逃したのです。僕の参上はその筋の指令ですよ。決して通報ではないのです。はい。ところで、火はゴミ箱から出たのですが、ご存じありませんか?」
更なる戸惑い。
慇懃無礼は、影郎君の自信の表れだ。私の疑惑も、やがて確信に変わった。
「そ、そんなことがあったのかい。気が付かなかったな。しかし、生憎というものだよ。さっき言った通り、わたしは外のバス停にいた鈴音ちゃんを見かけ、親切心から迎えに行っていたんだ。
……ぼ、ボヤ騒ぎか。そうか。実はだね、教頭先生の指示で、中庭の監視カメラは、部活動のために残っている生徒の下校を確認するため、放課後は部室棟の入り口を見るように動かしてあるのだよ。だから、カメラを動かせない先生たちが事情を知り得ないのも仕方のないことだった。
別の角度から確認していなかったわたしも、何らかの処分を受けるだろう。それは甘んじて受け入れる。だがな!!」
「迎えに行った?」
「そ、そうだと言っただろうが!! さっきから話の分かんねぇガキだな!?」
「先ほどは、『偶然見かけたから声をかけた』と仰ったのに? 仮にそうだとしても、落し物とやらを持っていけば済む話だと思いますが。どうでしょう」
影郎君に、自分が助かるための嘘をつく。
それは、何よりの愚行としか思えない。私がそう考える理由が、守衛の言葉のすべてに表れているような気さえしてしまう、あまりにもあざやかな手前だった。
「そうです。あなたは、校門の監視カメラを使って柊さんを見ていた。彼女を見ていたから、他のカメラの映像を知らなかったのです。尤も、校門の監視カメラがバス停を向いていることの不自然さは、語るまでもないとは思いますが――」
「あ、あ……っ」
「因みに、中庭の監視カメラが帰り道を向いていたのは確認済みですし、ボヤ騒ぎというのも真っ赤な嘘ですよ。その件であなたが咎められることはありません。
とはいえ、他のことで成敗されるのは確かでしょう。今さらながら、せめて、犯罪の痕跡を消す努力くらいした方がいいと、若輩ながら考える次第です」
……影郎君の目に、青白い炎は灯っていない。
どうやら、この男は私と同じ凡人のようだ。
「ふ、ふ、ふざけるなッ!! お前は一体なんなんだ!? どういう了見で大人をからかうんだ!? 状況が分からないのかッ!? わたしと鈴音ちゃんは、この不良に襲われているんだぞッ!?」
ふと柊さんを見ると、まだ要領を得ない様子で、ポカンと口を開けている。
「通じるとお思いですか?」
「なぁ、アンタよぉ。さっきっから黙って聞いてりゃ、一体なんなんすか。どういうことっすか? こいつぁ、俺とこのボケカスの揉め事っすよ。頼んでもねぇのに、勝手にシャシャリ出てきてナメたこと言ってんじゃねぇ」
想定外の指摘ではあるが、金髪の彼からすれば至極真っ当な意見だった。しかし、事情を知っている私たちからすれば、これもまた至極真っ当な疑問があるのだ。
「えぇ、えぇ。あなたがそう感じるのも無理はないでしょう。だからこそ、立場を確立するために敢えてハッキリ言わせてもらいます。僕たちは、あなたと柊さんの味方です」
「は、はぁ? 急になんだよ。……ったく、意味分かんねぇ」
「教えてください。一体なぜ、あなたはこの現場に居合わせることが出来たのでしょうか。僕の慢心のせいで起きた悲劇の中、柊さんは最悪のケースを免れたものだと確信しています。その理由を知りたいのです」
すると、金髪の男子は身構えていた戦闘のポーズをやめ、手をダランと下げて影郎君の目をじっくりと見た。鷹のように鋭い瞳が、獲物を品定めするかのように知性の光る姿を捉えている。
「……カメラっすよ」
「どういうことでしょう」
「柊がストーカーされてるかもしれねぇって不安がってるって、俺のクラスの連中が噂してたのを又聞きしちまったんす。
んで、確か美術だったな。受けるために新教室棟行った時、柊と廊下ですれ違った。……すぐにカメラがこいつを追ってたのが分かったぜ。絶対におかしいって思ったんだ。
だから、何日かカメラを見て、そんで明らかに追われてるってことに気が付いて。その……よ。なんつーか、俺、バカでよ。あんま考えるの得意じゃねぇから。こいつのことをカメラが追ってる理由が、噂に聞いたストーカーの話だとしか思えなくて。そのこと、問い詰めに来たら、ちょうど守衛が柊を連れ込んでるところだった。……その時の、なんだ、キモい手つき見たら、頭に血ぃ上っちまったんす」
バカな。
あのドームカバーは、真下からジックリと眺めなければ中を透かして見ることなど出来ない。出来るわけがない。
それなのに、この人は偶然柊さんとすれ違った時に動いているのを見ただって? それも、カメラのレンズがハッキリと追っているのを認識しただって!?
一体、どんな目を持っているというのだ!?
「う、嘘じゃねぇっすよ。つーか、そうでもなきゃ俺だってこんなとこ来ねぇ」
「ククッ。いや、失礼。決して無礼を働く気はなかったのです。そして、キミの目の良さはまったく以て疑っていませんよ。信じましょう、素晴らしい才能をお持ちです」
「お、おう。そうっすか」
「最後に、柊さん。一つだけ、聞いてもよろしいですか?」
ビクッと肩を揺らし、ゆっくりと影郎君を見上げる彼女。その刹那、ずっと機を伺っていたのか、守衛が猛然と走り出して影郎君の元へ突進。突き飛ばして、後ろの入り口から逃げるつもりか!?
「影郎君!!」
だが、それは金髪の男子の手によって。いや、足によって食い止められた。彼は、突っ込んでくる巨躯へ一閃。右足を振り上げて顔面を叩き潰し、反対側の壁まで吹き飛ばしたのだ!!
「ごえっ!?」
影郎君は、少しも動揺しない。そして、金髪の男子もまた、影郎君を救ったことに対して少しも恩着せがましい態度を取らない。
彼らは、互いに顔すら合わせず、それぞれの標的に目線を向けていた。
「こちらの男子生徒とは、どういったご関係で?」
「は、はい。その、実は私、分からないんです。彼は目立つ方なので顔は知っているんですけれど。
でも、倉狩さんがここに来たということは、私が彼に言うべき言葉もきっと『ありがとうございます』なんですよね」
金髪の男子は、俯いたまま切なそうに笑う。……いや、ひょっとすると嬉しそうに、だったかもしれない。
未然に防ぐということは、多くは理解されないという意味だ。だから、実感の無さについて、彼はどこか諦めているようにも見えるし、とはいえ、これでよかったと満たされているようにも見える。
そんな、不思議な笑顔だった。
「そうですか。ククッ、クククッ。あぁ、そうですか、そうですか! いやぁ、それは実に素晴らしいことです。よかったですね! 彼が偶然、あなたを知っていたこと、噂を聞いていたこと。本当に運が良い。あなたほどの幸運の持ち主を、僕は他に知りません」
「は、はい」
柊さんは、違和感を押し殺すように返事をした。ただし、それは決して、後ろめたかったり、嘘をついているといった類の代物ではない。
影郎君の実力を目の当たりにしたからこそ、彼が意味深なことを言うせいで、微かに覚えてしまった感覚を疑ったものの、やはり追いかけるのをやめたと言った様子だ。
きっと、金髪の男子は何かを隠している。けれど、影郎君が追及しなかったということは、少なくとも柊さんの前で聞いてはいけないことなのだろう。
私と月乃さんは、壁際に立ってなるべく身を寄せ合った。影郎君のやり方に、背筋が冷たくなったからだった。
「ところで、柊さん。もしも、まだこの件を無かったことにしたいと考えているのであれば、僕らも最善を尽くすところですが。如何なさいますか?」
「……そんなこと、許されるんですか?」
「えぇ、当然の権利です。何より、僕がバスの到着まで見守らなかったことによって起きた出来事です。これ以上の失望を得ないよう、僕はすべてを尽くすつもりです」
一分くらいは、黙っていたのだと思う。のびている守衛を見張る彼をチラと見ると、彼女は意を決したように口を開いた。
「叶うことなら、忘れたいです。私は、ただ普通の学園生活を当たり前に過ごしていたいんです」
「気持ちは分かります」
「しかし、こうして目の当たりにしてしまった以上、無関係を装うのはダメですよね。私も、被害者としての責任を果たそうと思います」
「そうですか、ご立派ですよ」
「……でも、多分、倉狩さんがそう言うってことは、今はここにいない方がいいんでしょうね。
今日のところは……、ご厚意に甘えて帰らせてもらいます。必要であれば、後日証言は必ずします。きっと、彼が私を守ってくれたのだということを」
「分かりました、そのように手配しましょう。それでは、どうぞお気を付けてお帰りください。今度は、そこの伊織君を護衛につけますから」
「え?」
「同じことは決して起きないでしょうが、念の為です。安心してくださいな。
ほら、早くお送りしなさい。丁重にね。武術に心得があるんだろう? これが、今日のところのキミの使い道だ。職務を全うしてくれたまえよ」
月乃さんは、またしても恐ろしい美人顔で影郎君を恨めしく一瞥したが、すぐに優しい女王スマイルを浮かべ、「仕方ないわね」と呟き柊さんと守衛室を出ていった。
これは、月乃さんに対してあんまりな対応だと思ったけれど、彼の顔を見て、私はすぐに考えがあるのだと知ることとなった。
「さて、話をしようか」
そう呼ばれて、金髪の男子は影郎君を睨みつける。
影郎君は、静かに微笑み彼を見据えた。