004
「守衛? それに、監視カメラですって?」
早足で影郎君に追いついた月乃さんは、彼の隣に立ってジッと彼を見上げた。現在地は部室棟の階段。今、二階の踊り場に到達したところ。
影郎君は、まるで急いでいるとは言い難いゆっくりとしたペースで歩いている。
「相手は、高校で働く大人ですよ? まさか、高校生に対してそんなことを……」
「ありえないことを除けば、どんなに信じられなくても真実だよ。まぁ、これは僕の言葉ではないけれどね」
言われずとも分かっている。それは、シャーロック・ホームズの言葉だ。
「能書きはいいわ、説明してちょうだい」
「了解したよ。
まず、柊さんは一年一組か特進クラスの生徒だ。これについては、この室に来た道のりが、部室棟と新教室棟の間にある中庭から始まっていたことから導き出せる。
そもそも、監視カメラの設置してある新教室棟でなければストーキングを受けることなど出来ないのさ。つまり、先のどちらかが彼女の通う学級だ。
因みに、部室棟の入り口までつけられていたというのも、この古い部室棟と旧教室棟には監視カメラが設置されていないからだよ」
影郎君曰く、一般クラスで一年一組だけが新教室棟に設置されている理由は、在学中に特進クラスへ上る生徒の可能性を考慮しているからだそうだ。
まぁ、影郎君が知らない生徒だったという点から察するに、彼女は一組に所属しているのだろうけれど。どちらにせよ、柊さんの成績はかなりの上澄みということなのだろう。
もちろん言うまでもないが、私の通う七組の教室は旧教室棟にある。
「新教室棟でなければストーキングを受けられないというのは、一体どういう意味ですか?」
「考えてみたまえよ、希子。これだけの生徒を抱える釣鐘高校の学内で、果たして目撃者を生まずにストーキングを成立させることが出来るだろうか。
答えはノーだ。そんなこと、透明人間にでもならなければ不可能さ。
誰かを覗く者は、他者から非常に目立つ。経験あるだろう。町中で、空を見上げたりビルを見つめている人を見た時、思わず自分もその人の視線の先を確認してしまうこと。それだから、もしも直接彼女をつけている者があるのだとすれば、証言の一つくらい必ず出てくるハズだ。
今回はそれがない。先週からの被害で、柊さんが四人の友達に相談したのなら、その四人もそれぞれが誰かに話したことはほぼ確かで、しかし犯人はどこからも見つかっていないと言う。
だから、ストーキングをするならば、犯人が柊さんを間接的な方法で捉えるていることが前提条件となった。いや、より現実的な方法に思考をシフトさせたと言ったほうが正しいか。まぁ、この辺りはただの言葉遊びに過ぎないけれどね」
そこまで聞いたところで、月乃さんはハッとした表情となり、そして俯きながらスピードを落とすと、小さくため息をついて再び私の隣に並んだ。
「以上のことは、相談された時点で分かる。ならば、次に突き止めるべき事実は彼女が見た影のことだ。カメラで追われているのに、人影というのは矛盾するからね。
証言は信用している。だから、僕は彼女が『影』を見るという言葉を突き詰めることにした。視線に関しては、僕には調べようがないけれど、もしも視力が悪いという理由で眼鏡をかけていないのならば、そっちの方で説明がつくと仮定したからだ」
相変わらず、変態的な観察眼だ。
「決定的だったのは、僕が中庭を歩く間、彼女が僕をジッと目で追ったことだ。僕は五分もたっぷり時間をかけて、グルリと中庭の中を遠回りに回った。
あれだけの距離と時間だ。普通、視力が悪ければ集中力が持続せず、或いはピントが外れて捉えられずに視線を逸らす。しかし、彼女は少しも目を逸らさずに僕を見続けた。これはもう、視力の矯正以外の理由で眼鏡をかけていると考えざるを得ない。こうして、僕は彼女の眼鏡が眼球への負担の軽減のため、赤外線や紫外線をカットする代物だと分かったんだよ。
ついでに言うと、中庭を回った理由は、新教室棟に赤外線カメラが設置されていることを確認するためだ。もちろん、裏は取れた」
中庭から新教室棟を通りすがる際、私は廊下に見える黒いドーム状のカバーを凝視した。確かに、じっくり見てみると、中の様子が分かる程度には透けている。カメラは、校門へつながる道を監視していた。
なるほど。こんな黒いカバーをかけられては、遠目にはカメラが追いかけていても気づけまい。
「それで、赤外線カメラだと、なぜ影が見えるようになるんですか?」
「これは、彼女の伊達眼鏡があって初めて成立する証拠だよ。眼鏡の内側に反射した光を彼女の眼球が捉えることにより、影として認識したのさ。
彼女を追うように動くのならば、カメラは最終的に彼女の背後から撮影することになる。つまり、レンズの内側から赤外線が伸びていくのさ。その光の終点を、彼女は影だと認識した。これが僕の答えだ」
「赤外線って、赤色じゃないんですか?」
「名前からして勘違いしがちだけれど、赤外線に色はないんだよ。そもそも、可視光ではないからね。虹の一番端の色は赤だろう? 要するに、その赤より外の電磁波だから赤外線なんだ。
まぁ、強いて言えば、赤外線をカットする力を強めると青白く見えるようだ。ならば、目の弱い彼女には黒い影に見えてもおかしくない」
相変わらずの知識に感心していると、いつの間にか、月乃さんが消沈した意気を取り戻して、私と反対側の影郎君の隣に立っていた。どうやら、何か彼の推理を否定する材料を見つけたらしい。
「私に理解出来ない点は一つ。なぜ、カメラでストーキングをしている点だけで守衛が犯人だと断定出来るのか、よ。
例えば、犯人は監視カメラをハッキングしている生徒や、職員室の映像を確認出来る先生という可能性もあるでしょう」
「前提として、監視カメラの管轄は学校だ。警備会社のステッカーなどが、校門や駐輪場に貼られていないからね。
第一、この学校は青葉台駅から二十分もバスで走った辺境に聳え立っている。つまり、防犯を外注していては緊急時に助けが間に合わないことを意味している。殺された後にやってくるのは、警察だけで充分なのだよ。守衛が毎日変わっていることからも、控えの人員が多く居ることは知っているね?」
「そこまでは分かったわ。けれど、私の疑問に足る回答にはなっていないわよ。むしろ、有名な警備会社に委託していないことが私の疑問により信憑性を与えてくれているわ!?」
「落ち着きたまえ、伊織君。説明はまだ終わっていない。ほら、チョコレートをあげよう。おいしいよ」
言って、ポケットから取り出したチョコレートを月乃さんの口に放り込む影郎君。ビックリした月乃さんは、ややあってから彼のことを上目遣いで睨んだが、そのとろける甘さに絆されてそっぽを向いてしまった。
餌付け用、だろうか。いつの間に、月乃さんの好物がチョコレートだと見破っていたのだろう。
「まず、教師がコンソールを操作している線は薄いね。理由は、柊さんが見られていると感じるのが廊下、つまり移動中だからだ。
授業を受け持っている教師がストーカーの犯人というのならば、授業間の移動中につけられていることに説明がつかない。授業を行ったいずれかの教室から教員棟まで戻って、彼女の姿を確認してから再び次の授業に戻るまでにどれだけ時間がかかると思う? そんなことをしていたら、遅刻続きで問題になるはずだ。しかし、僕らはそんな情報を聞いてなどいない。
その前の時間に授業にしていなかったというのも、被害者である柊さんが時間割による推察を披露しなかったことで可能性は低くなる。つまり、却下だ。第一容疑者として当てはめるには相応しくないだろう」
「う、うぐ……っ」
「次に、ハッキングによるカメラジャックについてだけれど。ククッ。これは、もっとありえないね」
「なぜ!?」
「忘れたのかい? この学校は、学費の他に酔狂な上級国民による寄付金によって運営を成り立たせている。そして、彼女が居るのは新教室棟。言ってみれば、横浜で最も上等な学舎の一つなのだよ。そこの防犯システムを自前で整えているというならば余程の代物だろう。果たして、そんなシステムに干渉してまで犯罪を犯そうとする生徒が、一体どれだけいるだろうか。そもそも、生徒間であればストーキングする理由も見つからないだろう。単に、ナンパすればいいだけなのだからね。
うぅん。これくらいのことは、通常の思考力を持っていれば真っ先に思いつくはずなのだが――」
「うっさいっ!」
まぁ、月乃さんも無いと思いつつ、影郎君をワンチャン負かしてやりたいと思って聞いたのだろう。
「なにより、学外では追われていないと彼女は言った。ハックしているのなら、この堅牢な釣鐘の防衛システムよりもよほど緩い守りを破り、町中のカメラを扱えるはずだよ。
つまり、最初から自在に操作出来る人間が動かしているというのが論理的ということだ。現場で監視カメラを一任され、コンソールが設置してあるであろう場所に勤務しているのが守衛。故に、彼が犯人というのが自然な結論となる」
「しゅ、守衛が何人もいるのなら、その一人を特定する方法は!?」
それは無理筋だ。流石に私にも分かる。
「柊さんは、部室に来るまでにもストーキングされていると言っていただろう。ならば、中に数人待機していたとしても、先ほどまで守衛室にいた者が犯人となぜ分からない。複数犯ならば、仕事の少ない授業中も見られているだろうに、彼女は廊下でしか被害を受けていないのだよ。ならば、自分が一人になれる瞬間を狙った単独犯である可能性が高いじゃないか。
理由もなく、とにかく否定したいだけというのならば、それ以上口を開かないで欲しいものだな。どうせ、守衛室に辿り着けば僕の推理の正当性も証明されるだろうに。キミの非合理は、実に理解に苦しむ」
「きいぃぃぃっ!! あなたのその減らず口、どうにかならないわけぇ!?」
まるで、格闘技経験者とは思えない弱々しい拳でポカリと影郎君の背中を叩く月乃さん。
合気道の実力はさておき、彼女もグーで人を殴るのには向いていないんじゃないだろうか。
そんな感想を抱きつつ、私は純粋な疑問を投げかける。
「でも、そんなに考えなくても、怪しいと感じた時点で眼鏡が伊達がどうか聞けばもっと早く真相を解明出来たんじゃないでしょうか」
「コンプレックスは、見ないフリが最も平和的なんだよ。希子。相手が自分で話してくれるまではね。
支援委員へ相談することだって、柊さんは相当に悩んだハズだ。自己否定の必死さから、レベルも伺い知れただろう。
そんなふうに己を開示することを嫌う、極端なモノクロの世界で生きる彼女の傷口を、僕は到底広げる気にはならなかった」
「つまり、柊さんは色盲……」
「そう、それも重度の色盲だ。白と黒にしか見えないをレベルのね。
彼女は、紅茶の中身を見てから香りを確認して液体の正体を知ったが、淡い色のせいか、湯気が判別出来ていなかった。もちろん、茶葉の風味を損なう、人が火傷するような温度で湯を沸かしてなどいないが――。
それにしても、唇と舌の使い方が実に巧妙だったよ。きっと、口内を火傷しないために生み出した防衛策に違いない。
あぁ、健常者と感動を共有出来ない苦しみは、申し訳なくも、浅慮な僕には想像しかねる。けれど、あの怯えようだ。きっとトラウマがあるのだろうね。故に、確認など断じて行うべきではなかった」
だから、青白いハズの赤外線を影だと思ったのか。
「……そう言われると、クオリアについての確認は酷になりかねないと思います」
「ほう、理解してくれているじゃないか。嬉しいよ、希子」
あまり敬われる経験を得ない一般人の日向希子としては、そういった気遣いというものは、普段されない分貰うとあっさり気が付くものだという想像する。
柊さんは、その時喜んだだろうか。それとも、要らぬ気を使わせたと傷付いただろうか。ひょっとすると、下に見られていると感じて怒ったかもしれない。
そこの感情を確認する術が見つからないから、影郎君はコンプレックスに気が付かないフリをするのだろうと、私は彼の言葉を咀嚼して理解した。
「さて、守衛室はすぐそこだ。実を言うと、生徒指導の団藤先生へ既にお願いをしてある。室へ戻る前に教員棟へ寄って、デスクに置き手紙をしてきたんだよ。言い訳をするのではないけれど、何も僕は二十分も柊さんとイチャついていたわけではないのさ。
オホン。幾ら釣鐘高校が高校生の国だとしでも、大人の処理は大人に任せるべきだろう。高校生のルールで社会人を裁いたって意味がない。相手は、罪を逃れるためにさっさと辞めればいいだけだからね。
ついでに言うと、団藤先生は柔道六段の凄腕だ。釣鐘高校の守衛を任されるくらいだから、犯人も相当の実力者だろうけれど――。なに、ノックアウトしろって話じゃないんだ。先生ならどうとでもなる。
ならば、僕たちがやるべきは、柔道部の練習から職員室へ戻り、そして僕のお願いを読んで駆け付けてくれる団藤先生をここで待つことだけだ。その方が、僕らが柔道場へ行くより早く済む。
必ず来てくれるよ。彼には、幾つかの貸しがある。以前、『今度は俺が力を貸すから必要な時は遠慮せずに言え』と言葉を拝領している。焦る必要はない。ゆっくりしておこう」
「団藤先生に貸しですって!? 確かなの!?」
「もう十分もすれば、真実を一見するだろう。慌てなさんな」
恐らく、私は月乃さんよりも驚いていた。団藤先生は、その強面と指導の厳しさを以て、高校生の国である釣鐘高校の中でも唯一の教育的指導を施すことの出来る特異な大人であり、且つ、多くの生徒が出来れば卒業まで関わりたくないと思っている一人だからだ。
あの、如何にも戦闘民族然とした、強面で巨躯な成人男性とまともに話せる人間なんて、学内には数える程度しかいないだろうに。あまつさえ、ここへ来てくれると確信する程の貸しを作っているだなんて。
……いやはや。
弱い彼は、武力行使をこうして解決していたのか。私が見ていない半年間の高校生活を、影郎君はどんなふうに送っていたのやら。
――ガシャン!!
そんなことを考えた瞬間。コンクリートで建てられた立方体の守衛室の窓ガラス越しに、何かを引き倒したような激しい破壊音が聞こえた。
続いて、怒号。怒号。悲鳴。聞くに堪えない罵詈雑言のやり取りが、外で驚き凝視するに留まる私たちの元へ届く。一つは、守衛。一つは、声質からして恐らく男子生徒。もう一つは、柊さん!?
「どうして!? 影郎君が送って行ったんじゃないの!?」
只事ではない様子だ。
しかし、この騒音を聞いている者は、守衛室が校舎から離れて設置してあるせいで、私たちしか存在しない。団藤先生も柔道部の練習が終わるまでは来ない!
この広い敷地は、こういう緊急時にデメリットとなるらしい。明らかな揉め事へ介入出来る第三勢力は、私たちしかないのだ!
影郎君は、心の底からの困惑と、更に強く滲む心配とで、鹿爪らしい表情を浮かべている。
「り、理由は分からないけれど、ゆっくりしていられる場合じゃないみたいよ。倉狩君、どうするつもり?」
月乃さんの言葉が終わるよりも早く、彼は一人で現場へ駆け出していた。