003
「それにしても、私を置いて先に行ってしまうなんてね。柊さんが嘘をついているとは思えないし、ストーカーとかち合ったらどうするつもりなのかしら。私が調べきれなかっただけで、影郎君は徒手戦にも心得があるの?」
いつの間にか、月乃さんは影郎君を自分の支配下に置いた気になっているようだった。
大嫌いな相手でも守ってあげようというのは、常識が常人とズレているだけで、この人もこの人でお人好しなのかもしれない。
「いいえ、そういうのはないと思います。彼が得意なのは頭脳戦で、格闘はさっぱりのハズです。下手すれば私より弱いです」
凡人が膨大な時間を費やし、深く知性を探求した結果が今の彼だ。そんな余暇があったとは思えないし、これだけ一緒にいて修行している姿を一度も見たことがない。
「うふふっ、不用心ねぇ」
「それに彼、身長はそれなりに高いですが、女子と対して変わらないくらいに細いですからね。追い詰められれば、意地を張って泥仕合くらいは演出してみせるでしょうけれど」
「それ、面白いわね。せっかくだし、応援するフリくらい見せて差し上げましょうか」
腹黒い笑いを堪能してから、私たちは影郎君と柊さんを追った。すると、彼らは新教室棟と部室棟を繋ぐ連絡路の真ん中で足を止め、周囲の状況を確認しているようだった。
「影が見えるのはどの辺りですか?」
「えっと、決まって左右の端っこです。視線はずっと感じるのに、影は一瞬チラッと走るだけで……」
「見られているのは、ここだけ?」
「いいえ、廊下でも視線を感じることがあります。でも、人が多くてとても特定は出来ません」
「学外ではどうですか? 例えば、暗い夜道などです」
「今のところはありません。……多分」
それだけ聞いて、影郎君は背中で手を組み歩くと柊さんとすれ違い、テクテクと、それなりに広い中庭を回りながら周囲を観察していく。
柊さんは、離れていく彼の姿を律儀に目で追って、不安気に軽く拳を握り、五分程で戻ってきた影郎君をあどけなく見上げた。
「あの、犯人は見つかるでしょうか」
「安心してください。もう、柊さんは心配の種であるところの影を目撃することも無くなります。明日からは、また平穏無事の学園生活を楽しんでください」
「なんですって!?」
なんと! まぁ!
「ほ、本当ですか!?」
「えぇ、本当ですとも。これからすぐに、相手方へ赴くつもりですが――。因みに、捉えた犯人の処遇についてはどう致しますか? また、真相を知りたいですか?」
「え……。その、ストーカーを止めてくれるなら何もないです。というより、怖いので相手のことは知りたくないんです。都合のいいことを言うようですけれど、今回の件は無かったことにしたいですから」
実に一般人的で平和な回答だ。仮に私が彼女と同じ状況に置かれたとすれば、程度の差はあれど、ほとんど同じようなことを望むのだと思う。
「一切、承知しました。今日はこれでお帰りですか?」
「はい」
「それでは、校門のところまで送迎しましょう。気が向いたら、またお茶を飲みに来てくださいな」
「……はい、喜んで」
影郎君は、驚く私たちには目もくれず勝手に一人で調べを終えて、勝手に解決までの道筋を導き、勝手にクライアントと歩いていってしまった。
……女子に興味のないクセに、朴念仁なんかじゃないクセに、自分の見た目を理解しているクセに。そのクセに女子に必要以上に優しくするなんて、やっぱり影郎君は女の敵だ。
「本当に自分勝手な男だわ」
「どうせ、後で嬉々として真相を語ってくれますよ。そうしなくては、私を顎で使わせてあげないと約束しているんです」
「……希子ちゃんって、逞しい性格してるわね」
「よく言われます」
私は、私のことをよく分かっているつもりだ。
だから、どうせ考えたって思い浮かばない答えを探すより、とっとと役割を与えてもらい支援委員としての活動に勤しむことにしている。
これが、日向希子が最もストレスを覚えずに生きていく方法である。
一般人は、下手にプライドを高くしない方が何かと得をするものである。第一、脇役であっても、影郎君が私を必要としてくれることは嬉しいという事情もある。
そして、私が身に着けたレーゾンデートルは、かの知性と暴虐の騎士に尽くす程度の厄介で崩れるような代物ではないのだ。
室で大人しく待っていると、二十分程で影郎君は戻ってきた。席に座るなり私が問い詰めると、彼は顎を引いて静かに笑顔を零した。
「それで、影郎君。どういう理由だったんですか? まさか、実は全部が柊さんの勘違いで、私たちのいない間に鈍感になる催眠術をかけた、とかじゃないですよね?」
「ククッ。相変わらず、希子の発想は奇抜で面白いね。異能者でもない限り実現不可能であるという点に目を瞑れば、実に素晴らしいアイデアだと思うよ」
あぁ、また皮肉を。
「倉狩君。奇抜なのは構わないけれど、少しくらいはチームプレイを意識した方がいいんじゃないかしら」
「普段は円滑に回っている方法だ。今回は、キミの使い道に迷った結果、少しばかりモタついただけでね」
「ふふん。それだけ偉そうなことを言って見当外れなら、私は指を指して笑って差し上げるわ。楽しみねぇ」
「教えてあげるけど、僕はキミと違って嘘をつかないんだよ。伊織君。つまり、キミのことは本当に宿敵などと思っていないし、あまつさえクライアントとの現場検証を見逃す愚行についても詰問するつもりはないのさ」
「ほ、本当に、あなたと言う人は……っ」
こんなにも"わなわな"という表現が正しい怒り方をするのは、月乃さんと、第二次世界大戦での敗北が確定した瞬間のヒトラーを置いて他にいないだろう。
しかし、影郎君がこうして私(今では月乃さんもだけど)を皮肉って、爛々と目を輝かせているということは、これはもう、完璧に答えを導き出してるということなのだ。
彼は、自らの推理に1%でも懸念があれば、気の済むまで熟考し、人の命がかかっている場合を例外として、絶対に他人へ披露したり解決策を実行したりはしない。そんな、意外と保守的な性格の持ち主なのである。
まぁ、だからこそ、思いつかない側としては真相を聞くまで言い返す事も出来ずに、悶々と皮肉を受け入れるしかないのが苦しい限りなのだが。
「道すがら話そう。逃げる相手ではないけれど、早急に抑える必要がある。何故なら、柊さん以外にも被害を受けている生徒がいるかもしれないからだ」
突拍子もないことを言ったような気がした。
はて。ストーカーというくらいなのだから、柊さんに恋焦がれ、固執している偏愛的な生徒の犯行だと思っていたのだが、影郎君が睨むに、どうやらそうではないらしい。
ならば、どういった理由で女子を追い回すのだろう。
「色んな女子を好きになるような男子なら、粘着するような性格をしているとはとても思えないわ」
「可能性の話さ。この犯人は、複数の女子へ同時に好意を抱いた時、全員をストーキングすることが出来るからね。まだ見ぬ危険を未然に防ごうというならば、考え過ぎということもない」
「気になるので、結論から教えてください。ズルいです」
「ならば、教えよう。柊さんのストーカーは守衛だ。彼は、監視カメラを使って女子生徒をストーキングしていたのさ」




