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003

「まず初めに、伊織君。キミは曜日の色分けを知っていたね。いつ、どこでシュタイナー教育を学んだ?」


「もう、ずっと昔よ。小学校に通い始めた頃、両親のすすめで私は色々な習い事をしていたの。月曜日はバレエレッスン、火曜日はピアノ教室、水曜日はスイミングスクール――」


「木曜日は絵画教室ですか」


「なんで分かったの? 因みに、金曜日は合気道だったわ。両親曰く、曜日に対応した習い事だったんですって。この時、昔からの知り合いだった、絵画教室の先生に教わったシュタイナー教育を参考にしたと言っていたの。まぁ、今はもうほとんど辞めてしまって、続けているのはピアノだけですけれどね」


「絵画のコンクールで入賞したことは?」


「当然あるわよ。他の習い事だって、一通り入賞して実績を積んだわ」


「その絵には、ルプソワールの技法が使われていた。違うかい?」


「んー。えっと、そう……ね。うん、そうだったハズよ。よく覚えていないけれど、その先生がフェルメールの大ファンだったから、私たち生徒はみんな彼の技法を……。あっ――」



 便箋に記されたF・Mの文字を見て、伊織先輩はグイと机の上に乗り出した。



「『窓辺で手紙を読む女』ね!」



 あいにく、私は絵画についての知識なんて一つも持ち合わせていない。故に、如何に有名な作品であっても注釈することは出来ないのだ。



「今の発言からして、最初に伊織先輩の席の場所を確認したことと無関係というワケではなさそうですね。影郎君。ルプソワールというのは、フェルメールが生み出した代物なんですか?」


「生み出したわけではなく、よく使ったという代物さ。手前に物を置いて奥行きを演出するという技法だね。さて。この『窓辺で手紙を読む女』は、第二次世界大戦中、ヨーロッパを旅する過程で数奇な運命を辿った絵画であって、語るべき特徴が幾つもあるのだけれど。今回の手紙において重要なのは、手紙に記されている天使だよ」



 影郎君は、本棚の中から一冊の画集を手に取ると、それを広げて机の上に広げた。



「この絵の奥の壁、実はキューピットの絵がかけられていたんだ。資料では塗り潰されているけどね。もちろん、現在は修正され復活している。それはさておき、壁のキューピットは偽りの愛を象徴する仮面を踏みつけているんだ。つまり、真実の愛を表すメタファーなわけだが。要するに、『窓辺で手紙を読む女』に手を加えた歴史的罪人は、真実の愛を否定したということになる」



 あぁ。これは、本格的に意味の分からない話になってきたなぁと、私は思った。



「そんな蘊蓄は、今さら教わるまでもないわ。問題は、それがなんなのかよ」


「まだ分からないのか。この手紙の送り主は、キミに窓辺で『F・M』と書かれた手紙を読ませたんだ。つまり、現代の特進クラスで『窓辺で手紙を読む女』を再現したということだ。これだけの要素が組み合わさっても全てが偶然であることは、そうそう考えられまい」


「……ぁ」


「加えて、キミの通う教室は先週の土曜日に補修作業をしていただろう。ペンキ屋さんが何を塗り潰したのかは知らないが、キミをモデルにフェルメールの絵を再現したのだから、相応の落書きがあったのではないかい? それを書いた犯人が、まさか他所のクラスの生徒だとは思わなかっただろうね?」


「あ、ああぁっ!!」


「つまり、天使のいた場所とは二年特進クラスだ。手紙の送り主がキミを待つ場所は、他でもないキミのクラスさ。送り主は間違いなくアーティストだよ。無論、そんな作品を作りたがった理由は意趣返しだ。嘗て、キミが描いた作品を超えるものを、送り主は同じ題材で作りあげたのだよ」



 どうやら、記憶を探って真実を認めたらしい。伊織先輩は、茫然自失といった様子で影郎君の目を真っ直ぐに見つめていた。



「僕がオレンジの(ほとり)と言ったとき、伊織は妙に素直に意味を受け入れた。しかし、表記は『畔』ではなく『辺』だ。普通は希子の反応が正しい。だから、あの時、僕はキミが忘れているだけで既に知っている言葉であると確信した。シュタイナー教育方法と絵画教室に行き着いたのは、そこからの逆算による蓋然性に基づいた答えだ」



 背の後ろで手を組み、またしてもウロウロと歩き始める影郎君。



「僕は、オレンジの辺とは絵画教室で使われていた時間の呼び名だと思っている。木曜日の習い事ならば、当然放課後の教室だろうから、時間割を単純に朝、昼、夕と分けるのは相応しくない。だから、某は準ずる言葉を当てはめて独自の世界観を作った。センスのない僕には、なぜ色分けしたがるのか、なぜ『辺』という言葉を当てはめるのか、そこの理解に苦しむけれどね。しかし、手紙の時間を指定する言葉に当てはめられているのだから、そう考えて間違いないだろう」


「……どうして、忘れていたのかしら」



 苦しそうな心の呟きを聞いて、影郎君は一瞬だけ鋭い目付きで伊織先輩を睨みつけたけれど、またすぐに歩き始めて窓辺で足を止めた。



「しかし、今の影郎君の話では、これがラブレターでない理由は一つも説明出来ていませんよ。フェルメールを模倣しているというのなら、むしろ熱烈な愛の告白である可能性の方が高いように思えます」


「それはない。なぜなら、この手紙には嘘が一つも書かれていないからさ。暗号文で知らせようとする以上、嘘を混ぜる必要がないと言った方が正しいけれどね。つまり、嘘があれば、送り主の目的が果たされないことになってしまう」


「影郎君の言葉は難しいんです、スパッと答えを言ってください」



 上目遣いに睨むと、彼は便箋をフェルメールの画集の上に落として人差し指で筆記体の文字を指す。



「FとMの間にカンマが打たれているだろう。そもそも、フェルメールとは彼の本名であるファン・デル・メールを省略したもので()()なんだ。送り主だって、そんなことは当然分かっている。分かっていなければ、この手紙も絵画の再現のトリックも不可能だからね。ならば、カンマを打っているこれは必然、オランダ語のVermeerではなく英語でfall mailと記すことになる。直訳すると――」


「落ちる手紙?」


「……脅かす、よ。希子ちゃん」



 伊織先輩が、項垂れながら呟く。調べてみると、fallには、落とすや落ちるの他に脅かすといった意味もあるらしい。ならば、なるほど。カンマが打たれている以上、そういう意味と捉えるのが自然なのだろう。



 これは、送り主の名前ではなく、作品のタイトルだったのだ。



「加えて、告白を受け続け脅迫との区別もつかない伊織君で再現したのは、キューピットが失われたバージョンの『窓辺で手紙を読む女』だ。愛のメタファーが失われたのであり、ラブレターではないという読み方も出来る。この送り主の皮肉のセンスは、実に僕好みだね」


「う、うるさいわよっ!」


「さて、最後に送り主についてだが。いつ手に取るのか分からない手紙を、キミが窓辺で読む姿が確認出来るのは、ほとんどの場合クラスメイトだけだ。

 後は、その日、『窓辺で手紙を読む女』と同じ角度の絵を見ることの出来た場所にいた人間を思い出せば、自然と判明するだろう。覚えているかい?」


「覚えていないわ! だって! 私は手紙を読んでいたんだもの!」


「そう、()()()()()キミだ。だからこそ、送り主は満足したんだ。ラブレターであると勘違いしなければ、不遜なキミでも周囲を確認して怪しい人物を見つけようと努力しただろう。そうしなかったのも、すべて観察されているんだからね。

 慣れ親しんだ告白に辟易とし、()()()()真実の愛が失われたことを相手は知っている。相手はもう、キミに危害を加えずに済むと安心しているところだと思うね。

 これに懲りたら、少しくらいは自分の性格について反省して、人様の心中を想像するがいいさ」



 その言い方だと、まるで、送り主が伊織先輩を傷つけたくなんてない、と言っているみたいだと思った。



「特進クラスの生徒は三十人ですよね? 伊織先輩と同じ絵画教室に通っていた生徒を調べれば、相手は分かりそうですけど」


「そんな時間はないわ。もう、教室が閉まってしまう」


「やめておきたまえ、会いに行くべきじゃない。どんな理由であれ、恐らくキミは()()()()()()()()()()()()。キミを使って作品を完成させた理由も、きっとそこに起因しているんだろう?

 見逃されようとしているのだから、大人しく従うべきだろう。忘れるのがいいに決まっている」


「いいえ、それは違うわ」


「手紙を読めなかったキミを見て、送り主はさぞ嬉しかっただろうけれどね」


「それでもよ」



 私の想像の及つかないところで、二人は話をしている。けれど、そんな一般人な私だからこそ、知りもしない送り主の苦しみに満ちた過去と、今になって脅迫状を書くに至った理由が分かったような気がした。



「会いに行く。どんなことでも、必ず終わらせるのが私の生き方だから」



 伊織月乃は、カッコいい人だ。こんな覚悟を持っているからこそ、彼女は女王として君臨するのだろう。



「ならば、他に言うことはない。今日の活動はおしまいだ。希子、お疲れさま」


「ねぇ、影郎君も一緒に行きましょうよ。伊織先輩の身にもしものことがあったら大変です」


「僕は耳鼻科に寄ると言っただろう、時間がないのさ」


「そんな、無責任ですよ。謎を読み解いておいて、防げることを防がないなんて」


「これで傷つけられるようなら、いよいよ才色兼備の称号は返上すべきだ。伊織月乃がその程度の女だったと、僕の認識も改めることとなる」



 影郎君は、私たちに背中を向けた。



「失望させないでくれよ、女王様。今のキミになら、すべてを平和に解決することなど造作もないだろうさ」

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