015
「嘘というのはですね、突き通さなければならないのですよ。一時の相手であればその限りでないですが、あなたのようにずっと一緒に暮らす相手ならば、虚勢も張り続けなければ意味が無くなりますからね。
そして、いくら天才的な嘘を思い付いたとしても、それを突き通すために必要なのは努力です。そこまでのことをして、なぜ由亜はあなたに嘘をついてきたのか。
どうです? 昨日出会ったばかりの僕が思い当たるのです。恐らく、由依さんも少なからず不思議に感じていたことなのではないでしょうか。言葉にされれば、尚更思い当たる節もあるでしょう。
これから、僕はそれについての単なる憶測を語りたいと思います。証拠があるわけでもありません。絵空事です。それでも、聞いていただくことは出来るでしょうか」
「影郎、それは……」
「これを言わずして帰ってきてくれるような場所に、由依さんはもういないよ」
ピシャリ。
影郎の強い口調が、由亜の迷いを振り払う。この男は間違いなく真実を語る。そんな直感を、しかし受け入れる覚悟が由亜の中にはあった。
返事は必要ない。影郎は、由亜の瞳に頷いた。
「現状を整理しましょう。
僕が思うに、キミたちは互いを信頼し過ぎて、好き合い過ぎている。エネルギー保存の法則です。それだけの感情があったからこそ、ここまで拗れてしまっていると言えます。
もちろん、それが双子のあるべき姿だというのかもしれない。しかし、ならば、今度はたった一度の喧嘩でここまで拗れるような離れ方をしていることに説明がつきません。そうあるべきだと互いに思っているのなら、そもそも喧嘩が起こらなかったとも言えるでしょう。互いに分別のついた対等な関係だと理解しているのなら、ここまで一方的な感情が交錯することもないですからね。
そこで、僕はなんらかの要因が姉妹の絆を上回っているのだと推察しました。この可能性にあなたたちを当てはめてみると、さて、由亜の場合はよく分かります。由依さんは陸上に情熱を燃やし、インターハイにまで登り詰めた本物のランナーです。それだけの努力を目の当たりにしていたのです、尊敬を抱くなという方が難しい。ここまでは、当然の話です。
けれど、由依さんは? なぜ、たった一度でそこまで反転してしまうほどの好意を持っていたのでしょう。今の憎しみを見るに、ただの姉に対する愛だったとは思えません。ハッキリ言って、それほどの拒絶は異常ですよ。
そして、先ほどの由亜に対する『昔から嘘ばかり』というセリフ。つまり、あなたは知っていた。由亜が嘘をついていることを知っていたのです。それでいて、姉に対する感情以上に好意を持っていた。ここに、僕は可能性を見出しています」
双子は、まるで鏡に映る姿のように、同じ方向へ目線を反らして俯いた。
「由亜。キミは、由依さんだけではなく自分自身にも嘘をつき続けてきたのではないかい? 例えば、そう。自分を母親だと思わせるほどの大きな嘘を」
由亜は、自嘲気味に笑う。風に靡いたショートカットが、柔らかく揺れて儚げな様子を醸し出していた。
「あなたたちの話には、どういうわけか両親が出て来ません。それだけの喧嘩をしているのにも関わらず、です。
姉の由亜が、由依さんの走りを恐れるトラウマを知らないほどの仲違いなのです。僕には普通の家庭は分かりません。しかし、想像するに、家庭内の空気を鑑みて仲裁を買って出るのが当然でしょう。もちろん、これはそう信じてやまない僕の願望ですが。
浅慮ながら、ここから考えさせていただきました。つまり、あなたたちの両親の問題です。間違っていたら、必ず否定して僕を非難して下さい。ひょっとすると、あなたたちの両親は昔から家にあまり帰らない人なのではないでしょうか」
「……嘘だよ。なんで、あんたなんかに。絶対にあり得ない」
「気楽な人間は、嘘などつかないものですよ。由依さん」
由依の膝が震え、非常階段の鉄扉へ寄りかかった。
「なんで、そこまで分かるのよ。真尋にも言ってないのに……」
「ゆ、由依。落ち着いて」
「どうして!? 一体何なのよ!! あんたは!?」
「そこで、由亜が僕に理由を話したのだと考えないところに、あなたの由亜への信頼が垣間見えます。安心しました」
「……っ」
「由亜を母親のように慕っていたのならば、母親に欲しかった言葉を貰えなかったのならば、突き放されたと感じても無理はないでしょう。果たして、それは由依さんの依存気質に起因するのか、それとも天才的な由亜の嘘に由来するのかは分かりませんが――」
そして、影郎は由亜に向き直った。
「キミの嘘は実に巧妙であり、そして、優し過ぎたんだよ。由亜。見破っていても、思わず縋ってしまうほどにね」
由亜は、どこか嬉しそうだった。
まるで、生まれて初めて自分のことを理解してくれる人間に出会ったかのような、そんな晴れ晴れとした表情であった。
「さぁ! 僕を見てください、由依さん! これでも、あなたにとって八神真尋は全てですか? 本当にそれしかいらないのですか? かけがえのないものは他にないのですか? 本当は彼女が母親代わりなどではないと知っているのに、なぜ頑なに拒むのですか!?」
「ぅ……っ」
「大好きな姉に尊敬されるほどあなたが情熱を燃やした陸上は、違うのですか? あなたの為に心を殺し、今まで張り続けた虚勢を剥がしてまで僕のような外様に助けを求めた由亜のことは違うのですか?」
「うるさい……っ!! うるさいうるさいうるさい!! 本当に、一体なんなのよ!! あんたはぁ!?」
「これ以上、大切なものを裏切ってはいけません。その男以上にあなたを助けてきたものから目を背けてはいけません。そして、その男に対する今のあなたの感情は、僕が保証します、すべてが今を逃げるための嘘っぱちです。その感情の正体は、由亜と陸上から目を背けたせいで行き場をなくしたエネルギーです。つまり、恋などではなく、あなたの持つ依存心というだけなのですよ。彼は、彼自身のためにあなたを否定しなかったに過ぎない!!」
「違う……よ……。違う、違うもん。私は、違う。真尋は、私を助けてくれて。それで……」
「神様は、決して僕たちを救ってなんてくれないのですよ!!」
影郎の迫力に、いよいよ、由依は蹲って泣き出す。
「助けて。助けてよ、お姉ちゃん……っ」
そして、由亜は震える足を必死に抑えて一歩を踏み出すと、一閃、影郎の頬を一発叩いた。
影郎は、口の端を歪めて儚く笑う。よくやってくれた。由亜には、そんな言葉が聞こえたような気がしている。
ならば、あたしは精一杯嘘をつこう。あんたの想いに、報いるために。あんたの想いを、無駄にしないために。
「影郎、私の妹に何を言うのよ。ブッ殺すよ」
「……すまない、言い過ぎた。僕は黙ろう、後は任せたよ」
そして、踵を返す。そんな彼を横目に、由亜は蹲る由依に歩み寄って肩を支えた。
「由依……」
「倉狩さんの話、本当は分かってた。お姉ちゃんが無理してるの、ずっと知ってた。お姉ちゃんがずっと頑張ってたこと、お姉ちゃんがずっと私のことを守ってくれてたこと、ちゃんと知ってたよ。
でも、出来ない。出来ないよ。だって、私は真尋のこと、好きだって思ってるんだもん。由亜のこと、信じられないんだもん。彼だけが私のことを見てくれてるんだって、信じちゃってるんだもん……っ!」
「なら、一度でいい。あたしに、仲直りするチャンスをちょうだい」
由亜の目は、ひたすらに真っ直ぐだ。
「チャン……ス?」
「そう、チャンス。これで由依があたしより八神の方が大切だって言うのなら、もう二度と話しかけないよ。私も今を受け入れる。あんたのことは諦めて、親と同じように、ただ冷え切った家の同居人だって思うことにする」
「……うん」
「でも。でもね。もしも、影郎の言う通り、八神がただ無関心であんたの話を否定しなかったってことを証明出来たのなら、その時は、ちゃんと自分のことを考えてみて欲しい。
そして、あんたの恋の始まりが勘違いだってことを認めて、それでも八神と一緒にいたいって答えを出したのなら、それは構わない。あたしは黙って見守る。
けど、もしも考えを改めて、また自分のために生きてみようって思えたのなら――」
由亜は、由依の手を強く握りしめた。
「約束する。あたしも応援するから、また陸上を始めてよ。あたし、あんたが本気で走ってる姿が何より大好きなの」
由依は、俯いて由亜の手を握り返すと、大粒の涙を彼女の手の甲にポツリと落とした。




