014
× × ×
屋上での激突より、数刻前。
「ねぇ、なんで希子ちゃんを置いてきたの?」
「待っている時間が無かったのさ。それに、どうせ後から三人とも来るよ」
「三人? 支援室にいた二人には、留守番とか言ってたじゃんか」
「希子が助けを求めるなら伊織君だ。そして、僕の居場所を探った彼女たちが好奇心を抑えて僕の言うことを素直に聞くとは思えないからね。誓ってもいい。彼女たちは必ず来る。キミは、のび太君がジャイ子と結ばれずともセワシ君が生まれてくる経緯を知っているかな?」
「確か、新幹線で行こうが飛行機で行こうが、目的地に辿り着く結果は同じだから。だっけ?」
「そう。僕は、そういうヒントを残した。伊織君なら、僕らとは違うルートを辿ったとしても現場へ来るに違いない。ククッ。支援委員長として、彼女たちが言いつけを破った罰を考えておかなければね」
「……捻くれ者」
放送室を後にした影郎と由亜は、早足で昇降口へ向かう。辿り着くと、そこには一人の不良生徒。彼らは、挨拶を省略し会話を始めた。
「白浜と相瀬のガラ、抑えたぞ。八神にゃ招待状も出してある」
「ありがとうございます、庄司先輩」
「けど、これって大丈夫なのか? 他の奴らの顔は隠させてるとはいえ、流石に三年になってクビは困るぜ?」
「すべて僕の責任ですから、ご安心ください」
「……まぁ、お前が言うなら信じるけどよ。そっちの女か? 今回の依頼人は」
「えぇ、その通りです」
「ほぉん」
庄司は、品定めするように由亜を見る。しかし、高圧的な態度の男子を見ても、彼女は少しだって物怖じする様子はなく、むしろ睨み返すように視線を送った。
「理由は聞かねぇよ、俺は外野だからな。でも、人攫いまでやらかしてんだ。きっちりケジメつけろよな」
「あんたに言われなくたって、最初からそうするつもり」
「ははっ、俺に向かって『あんた』ってか。影郎。なんたってお前の周りには、鼻っ柱の強ぇ女ばっかり集まってくるんだろうな。去年、お前と一悶着あった女。確か、甘夏涼花だっけ? あれも大概だったよな」
「懐かしいですね。しかし、それは派手なやり取りだけが表面化しているに過ぎません。実際、心が穏やかで静かな人も支援室を訪れますよ。もちろん、男女問わずにです」
「ふっ。変わんねぇな、お前は」
庄司は、踵を返して屋上へ向かう。
「演技に自信はねぇけどよ。まぁ、上手くやるわ。これで借りは無しだぜ」
「もちろんです、よろしくお願いします」
背中越しの庄司に返事をした影郎は、旧教室棟の非常階段の麓へ移動した。すると急に鉄扉が勢いよく開かれ、靴は上履きのまま、目には大粒の涙を浮かべた戸上由依が現れた。
由亜が、小さく声を漏らす。まさか、こんなに早く妹と対面することになるとは想像していなかったのだ。
「……え、えぇ? 由亜?」
まるで、目の前にいる由亜の存在が信じられないといった表情を浮かべると、今度は影郎と由亜の顔を交互に見る。
「け、今朝ぶり。うぅん、久しぶりかな。由依」
「なんでここにいるの!? びょ、病院に運ばれたって!!」
「ごめん、あれ嘘。あんたと少し話したかったから」
「嘘って……っ。由亜、本当に昔っから嘘ばっかり!! 私がどんだけ心配したと思ってるの!?」
「こうでもしなきゃ、あんたはあの男から離れようとしなかったでしょ!?」
由依が黙ったのは、由亜の目に涙が浮かんでいたからだ。
「……影郎、説明して。どうして由依がここから来るって分かったの?」
「その説明が必要だとは思えないけれど」
「いいから! 言葉出てこないから、間を持たせろって言ってんの!」
「そうですか。まぁ、単純な話だよ。あの校内放送は、二年六組と支援室にだけ流していたのさ。つまり、由依さんのクラスと支援委員へ向けたものというわけだね。
まさか、学校全体にデマ情報を流すわけにもいかないだろう。何より、由依さんの友人に聞かれてしまえば、その人たちもついてきかねない。だから、的を絞る必要があった。
しかし、その方法は簡単だ。考えるまでもない。僕たちは授業をサボっていたから気が付かなかったかもしれないけれど、先ほど六時限目が終わったんだ。つまり、今は帰りのホームルーム前だよ。どんな授業を受けていたって、生徒たちは自分のクラスに戻っている。だから、由依さんも今は八神さんと一緒にはいないだろうと考えたまでさ。由亜の口振りから、八神さんと付き合うようになって由依さんがクラスで孤立していることも分かったから、他の生徒について考慮する必要もなかったんだよ。
さて。非常階段に待ち構えたのは、ここが最もスピーディに渡り廊下へ出られる場所だからさ。教師とすれ違い、一々声を掛けられるのは煩わしいに決まっている。だから、由依さんは人目を避けて旧教室棟を抜け出すルートを使うと思った。そういうことだね。
無論、これらは推理と呼ぶことも出来ない帰納法に基づいた答えだよ。少し時間をかければ、簡単に思いつく答えだったろう」
その演説は、由依への説明も兼ねていた。状況を理解した由依は、改めて姉の隣に立つ男に目を向ける。
倉狩影郎。
突如として釣鐘高校に現れ、一年生にして統一試験の一位を獲得した謎の転校生。その姿は、心に傷を負う由依にとって、あまりにも眩しくて直視出来なかった。
「さて、由亜。今度は、キミの想いを伝える番だよ」
視線を反らした先には、由亜がいる。彼女は、大きく息を吸い込むと、覚悟を決めて言葉を紡いだ。
「一緒に帰ろう、由依。あんたはそろそろ、目を覚ます時間だ」
「……またその話? どうして、由亜は真尋のことをそんなに悪く言うの? 彼は、何も悪いことなんてしてないよ」
「私の大切な妹を誑かしてる。これ以上に悪いことなんて、他にない」
「誑かすだなんて、そんな言い方ってないよ! 大体、あの時に私の話を聞かなかったのは由亜でしょ!? 私がどれだけ……。どれだけ苦しかったと思ってるのよ!?」
一年生にしてインターハイへ出場した由依だったが、初の敗戦以来スランプが続いていた。冬が深まるに連れてタイムは落ち込み、県大会でも思うほどの結果を残せず、次第に周囲の興味が自分から薄れていくことを感じ、焦りを覚えるようになっていた。
そして、来る春休みのとある日。
『由亜。私、最近走るのが楽しくないんだ。……どうしたらいいかな』
『別に、嫌なら止めればいいじゃん。そこまでだったって思って、明日からはバイトでも始めなよ』
その突き放すような言葉が、由依の心に突き刺さったことは言うまでもない。
天才としての驕りがあったことを、彼女は認めている。見識が広がり、世界には自分よりも格上の存在がいることも受け入れて、由依は新たに走り出すために、大好きな姉から励まして欲しかった。
彼女の願いは、ただそれだけだったのだ。
「由亜が、何でも相談してって言ったのに。絶対に味方でいるって言ったのに。だから、私は由亜だけに弱音を吐いたのに。
……それなのに! どうして!? ねぇ、どうしてなの!? どうして、そんな酷い嘘をつくの!? そんなふうに突き放すなら、最初から味方面なんてしないでよ!!」
そして、由依は怪我をした。
彼女は、由亜の言葉が刺さったままで走り出し、集中力を欠いたことで転んでしまった。靭帯が断裂し、足首の骨が砕けたが、それよりも辛かったのは、打ち込まれた楔が更に深く心の奥へと突き刺さったことだった。
だから、由依は今日まで、由亜を徹底的に拒絶し続けたのだ。
「そんな私を、真尋は助けてくれた! 真尋だけが私を助けてくれたんだよ!? それなのに、どうしてそんなふうに彼を悪く言うの!? どうして、由亜にそんなことを言える資格があるの!? ねぇ、答えてよ!!」
由亜は、目に溜めていた涙を静かに流した。消え入りそうな声で呟いた「ごめんなさい」は、激昂している由依の耳に届かない。
しかし。
「姉だから、ですよ」
ただ一人、影郎にだけは聞こえたようだった。
「……倉狩さん。今は、黙っていてください」
「申し訳ございませんが、それは出来ません。僕は由亜の味方であり、あなたの味方でもあるのです。彼女が落ち着くまでの間の代弁くらいは、こなしてみせる義務がございます」
「義務……?」
「思い出して下さい。あなたと由亜が培った十六年間という歴史は、そのたった一言で壊れるほど脆いものでしたか?」
「それだけ、私が傷付いたって話です」
「ならば、本気で傷付いていたあなたを救うために、由亜は別の道を提示したに過ぎない。要するに、彼女なりの気遣いだった。そう捉えることは出来ませんか?」
「そんなこと、あり得ません。由亜は、私のことなんてどうでもいいから突き放したんです」
「そうですか。ところで、由依さん。僕はね、一つだけ、戸上由亜という女子について気になっていることがあるのです。つまり、なぜ、由亜は嘘などという悪い特技を磨いたのか。そういう疑問です」
「……え?」
影郎は、いつものように少し歩き始めたが、すぐに思い直して立ち止まると、深くため息をついてから徐ろに口を開いた。




