009
「まだ信じてくれないのなら、もう少し話そう。僕は、由亜のアイデアが実現しないであろう根拠が三つあると考えている」
「……教えて」
「第一に、八神さんは彼女たちを突き放したりはしない。これは絶対だ」
「なん……で?」
「彼は、恋愛感情に対してのみ無自覚を発揮しているからさ。恐らくは、ヒロインたちを仲のいい友人として見ているんじゃないかな。そんな身近な人が傷付けられれば、例え恋人じゃなかったとしても、誰だって怒るに決まっている」
不意に、一宮の言葉を思い出す。
何かを背負ってる男の顔ではない。つまり、守るべきものだとは考えていないのなら、支え合っていると認識しているというのが正しいのかもしれない。
ドロドロに、溶け合うように支え合っている。それは、王様と側室のような関係とは言い難い。むしろ、遭難して無人島に打ち上げられた、一人の男と五人の女というのが当て嵌まりそうだ。
「大体ね、八神さんは傷を負った女子にモテる男子なんだよ。どんな類のそれかは定かではないけれど、少なくとも優しくないわけがないじゃないか」
「うぅ……っ」
「第二に、由依さんは困った時にまず八神さんを頼る。これも絶対だ。何故なら、実際にそうだったから。由依さんが傷を受け、誰にも頼れなくなった時に頼ったのは、キミではなく八神さんだったろう。今回もそうなるに違いない。
余談だが、この点から推察するに、由亜。キミは、由依さんが怪我をする直前に喧嘩でもしていたんじゃないかな。だから、恋の経緯を知ることが出来ず、状況を把握するのが遅れ、二カ月も経った今になってそんなに焦っているのだろう」
由亜さんの表情が、露骨に歪む。そこまで言い当ててしまうのは、もう、ほとんどリンチに近いような気がする。
止めるべきだろうか。いや。影郎君を止めてしまえば、由亜さんはきっと――。
「第三に、これが最たる理由なのだけれどね。宗教とは、人に『辞めろ』と言われて辞められるものではないのさ。青い魚が泳ぐのを止めないように、赤い花が咲くのを止めないように、白い宗教家は信じるのを止めない生き物なんだよ」
宗教。
影郎君は、ハッキリと言い切った。恋愛として見てしまうと語る資格のない彼だから、敢えてそう表現したのだ。だから、私は彼が決して由亜さんを見捨てる気など無いということが分かった。
みんな、不器用だ。
「宗教だろうが恋愛だろうが、今どき形のない前時代的な文化なんて無意味だ。証拠の無い関係に価値なんてない」
「意味はあるさ、結果もあった。だから、彼女は救われた」
「い、いつか、必ず終わる時が来るよ」
「いつか消えて無くなるから、意味が無くなるから、必要が無いというのかい」
「そうだよ!! だって!! 学生の恋愛なんて一時の気の迷いで!! ちっとも永遠なんかじゃない!! 男は裏切る生き物だ!! 平気な顔をして永遠を誓うくせに、何事もなかったかのように消えていくでしょ!? あんたたち男は、女が本当に困った時、どれだけ縋ったって助けてなんてくれない!! 居て欲しい時に甘えたって、自分のやりたいことを優先する冷たい心の持ち主じゃんか!!
おまけに、由依はハーレムなんて下劣な模様に巻き込まれているの!! 破滅は約束されているの!! 一人を選んだ男ですら終わってるのに、五人だなんて。他に一番が幾つもあるような男なんて!! 一体どうすれば信じられるのよ!? そんなの、あたしは絶対に――」
「その当然の結果が、由依さんの今の気持ちより大切だとは僕には思えないけれどね」
……由亜さんの頬を、一筋の涙が濡らした。
影郎君の言葉は、きっと裏切りにあってきた由亜さんにとってあまりにも深く突き刺さった。昔を思い出して、その瞬間に感じていた幸せで胸がいっぱいになってしまった自分に、無性に腹を立ててしまったのが手に取るように分かった。目から心が零れ落ちるには、充分過ぎる絶望だった。
嘘は、音もなく溶けていく。
「それでもと言うのなら、由亜。キミは、どうして妹を助けたいのかな」
「それ、は……っ」
「キミの、本当の願いを言ってごらん」
甘く、甘く、妖しい声。
「……由依を、取り戻したい」
「それだけ?」
「大好きな由依を誑かしてる男に、復讐がしたい」
「本当に、それだけ?」
由亜さんは、遂に耐えきれなくなった。口元を抑え、嗚咽を漏らしながら静かに語ったのだった。
「……大好きな妹が傷付くのは見ていられない。分かりきってる未来が訪れるのを看過できない。全部本当のことだけど、本当はそうじゃない。
あたしが……っ。あたしが、このあたしがそんな心配をしたくないのっ!! ちゃんと幸せでいてほしいの!! あたしが由依から離れたくないの!! だって、耐えられないから……っ!! 寂しいから!! 一緒にいられる時間が削られるのが許せないから!!
それに、由依が傷付けばあたしだって傷付くの!! 痛くて仕方ないの!! 由依は、怪我をした。神様に生き甲斐を奪われた。あの時の苦しみをもう一度味わっている由依なんて絶対に見たくないのっ!!
どこかへ行くというのなら、笑って見送ってあげたかった……っ。見送ってあげたかったのに……っ。まだ『おかえり』も、『いってらっしゃい』すら言えてない。あの日から、由依はまだあたしのところに帰ってきてない。ずっと帰ってきてないの!! 同じ家に住んでるのに、こんなに遠いなんて辛いんだよ!! だから――」
由亜さんは、影郎君の手を弱々しく握った。
「だから、あたし、由依に謝りたい……っ」
一欠片の嘘も混じっていない、彼女の本当の言葉。絞り出した掠れた声は、悲痛と苦悩に塗れていた。
「分かった」
影郎君は、力強く答える。
「僕らは、キミだけを救う。八神ハーレムを徹底的に叩き潰し、由依さんの居場所を無くしてみせよう」
その宣言に、今まで沈黙を貫いていた月乃さんが意見した。
「いいの? 倉狩君。不幸になる女子が、四人も生まれるわよ」
「構わないさ」
「本気、なの?」
「いいかい、伊織君。支援委員はね、僕たち支援委員はね! 決して、平和を追求する優しい使者などではないのさ。何より、僕は『みんなが幸せになる』だなんて綺麗事が、この世で一番嫌いなんだよ」
窓の向こうの空で太陽を雲が隠し、支援室に仄暗い闇が訪れた。
「僕らは、現実に苦しみ、藻掻き、悟り、それでも諦めず考え抜き、プライドをかなぐり捨て、恥をかく覚悟を決め、勇気を振り絞って支援室を訪れることの出来た、真に助けを求める者の残酷な結果を覆すための存在だ。
つまり、支援委員は、極めて利己的で独善的で公平性を欠いた『敗者の正義』の味方なのだよ」
水晶玉のように澄んだ目には、冷たくて青白い炎。ユラリと燃えると、それはすぐに消えて辺り一帯を静まり返らせる。一瞬で、この場に溜まった葛藤を燃やし尽くした。そう思わせるほどに力を感じる炎だった。
しかし、影郎君はすぐに優しく微笑んで首を傾げる。
「降りるなら今だよ」
その提案には、誰一人として乗らなかった。何故なら、私たちは、とっくに影郎君のことを知っていたのだから。
影郎君が、決して博愛主義者ではないことなど、とっくに分かっていてここにいるのだから。
「ククッ。そうかい。では、改めてよろしく頼むよ」
もう、後戻りは出来ない。
この瞬間、私たちは、ようやく本当の意味で釣鐘高校の暗部となったのだ。
「さぁ、由亜。キミにとっての悪を、討ち倒しに行こうか」
「ど、どうやって?」
「神様は救ってくれないってことを、彼女たちに教えてあげるのさ」




