002
「先に言っておこう。伊織君、キミはこの手紙を、自分に閃きがないから読めないと言ったね。しかし、それは誤解だ。
実際のこいつは、レトリックと知識によってのみ構築されている実に単純な文章だ。知っている人間が読めば意味を隠せてすらいない代物なのだ。解読に発想なんてモノは一つも必要ないんだよ。
まったく。才色兼備と持て囃されいい気になっているのなら、それくらいは分かってもらわないと困りますね」
手紙をヒラヒラと揺らす影郎君を見て、伊織先輩は美しい表情を歪ませ音が聞こえるくらいにピキリと額へ青筋を立てた。
この、自分より格上の人間を嫌になるくらい見下すような人柄の背景は、やはり、さっきの私の命を助けた話に繋がるのだ。
「随分と皮肉が得意なようね、倉狩君。立派だわ。まぁ、別に私がいい気になっているかどうかはさておき、あなたは人を助けるという看板を掲げておきながら、頼ってきた相手を小馬鹿にするんだもの。それが支援委員会のやり方というワケ?」
皮肉というモノは、頭のいい相手にほどよく効くのだと私は支援委員会に入って知った。加えて、伊織先輩は自他共に認める完璧超人な女子だ。同年代の、それも男子から今までこんな風に見下された経験などあるはずもない。
影郎君の言葉は、よほど耳障りだったろう。美人の怒り顔は、同性の私にとっても、それはそれはこの世ならざるモノのように恐ろしかった。
「本気で困っている生徒には精一杯奉仕するけれどね。キミの場合は、今のところ、僕らにラブレターと勘違いした悲痛な思いの手紙を見せびらかして自慢しただけじゃないか」
「なんですって!?」
……悲痛?
「最初、僕がキミの言葉に答えなかった時、キミは『怒らせたかしら』と言った。キミが心の底からその手紙を愛の告白だと信じて、一切疑っていなかった証拠だ。本当に、自分が嫌われているだなんてこと、ただの一度も考えたこともないんだろうね。そんな自信家が、大して焦った様子も無く居直るさまを見る、あぁ、僕ら力を貸す側の心境と言ったら。いやはや、この密かな落胆を言うことすら叶わないか。世知辛いね、どうも」
それを聞いて、彼女が青筋をブチ切り憤慨したのは言うまでもあるまい。伊織先輩のプライドの高さもさることながら、この煽り屋はどうにかならないものかと思い、私はため息をついた。
「言ってくれるじゃない」
「ほう、怒るのですか」
「怒っていないわ、教えてあげるのよ。あなたは、立場の弱い人間を貶めて楽しむサディストだってことをね」
「頼んだ覚えはない。そして、立場が弱いと自覚しているのならば、人にモノを説くべきではないさ」
「……だったら、話を戻そうじゃない。そういうあなたは、一体どれほどのモノなの? あなたの成績は? 偉そうに講釈を垂れるのだから、さぞ高尚な男なのでしょうね!?」
「統一試験の首席です」
なるべく彼女の恥を小さく収めるため、私が早々に呟く。影郎君はどうせ、この澄ました顔の裏では、まるで啄木鳥戦法のように、たっぷりと自分を煽らせたあげくに特大の皮肉をかまそうなどと考えているのだ。
そんなことをされれば、女子は絶対に泣いてしまう。プライドの高い伊織先輩なら尚の事だ。だから、穏便に済ませるために、僭越ながら、私が簡単に彼の功績を語ることにした。
「ほ、本当なの?」
「本当です。その男は、一般クラスに所属しているにも関わらず、学年ごとの定期試験のみならず全学年共通の統一試験においても首席を取り続けています。
つまり、この釣鐘高校の生徒の中で誰よりも……ということです。私たちがこの辺境での活動を許されている理由も、成績至上主義の生徒会役員が誰一人彼に指図出来ないからなんですよ」
「あ……ぅ……」
因みに、伊織先輩が所属する特進クラスは一万人の生徒の頂点だ。玉石混交の釣鐘高校でも特別の扱いを受けているだけあり、かの有名進学校と比べても劣らない屈指の偏差値を誇っている。
耳まで顔を真っ赤に染めて言葉を失う伊織先輩へ、影郎君は手紙を机の上に落とすと、バラされたせいか、心の底から興味の無さそうな声色で静かに言った。
「そもそも、定期考査の結果は中庭の掲示板に張り出されるだろう。自分より上にある名前を読む習慣をつけたまえ、伊織君。他人に興味がないのかな。それとも、認めたくないから目を逸らしているのかな。高校生というのは、世界が自分を中心に回っているワケではないということを認めるべき年齢だと思うけれどね」
知らなかったのも無理はない。張り出される学年の上位五十名中、三十人は必ず特進クラスな上、三年生までの全過程から出題される統一試験のランキングなど、一、二年生の生徒が確認する方がおかしい。ならば、伊織先輩が自分のクラスの順位だけを見て満足していても不思議ではないのだ。
……と言うのは、ただの言い訳にしかならないと、伊織先輩も感じたから弁明しないのだろう。
もう、私が傍観者で要られる程の余裕が失われたのは明らかだった。ならば、余計なことを言った人間が幕を引かなければなるまい。私は影郎君の頭を丸めたポスターでポコっと引っ叩くと、少し強めに睨み付けた。
「影郎君、その辺にしてください。言い過ぎです」
「そして、理由も分からないまま謝ればいいのかい。あまり気分のいいモノではないね」
「いいえ、謝らなくてけっこうよ。倉狩君。あなたという人間がよく分かりました。謝ってもらって、少しでも今の気持ちが薄れる方が私は嫌だから。今後のために私たちはいがみ合っているべきだわ」
見上げた根性だと思った。影郎君の本性を知った上で、これほどに食い下がってくる人間を、私は私以外に一人も知らなかったからだ。
「すまなかった、伊織君。謝るよ」
「謝らないでって言ってるでしょう!? ちゃんと私の言う事を聞きなさいよ!」
「しかし、僕はキミをいがんでなんていない。一方的な感情を僕に求めないでほしいな」
「ああああああっ!! せめて相手にくらいしなさい!! 本ッ当にクソムカつく男だわ!!」
私は、見た目や噂よりずっとかわいい人だったんだなぁと、言葉の節々から見えてくる裏の人格や、影郎君に詰め寄り必死に抗議する伊織先輩の姿を見て思った。
「それで、影郎君。真相が分かったのなら、いつもみたいに説明して欲しいです。なるべく、伊織先輩や私を皮肉るのは抑える方向で」
「ならば、是非とも伊織君からも頼んでもらいたいね。そういえば、キミは軽い挨拶と僕らに手紙を読むように言っただけだった。偉そうにもだ。それはただの『見物』だ。今のところ、女王様は僕を見に来ただけなんだ。
別に、料金を取ろうと言うんじゃないよ。僕はあの数字が羅列された下らない肖像画に興味なんてないからね。むしろ、頼まれたって受け取らない。
しかし、言葉は大切だ。何故なら、口にして初めてそこに意味が生まれるからだよ。支援を受けたいというのならば、やはり依頼が必要だと僕は思う次第さ」
この無音の空間を、私は気不味く、影郎君はきっとウキウキで過ごしていたが、やがて伊織先輩は、自分の能力の限界を認めたのか小さく口を開いた。
「……します」
「おや、急に耳が遠くなったようだ。希子。僕は今日、耳鼻科に寄ってから帰るとするよ」
「お願いします! 手紙の内容を教えてください!」
悪い男だ。まるで、嗜虐心の塊みたい。
「いいだろう! ただし、辻褄を合わせるためには伊織、いくつかの質問をさせてもらうことになります。そこのところ、承知しておいてくれたまえよ」
私は、伊織先輩の肩を優しく叩いて、落ち着かせるようになるべく申し訳なさそうな顔をした。恥ずかしさと怒りのせいで、きっと、ポストでもここまで赤くなったりしないだろうという顔色だったからだ。
醒めるような冷たい青白い炎が、影郎君の目に燃えていた。