007
支援室に戻って影郎君がデスクの上に広げたのは、キャビネットの上段左端から淀み無く取り出した一本松中学校の卒業アルバムだった。
しかし、きっと、戸上先輩の双子の姉妹が写っていたであろうページが、すっかり破り取られてしまって根元しか残っていなかった。
……上段左端? あそこに戻したのは、確か。
「紛れもなく、彼女の名を先に挙げたのは僕だ。自己紹介を待たず、学校新聞の記事を持ち上げてしまった。そのせいで、僕たちは彼女の説明に満足し、人柄の捏造に気付かず、卒業アルバムを改めたりしなかった。それが、今回の依頼で僕が犯した間違いだ」
今、ようやく分かった。
あの時燃えていた青白い炎は、彼女に対する好奇心だったのだ。
「正体不明の違和感があったから、依頼の開始を翌日へ持ち越すしかなかった。しかし、先ほどの体育の授業で確信したよ。あれは、決して怪我でぎこちなくなっていたのではない。トラウマでフォームを保てなくなっていたのさ。
怪我が治りきっていないのならば、体を動かすことなどスポーツ選手としてありえない。大会ならまだしも、あれは体育の授業だよ? 無茶をするというには、あまりにも粗末な舞台だ。
しかし、現に彼女は走ろうとしていた。そうする努力はしたのさ。これは、最初に戸上さんがここを訪れた時に言った『全力でなくとも走ることは出来る』の証言に矛盾する。見た通り、走れていないのだからね。
ならば、なぜ彼女はここで嘘をついたのだろうか」
影郎君は、ウロウロと部室内を歩き始めた。
「こうなると、戸上さんの八神さんへの思い語りにも疑いを向けざるを得ない。考えてみると、矛盾点が無いでもないが、最も引っかかったのは内容ではない。語る直前の視線だ。彼女は、この部屋にとあるモノを見つけたから、僕があの瞬間に八神さんのハーレムの情報を集めることを止めるために語りだしたと考えられる」
「話す直前?」
「卒業アルバムだよ」
瞬間、思い出す。
確かに、戸上先輩はこの部屋を見回した後で、不自然に、唐突に、直接的に、自身の核である怪我の話を、まるで包み隠さずに切り出した。
「結論を述べてしまったので、敢えて知ったような口振りで言わせてもらうが、数ある中から一本松中学の卒業アルバムを見つけた戸上さんはさぞ焦ったことだろう。何せ、裏の考えを持った自分が、何者であるかの証拠が目の前に置かれていたのだからね」
まぁ、確かに、普通はこんな変態的なデータが揃っているとは考えつくはずもない。
おまけに、もしも暗躍の為、相談前に部屋内部を探ろうとしても不可能だった。何故なら、影郎君は授業に出ず、最初からここにいたのだから。
「だから、戸上さんは開き直った。このアルバムを見て分かる通り、不自然に千切って自分が犯人だとバレてしまっても構わないと彼女は考え直した。自己保身を顧みず、目的遂行の為だけにひた走るならば、僕らが依頼を完了するまで確認せず、それまでの間だけ自分の正体に気付かれなければ問題なかったからだ」
ここまで違和感に輪郭が浮かび上がれば、推理を展開する理由に充当する。だから、影郎君は依頼人について探ったと言いたいのだろう。
「卒業アルバムを警戒している。この点に注目し、辻褄を合わせるのならば、依頼人か、依頼自体に嘘が含まれていることを考えねばならないだろう。
しかし、もう一つ思い出して欲しい。戸上さんは、昨日『この恋は届きそうにない』と言ったんだ。ハーレムというものは、僕が思うに、届かないからこそ成立する恋愛模様だ。王様なり、皇帝なり、女たちは自分が一番になれるとは思っていない。思ってなどいけないとすら言える。故に、前提からして、一人だけ結ばれようとする思考そのものが破綻していたのさ。
にも関わらず、彼女が『戦いたい』と言うのは、これはもうハーレムに所属していないことを証明しているに等しいだろう。明らかに外野の、現代日本的な恋愛しか知らない者の意見だ。そう思わないかい?」
なるほど。
ここに来た戸上先輩が普通だったことが、もう既に普通ではなかったのか。
「一応、私の考えも言っておきたいんですけれど。いいですか? 影郎君」
「どうぞ」
「昨日、戸上先輩がここへ訪れた時、私は単純に冷静な恋愛をしているように見えていました。まず覚える違和感は、俯瞰視点な語りに起因する、過去の依頼人の女子たちとの熱量の差だったからです。即ち、彼女が恋の話をしている時、楽しそうではあったんですよ。その感情を切り離すことは、恋愛的に不合理であると思います」
「それは、そうだろう。あの時の彼女は確かに、大好きな人間のことを語っていたのだから」
「いえ。ですから、それだと別人説は成り立たないじゃないですか。彼女は八神先輩を――」
いや、違った。
「彼女の恋の話の登場人物は、八神さんと戸上由依さんだよ。希子」
彼女は、大好きな姉妹のことを語っていたのだ。
「無論、ここまではただの登場人物の整理だ。依然として、依頼人が何を願っているのかは不明なまま。だから、重要なのは次のセクションからなんだけれど――」
目線の先。部室の扉は、少しだけ開いている。昨日と同じ赤色の爪先が、チラと見切れていた。
「おいで。約束通り、キミの為にケーキを焼いてきたよ」
生理的年齢を超えた、過度な色気を含む声だった。
昨日と同じように、隙間に爪先が現れる。しかし、今回は消えず、そのままガラリと横開きの戸が開かれて、正体不明の先輩、戸上先輩が現れたのだった。
「何故、私がここにいると分かったんですか?」
「一本松中学校のアルバムが、元あった場所に無かった。上段左端に戻したのは使った四冊なんだよ。管理者は僕だ。どこに何が入っているかなど、まさか僕が忘れるはずもないじゃないか」
「な……っ。じゃあ、俺らに『アルバムを探せ』って言ったのはわざとっすか!?」
影郎君は、静かに微笑むだけだ。
「この部屋は最奥だから、当然、その向こうには非常口がある。開放すれば隠れ場所には困らないでしょう。あぁ、そうそう。昨日のキミの爪先が、階段側を向いていたのも忘れてはならないね。
つまり、キミは何らかの方法で非常口を開ける方法を知っている。ならば、下から上がってくることも可能だね。昨日、見送った後、キミが非常階段からコッソリと戻ってきて僕たちの話を聞いていただろうということは、キミに疑いさえ持てば想像に難くない。
故に、キミは僕がアルバムの場所を覚えていないと考え、左端上段へ雑に戻し、昨日と同じ場所へ隠れた。逆に言えば、アルバムがここに挿してあったことが僕の推理の正当性を証明してくれたのです。
そして、タイミング悪く、いや、タイミング良く帰ってきた僕らの話を、今日も計画のために盗み聞きしているのだと思った。以上だよ。
無論、何故昨日、最初から僕らを探っていたのかは存じ上げないけれどね」
言われてみれば、影郎君は鷹林中学のアルバムの場所を知っていた。八神先輩のことを知らなくても知っていたのだから、すべての場所を把握していて然るべきだったのだ。
「呆れた男ね、まったく」
月乃さんの言う通り呆れざるを得ないのだが、ならば、実際のところ、影郎君はいつ戸上先輩を疑い初めたのだろう。
本当に、本当のことを言ってくれない男だ。私は、何度目の当たりにしても、先回りして逃げ道を封じ、確実に仕留める頭の良さに恐れを抱くのだった。
「……は〜あ、面っ倒くさ。あんたさぁ、こっちだってやることあるんだから、大人しくあたしに騙されておいてよ。計画狂っちゃうとか、超ダっルいんですけど」
戸上先輩は、ズカズカと奥に入ってきて影郎君の席に座ると、実に気怠そうに足を組み、前髪をかき上げてから彼を睨みつけた。




