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去年、影郎君は割と頻繁に誰かの恋人をやっていた。
よりによって影郎君を相手にしなくても、という相手方への心配はさておき、モテるという事実に反して、校内にあまり知られていないことなのだが。彼は、実を言うと、あらゆる頼み事に対して基本的に断るという言葉を知らないので、告白する勇気さえあれば誰でも簡単に付き合えてしまうお手軽キャラなのであった。
しかし、交際が長続きするかどうか。もっと言えば、彼と付き合って幸せになれるのか、という点については懸念せざるを得ない。気遣いや優しさを鑑みても、有り余るほどのデメリットが彼には存在してしまっているからだ。
要するに、怖いのだ。
影郎君は、真実を暴く力を持っている。裏を返せば、何か後ろめたい真実を暴かれてしまいかねないというわけであり、コンプレックスを暴かれてしまいかねないというわけであり、引いては隠し事が出来ないという意味に他ならない。
もちろん、そんなことをやらかしたって心の中に留め、自慢気に発表する彼ではないのだけれど。やがて、恋人たちは無意識のうちに恐れを抱き、自己嫌悪と疑心暗鬼に苛まれ、想像と違った影郎君の前から姿を消していく。私が知っている限り、最も早かった破局は一時間程度だった。
彼は、告白を断らなかったのと同時に、相手を捨てるようなことも、引き留めるような真似も決してしなかった。
きっと、それも、恋人にとっては辛い対応だったのだと思う次第である。燃えるような恋心を抱く女子に、彼の温度はあまりにも冷た過ぎたのかもしれない。
結論。
倉狩影郎は、外で眺めて憧れるくらいが一番いいのだ。もしも、変な気を起こす前に私に相談してくれるのならば、深淵を覗かんと欲す子羊たちに注意喚起を施せるのに。
……ところで。
なぜ、私が急に面白くもない(というか、気に食わない)影郎君の恋愛遍歴を語りだしたかと言えば、それは当然、諸君が今回の事件を読むにあたり、彼の考え方の一端を知っておくべきだと考えたからだ。
青春ラブコメに探偵を登場させてはならない。
これから書き記すことは、私、日向希子の高校生活において、始めての衝撃を突き付けられた出来事の全貌である。
以下本編。
「お疲れさまです」
天候は、梅雨の時期には珍しい快晴だった。
その日、私が部室へ着く頃には、既に三人が揃っていた。月乃さんがちょうど立ち上がってポニーテールを跳ねさせ机をバンと叩き、一宮はポカンと口を開けて首を傾げており、影郎君は衝撃で転がり落ちたボールペンを床からヒョイと拾い上げるところであった。
「そんなの認められないわ!! 誰が何と言おうと、質の高いモノが優れているに決まっているじゃない!! そして、物事にはステータスに応じた感動があるのよ!! つまり、より良い体験のために人は資金を投じるの!!」
「あのね、伊織君。それはキミの主観的な考え方だ。前提条件が違えば、満足や幸福のラインもまた可変なのさ。あれと比べてどう優れているだの、ここよりもこう劣っているだの、そんなスノッブこそ体験の幅を狭める生き方だと僕は思うよ。極論、金を使わなくても至上の幸せは体験出来る。そして、それこそが僕ら学生の未体験による特権だ」
「……うぐ。ふ、ふふん! かかったわね! お生憎様。私は、答えが欲しいんじゃなくて倉狩君とバトルをしたいだけなのよ。
はい! 勝ちました! というか、戦いに引き込んだ時点で私が勝ってるんだから! 気付かないなんて愚かね! バーカ!!」
「なるほど! これはお見逸れしたよ、伊織君。僕には、自分の掲げた勝利条件を信じられず、大きな声を出してボロを誤魔化しているようにしか見えないけれどね!」
「あああぁっ!! うっざ!! たまには勝ちを譲りなさいよ!! 大体、個人の意見の対立に相対性を持ち出すなんてズルいわ!? やり方が姑息だと実感しなさいな!!」
「そんなルールに覚えはないけれど。まぁ、いいさ。そこまで言うのなら、今回の結果はその辺に捨てておいてあげよう。僕にバレないよう、後でコッソリ拾っておきなさい」
「この野郎!! あったまきた!!」
立ち上がった月乃さんは、影郎君をほとんどゼロ距離で睨みつけ、シャツの腹辺りを鷲掴み、しかし、二の矢が継げずに踵を返し、元いた場所へドカッと腰を下ろした。
「……ふん。次は仕留めるわ、覚悟していなさい」
「楽しみにしているよ」
勝ちたいというだけならば、舌戦以外の方法で挑むだけで確実に月乃さんが勝利を手にすると思うのだけれど。どうにも、そうしない理由を、私はこの数日間で分かりかけていた。
「なぁ、日向。伊織さん、こんなに見事に返り討ちくらってんのに、なんでちょっと喜んでんだ? 実はドMなわけ?」
私は、小さな声で耳打ちするように正面の一宮へ答える。
「まぁ、性癖については存じないけれど、一番の理由は、全力で遊ぶのが凄く楽しいからじゃない? 月乃さん、そういう相手って今までいなかっただろうしさ」
「ほーん。お前、意外と鋭いこと言うんだな。けど、言われてみりゃ確かに、伊織さんがブチギレられる相手なんて、色んな意味で影郎さんくれぇのもんか」
「ところで、二人は何を議論してたの?」
「確か、最初は紅茶の好みだったハズだけどな、最後には年末のクリスマスパーティーの話になってた。よくもまぁ、この人たちは数珠繋ぎにここまで議論を膨らませられるもんだぜ」
それから、私と一宮と月乃さんで雑談する運びとなった。そろそろ訪れる中間考査の攻略法とか、特進クラスの雰囲気とか、七月の生徒会役員選挙とか。取り留めもない質問を私と一宮が送り、それについて月乃さんが丁寧に回答してくれる、なんでもなく楽しい日常会話。
ふと、影郎君がイスラエルの観光ブックから目を離す。私たちも、不意に動いた彼が気になり、倣い目線の先を見た。
すると、ほんの少しだけ開いた横開きのドアの下に、女子生徒と思わしき赤い上履きの爪先が見えている。部室は、人がある間は密室にすることを校則で禁じられているため、必ず隙間を開けているのだ。
「そちらの方、どうぞお入りください」
入室すべきか引き返すべきか、迷っているのは明らかだった。彼女は、一瞬だけ隙間から爪先を消したが、やがて反対側から再び現れ、扉の前に立つとおっかなびっくり開き、私たちの前に姿を見せた。
肌はほんのり小麦色で、痩せ型の引き締まった体躯は美しい。身長は、私よりは高く月乃さんより低いくらい。165センチくらいだろう。足がスラリと長いから、実際よりもずっと身長が高く見えた。
黒髪のベリーショートは、きっとスポーツをやっているからなのだろう。よく似合っている、とてもスポーティな雰囲気の女子である。目鼻立ちはクッキリしていて、よく笑っているのだろうという印象を受けた。醸し出される雰囲気からも、明朗で快活な性格を想起させる人だった。
セーラー服のスカーフは緑色、二年生の先輩みたいだ。
「こ、こんにちは!」
「こんにちは。伊織君、そこのパイプ椅子をこちらに寄越してくれないか」
「いいわ、はい」
手早くポットの紅茶をカップへ移し、ソーサーへスティックシュガーとミルクと共に乗せて差し出す。彼女は、いきなりのもてなしに驚いたようで戸惑っていたが、「どうぞ」という影郎君の深く気取った声に従いパイプ椅子へ座った。
「えっと、倉狩さんという方はあなたですか?」
「えぇ、そうです。初めまして。あなたは、二年六組の戸上由依さんですね。陸上部に所属していらっしゃる――」
「え、えぇ!? 私のこと、知ってるんですか!?」
彼女は、影郎君のセリフを遮るようにパァと言った。
「もちろんです。去年の月刊釣鐘新聞九月号に、インターハイの決勝に出場したとの記事が出ていたでしょう。県下屈指のスプリンターの一人であると。遠巻きの写真でしか判断出来かったのが残念ですが、見事な走りでした」
「いやぁ、そんな。えっと、えへへ。ありがとうございます!」
なぜ、半年以上も前の、それもほとんど誰も読まずに捨てられていくだけの学校新聞の記事なんて覚えているのか。そんなことを今さら影郎君に聞くのは野暮というものだ。
こんなふうに、いつもと変わらない風景から事件は始まった。
この時の私は、やはり呑気なもので、影郎君かあっという間に戸上先輩を正解へ導くものだと考えていた。しかし、もしもこの名探偵へ、今の私が何か一つ助言を送れるのなら、迷わずにこう言う事だろう。
影郎君、今回は止めておきましょう。と。




